人工知能「AI」×SNS「#(ハッシュタグ)」
鈴木:今回は美術家であり、音楽家でもある立石従寛さんの個展を見にきて、そしてお話をうかがいました。
遠山:従寛さんは、我々も大好きなアーティスト。私は仕事も一緒にさせてもらっていて、去年、「ArtSticker」が丸の内のKITTEで開いたリアルギャラリー「REAL by ArtSticker」では個展を開催。また代官山で開かれた『REAL by ArtSticker DAIKANYAMA ART WEEK』にも参加してくれました。
鈴木:これは、代々木Gallery TOHでの個展『Dive into the Mirage』に私たちも訪れ、従寛さんの制作手法や、今後の活動についてもお話しいただきました。作品についてうかがっていきたいと思いますが、従寛さんといえば、SNS、特にInstagramのハッシュタグに紐づいた膨大なイメージを人工知能(AI)で集積し、再構築することによってつくる作品「その-それら」シリーズが有名。どこからハッシュタグを使うことになったんですか?
立石:もともと幼少期から当たり前のように仮想現実は目の前にあって、興味を持っていました。それに人工知能についても、祖父が高度経済成長期に人工知能の技術開発に着手し、研究を進めていた人だったことが大きく影響していると思います。それを作品として取り込むようになったのは、2017年にRoyal College of Art(英国王立芸術学院)へ留学したことが大きな起点になりました。制作理論を構築するときに「AI」×ソーシャルメディア、Instagramを使った作品をつくろうと。それも人々の集合的記憶を平面や映像に落とし込む。それをやろうと思ったんです。
遠山:ちょっと簡単に今さらだけど、従寛さんは1986年シカゴ生まれ。これまでに6か国で暮らしたことがあって、2011年に慶應義塾大学を卒業後、2017年にRoyal College of Artへ留学。ポスト人工知能時代における創造性を問う作品・論文を発表し首席修了したすごい人です。
鈴木: イメージの集積と再構築はどこからアイデアが生まれたんですか?
立石:興味関心と時代性が合致したことでしょうか。多文化で育ったことや、特異な家族背景が影響して、小さいころから周囲と自分との間で見ている世界が違うことによく苦しんでいました。そこで、出会う人々の世界観を知ろうとするある種クセのような興味関心が生まれ、もう長いあいだ存在するように感じます。そんな中、2017年に人工知能業界を震撼させた「敵対的生成ネットワーク(GAN)」や「計算社会学」が登場しました。すごい技術が生まれたもんだ、と興奮しながら、同時に、これを使えば私一人では決して到達できない人数の世界観をのぞくことができるんじゃないだろうか、と思ったのがきっかけでした。それから制作を続けるうちに、興味関心が人々の「揺れる記憶」に広がっていきました。たとえば3月の個展では、会場の中心にブランコを置きました。ブランコは前後に揺れます。止まっている状態を例えば17時として、前へ飛び出している状態が17時00分1秒、後ろに下がっている状態が16時59分59秒だとすると、ブランコが揺れることで記憶が過去と未来を行ったり来たりする。つまり、わたしたちはみな常に二つの状態の間を揺れ続けていて、揺れ続けている状態こそが安定状態なのではないかと考えました。動的平衡に近いイメージです。また会場内には『夕やけこやけ』が流していました。会期初日に僕が歌入れをして、そして来ていただいた方たちに歌っていただく。その歌を重ね合わせているんですが、歌だけを録音するのではなくて、常にマイクのスイッチはオンにして、みんながギャラリーで話している話し声や、マイクテストしている声など、この空間の中に響く音すべてを積み重ねていきました。
鈴木:これもある意味で来訪者の記録であり、記憶を音にしたってことですね。
立石:その通りです。案外わたしたちって目で見たものより耳で聴いたことのほうが覚えていることってありますよね。人間の記憶って目で覚えているものだけではないんです。幼少期の17時、公園で遊んでいたら帰る時間で音楽やチャイム、はたまた鐘の音が流れませんでしたか。その音をいま聴くと、急に昔の記憶が蘇ったりしますよね。そういう記憶を思い起こしてほしいという思いもあるし、記憶ってすごく曖昧だということを知ってほしいと思っています。
