お問合せ

03-6756-0100

営業時間 10:00〜18:00(火水祝定休)

  1. R100 TOKYO
  2. Curiosity
  3. 人生を愉しむ
  4. 遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.21 「大竹伸朗展」
Curiosity| 人生を豊かにするモノやコトを紹介するウェブマガジン。
遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.21 「大竹伸朗展」
今日もアートの話をしよう

遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.21 「大竹伸朗展」

フィジカルに迫ってくる圧倒的な物質感。大竹伸朗の40年間を圧縮した大回顧展について、作家本人と語る

「Soup Stock Tokyo」を立ち上げた、実業家の遠山正道氏と、美術ジャーナリスト・編集者であり、長年雑誌「BRUTUS」で副編集長を務め「フクヘン。」の愛称をもつ鈴木芳雄氏が、アートや旅、本や生活について語る「今日もアートの話をしよう」。21回目は、現在、東京国立近代美術館で開催中の「大竹伸朗展」へ。どこか懐かしさを感じさせる印刷物、赤の他人の家族写真、打ち捨てられた看板や廃品。それらの「既にそこにあるもの」を、貼り、重ね、絵画から巨大建造物にいたるまで、おびただしい数の作品をつくる大竹伸朗氏。ご本人をゲストに迎え、展覧会について、若かりしころの転機となった経験について、そしてこれからのことについてうかがった。

Text by Maki Fujita
Edit by Fumi Itose
Photo by Takuya Furusue

16年の間に変化した時代。若者からの意外な反応

鈴木:東京では16年ぶりとなる大竹伸朗さんの大回顧展が、現在東京国立近代美術館で開催中です。僕がはじめて大竹さんの作品を見たのは、1987年の佐賀町エキジビット・スペースでの個展でした。それ以来、国内の展覧会はもとより、ドクメンタ(ドイツで5年に一度開催される現代美術の祭典)やヴェネチア・ビエンナーレでも作品を拝見してきました。今回は僕が長年追ってきた、大竹伸朗さんご本人にお越しいただき、お話を聞けることになりました。

大竹:よろしくお願いします。

遠山:大竹さんが表紙を描かれていた雑誌『リトルモア』の表紙(97〜98年)を、私も1年間描かせてもらっていたことがあって、勝手に親近感を覚えていました。今回の展示を拝見しましたが、一つ一つの作品の情報量が多い。それらすべてを大竹さんが手を動かしてつくっているんだなと思うと、もっと時間をかけて、隅々まで眺めていたくなりました。

大竹:若い世代の人達は「圧倒的な量」とか「圧倒的な情報量」とか、そういった言葉で反応しています。自分は全然そう思っていないのですが、それがグッとくる部分のようです。彼らはディスプレイで絵画を見るのが普通じゃないですか。ここには現物が至近距離にある。なんか違うぞ、ということを感じ取っているのかもしれません。

遠山:物質感にグッときているのでしょうね。

大竹:自分にとって目の前に現物があることは当たり前のことですが、それは若い子にとっては当たり前ではなくて、その落差が『全景展』(2006年に東京都現代美術館で開催された大回顧展『全景 1955-2006』)のときよりも大きい気がするんですよ。全景のときはスマホ以前だったから。

鈴木:そうですね。ネットはあったけれどもスマホはなかった。

大竹:twitterが普及する前なので拡散も炎上もなく、美術館も撮影禁止。この16年間で社会環境が激変した。いまの若い子が東京で見られる僕の展覧会はなかったも同然だから、今回の展示には、日増しに『全景展』を見られなかった若い子が増えてきています。僕の作品は、アートヒストリーを知らなくたって、ストレートにおもしろいか、つまんないかで反応できるし、気に入った部分だけ写真に撮ってもいいし、間口が広いのかもしれません。

編年にこだわらない展示方法から見えてくるもの

鈴木:今回の展覧会は、作品の横には番号があるだけで、タイトルや制作年などの情報はスマホから見るようになっていますね。

大竹:そうしたことで、僕自身、逆に新鮮な驚きもありました。この展覧会は約40年分の作品の圧縮版なのですが、スマホを使わないと制作年の変遷を追うことができないので、展示した作品がいまの瞬間にすべて同時に立ち現れたようにも見えてきます。5年かかったスクラップブックが一瞬でできたように見えてくる。けど、そもそも40年間といっても宇宙規模で考えたら一瞬にもならないわけじゃないですか。そんな時間の考え方を揺さぶられる感じが面白いなと思っています。

40年以上制作してきたスクラップブックを展示する部屋。スケッチブックや既存の画集等にありとあらゆるもの(ときにはギターも)を貼ってきた。手前にあるのが2018〜2021年にかけてつくられた最新の《スクラップブック #71/宇和島》。

鈴木:この展示方法についての反応はありましたか?

