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Go to 3rd Place 第4回 人間と自然、意識と無意識が溶け合う鎌倉での場所づくり

古民家再生でクリス智子さんが得た大いなる果実

「ファーストプレイス」(自宅)でも「セカンドプレイス」(職場)でもなく、「サードプレイス」という心落ち着けるもうひとつの拠点。ラジオパーソナリティのクリス智子さんは鎌倉で築90年の古民家を手に入れて改修。「Cafune(カフネ)」と名付けたアトリエでは穏やかな時間を過ごしている。その静謐な空間はどのように生まれたのか、話を聞いた。

Text by Hiroe Nakajima
Photographs by Takuya Furusue

20回以上の引っ越しの末に

神社仏閣などの歴史的遺産や、海と山に囲まれた豊かな自然環境を持つ鎌倉は、人口17万人ほどの都市でありながら、年間2000万人にものぼる観光客が訪れる。開幕800年余の歴史が紡ぐ古都の趣を残しながら、新旧の文化や人の交流によって、緩やかな新陳代謝が繰り返され、独特の雰囲気が醸成されてきた。稲村ヶ崎の海岸道路から山側へ路地を進み、さらに細い傾斜道を上った高台にある、濃い緑に囲まれた焼杉塀の一軒家が「Cafune」だ。

豊かな自然の中で凛とした存在感がある「Cafune」。2階は2面が窓になっている。元の窓枠を生かしてさらに上下をガラス窓として拡張させた。

FM放送局のJ-WAVEなどで長年パーソナリティを務めるクリス智子さんが家族と鎌倉へ移り住んだのは今からおよそ10年前のこと。その前は逗子に4年ほど暮らした。実はクリスさんはこれまで20回以上の引っ越しを経験している。ハワイに生まれ、宮崎、京都、フィラデルフィア、横浜と日米のさまざまな場所で育ったのは両親の影響だが、大人になってからも住まいを移り替えることに消極的ではなかったという。

「もともと空間づくりが好きなんです。記憶の限りでも、洞穴のような場所を見つけて遊んでみたり、いくつも傘を重ねてドームのようにして楽しむ子どもでした。もしかするとその延長でしかないのかもしれませんが、少し手を加えて工夫することで、今いる場所が愛着のある空間になり、生き生きとしてくるという体験を飽きずに繰り返しているところはありますね。小学5年生の頃、遠足で鎌倉を訪れ、『ここが好き』と感じ、その2週間後、旅の栞(しおり)をつくって、友達と再訪したことを覚えているので、鎌倉には何か惹かれるものがあったんだと思います。海の暮らしを味わった逗子の後、次は海もあるけど緑豊かな山で暮らしたいと鎌倉への移住を考えていた頃、昭和15年にドイツ人の方が建てた古民家と出会いました。私たちが4代目のオーナーとなり、かなり大規模なリノベーションを施して暮らしています」

鎌倉に居を構え2、3年たった2017年の秋、巨大な台風が2度ほど鎌倉を直撃し、クリスさんの近隣でも大きな被害が出たという。

「我が家同様、長く空き家になっていた敷地で倒木があり、片づけを家族で手伝いました。お話を聞くと、そのお家を手放したいとのこと。ぼんやりとですが、何か生活とは切り離されたスペースがあればと思っていたこともあり、数年後に受け継がせていただくことにしたんです。それがこの『Cafune』です。積極的にこういう場所をつくろうと物件を探していたのではなく、導かれたところはありますね。それからじっくり時間をかけ、今の状態まで整えました。最初は外も内も荒れ放題でしたが、2階の大きな窓が魅力的でしたし、部屋に漂う空気が淀んでいなかった。これはすごいポテンシャルを秘めたつくりがいのある家だと内心発奮しました」

取得してから1~2年の間、この家の構造や庭の木々をどう生かすか、刻々と変わる光や風をどのように家に取り込むかというようなことに思いを巡らし、十分な助走期間を設けたというクリスさん。その上でそれを具現化してもらうために、地元の出口建具店、建築設計の沖津雄司さん、左官の挾土隼平さん、庭は元々お世話になっている大庭園の造景家・川口豊さんと内藤香織さんに相談。壁や床を全てはずし、柱だけにして現状を確認する作業から開始した。ジャッキアップして建物を宙に浮かせ、柱を1本ずつ見て、補強したり、新しいものに交換。1階は歩いていて床が抜けていそうなところもあったというが、試行錯誤の末、クリスさんのイメージしていた以上の空間に生まれ変わった。