境界を揺るがすもの
立石:僕はずっと「揺れる記憶」をテーマに扱ってきました。そして近年の僕のテーマは「霧」とか「靄」。霧ってどこからはじまっているのかわからないですよね。それに霧っていつの間にかかかっているもの。そういう境界を揺るがすもの、境界が揺らいでいくもの、あるいはすごく連続的でシームレスな境界、そういったものとして霧を扱っています。
遠山:3月の個展のときも会場内には薄い靄がかかっていましたが、KITTEでの個展はその名も『To The Fog』。このときは、イギリスの若手アーティストの登竜門とも言われている「Bloomberg New Contemporaries 2021」に選出された映像作品『To The Fog』(2020)を日本国内で初公開しました。
立石:この作品は、自分の身内が亡くなったとき、新型コロナウィルスのために見舞いにも火葬にも行けず、身動きがまったく取れなかったことに端を発した作品です。そのときに、なんだか自分がどこにいて、何をしているのか、突然知らないところに放り出されたような感覚で日々を過ごし、とても自分が曖昧な場所に放り出されたような気がしたんです。五里霧中というのかな、空間も時間も見失っているような、もう元には戻れないような。それが霧の中のようにも思えたんです。そして霧というのは、僕にとって仮想と現実のはざまのようなもの。ポストインターネットにおいて現実と虚像が重なったりミックスされたような世界が立ち上がり、ここ数年では新型コロナウィルスが現れ、戦争が起こり、あるいはメタバースや仮想通貨が浸透していきました。思っていた以上に仮想と現実が近づいているというか、現実に仮想が重なってきているというか、レイヤリングされているように感じています。さらに、仮想と現実で我々のモチベーションや感じ方、もっと言えば暮らし方って人それぞれ違う。そんな歪んだ記憶を霧や蜃気楼として表しています。どうやったら仮想現実がこの世界にレイヤリングされたディスプレイのように出てくるのかとか、そういうことを表現したい。
遠山:ちょっと話がそれるけど、霧はVRのゴーグルの代わりになるかもしれないなって思った。霧の中が仮想空間で、霧に立体画像をホログラム的に映し出すとか、すごくおもしろい気がする。
立石:研究レベルでは、霧にプロジェクションすることはできるんですよね。例えば霧をつくって、LEDをアクリルの糸とかで吊り下げながら色をつくるとか、映像をつくるとか。それめちゃくちゃおもしろいやり方かもしれない。ちょっと自分の作品として考えてみます(笑)
鈴木:実際に霧とか水にプロジェクションしていたりするけど、どんどん技術も進んできているし。でもそれをVRのようにというのは、いままでになかった発想。ぜひ作品として進めてほしいですね。
AIが集積した中に入るアーティストの創造性
鈴木:画像を集積し、再構築することについてもっと詳しく教えてください。
立石:端的に言うと、SNS などにおいて、「#」を用いて特定のテーマについて画像を収集、分析、合成して作品をつくっています。例えば僕の作品の中に、白い鳩の作品がありますが、これはインスタのハッシュタグ「whitedove」に紐付いた画像を何万枚もダウンロードして、それをAIで分析し、近似するイメージを積み重ねたりRGB値を平均化したりして一枚の絵にしていく。これは独自のシステム「集合的存在論|Collective Idea」を用いて制作しています。
遠山:でも膨大な量だよね。そこに従寛さんの手は入ってない?
立石:平面作品に関しては、画像の選定に関してはほとんど入っていないですね。ただ、作品は僕が考え、僕の想像し、創造するものであることには間違いがありません。制作において僕がまずやるのは、描きたい主題を表現するのに適したハッシュタグを選ぶこと。そこから主題の持つ文脈を一度分解し、物や動作、感情、空間などカテゴリ分けをします。
鈴木:そうか、そういったことはAIには困難な部分ということ?
