谷中に誕生したアートとカフェが共に楽しめる場所
遠山:スターバックスは都内にたくさんあり、私もよく利用するのですが、谷中にも店舗があると思っていました。実は谷中にはスターバックスがなく、今回、谷中エリア初のスターバックスができました。“藝と珈琲の交差点”というコンセプトをもつ、アートとカフェが楽しめる「スターバックス カフェ & アートギャラリー 谷中御殿坂」です(2026年3月26日)。2024年に改修したSHIBUYA TSUTAYA2F店のときにもお声がけいただきましたが、今回もアート作品のキュレーションを、私が代表取締役を務めるThe Chain Museumがお手伝いさせていただきました。
伊東:JR日暮里駅から続く御殿坂のてっぺんにあるのですね。近所なので工事中もたびたび様子を見に来ていましたが、先ほどやっと内覧できました。ちょうど荒川区と台東区の境界線なので、「谷中御殿坂」という両エリア表記も新鮮でした。
鈴木:建築設計を担当したHAGISOの宮崎晃吉さんによると、この周辺一帯に多く残る「看板建築」を意識して建てられたとか。関東大震災後の復興期に建てられた看板建築(建築家の藤森照信氏が命名)は、木造町家のファサード(正面)をモルタル、銅板、タイルなどで覆った耐火性の高い建築ですが、隣接する佃煮の中野屋さんともなじんでいて、とてもよい感じでした。
遠山:随所に地域とのつながりが感じられますね。外装を覆うタイルは常滑でつくられた特注で、一枚一枚釉薬をかけ流し、偶然できるかたちをそのまま焼き付けてあるそうです。遠くで見たときと近くで見たときの印象が異なり、天気によって光の反射の趣が変わるのも魅力的です。スターバックスのコーポレートカラーを用いつつ、町並みに溶け込む色調ですね。
伊東:ファサードに入り口がなくて、中野屋さんとの間の路地の先にエントランスがあるのも感心しました。谷中の街の路地を参考にし、行列ができてしまうだろうから、うまく折り合いをつけているな、と。谷中界隈は路地がおもしろいのですが、エントランスまでの短いアプローチでも奥へ入ることのワクワク感もあります。店内は中央が1階と2階をつなぐ吹き抜けになっていて開放感があり、展示されている絵に自然に目が向きます。
遠山:いわゆるカフェにありがちな装飾にならないように、作品選びや展示の仕方には気を配っています。例えば、1階にある真田将太朗さんの作品には吹き抜けを通して上部から自然光が当たるように。また、アートがある部分とない部分とで照明の色温度(ケルビン)を変えるなど、アートが空間を装飾するための付属品ではなく、カフェスペースとアートスペースが等しく成り立つ場所であることを目指して、スターバックスのデザインチームとも対話を重ね、この空間ができました。
鈴木:バーカウンターの前にある、真田さんの大きな作品を見るための距離も十分に取れますよね。ここまで広いスペースが確保されているのも、あまり他店舗にはないケースかもしれません。
遠山:ここでは自分が座った席でじっとしているだけでなく、1階と2階を行き来しながらゆっくりアートを鑑賞してほしいですね。特に2階の大きな窓からは、隣接する経王寺(きょうおうじ)の境内の伽藍や植栽が借景として目を楽しませてくれます。こけら落としとなる今回の展示では2階と中2階に24作品を展示。真田将太朗さんのほかに、Karin Hosonoさん、YU SORAさんの作品に出合えます。
鈴木:ここで展示するアーティストには、この土地の所縁などから東京藝術大学出身など何か基準があるのですか?
遠山:たまたま真田さんとYUさんが藝大卒業生だけど、そういう縛りはないですね。今回は3人のアーティストが「谷中(YANAKA)」を共通のテーマにディスカッションして作品制作に臨みました。今後は定期的に作品を入れ替え、アーティスト同士やスターバックスのパートナー(従業員)も参加し、会話をしながら展示を作っていく「テーマ展」、気鋭のアーティストの作品が並ぶ「フェア展」、公募で新たな才能を発掘する「パブリック展」などを開催予定です。地域になじむという目線で、フレッシュでこれからの活躍が期待されるアーティストや、谷中という町の個性に合致する作品を選ぶことになると思います。
町を愛し、見守る人が新旧のカルチャーをつなぐ
鈴木:今日は内覧会の後、伊東さんのご自宅にお邪魔していますが、伊東さんはここに住まわれて25年くらいになるそうですね。
伊東:はい、2000年にイタリアから帰ってきてからずっとこのあたりに住んでいます。まだ新参者の感覚でいますし、土着化できているとは思えないままですけれど。
遠山:その頃、「SCAI THE BATHHOUSE(スカイ・ザ・バスハウス)」はありましたか?