家周辺の雑木林と室内がつながるよう、1階のリビングは東側の壁を抜いてスライドドアで開閉可能にしている。
2階の室内から外を眺める。木々のざわめきがダイレクトに伝わってくる空間。

「手塩にかけて育てた我が子のような思いもありますが、今は私がこの家に抱(いだ)かれているんだなと感じることが多いです。ここにいると、家を取り巻く雑木林から流れてくる風に優しく頭をなでられているような気がして、そんなイメージからポルトガル語で“愛しい人の髪をそっと指でなでる”という意味を持つ『Cafune』の名をこの家につけました」

長い時間軸を持つ空間の心地

「Cafune」には手仕事ゆえの温かみを感じさせるクラフト作品や、クリスさんと縁のあるアーティストの絵画やオブジェなどが所々に置かれており、時折、知り合いの音楽家が遊びに来てはCafuneの空気を感じながら演奏をしてくれたり、アーティストや作家を囲んでの食事会など、人が集まり賑やかな時もある。

造形作家・有馬晋平作氏のスギコダマ。ツルツルとした触感が手に心地よい。
FUTAGAMIのスイッチプレート。鋳肌仕上げ、磨き上げない真鍮の素材としての美しさが、空間に馴染んでいる。
田中健太郎氏のタブロー。「いろいろな違和感を感じて不思議な気持ちになる」とクリスさん。
沖津雄司氏のモビール照明「FOCUS」は、いくつもの円の中で景色が増幅する。沖津氏はCAFUNEの設計にも携わっている。
TIMBER CREWの小久保氏から譲り受けたヤクスギ。オブジェとしても、また時折プレートとしても活用している。

「Cafune」は、今現在は、何か刺激的なことを発信していくというわけではないという。「この場所を再生させ、自分でも時間を過ごすようになって思うのは、発信より受信の面白さ。まわりの自然の気配と日々の営みの間にある“境界の揺らぎ”を愉しみながら、自分の居場所を作っていく喜びを、誰かと共有できたら嬉しいといったようなことなんです。私自身が、場所の様子を感じている最中なんだと思います」

クリスさんにとってアート作品は、そうした時間を一緒に過ごす仲間だ。
「森のざわめきを聞いているうちに、いつのまにか時間が経ってしまう。水場に鳥が来ると、鳥が弾く水の音も心地よいですし、季節や時刻によって音が変わるので、人工的な演出はあまりいらないと思っています。植物や鳥の名前など、私もまだまだ勉強中ですが、知る喜びに溢れているこの場所でそんな蓄積も増やしていきたいですね」

水を張ったデッキには周囲の木々が映り込む。「ここにいると、晴れの日、雨の日、どの日も特別な一日だと感じさせてくれる」とクリスさん。

外とのつながりを生かした空間づくり

お話を伺っている最中にも部屋へ差し込んでくる日差しは刻々と変化を見せ、窓から細く差し込む午後の光線が床に抽象画を描く。クリスさんが住まいにおいて最重要項目のひとつと考えている窓に関して、「ピクチャレスク=絵画的」であることにこだわったのは、外の風景を最大限室内に取り込むため。

自然界にはない直線が現れることで、人間の脳に「鑑賞する」という意識が生まれる。
窓から差し込む光が、まるでボタニカルアートのような絵画的な模様を床に描く。
「左官の挾土隼平さんの壁に映る植物の光と影の揺らぎは、日々のご褒美です」 とクリスさんは言う。

「赤瀬川原平さんが『四角形の歴史』という自著に書いていらっしゃるのですが、“人間が住居を建てて、その住居の壁に四角い窓が開けられたとき、人間はその窓からはじめて“風景”を見たのではないだろうか”という概念。線を引かなければ、人は風景の中にいるまま。これには納得させられました。自然界には直線というものがないので、直線の窓というのは人間の『意識』のスイッチを押すもの。絵画も同様、四角いキャンバスの中に描かれているから『鑑賞する』というスイッチが押される。私がピクチャレスクな窓にこだわるのも、無意識のうちに、そういう思いが出たのかもしれません。ただ、厳密にこの景色を切り取りたいというような恣意(しい)的なものではありません。とにかく極力開口スペースをとって、内にいながら外とつながっている体感のある空間づくりを心掛けました」

