モダニズムは見た目でなく、空間がもたらす体験である
1919年にスリランカで生まれたジェフリー・バワは、イギリスで建築を学んだ後に帰国して自身の建築事務所を開設。1950年代から数多くの住宅やホテルなどを手がけ、トロピカル・モダニズムと呼ばれるスタイルを切り開いて今なお高く評価されている。今年5月に神戸で開催された「ジェフリー・バワ展 トロピカル・モダニズムの家具」に際して、ジェフリー・バワ財団長のチャンナ・ダスワッテと、バワの家具を復刻したファントムハンズの創設者であるディーパック・シュリナートとアパルナ・ラオが来日。この3人に、一連のデザインの魅力や、その背景にあるものを尋ねた。
近代以降の建築を振り返るとき、その主役とされるのはいつも西洋、特に西ヨーロッパの数か国とアメリカの建築だった。しかし今日は、それ以外の地域の建築の価値も徐々に見直されている。こうした動きのなかで、ひときわ輝きを放っているのがジェフリー・バワだろう。特に「ヘリタンス・カンダラマ」「ヘリタンス・アフンガラ」をはじめとするホテルは、今なおリゾートホテルのあり方に影響を与え続けている。ほかにもライフワークとなった「ルヌガンガ」や、スリランカの国会議事堂など、現在まで受け継がれる名建築は多い。
彼はまた、自身が手がける建築のために、数多くの家具をデザインしていた。それらの復刻を進めているのがファントムハンズである。インド・チャンディガールの都市計画のためにピエール・ジャンヌレらがデザインした家具の復刻でも知られる、同国バンガロールに拠点を置くメーカーだ。
「私たちはジェフリー・バワの建築にずっと憧れていました。しかし家具についてはあまり情報がなく、特に注目していたわけではありません」とファントムハンズのアパルナさんは話す。アーティストとしても活動している彼女は、その業界の知人を通してジェフリー・バワ財団が家具の復刻を構想していると聞いた。財団に連絡して代表のチャンナ・ダスワッテとやりとりした約2週間後には、ファントムハンズのふたりは彼に会うためスリランカのコロンボに向かっていたという。
「私はファントムハンズの活動を以前から知っていたので、復刻に興味があると伝えられて、いい関係が築けるに違いないと確信しました。その後に私がバンガロールの工房を訪れると、そこで大きな感銘を受けます。技術や環境、スタッフの待遇がすばらしかったからです」とチャンナさんは振り返る。
リエディション(再編集)によって現在に蘇った家具
今回の一連の家具の復刻を、彼らはリイシューやリプロダクトではなくリエディション(再編集)と呼ぶ。復刻する過程で、単にオリジナルをよみがえらせるだけでなく、さまざまな工夫や検証が必要だったからだ。チャンナさんは語る。
「バワの家具は、さまざまな出来事があった20世紀後半のスリランカで、1点1点が異なる状況のもとデザインされていました。物資の輸入が困難で、家具をつくるための材料が不足したことも珍しくありません。身の回りにあるものを利用し、見事な発想で家具にしたものが多いのはそのためです。しかしそのままでは21世紀の家具市場に通用するクオリティではない。バワの哲学を保ちながら、改良すべきところをクリアしていくファントムハンズのノウハウは完璧でした」
あらゆる家具に込められた、建築家バワの哲学。それについて考え、理解を深めながら、完成形を目指すのはとても楽しいプロセスだったと、ディーパックさんとアパルナさんは話す。
「インドに暮らす私たちにとって、それは南アジアという地域で本物の家具を創造することの意味を問い直す機会になりました。従来のデザイン教育では、イタリア、ドイツ、デンマーク、スイスといった国々のデザイナーを巨匠として学び、崇拝してきました。今もそれは基本的に変わっていないでしょう。アジアにもオリジナルのデザインがありましたが、圧倒的な西洋の伝統に対して、その意味を考える場面はあまりに少ないのです」
チャンナさんはまた、バワの家具をよみがえらせるヒントとしてジェネレイティブデザインをキーワードとして提案した。生成するデザイン、進化するデザインを意味する言葉だ。バワの家具は過去にとどまるものではなく、必要や状況に応じて変化していくべきだと、チャンナさんは考えている。その姿勢がファントムハンズのアプローチをいっそう自由で柔軟なものにした。「私は化石を所有しようとも、世の中に広めようとも思いません」と彼は語る。