大竹:制作年がわからなくて困るといった感想はあまりないです。何年につくったとか、いまの若い子には関係ないんでしょうね。その現象に似ているのはサブスクの音楽。戦前の古いブルースのあとにレッド・ツェッペリンがきて、そのあとに今年出たテクノが流れてもなんの違和感もない。僕の年代だと「そこは飛ばすなよ」となるけど。絵も一緒で、僕が20代でつくったとか、今年つくった作品とか、そんなことどうでもいいように感じます。そういう視点がとても面白いです。

「今回の展示はおよそ500点の作品が並びます。通常の個展で500点あればかなりの作品数になりますが、膨大な作品をつくってきた大竹さんの場合だと、500点しかないとも言えます」(本展を担当した東京国立近代美術館主任研究員・成相肇さん [以下成相/写真右])

鈴木:つくる側である大竹さんが、若い人の感想から揺さぶられているところが興味深いですね。

大竹:僕が 20代から40代のころは、「スタイルの一貫性がない」とか「コンセプトに統一性がない」とかさんざん言われました。だけど、僕は40年間、それらが全部つながっていると信じて押し通してきた。その思いがやっと伝わりだしたという感覚があります。「一貫性のない」と言われた作品が同じ部屋に並んでいても若い子たちには違和感はない。トータルで僕のやってきたことが伝わるようになってきた。それはありがたいことです。20年では見えないものが、40年続けると見えてくる。

「自/他」をテーマにした部屋。ボブ・ディラン、武満徹、アンディ・ウォーホル、ブライアン・イーノ、マルセル・デュシャン、小津安二郎、ちばてつや、ジェームズ・ジョイス、ポール・ボウルズ、サミュエル・フラー、ボリス・カーロフ。大竹さんが影響を受けたものが登場する。

コンセプトありき、ではない現代美術があってもいい

遠山:最近の現代アートは「≒(ニアリーイコール)」コンセプチュアル・アートになっていて、観る側にコンセプチュアル疲れがあるような気もします。もっと身体性を求めているんじゃないでしょうか。

大竹:コンセプトありきの現代美術に縛られちゃっている気がしますよね。僕自身も10代、20代のころ、なんでアートの世界はこんなにとっつきにくいのだろうと思っていました。10代のころ、かっこいいものを壁にかけたくて、好きなミュージシャンのポートレイトを油絵で描いていた。それがアートの文脈で何派に属するかなんて、なんの興味もなかったんです。それは、評論する人がやることであって、自分にとっては関係ないこと。まずはかっこいいと本気で思うものを描けばいいと思うんです。そうやって絵に興味を持っていって、コンセプトが必要だと思ったときに立ち止まって深く考えてみればいい。

遠山:コンセプトに縛られて描けなくなってしまうことの方が、不幸ですよね。

大竹:ハイブローなところにアートがあり続けるのは、いいことではないですよね。コンセプトが不要だということではありませんが、必ずしもそこから入る必要はないと思います。そういった人の受け皿がなさすぎるとは思う。観る側だって「ゴミを貼って美術館に展示していいんですか?」とか、そういった反応でもいいと思います。

「自作本」と呼ぶ冊子類などを展示する「層」の部屋。

99%失敗する道であっても、やらないかぎり道は開けない

遠山:私、北海道の別海町で撮ったスナップも好きです。

鈴木:別海町は、大竹さんが18歳のときに住み込みで働いていた牧場のある町ですね。

大竹さんのターニングポイントになった、北海道の別海町や歌志内市で撮影した写真が展示されている。
《別海》1974年 各11×7.5cm。提供:東京国立近代美術館。

大竹:脱サラして別海町に移り住み、酪農家をはじめた方の存在を雑誌で知って、絵描きになりたいから働かせてほしいと手紙を書きました。そうしたら、休みと給料はないけれど、住み込みで飯は食えるから来てもいいと返事がきました。それだけで十分満足でした。実際には、超重労働で(笑)。僕のやることは、朝4時から、スコップ一本で牛の糞を1トン出すこと。あと生後7ヶ月の女の子の子守。おんぶして、乳搾りして、糞出しする生活になって、絵描きになりたいという自分自身の思いがいかに甘いかを思い知りました。一応、絵の道具は持っていったけれど、18歳の体力絶頂の自分でも、30分時間があったら寝ないと体がもたない。それくらいハードでした。