立石:そうですね、AIではそういう部分での抽出は厳しいので、僕が指示を出す感じです。
遠山:主題を選ぶ、ハッシュタグを選ぶ、そこからさらに細かく指示を出す、確かに従寛さんの意思が入っている。
立石:それでも、主題が一般的な場合は、一千万枚を超える画像が集まるんです。それをひたすら集積して蓄えます。そうすることで、構図やオブジェクトなどの構成、共通のカテゴリーが見えてくる。これをクラウド上で分析し、さらに細かくカテゴリーを生成、そのカテゴリーの中から特定のものを選定することで、ここにまた僕の創造が入ります。そして最終的にこれらを積層化や平均化、あるいは配列化することでようやく一つのイメージが出来上がるわけです。これをやることで、現代の皆さんの共通するイメージそのもの、人々の持つ言葉とイメージの関係を現せると考えたわけです。昔でいう「イデア」「シニフィアン」「シニフィエ」の現代的可視化ですね。
遠山:ごめん、ちょっとそこら辺を詳しく教えて。
立石:「イデア(idea)」は、ラテン語で『その=id』と『それら=ea』を組み合わせた単語で、ある概念とその概念の具象との関係を捉えているんです。そして「シニフィアン」「シニフィエ」も、「シニフィアン」は文字や音声などシニフィエを表現したもののことで、「シニフィエ」はイメージや概念のことを指します。
鈴木:鳩は映像(動画)作品もあるよね? それもAIが画像を選んで映像にしてる?
立石:あれは大きな割合で僕の手作業です。18,198枚あるイメージを、ある程度自動化されたシステムで落とし込むことができるんですが、そこから映像はできないんですね。人工知能って多くの場合、われわれ人間が「これが白い鳩だよ」って教えるので、白い鳩に対する人々のバイアスがかかる。例えば、バーストで撮影した白い鳩の写真たちの中から「大きく羽を広げている写真」をピックアップして投稿する。なので羽ばたいていない白い鳩は、人工知能にとって白い鳩ではないんです。だから僕がピックアップして、実際に鳩が羽ばたいているように見せているんです。
鈴木:それってまさしくイギリスの写真家エドワード・マイブリッジがやってたことだよね。彼は馬などがどのように足を動かして走っているのかを、連続写真を撮影することで解明した人。それまで馬は、特にヨーロッパの絵画に描かれているのが真の姿であり、足は前後に伸ばしながら走っているものとされてきたんだけど、それは間違っていると示したんだよね。それとほぼ同じ手法で従寛さんはやってるけど、内容が全然違う。
立石:僕も動きを研究しているという点では、マイブリッジと同じだと同じだけど、元の写真はネット上に溢れる、見知らぬ人が撮影した写真たち。それを一羽の鳩が飛んでいるようにアニメーション化したわけです。
遠山:そのほかにブランコが前後に動いている映像作品も制作してるけど、これももちろん同じなんだよね。
立石:そうです。33万枚ほどあったイメージをAIが少し振り落としはするんですが、最終的には僕が使える、使えないと取捨選択するんです。
遠山:その振り落としはどういう振り分けされて、最終的に使えるのってどれくらいなの?
立石:まずInstagramで「ブランコ」「Swing」で画像をダウンロードし、そこからAIで「子どもが公園でブランコで遊んでいる」ぐらいまでは選んでもらえるんです。それでも数万枚は残るわけで、そこから僕が選んで、最終的に使えるのは100枚に1枚ですね。
鈴木:でも、最終的に平面作品も映像作品も、ちゃんと鳩だったり、ブランコの揺らぎだったり、子どもたちのキスだったりと、どの写真もイメージは一定なのかなって思ってしまうんだけど、そうじゃないよね?