「ジェネレイティブデザインはとても刺激的な言葉です。バワがもし今も生きていたら、ファントムハンズをどんなふうに受け入れ、何を期待するか。私たちは過去を見つめるとともに現在を見つめることになりました」とアパルナさん。椅子であれば、全体のサイズや耐久性を見直し、人間工学の視点から各部位の角度を検証したり、量産をふまえた構造を工夫したりしていった。それは図面に忠実に復刻する以上に手間と時間を要したが、ファントムハンズとしては進んで乗り越えるべきハードルだった。
「包摂的(インクルーシブ)であることは現代の家具に欠かせません。バワは背の高い人でしたが、現代の椅子は幅広い体型や姿勢を受け入れなければならないのです」
バワの哲学を理解し、デザインを再編集するプロセスとともに重要だったのは、工房で行う製造作業のクオリティだ。ファントムハンズはこれまで木の家具を中心に手がけており、その工程に不安はない。しかしバワの家具は金属やテキスタイルを用いたものも多く、新しい試みが欠かせなかったという。
「アパルナはアーティストとして金属を扱うことがあるので、ノウハウがなかったわけではありません。しかし数点の作品のための作業と、家具を量産する作業では違いも大きい。バワの家具をつくるために必要な精度を、インドの既存の金属工房で実現するのは不可能でした。そこで今回の復刻のために新しい工房をつくり、服の仕立てや刺繍をしてきた職人を雇って金属加工を習得してもらいました。手先の器用さが欠かせないからです」とディーパックさんは説明する。
椅子の張地には、バワと長年の交流があったバーバラ・サンソニが主宰する工房、ベアフットのものを使用。同様のテキスタイルはオリジナルの家具にも使われていたという。ただしベアフットのテキスタイルはカーテンやクッション向けで十分な強度がないため、裏地をつけて耐久性を保ち、伸縮性をもたせるように縫製も念入りに行っている。現在の国際基準をクリアするための改良だ。
「リエディションにあたっては、カラーリングや質感の仕上げにも配慮しました。オリジナルの家具はそれぞれに経年変化していて、その姿も魅力的です。では、最初に製作された状態を手本とするべきか、数十年後の状態を手本とするべきか。家具ごとにバワ自身の美意識に思いをはせて決断していきました」と、ディーパックさんとアパルナさんは話す。
バワの哲学とファントムハンズの共鳴
ファントムハンズが復刻したジェフリー・バワコレクションは16点に及ぶ。完成した製品を見て、チャンナさんはこう感じたという。
「バワによる家具は彼が手がけた建物のためにデザインされたので、その空間でしか見られません。だから私はファントムハンズの工房で、いくつもの家具が一緒に並んでいるところを初めて見ました。そして気づいたのです。ひとつひとつの家具がまるで互いに会話するかのように、一貫したデザインが宿っていることに。今でもあの晩の感動を覚えています」
そもそもバワは、椅子をデザインするときも、目的は「椅子のデザイン」ではなかったと彼は話す。「この空間で人が座るために何が必要なのか。そんな思考の結果として、それぞれの椅子が生まれたのだと思います」
椅子をデザインする以前に、空間のなかでの人の体験をイメージする。こうしたアプローチは、バワの建築にも通底しているようだ。チャンナさんはその点について、このように語る。
「建築とは物体でなく、その内部空間に生まれる体験だというのが、バワの信念でした。これは西洋の近代建築とは大きく異なる考え方です。どんなふうに歩くか、どんなふうに座るか、そうやってすべてを発想していくのです。だから家具と建物は同じように重要でした。完成した空間のなかに生じるすべての体験をできるだけ高めようと、バワは常に努めていた。さらに興味深いのは、どんな人々がどんな体験を望むかに応じて、空間のあり方も変わっていったことです」
チャンナさんによると、空間のなかでのライフスタイルを尊重することこそが、バワにとってのモダニズムだった。
「モダニズムが最初にスリランカに伝わった頃、それはあくまで『スタイル』でした。コンクリートでなければならない、ガラスを使わなければならない、そうでなければモダンではない、と言わんばかりだったのです。それに対してバワが確立したのは、モダニズムはその土地の文脈と共存できるという姿勢です。突き詰めると建築とは、人々がその空間で過ごすライフスタイルと同義であり、モダンなライフスタイルであれば建築はモダンになるということ。どんな建材を使っていても、それは変わりません」
そしてチャンナさんは、バワの代名詞であるトロピカル・モダニズムという言葉についてもやや懐疑的なのだと話す。