遠山:どういった思いがあって牧場で働こうとしたのですか。

大竹:美大や藝大に入ろうと思うと、美術予備校で石膏デッサンをするのですが、それに対する違和感があったからです。予備校に行くと、藝大を6浪している23、24の人達が絵を描いているんですよ。そんな日々の中、浪人してまでデッサン勉強し続けて藝大を目指すという行為が、僕の考える芸術家像からは逆行しているとどんどん思うようになっていきました。僕は芸術家になるためには、人が経験したことのない思いをするのが第一の関門だと思っていたから、2万円の予算で北海道に行って、何もないところで知り合いをつくって、1年間は帰らない、ということを自分に課しました。

鈴木:大竹さんは、結局、無駄なことなんて何も無いのだとおっしゃっていましたね。

大竹:本当にそう思います。「1日1トンの牛の糞を運ぶことが、アートになんの意味がある?」と聞かれても、答えなんてない。僕にとっては十分すぎる意味があるというだけ。「どうやったらアーティストになれますか」って質問もそうだけど、聞く時点でアーティストにはなれないんですよ。禅問答みたいなもので、行き着くところは、やるかやらないかだけ。99%失敗する道であっても、海の中に放り込まれたら、とにかく必死に泳ぎだすしかない。

遠山:これから人生100年という時代になるから、どの世代の人にも当てはまることかもしれませんね。

「網膜」シリーズの1作品、《網膜/エナジー・トラック》 1990-2020年 個人蔵。ポラロイドフィルムに偶発的にできる図像を大きく引き伸ばし、上から樹脂をかけている。「色や図に関して大竹さんはほとんど手を加えていません。なかには30年間放置していたフィルムを使っているものもあります」(成相)

ロンドンで出会ったホックニー

鈴木:そのあとロンドンに行ったわけですね。

大竹:北海道から帰ってきたら、なんでもできる、絶対に生きていけるって、めちゃくちゃハイな気持ちになっていたんです。逆にハイになりすぎて学生生活にまったく馴染めなくなり、今度は未経験だった1年の海外滞在だと。それでロンドンに行きました。金もないし、知り合いもいないし、英語もしゃべれない。だけど、人間がいるんだから大丈夫だろうと、それくらい楽観的でした。

遠山:それでホックニー(デイヴィッド・ホックニー/1937年、イギリス生まれのアーティスト)に出会うのですか?

鈴木:僕、大竹さんのホックニーとのエピソードが好きなんです。イギリスに行って、ホックニーの家を訪ねたんだけど、ホックニーは既にサンタモニカに引っ越していて会えなかった。けれど、ホックニーのお母さんが出てきてくれて、大竹さんを少年時代のホックニーのように思って、良くしてくれたんですよね。

大竹:ホックニーがイギリスにいないことは知っていましたが、若気の至りで、ホックニーの家を訪ね、本当にたまたまご両親に会うことができました。そこで一旦すべて終わったのですが、お母さんが、ホックニーがクリスマス休日にイギリスに帰国したときに連絡をくれたんです。訪ねなさいと。それでロンドンの彼のスタジオに通うようになって、いろんな人を紹介してもらいました。1977年から78年にかけての話です。当時は、大人から僕がホックニーを利用したみたいなことを散々言われたけど、そんな意図はもちろん全然ありませんでした。ホックニーのご両親には今でも感謝の気持ちは忘れません。

遠山:作風は影響されなかったのでしょうか?

大竹:影響はもちろん受けましたが、そのまま出すのは嫌でしたね。年代が近いということもあって、直接的に影響を受けたのは、同世代のラッセル・ミルズ(1952年、イギリス生まれのアーティスト)です。

《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》 2012年 Commissioned by dOCUMENTA(13) Photo: 鈴木芳雄。冒頭の写真の背景にある《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》の「ドクメンタ13」での展示風景。本作は、今回の展覧会が日本では丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川県)に次いで2度目の展示となる。「屋根に乗せるカヌーなどの位置は会場に応じて変わります」(成相)

看板だって意味をなくせば絵に見えてくる

遠山:大竹さんは、言葉も達者ですよね。

大竹:言葉は絵と違って、意味の世界なので苦労します。18年ほど雑誌の『新潮』で毎月連載していますけど、今月号の原稿は2ページ全部「あ」でいってくれというのは通らないじゃないですか。絵なら、2ページ「あ」でも成立します。文章は創作したものに、意味が通らないとだめです。自分でつくった漢字を書いたりできないじゃないですか。

遠山:谷川俊太郎さんが、音楽は意味がないから本当にうらやましいとおっしゃっていました。

大竹:僭越ですが、僕も心底そう思います。意味を連ねていく作業は大変です。巷にある看板だって、文字の意味を考えなければ絵に見えてきます。昨日も池袋駅を降りたら、5メートルくらいの看板に紙をはがした跡があって、そのまま絵として成立しているなと思いました。その隣の看板は、真っ白なんだけど、サビがところどころ垂れていて、これも絵としていけるだろうと。意味で見てしまうから、絵に見えなくなるだけで、絵画は、美術館に行かなくても外にいっぱい落っこちているんですよ。

