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松浦弥太郎の“時を愛しむ暮らし”
人生を愉しむ

松浦弥太郎の“時を愛しむ暮らし”

手をかけながら愛しむという楽しみ

エッセイスト・松浦弥太郎が綴る、モノ・コトへの愛着や付き合い方。長い時間をともに過ごしてきたそれらは、いつしか暮らしのパートナーとなる。今回は20年使っているソファと、新しい相棒になった年代物の自転車について。熟練の職人の手によって命を吹き返し、また時を刻み始める。

Text & Photographs by Yataro Matsuura

いつも側にあるソファ。大切にしているのは20年来の座り心地

20年使っているレザーのソファがある。デンマークの家具デザイナー、ポール・ケアホルムによる一人がけのソファだ。

朝、本を読むときも、そのソファに座る。仕事で原稿を書くときもそうだ。考えごとをするとき、ただ窓の外を眺めるとき、なにも考えずにぼんやりするときも、これまでずっとこのソファに身を預けてきた。
気がつけば、人生のずいぶん長い時間をそのソファとともに過ごしていた。

ある日、座ったときにふと気づいたことがあった。クッションがへたっている。ぼくの座り癖なのか、座面の1カ所がかなり沈み込んでいた。新品だった頃の弾力や張りがいつの間にかなくなっていた。腰を下ろすと、長い年月がそのまま沈み込んでいるようだった。

もちろん、それはネガティブなことではなかった。そこには20年分の暮らしが染み込んでいたし、自分の時間も刻まれていた。

使い込まれた革の表情を見るたびに、愛着という言葉の意味を思った。使い込むということはこういうことだと納得をした。けれども、クッションのへたりを感じながらも、もう少しだけ心地よく座りたいと思った。

そこでクッションをメンテナンスしてくれる職人を探した。年季の入った外側のレザーはそのままで、中身の羽毛だけを新しくする。しかし、それを引き受けてくれる職人はなかなか見つからなかった。

半分あきらめつつも、こつこつと探し続けていたら、ようやくお願いできる人に出会うことができた。ソファの状態を伝えると、まるで自分もその経験があるように深く理解してくれた。

その人はこんなことを言った。「クッションの座り心地だけを新品同様にするのは、少し違う気がします。20年使ったソファには、20年使ったなりの姿と座り心地があります。全体になじむくらいの加減がいいのではないでしょうか。私に任せてくれたらやりましょう」。その言葉を聞いて、なるほどと思った。

新しくすることばかり考えていたけれど、大切なのは若返らせることではなく、メンテナンスが不自然であってはいけない。また、そうすることで、これからも心地よく使い続けられることなのかもしれない。クッションをその人に預けることにした。

そうして1カ月ほどして、ソファは戻ってきた。座ってみる。その塩梅が実に見事だった。へたりは直っている。でも新品ではない。20年の時間をちゃんと残しながら、座り心地だけが静かによみがえっていた。まるで、よく眠った朝のような気分だった。若返ったのではない。目を覚ましたのだ。

そのとき思った。なにもかも新しくしなくていい。完璧に直さなくていいのだな、と。人も、道具も、暮らしも、時間をなかったことにするのではなく、その時間を抱えたまま手入れをしていく。そのほうが、ずっと豊かで、自然なのかもしれない。手入れとはピカピカにすることではないのだ。

ぼくは今日もそのソファに座っている。20年前と同じようでいて、少し違うけれど、ちょうどいい心地よさ。でも、その違いがなんだかうれしいのである。自分も一緒に歳を重ねていることを思い出した。

憧れの自転車とともに、時間を味わい、重ねていく喜び

フランス、パリにあるアレックス・サンジェは、ツーリングという旅を楽しむために作られる、パリの宝石とまで言われる自転車工房だ。

1938年創業の小さな工房で一台ずつ手作りされるオーダーメイドの自転車の佇まいには、流行とは違う美しさがあり、写真を見るたびに、いつか手にしたいと憧れていた。
この春、パリを訪れる機会があった。もちろん、ぼくは工房を訪ねた。

