島のものをいただき、島の身体になる
屋久島はほぼ円形の島で、直径は30kmにも満たない。雨が降ればその水は山から海に向かって一気に流れていく。年間降水量8,000㎜超は日本の年平均降水量の5倍近くに及び、雨のイメージが強い島だが、梅雨など雨のシーズンを除けば、比較的晴れる日も多い。取材に伺った3日間は雨にあわず、ずっと好天が続いた。しかし島をよく知る人に言わせれば、「屋久島は晴れでも雨でも正解。どちらも魅力がある」という。
滞在初日、実験型宿泊施設「Sumu Yakushima(以下、Sumu)」の設計者でSumuプロジェクトメンバーの小野 司さんと、同じくプロジェクトメンバーでモスガイドクラブ代表の今村祐樹さんに、海岸へ連れていっていただいた夜、モスガイドクラブのスタッフである齊藤拓蔵さんと齊藤愛子さんが用意してくださった夕餉は、滋味深い土地の食材がふんだんに取り込まれた素晴らしいものだった。日が暮れた観潮デッキにランプが灯され、心地の良い海風が漂うなか、料理が供された。
大きなお釜から炊けたばかりのお米の盛大な湯気と良い香りが立ちのぼると、一同から「わあ」という声が上がる。最初に齊藤さんがこう言った。「今日はいろいろな料理が並びましたが、本来なら一汁一菜で充分ということを私たちは伝えています。今回の『流域循環プログラム』では屋久島の海と山を体験し、最後に料理を味わうというのが、一連の内容です。それで土地の身体になってもらえればと思うのです。感謝していただく心や、命をいただく心構えを同時に感じていただければ嬉しいです」
その言葉をかみしめながら一品ずつじっくりと味わう。島の季節の野菜が中心の献立だが、それぞれの素材の持ち味がしっかりとしているのでどれも存在感があり充実感がある。身体に良質なエネルギーが注入された感じがする。
Sumuに隣接するモスガイドクラブが行っている「流域循環プログラム」に申し込むことができれば体験できるのが上記の食事内容だが、あくまでも詳細は相談しながら決めているとのこと。また、キッチンを備えたSumuでは、宿泊者自身が食材を調達し、自分たちで料理をするという選択肢もある。
近くにはスーパー、ドラッグストア、自然食材を扱うマーケットなどがあるほか、道端には農家の無人直売所もあるので、そうしたところでも食材は調達できると齊藤さんが教えてくれた。それに加えて、Sumuの敷地に自生しているハンダマやツワブキなどは常識的な範囲で自由に採り使ってよいという。
島に魅せられて移り住む人たち
花崗岩の島である屋久島は土が少なく、急峻で平地が狭いため水田や畑は限られている。よって食料自給率は決して高くはないが、何より豊富で清涼な水がふんだんに得られる。今や全国的ブランドとなり多くの焼酎ファンを魅了している芋焼酎「三岳」は、ミネラル分が少ない超軟水を用いたまろやかな口あたりで、まさに水の島・屋久島の賜物と言えよう。
秋田出身の齊藤さんは、東京で大学生活を送ってから数十年後、屋久島へ移り住むことになった。2010年~2012年ごろは島の北側でシーカヤックのガイドをしていたが、今村さんとの知遇を得てモスガイドクラブに参加することに。折しもご自身の中に「自然と食」というテーマが生じていた頃だったという。
齊藤さんのように他の地域から島へ移住する人は多く、特に30~40代の転入数が転出数を上回っているという。料理家の川上ミホさん(以下、ミホさん)と、建築家・小野 司さんのパートナーであるハーブセラピストのMarinaさんが食材を調達しに出かけた2日目、野菜や果物やハーブを分けてくださった3人も一様に、屋久島の自然に魅了されて移住してきた方々だ。
1人目のMihoさんは2年前に広島から移住してきた方で、絵を描き、アクセサリーをつくるアーティストであり、さらにはミュージシャンでもあるご近所さん。2人目のaikaさんは「食べられる森をつくりたい」とハーブやエディブルフラワーの栽培に勤しむ。そして3人目のかおるさんは海辺の畑で作物を育てる84歳の男性。70代で畑を始め、数十種類の野菜や果物を栽培している。かおるさんの作る生命力にあふれた野菜にはファンが多く、遠くブラジルへもリクエストに応じて送ることがあるという。