伊東:はい。最先端の現代アートのギャラリーが90年代初めからあるのも、このエリアを魅力的にしている要素だと感じます。
鈴木:あの物件は小山登美夫さんが藝大時代の同級生の縁で、銭湯の柏湯が閉じるという情報を得て、白石正美さんがギャラリーにしたという。
遠山:伊東さんがこの場所に住まいを決めた経緯は?
伊東:朝倉彫塑館が好きすぎて、ぜひご近所に住みたいと思って。この家を建てる前は、200メートルぐらい先の集合住宅に住んでいたのですが、あるとき郵便局でここが借地に出るとの張り紙を見つけて借りることに。大家さんは徳川家の菩提寺の寛永寺なんです。
鈴木:徳川将軍15人中6人が眠っている寛永寺ですね。江戸城の真北の日光東照宮に初代家康、南西の裏鬼門にあたる芝増上寺に2代秀忠含め6人が眠っている。徳川家には重要なお寺ですね。
遠山:お寺の町って共通してほとんど借地権しかないもんね。
伊東:古くて新しい、おもしろいエリアです。たぶん、新旧がうまくつながっているからではと感じています。それには『谷根千』を発行された作家の森まゆみさんの功績は大きく素晴らしいものでした。彼女のおかげで日本全国でも自らの地域の魅力を見出し、再確認していく機運が生まれたのではないでしょうか。
鈴木:新しい層と古い層がいて、それをつなげる人たちという、ある種の方程式のような?
伊東:言ってみれば、海水と淡水が絶妙なバランスで重なっている汽水域のように、別の文化圏が穏やかに接しています。そして、町を見守っている方たちが強引にかき回さないような配慮をしています。それは地域や地元の人々に対する敬意と愛着があるからではないでしょうか。先の内覧会で話を伺った「HAGISO」の宮崎さんもその一人。とても思慮深く、谷中とそこに住む人を丁寧に観察しながら、関係づくり、町づくりをしてきている印象を持っています。クレームも含めたさまざまな考え方や意見をポジティブに解釈して、次のステージに引き上げてきている気がします。
遠山:今回のカフェ建設にしても、宮崎さんはまさに「谷中の番人」のようでした。
若いアーティストを大切に育む土壌
遠山:伊東さんは、根津・池之端のオルタナティブ・スペース「The 5th Floor」(フィフス)のディレクターを務めたキュレーターの高木 遊君とも親交があるようですが?
伊東:彼がフィフスを立ち上げた頃に知り合ったのですが、そのあとすぐにコロナになってしまって。営業時間の制限があったので飲食店がやってなくて、彼らが遅くまで仕事をするときなど、よくウチにご飯を食べに来ていました(笑)。
遠山:あのビルはもともと、食品スーパーマーケット「赤札堂(Akafudado)」の社員寮だったんだよね。だからオーナーは赤札堂の小泉さん。2024年に閉館してしまったけど、ファッションビルABAB(アブアブ)の1階に赤札堂が入っていましたね。遊君が金沢21世紀美術館に行ってしまったから、今フィフスには岩田智哉君というディレクターがいて、結構レベルの高い展示をしています。
鈴木:フィフスはアーティストのためのギャラリーというより、独立系のキュレーターのための実験所・ギャラリーというコンセプトが珍しかったですね。
伊東:そこで展示をしているアーティストやキュレーターのほか、設営をするインストーラーたちと関わるようになって、若いアート関係者たちの生態をリアルに知るようになりました。お金がなくてもここまでできる!という感慨も(笑)。
遠山:伊東さんは彼らにとってお母さん的な存在なんだね。
伊東:あはは。それで言うと、遠山さんも若者たちに洋服をあげていませんか? 遊君と朝倉彫塑館に行ったときに不思議な格好をしていたので「どうしたの?」と聞いたら「遠山さんにいただいた」と。
鈴木:ここにお父さんもいた(笑)。
遠山:ちなみに伝説のファッションビル? ABABを取り壊すことになってからの1年間、小泉さんが200坪ぐらいある赤札堂のフロアを無料で貸してくださることになって、「上野の下」にあるから「上の下スタジオ」という名前をつけて使っていました。主に藝大の学生がそこで日夜、制作をしたりして、もうすごいことになって。
伊東:おそらく小泉さんも、フィフス周辺の若くやんちゃなアーティストたちと関わるなかで、彼らに手こずりながらも、現代アートというのは完成された作品だけじゃなくて、プロセスをおもしろがるものだということに気づかれたんじゃないでしょうか。実際にそれは私自身の学びでもありました。
鈴木:やっぱり地域でアーティストを守ってきた伝統がありますよね。学生や若い人を大事にしている。
伊東:その代表格が根津の渡辺歯科の院長、渡邊尚紀さんです。代々続いている歯科医院ですが、多くの藝大生や出身者の歯を治しているドクターで、クリニックには若いアーティストから購入した作品がびっしりと掲げられています。以前、レジデンスに来ていたアーティストが、勝手に商店街の電灯にスプレーでペインティングをしてしまったことがあって。そのとき尚紀先生はメンバーたちにスーツを着せて、一緒に警察や商店会に謝りにいったと聞いています。