オーナーであり自転車職人のオリビエさんは、初めて会ったにもかかわらず、とても温かく迎えてくれた。ぼくがどれほどこの自転車に恋焦がれてきたかを話すと、うれしそうにうなずきながら耳を傾けてくれた。つたない英語だったけれど、言葉以上のものが伝わった気がした。

彼は工房の隅々まで案内してくれて、注文の方法もていねいに教えてくれた。そして最後にこう言った。「いま注文すると、完成まで2年です」。その言葉を聞いて、ぼくはがっかりするどころか、うれしくなった。

2年。長いようで短い時間である。そのあいだ、どんな製法で作られるのだろうか。完成したらどこへ走りに行こうか。待つ時間そのものが、もう自転車の一部になっている。だから迷わず注文をした。

ところが帰国して間もなく、不思議なことが起きた。自転車好きの友人が連絡をくれたのである。アレックス・サンジェの自転車を譲りたいという人がいる、と。

持ち主は高齢になり、腰を痛めてしまったそうだ。もう以前のようには乗れない。だから、自分が長く愛してきた自転車を引き継いでくれる人を探しているという。ぼくは迷わなかった。ぜひ会いたいと思った。

その人にパリでの出来事を話した。工房を訪ねたこと。オリビエさんに会ったこと。2年待ちの注文をしたこと。すると、その方は本当にうれしそうな顔をした。自分が愛した自転車の未来が見えたのかもしれない。

そして、さらに驚く話を聞いた。譲っていただける自転車は、1948年に製作されたアレックス・サンジェ初期の個体だったのである。しかも当時のオリジナル性をほとんどそのまま残していた。長い年月を経てきたにもかかわらず、大切に守られてきた1台だった。そんな貴重な自転車をぼくが受け継いでよいのだろうか。

正直に言えば、少し戸惑った。けれど、その自転車は美術館の展示品ではない。誰かの人生を走り続けてきた乗り物である。そして今、その役目を終えるのではなく、次の誰かへ手渡されようとしている。そう思うと、受け継ぐことにも意味があるように感じた。夢かもしれないと、ぼくはほっぺたをつねった。

しばらくして、自転車はわが家にやってきた。玄関先で初めて向き合ったとき、その美しさにしばらく言葉が出なかった。新しいものには新しいものの輝きがある。けれど、長い時間を生きてきたものだけが持つ静かな光というものもある。この自転車には、それがあった。

わが家にやってきた古いけれど新しい友だち。考えてみれば、自転車というものは不思議である。100年前のものであっても、基本的な構造は今とほとんど変わらない。人がペダルを踏み、チェーンが回り、車輪が前へ進む。その仕組みは昔も今も同じだ。違うのは素材や製法である。

この自転車が作られた時代は、まだ多くの工程が職人の手仕事だった。部品のひとつひとつに手の跡が残り、細部にまで気配りが行き届いている。効率という言葉では測れない美しさがそこにはある。眺めているだけで、ものづくりの豊かさとは何かを教えられるような気がする。

ぼくはこれから、この自転車の部品をひとつひとつ磨き、手入れをしながら、その時間も楽しみたい。古いものを新品に戻したいわけではない。長い年月を生きてきた姿を大切にしながら、これからも気持ちよく走れるように整えていきたい。そしていつの日か、この自転車を里帰りさせたい。生まれ故郷のパリへ連れていき、石畳の小道を一緒に走るのだ。

78年前、この自転車はどんな景色を見ていたのだろう。どんな人を乗せ、どんな季節の風を受けていたのだろう。そんなことを想像しながら、セーヌ川のほとりや小さな路地をゆっくり走ってみたい。

ぼくは2年後に完成する新しいアレックス・サンジェを待っている。そして今、78年前に作られたアレックス・サンジェと暮らしている。未来からやってくる1台を待ちながら、過去からやってきた1台と過ごしている。

profile

松浦 弥太郎

エッセイスト。クリエィティブディレクター。「暮しの手帖」編集長を経て、「正直、親切、笑顔」を信条とし、暮らしや仕事における、楽しさや豊かさ、学びについての執筆や活動を続ける。著書に『今日もていねいに。』(PHP研究所)、『しごとのきほん くらしのきほん100』(マガジンハウス)、『正直、親切、笑顔』(光文社)など多数。

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