立石:全然違いますね。特に映像は僕が最終的に決めていますし、平面作品もAIで一個のカテゴリ分けしたことで、同じような画像の集積となっています。実際にみんなが撮影してる鳩も飛んでる鳩だけじゃないし、角度も違うし、色も違います。ここに現れているのは、そのテーマに対する人々の認識が共通している部分なんです。だからそこが大きく鮮明に出てきているだけ。でも実際には無数の画像が組み合わさっていて、ぼやけて淡い部分には、実はいろんな情報が集積されている。ここでは、各人の認識の差異を読み解くこともできるんです。
鈴木:それはそうだよね、ほぼ全世界の人の誰でもがInstagramを使って画像を投稿することができて、鳩やブランコ、キスに対して国や個人でも撮り方も違えば、イメージも違う。
立石:そのとおりなんです。例えば鳩、特に白い鳩は平和や希望の象徴と言われてるけれども、白い鳩ばかりじゃないし、大きさもさまざま。それに実は飛んでる鳩の後ろにドクロがいたり、戦争の風景だったり、お葬式だったりと、全然平和じゃない風景もあったりするんです。
遠山:でもそういうのをAIが振り分けてくれるから、作品になったらあんまりわからないし、見えないよね。
立石:はい。でも映像は僕の意識や手が入るから、僕が見て決めるわけです。そうすると、鳩を中心として、平和と生死というのは紙一重なんだな、と思わされます。希望の、平和の象徴の鳩だけど、その希望は死にたくないという希望なのか、永続性なのか、はたまた死があるからこその平和、希望と呼んでいるのか、と。そういう発見ができるのは、他人のイメージを使っているからこそだな、と思いますね。
重心点を当てることでイメージが生まれる
遠山:従寛さんは自分でも写真を撮るじゃない? 鳩を自分でたくさん撮ってそれを集積するんじゃダメだったんだよね。
立石:写真を撮ること自体はもちろん好きな行為です。だけど、あくまで「その-それら」で目指しているのは「人々がどう世界を視ているのか」を見つめることなんです。なので、撮る場所や対象、環境、そういったことに自分の意思が介入して自分のみたいようにみることはなるべく避けたいんです。
遠山:そりゃそうだよね。人工知能時代における従寛さんのやり方にそれはそぐわない。
鈴木:ちなみに一回で最終イメージが出来上がるものなの?
立石:主題によっては何度もやり直しますね。どこに重きを置くかによって、うまくいったりいかなかったりと、試行錯誤しています。例えばイエス・キリストのイメージを重ね合わせたときは、何度もやり直しました。どこに重きを置いたら、形が浮き上がるのか、それはヒゲなのか、髪なのかと。最終的には目線と、心臓に重心を置くことで成功したのですが、重心点を形成するというのは、人々が無意識にその主題に対してどこを本質的に見ているのか、というのが見えてくるということがよくわかりました。というより、きちんと重心を当てないと形にならないんです。さっきの話にもつながりますが、自分で撮るときと人の撮ったものを使うときの違いは、主題の重心、つまり人々が何を見ているのかを自分から見つけにいかないといけない。結果的に出来上がったものは、予期しなかったイメージになることが多く、作家である私自身もいち鑑賞者として面白いと思える作品になると思っています。
鈴木:やっぱり従寛さんの意識というか、創造がないと、ただAIとハッシュタグを組み合わせただけでは、美しい絵にならないってことだよね。そういう重心点を模索しながらじゃないと。
遠山:作品をつくるのはそう簡単じゃないってこと。一見すると綺麗な鳩だけど、その裏側には何十万枚っていう、誰が撮ったのかわからないイメージが有象無象に存在している。それをトライアル・アンド・エラーを繰り返しながら、ある意味泥臭くつくっているわけです。その制作のスタイルは、私は従寛さんそのものだと思っているんです。従寛さん自身、そしてこれまでもこれからの作品もずっと重ねられていくんだろうなと思う。生まれてからいまに至るまで、重心を探しに行く旅みたいに見えて。音とか自然とか、踊ってたりとか。身体性とか。それはたくさんの国で暮らして、いろんな景色や自然と触れ合ってきた従寛さんだからこそのあり方のように感じさせられました。
鈴木:これからさらに仮想現実がひろがっていき、誰しもがアーティストになれるような時代において、従寛さんはどんなアプローチをし、どんな作品を生み出していくのか。僕たちもその姿をぜひ追っていきたいと思います。
profile
1986年シカゴ生まれ、英国王立芸術学院(RCA)修了(論文首席)。現在は長野と東京を拠点とする。アーティストとして、仮想と現実、自然と人工、制作と運営など、相対する境界の融和をテーマとしたインスタレーションやフード・プロダクトの開発など領域横断的に展開する一方、東京・根津のキュレイトリアル・アートスペースThe 5th Floorの立ち上げや、軽井沢の離山を舞台にした暮らしの実験場「TŌGE」の代表(共同)としても活動している。
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profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
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1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
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