「Mihoさんとaikaさんとは以前から知り合いでしたが、かおるさんはaikaさんに紹介していただき、今日初めてお会いしました。畑には見るからにパワーを秘めていそうな野菜が伸び伸びと生え、果物はたわわに実っていました。歩きながら、ダイコンやパッションフルーツを次々と食べさせてくださるんです。素晴らしい経験でした」とMarinaさんが語れば、「娘のひのきも嬉々としてかおるさんの後をついて歩いていました。7歳の彼女が“かわいい”と形容するほどかおるさんはほのぼのとしていらして、お人柄がにじみ出ていました。はっきりした料金がなく、ドネーション(寄付)制というのが驚きでした。生産性や合理性というようなこととは無縁な畑です」とミホさんも応じる。
Mihoさんのヨモギオイル、aikaさんのエディブルフラワー、かおるさんの野菜や果物を用いて、ミホさんとMarinaさんが心を込めて作ってくださった。いずれもこの場所でしか味わえない香りや触感、エネルギーに満ちあふれた料理だ。
目にも美しい数々の皿がSumuのデッキに設えたテーブルに並ぶと、一同が料理を囲み、夕食会がスタートした。日中の強い日差しとうって変わり、静かな森の中には爽やかな風が流れ、少し肌寒く感じられるほど。Marinaさん、ミホさん、ひのきちゃんにこの日出会った人々や収穫物についての話を聞きながらいただく料理はいずれも物語をはらんでおり、座は豊かな時に包まれる。
3F(スリーエフ)が成立する環境
ミホ:素材がどれも素晴らしいので、料理していても楽しいですね。食材からものすごくインスピレーションを受けました。作る方(生産者)が魅力的なので、できあがる野菜やハーブもきっと魅力があるんですよね。
Marina:生産者の方々は皆さん個性的で、ポリシーを持ちながら屋久島で生きていく術を体得していますよね。幸いなことに、屋久島では会いたい人には会いたいタイミングで会えていると感じています。幼い頃を海外で過ごした私にとって、ハーブは生活の一部でした。たとえばカゼ気味の時や、なかなか眠つけない夜は、父が庭からハーブを摘んできて調合し、薬代わりに飲ませてくれました。日本に帰国すると、都会のストレスからかアレルギーを発症したこともあります。屋久島に来てから、Sumuの敷地にもハーブガーデンをつくり、自然療法を暮らしに取り入れることの大切さを改めて実感し、実践しています。
ミホ:今回はかなり多めにスパイスやハーブを使ったのですが、食材の生命力が強いので、そうしたものに負けていないというか、拮抗するんだと思います。手をそれほどかけなくても料理として成立してしまうのも、そのパワーのおかげでしょう。
Marina:そうですね。味の良しあしというよりも生命力をいただく感じ。食べることの本質を教えられる気がします。
ミホ:だから人工的なライトで育てたレタスのようなものって、大丈夫だろうかと思ってしまうんですよね……。それを食べて本当に体が喜ぶんだろうかと。
1年ほど前からオーガニック農法を学び始めたというミホさんは、今年になってから長野県の小諸で持ち主が手放した畑を譲り受け、本腰を入れて野菜作りに取り組んでいる。「やはり農薬を使わないでやっていきたいんです。雑草はどんどん生えてきますが、根気よくやるしかないですね」とミホさん。
「Sumuでも畑の土地改良を続けて2年が経ちます。除草剤は使わず、落ち葉を畝(うね)の周りに撒いて雑草の勢いを阻止しています。落ち葉ってすごく有用なんですよね。都会では公園や歩道に落ちた落ち葉は清掃され捨てられてしまいますが、屋久島では土を豊かにする材料としてありがたく使っています」と Marinaさん。
こうした話を伺うにつけ、有機的なものでゴミにすべきものは、何ひとつないということを思い知る。すべてがリサイクル可能で、なにがしかの循環の中に位置している。つまり世の中でリサイクル不可能なのは、ケミカルな人工物のみなのだ。Sumuでは調理の際に出た生ゴミはコンポストボックスに集め、微生物の働きを活用して堆肥にしている。
屋久島の自然と食の豊さについて、建築家の小野 司さんにさらにお話を伺った。3日間、滞在したアートディレクターの川上シュンさんも日を追うごとに、この島でしか得られない魅力を実体験として感じたようだ。