「西洋の視点からすると、バワの作風はトロピカル・モダニズムと位置づけられるのかもしれない。しかし彼が実践したのはあくまでモダニズム。仮に彼がスリランカでなく、別の国や地域で活動しても、同じアプローチで建築をつくり、十分に通用していたに違いありません。だからトロピカル・モダニズムという表現は、バワを一部の地域の存在に押し込める過小評価ではないでしょうか。しかし実際には、西洋とは世界の約30%に過ぎないのです」
西洋とそれ以外をフラットに見据え、アジアの建築やデザインを捉え直すことは、インドの家具ブランドとして現地で製造を行うファントムハンズの活動とも共鳴している。
アジア発のモダニズムが、ここに存在している
バワのになったモダニズムは、家具のデザインにどう生かされたのだろうか。ひとつの例として「No. 11 Sofa」がある。1968年に彼が自宅用にデザインしたもので、「No. 11」はその住所の番地を表している。長方形の座面は、当時、政府が支給したベッド用マットレスでできていた。既存のスタンダードなマットレスをもとに、バワは脚部と背もたれを加え、奥行きが大きすぎるためクッションを誂えた。オリジナルは長身だったバワにちょうどいいサイズだったが、復刻版ではやや奥行きを短くしたタイプも用意されている。
「モダニズムの規範に『できるだけ多くの人々の手に入るべき』というものがありますが、『No. 11』はその好例。社会主義的とも言えますが、デザインは大衆とともにあるということです。これは誰もが真似できるアイデアでもありました。また装飾的要素のない背もたれや脚部もモダニズムの美意識に適っています」とチャンナさんは話す。
バワの思想がよく表れたもうひとつの家具に、販売はされていないが、今回の展示で公開されたベンチがある。1対の脚部が、折れ曲がった木材を支えている。
「原生林から切り出されたものの使い道がなく捨てられていた木を、バワが見つけてベンチにしたのです。ゴミのようなものが、彼の発想によってすばらしい家具になりました。こうした木には価値がないと、私たちは思い込まされているのでしょう。彼は、ベンチの材料を探していたわけではなく、この木に美しさを感じてベンチをつくった。ほかにもバワは時々、材料から家具を考案しました。もちろんサステナビリティやゼロウェイストという言葉が使われ始めるずっと前のことです」とアパルナさんは話す。
ファントムハンズが復刻してきた、ピエール・ジャンヌレが手がけたチャンディガールゆかりの家具は、アジア発のモダニズムの魅力を広く認識させる役目を担った。バワの家具はそれとは異なる背景をもち、やはりモダニズムの知られざる側面を明らかにする。そこに秘められた創造性は、同じアジアにある日本の暮らしと地続きのもの。その共感を楽しみたい。
profile

1919年、スリランカ・コロンボ生まれ。イギリスで法律を学び、帰国後は弁護士として働く。その後、建築を学ぶために再度のイギリス留学を経て、1950年代後半から建築家として本格的に活動した。晩年までスリランカ各地で多くの公共施設、ホテル、個人邸などを手がける。デザインした家具の多くは、クライアントからの依頼ではなく、建築のために自ら設置されたという。
ファントムハンズ Phantom Hands

2014年、ディーパック・シュリナートとアパルナ・ラオがインドで創業。翌年にチャンディガール・プロジェクトをスタートし、チャンディガールの都市計画のためにピエール・ジャンヌレらが手がけた家具の復刻に着手。オリジナルの素材や技術を検証してつくり上げた製品が大きな反響を得てきた。並行して現代のデザイナーを起用したコレクションも発表している。2025年、ジェフリー・バワの家具復刻プロジェクトを発表。
CASA DE
ミッドセンチュリー期に活躍したデザイナーズ家具から、コンテンポラリー作品まで幅広く取り揃えるギャラリー。
Phantom Handsが手がけるジェフリー・バワの家具をはじめ、リナ・ボ・バルディ、ピエール・シャポ、セルジュ・ムイユなどの現行品を取り扱う。
▶︎https://gallerycasade.com
51% 五割一分
富山と東京を拠点に、建築設計、家具・インテリアの販売、広告・アートディレクションなどを手がける。
“美しいと思えるモノ”の全ての垣根を越えて、様々なアイテムを独自の視点で編集し展開している。
▶︎https://www.5wari1bu.jp/