町に住んでいるという感覚
遠山:それこそ「HAGISO」の宮崎さんも、藝大時代は4畳半一間みたいな生活をしていたと聞いたことがあります。
伊東:それが「HAGISO」になった木賃アパート萩荘です。大学院を修了してすぐ今の活動を始めていたわけではなく、磯崎新アトリエに勤務して、上海での巨大建築物に携わっていたそうです。そして3・11が起きて、自分の仕事はそのような建築をつくることではないと気がついてしまったと聞きました。
鈴木:震災のあと、建築家はそれぞれに苦しんでいましたよね。
伊東:それまでのように作品性、作家性を求めるのとは違う、社会にとって建築家の役割は何かっていうことを多くの建築家が悩んだと思います。宮崎さんたちも自分たちならではの建築や設計のあり方と貢献を模索してきているのでしょう。どこも目指してきた巨大な複合施設ではない、小さくても遠くまで響き、深く関わっていく“最小文化複合施設”「HAGISO」ができるまでの物語は、谷中の大切な伝説です。
遠山:宮崎さんが行っている、町そのものを宿にする発想から生まれた「hanare」も本当におもしろい。「HAGISO」にはフロントしかなくて、そこで受け付けを済ますと、宿泊はこちら、食事はこちら、お風呂はこの銭湯へと案内してくれます。
伊東:「hanare」はイタリアにもあるアルベルゴ・ディフーゾという機能分散型宿泊施設に近くて、お互い交流があるそうです。町なかや集落の家屋を客室に見立てて、町一帯で旅人をもてなすというアプローチ。私の仕事場兼自宅も狭いので、家の延長に町があって、町に住んでいるという感覚があります。
鈴木:ところでイタリア人のフッションデサイナーなんかも、建築系の人って多いですよね。ジャンフランコ・フェレはミラノ工科大学建築の出身だし、ジャンニ・ヴェルサーチも建築を学んだそうですね。イタリアでデザインを学ぶということは、建築を学ぶということなんだってある時期思ったことがあります。
伊東:イタリアでは80年代まで大学にデザイン科はなかったそうです。建築が一般教養なので、多くの人たちが様式や歴史を普通の人でも楽しみながら知識として持っています。だから、自分が住む町や建築に敬意があり、ふるさと自慢も説得力があるんでしょうね(笑)
遠山:日本はまだスクラップアンドビルドのただ中にあるからね。大手ゼネコンは開発の手を止めないし。
伊東:元ボスであり、敬愛する師でもある建築家のエットレ・ソットサスは、建物=buildingと建築=architectureは同じものではないと折にふれて言っていました。同じように町は開発してつくられた特定エリアのことではなく、住む人、訪れる人たちそれぞれの時間、振る舞い、考えや好み、志が交差し、堆積して生まれる集合知のようなものなのでしょう。谷中御殿坂は歴史、現在、将来のスコープが感じられるネーミングで感心しました。楽しめるエリアが広がったのでは? 人でも建築でも町でも、変化があることはそれが生きている証拠。日々の暮らし方が自分たちの居場所を設計しているんだろうな、と感じています。
鈴木:谷中周辺のエリアがいかに芸術やアーティストを大切にしながら、唯一無二の文化を醸成してきたかよくわかりました。今日はお宅にまでお邪魔させていただき、どうもありがとうございました。
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パークス代表。1983年上智大学文学部社会学科卒業後、出版社書籍編集部を経て、倉俣史朗氏率いるクラマタデザイン事務所にて海外渉外を担当。イタリア ソットサスアソシエイツの日本代理人を務め、1994年に渡伊。彫金専門学校卒業後、フィレンツェにてジュエリー職人・デザイナーとして活動。著書『フィレンツェでジュエリー職人になる』(世界文化社)。2003年、パークスを設立。メーカーのデザイン部門との共同研究のほか、デザインマネジメントおよび海外プロジェクトのコーディネートを行う。2011年、東京大学大学院学際情報学府社会情報学修了。2018年より夭折した画家・石田徹也の海外展開に関わる。
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1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
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1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
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