小野:屋久島では自然の恩恵を受けているなと感じる機会が本当に多いですね。今日の野菜もそうだし、水、土、そうしたものが循環し、人間同士にも感謝の循環がある気がします。ここにいるとお金を使うことがほとんどない。オフグリッド状態で生活すれば電気代もかからないし、そもそも夜に煌々と明かりをつけなくてはいけない事情がありません。植物は夜育つと言われていて、光害を受けるんですよね。だから夜は暗く、日が落ちたら人間の活動も極力オフにするのが島での過ごし方です。
川上:生活に困って自給自足するのではなく、豊かになるための自給自足という感じがしますね。「欲しいけれどないからあきらめる」ではなく、「ない状態が普通だと思う」ことで、すでにあるものへの豊かさを再認識できますよね。
小野:人間には本質的に欲する3つの「F(エフ)」があるという概念はご存じですか? そのスリーエフとは、「Food(食糧)」「Fuel(燃料)」「Friend(友達)」です。もしそれが自給できていれば、本当にお金は必要なくなるし、誰かが決めた法律や料金に何から何まで従わなくてもよくなるんです。あるいはこの3つのどれかが欠けると、極端な話、諍いや戦争が起こるわけですよね。だからすごく本質的な不安要素でもあり、同時に根本的な幸せのベースになるのではないでしょうか。
川上:それはR100 tokyoが考える「新しいラグジュアリー」の定義にも重なるかもしれませんね。「お金」「地位」「ブランド品」「高級車」といったコンテンツではなく、「家族や友人と過ごすいい時間」や「個人的な直感や知識でつながった社会的関係」というものが、優先順位の上位にくるような価値観とどこか通じるものを感じます。小野さんがおっしゃっていた「ペイ・フォワード(Pay it forward)」も日本ではまだ浸透していないけど、これからの社会においての重要なキーワードとして、僕は注目しています。
ペイ・フォワードによる循環
ペイ・フォワードとは、直訳すると「先に支払う」という意味になるが、自分が受けた善意を次の誰かに渡すことで、善意を先に先にとつなげていくことを示し、小野さんたちは「恩送り」と訳しているそう。
小野:Sumuのキッチンにある調味料や飲み物、保存食などは基本的に訪れた人が使用しても良いことになっていますが、それは前の滞在者からのギフトというふうに考えてもらいたいので、同じものを補充しておくとか、別のものでも後の人に役立つようなものを置いていくとか、次に来る人への思いやりの気持ちを持つことが大切だと思うんです。散らかしたまま帰るのではなく、次の人が気持ちよく使えるように整えておくとか。ごく当たり前のことですが、Sumuは一般的な宿泊施設ではないので、そうしたことを心掛けていただきたいですね。次に来る方に思いを馳せられることって、まさに善意の循環で、とても豊かな心だと思うのですよね。
川上:でもその姿勢ってFriend(友人)やFamily(家族)と良好な関係を続けていくうえでも必要不可欠なことだと言えますよね。その結果、「Food(食糧)」や「Fuel(燃料)」が得られるわけだから、この3つも循環関係にあるのかもしれないですね。
現在約11,000人が暮らすという屋久島だが、世界遺産になって以降、年間20万人の来島者があるとも報告される。島の経済は潤う一方、自然に悪影響を及ぼしてしまう可能性があるのは看過できない点である。「島に来る方、特に移住してくる方としては、‶役に立つ人″が増えればありがたいと思います。それはもちろん対人間ではなく、島の自然にとってお役に立つ人という意味です」と小野さんは言う。
最終日の昼。キッチンではじまったピザ作りは、海底湧水から作った自家製塩を練り込んだピザ生地に、女性陣が野菜、肉、チーズ、ツナなど思い思いのトッピングを載せ、男性陣が外のピザ窯で焼くという賑やかな時間になった。ひのきちゃんもオリジナルのトッピングでピザを作り、焼けては皆に配って歩く。時には少し焼きすぎたピザもできあがるが、それもまた一同に微笑みを生む。
前の日の野菜を活用して、ミホさんがダイコンのスープ、キンカンのマリネ、新タマネギのサラダ、キンジソウのお浸しなどを用意してくださり、いずれも滋味深く優しい味わいが身体に染みわたる。
3日間を過ごした屋久島を去る時が近づいているのを感じながら、もう少しこの空間と時間に留まっていたいという願望がほのかに芽生える。