鈴木:「街の大竹作品を探せ」って企画ができますね(笑)。

大竹:いくらでもありますよ。それも自分の作品よりずっといい。

《ダブ平&ニューシャネル》 1999年 公益財団法人 福武財団。遠隔操作無人バンド。向かいに設置された小屋(コントロールブース)で動きやスピードをコントロールして演奏できるようになっている。展覧会期間中、大竹さん本人がふらりとやってきて演奏することも。

鈴木:ところで、先日のNHKの番組(『21世紀のBUG男 画家・大竹伸朗』)は面白かったです。結婚した時、全財産が280円だったっていう話、最高でした。

大竹:280円ではなく、208円です(笑)。高校時代の悪友に披露宴の祝辞を頼んだんだけど、それが運の尽き。絶対言うなよと口止めしておいたのに、見事に暴露されてしまった。結局あまりの少なさに酔っぱらいのたわごとと、誰も信じませんでしたが。

遠山:そういう話、お酒飲みながら聞きたかったな~。銭湯の次は、スナックをつくるのはどうですか?

大竹:スナックという場をつくるのは興味があるけど、経営は誰かに任せたいですね。やっぱりお客として飲みに行くほうがいい。それより、萬屋(よろずや)ってあるじゃないですか、わけのわからないものを売っている店。ああいうのをやってみたいですね。拾った紙に3250円+税とかの値札がついていたり、雑巾みたいな布が額に入って2万とかで売っていたり。

鈴木:それって、まんま大竹さんの作品の世界じゃないですか(笑)。

大竹:「なんでこれが2万円もするの?」と疑問に思って、貨幣価値と自分の価値観をすり合わせることって、アートをみる視点とすごく似ている。これはなんでこの値付けなんだろうかと考えるのが面白い。

遠山:自分だけが気づく価値という点においては、さっきの看板の話とも通じますね。

大竹:世の中にはとんでもない看板がありますよ。雨ざらしで誰も気づかない、けどかっこいい。そっちのほうが自分にとってはアート以上にアートだと思うんです。

こちらは、実際に存在した「ニューシャネル」という店の扉。大竹さんが書く独特の書体は、この扉を発見したことで生み出された。「ニューじゃない、旧シャネルもあったのかな」(遠山)。「ニューに一本棒を足せば『キューシャネル』だ(笑)」(鈴木)。
《ニューシャネル》 1998年 179×72.5×16.5cm

死を意識することでポジティブに生きられる

遠山:あと3年で70歳ということですが、どんな心境ですか?

大竹:昔から生まれたら死んでいくということを意識していました。砂時計が落ちるように、自分の一生は確実に一日ずつ終わりに近づいていくと考えると、僕はポジティブになるんです。あと3年で70だけど、世の中って楽しいし、おもしろいなって思います。それは10代のころと変わらない。戦争はあるし、コロナもある。いろんな環境の人がいるから軽々しくは言えないけど、それでも世界はきれいだし、夕日はきれいだし、生きていて楽しい。

遠山:作品も楽しさにあふれています。長生きしそうですね、115歳とか、どうですか?(笑)

大竹:115じゃ若いでしょ(笑)。長生きに対する願望はないけど、でも、200くらいまで生きられたら楽しいだろうな。

展覧会Information

『大竹伸朗展』
会場:東京国立近代美術館
会期:〜 2023年2月5日(日)
休館日:月曜日( ただし1月2日、1月9日は開館)、年末年始(12月28日–1月1日 )、1月10日(火)
開館時間:10:00–17:00(金・土曜は 20:00まで)*入館は閉館の30分前まで
※巡回:愛媛県美術館にて2023年5月3日(水・祝)–7月2日(日)、富山県美術館にて2023年8月5日(土)–9月18日(月・祝)[仮]
▶︎https://www.takeninagawa.com/ohtakeshinroten/

profile

遠山正道

1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。

▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/

profile

鈴木芳雄

1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

▶︎https://twitter.com/fukuhen

R100 TOKYO THE CLUBに会員登録
THE CLUB

R100 TOKYO THE CLUB

厳選された情報を会員様のみに配信

THE CLUB(入会費・年会費無料)

自社分譲物件をはじめ厳選された100㎡超の物件情報や、先行案内会、イベントご招待など、会員様限定でお届けします。

人生を豊かにするモノやコトを紹介するウェブマガジン。