窓の造作などの細部に築100年ほどの建物だったことを感じる。
リフォームに伴い、東側の壁を抜いて、リビングとデッキが連続するようにした。

現在も週3~4日、東京まで電車で仕事に出かけるクリスさん。移動時間は往復4時間とのことだが、苦に思うことはないという。住宅物件的には、駅や都心までのアクセスは重要なポイントとなるが、クリスさんとしてはそれらに対するプライオリティは希薄とのこと。坪数や南向きであるとか、そういった一般的な価値基準にあまりとらわれていないというのは、自分だけの物差しを持つ人の慧眼(けいがん)によるものだ。

「あの窓がいいとか、玄関までのあの坂道がいいとか、どこか直感に訴えかけてくる家に惹かれます。この10年で古民家を2軒リノベーションしたことになりますが、古いから好き、というわけでもありません。もちろん時間がたったものにしか醸し出せない美しさがあると思いますが、それだけではなく、自分が関わることで機能を停止していたものが再び命を吹き返し、よみがえることに喜びを感じるのだと思います。古民家を再生させる過程で、実は自分自身も再生させているところがあるような気がします。長い時間を内包している古民家は圧倒的に人を超えた存在であり、大きな力を宿しています。そうした時間軸に身を置くことで、時間・空間への哲学的な問いや、死生観というものが、自分の身近なテーマになってくるところがあります」

庭の草花を手折って一輪挿しに活ける楽しさもある。

鎌倉だから実現できたこと

鎌倉に住む良さについて、環境面はもちろんのこと、土地に暮らす人々に関しても好意的に感じることが多いという。近所ですれ違えば挨拶するのが基本。学校から子どもが帰ってくれば、ごく自然に「おかえりなさい」「ただいま」と言葉が交わされ、朝は「いってらっしゃい」「いってきます」と声を掛け合う健やかさがある。

「東京だとお互い目を合わせるのもなんとなく憚(はばか)られるときがありますよね。鎌倉はもう少し人も時間も緩やかなのかもしれません。『Cafune』に時計を置いていないのは、時間の質を時計で進むものから変えたいから。よく“意識が高い”ということを美質のように捉えますが、ここでは“いかに無意識でいられるか”を試みていたいですね。最新の脳科学では『ぼーっとする時間は脳の発育に不可欠』というのが定説で、そういう状態のときにふと良いアイデアが生まれたり、考えがまとまったりと、無意識下にアウトプットが行われることが多いのだそうです」

クリスさんは「ここにいると、意識と無意識、人間と自然、過去と未来、両者の境が曖昧になり、静かに心をリセットできる気がする」と言う。評価や判断を加えずに「今、この瞬間」だけを感じる心の状態=マインドフルネスに近づけるのは、どこか禅宗のお寺にも似るこの場所が、具体的な目的や機能を持っていないからなのかもしれない。

「『Cafune』の裏側は行き止まりの崖です。その向こうは動物を含む自然に任せている部分で、昔から人間のテリトリーはここまでだったんじゃないかと感じます。向こうとこちらのエネルギーが溶け合う、本当にギリギリの際(きわ)にある。だから野生の持つ美しさや力が宿っているんだと思うんです。鎌倉にはそうした場所がいくつもあって、整いすぎていないところがいいですね。小さい頃から、裏道やスポットが当たっていないところが好きでした。崖を登った先に何か宝物があるという期待感のようなものかもしれません」

声の仕事に長年携わってきたクリスさんは今、情報を正確に伝えるという使命を超えて、聴く人に安心感や信頼感を与える声の探求を目指している。その現在のステージとして、この場所にたどり着いたことは必定だったのかもしれない。

家をよみがえらせ、名前を与え、その家と共に歩むこともまた、クリスさんの創作表現であり、世界に向けた愛情表現である。大人の事情よりも好奇心に従う楽しさと豊かさ――。クリスさんと住まいとの関わりから、そんな人生観が垣間見えた。

profile

クリス智子

ラジオパーソナリティ。幼少期にハワイ、京都、フィラデルフィア、横浜など、日本とアメリカの各地に住まう。上智大学では比較文化・社会学専攻。卒業と同時にJ-WAVEでナビゲーターデビュー。現在は同局で『TALK TO NEIGHBORS』(月-木 13:00~13:30)、『HEBEL HOUSE CREADIO』(土 17:00~17:54)、「土井善晴とクリス智子が料理を哲学するポッドキャスト」などでパーソナリティを務めるほか、ナレーション、トークイベント、エッセイ執筆、朗読など、声や言葉を通して、人や暮らしの奥行きを丁寧に伝える活動を続けている。日本キャンドル協会理事。鎌倉にてアトリエ「Cafune」主宰。

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