屋久島にいると、ことあるごとに「循環」を意識することになる。水の循環、食物の循環、エネルギーの循環、人間同士の善意の循環……。土地から良質で有機的な栄養を吸収した食材を体内にインプットすることで、自分の細胞に良いエネルギーを行きわたらせ、精神と肉体を整え、良質な発想や行動をアウトプットするのもまた好循環の作用による。どのような食べ物や飲み物を身体に取り入れるかが、ひいてはその人の人間性や言動をも左右するだろうことは、1本の木がどのような環境でどのような栄養を根から吸収しているのかを想像すれば納得がいく。おそらくはそれと同じことで、良質な栄養が行きわたれば、良質な果実が実る。そしてそれは、決して経済力のみによって実現することではないだろう。
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19世紀アメリカの思想家・博物学者のヘンリー・デイヴィッド・ソローはかつてこう言った。「楽しみにお金のかからない人が最も裕福である」と。
屋久島の森と海が私たち人間に与えてくれるものは、単なる有形の恵みだけではないだろう。もっと精神的なもの、生きる姿勢に関わる無形の何か。たとえば「本質的な豊かさとは何か」という問いに対するある種の解答……。さまざまな思いをめぐらせつつ、再びこの地を踏む日を夢見ながら、私たちは島を後にした。
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株式会社tono代表取締役。1977年東京都生まれ。早川邦彦氏他のアトリエにて建築家修行の後、2007年株式会社リビタに入社。約9年間勤務の後、2016年株式会社tono設立。2020年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言をきっかけに屋久島に移住することになりSumuプロジェクトをスタートさせる。土中の環境についての知見を学び、菌と建築家の関係を探るうちに自らを「菌築家」と名乗る。Sumu Yakushimaで「iF Award 2023」でゴールド賞受賞。
▶︎https://sumu-life.net/ja/
▶︎https://www.to-no.me
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1977年東京都生まれ。独学でデザインとアートを学び、2001年artlessを設立。グローバルとローカルの融合的視点を軸にヴィジョンやアイデンティティ構築からデザイン、そして、建築やランドスケープまで包括的なブランディングとアートディレクションを行っている。NY ADC、ONE SHOW、D&AD、RED DOT、IF Design Award、DFA: Design for Asia Awards など、多数の国際アワードを受賞。また、グラフィックアーティストとしても作品を発表するなど、その活動は多岐に渡る。
▶︎http://www.artless.co.jp/
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フードディレクター、料理家。JSA認定ソムリエ、AISO認定オリーブオイルソムリエ。国内外のレストランでの経験を経て独立。食のスペシャリストとして、雑誌、テレビなどで活躍するほか、レストランプロデュースや商品開発なども行う。著書に『ギルトフリーなおやつ』『キッシュトースト』(ともに文化出版局)など。
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株式会社rosy tokyo代表取締役。タイ、香港、ポーランド、フランスで育つ。広告代理店勤務後、日本人女性の人生を豊かにするべく起業。「women,world,wellness」を軸にハーブティーの販売や、女性起業家向けにマーケティングやブランドコンサルを行う。スイスのフィニッシングスクールIVPで学んだ国際マナーや、女性が世界に花開くための学校Rose Instituteを運営。国際映画プロデューサーとしても活動中。最年少フランスワイン騎士団。趣味は自然療法、旅行、パイロット、ワイン、日本舞踊。
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