小さなネイチャーワールドに生まれた8席のレストラン
「思想するレストラン」というタイトルの当連載だが、今回ご登場いただく27歳の山名新貴シェフの場合、これまで登場いただいたオーナーシェフたちとは少々趣が異なる。そもそも、今回ご紹介する「perus」は、その成り立ちからして通常のレストランとはかなりストーリーが異なっている。最初に少し説明させていただくことにしよう。
「perus」は、千葉県木更津市にある「クルックフィールズ」という自然の“場”の中に存在している。
ここの総合プロデューサーを務めるのは、日本の音楽史に確固たる軌跡を築いた音楽家の小林武史氏だ。地球の環境問題を憂慮し、サステナブルな未来を模索してきた小林氏はクルックフィールズの目的を次のように語っている。「人間も自然の一部であるということを改めて考えなければならない時代に生きていると思います。できたらそれを気持ちよく、響き合うように感じられたらと願い…人と農と食とアートが奏でていく“自然の協奏曲”『KURKKU FIELDS』に至りました」。田園地帯に広がる30ヘクタールの敷地内には、農園、牧場、ダイニング、ベーカリー、アート作品、図書館(なんと地中にある)、チーズやシャルキュトリーの工房などが点在し、2022年秋にはデザイナーの皆川 明氏がディレクターを務める宿泊棟「cocoon(コクーン)」が新たにオープンした。宿泊者がディナーを楽しむためにつくられた8席のカウンターレストランが、今回ご紹介する「perus」だ。
特筆すべきは、この広大な敷地内の施設やここで叶う体験を通して自然との共生を実感できること。さらにはエネルギーの自給自足というサステナブルなシステムがあり、建築、アート、自然が調和するとはこのようなことなのかと教えてくれる、そんな場所だ。
大地に学び駆け巡る山名シェフの日常
さて、「perus」に話を戻そう。
2021年の夏前に、1年ほど勤めた都内の会員制レストランの職を辞して木更津の地を踏んだ山名シェフ。20代半ばにして大阪の高級イタリアンでスーシェフを務めたキャリアはあったが、「クルックフィールズ」ではそれまでの人生で経験したことのない環境が待っていた。
「コロナ禍の影響もあり、環境を変えたいという思いもありました。大阪時代にお世話になった方からのご縁も背中を押してくれました。実際に来てみたら圧倒されるくらいの大自然で。朝は4時くらいから鶏舎のニワトリたちが元気に鳴き声を上げるし、深夜に牛舎で水牛が暴れる音が聞こえたり。太陽の日が差して、敷地内に次第に朝の空気が満ちていくのを目の当たりにする、そんな毎日です。これはすごいところに来たぞ、と身が引き締まりました」
自身は鳥取県の出身で、大阪や東京、短期間ではあったがイタリアの人気店でも修業を積んだ山名シェフ。木更津の地で彼は「食材と向き合うとはどういうことか」を肌身で感じることとなった。
チーズから電気までを自給自足する循環型環境
木更津といえば、房総半島の少し南側にあるエリアだ。アクアラインを使えば東京から1時間ほどで行けるし、実際に「perus」の窓からは東京湾のはるか彼方に、米粒のように小さく東京のビル群が眺められる。しかしここでは、東京どころか他のローカルエリアとも異なるネイチャーワールドが息づいている。
「perus」で使う食材は、魚介類と調味料、アルコールドリンク以外はほぼすべて「クルックフィールズ」の敷地内で採取したり育てたりしたものでまかなわれているという。
「野草にハーブ、野菜や柑橘、小麦まで、収穫すべきものは場内に200種類ほどもあります。おかげで、ここに来てから食べられる植物にとても詳しくなりました。水牛や鶏を育てている飼育スタッフから家畜のことを教わったり、チーズやシャルキュトリーを生産するスタッフからは最も美味しく調理するためのポイントを聞けたりというのも、ありがたいです。都会のレストランでは、食材は店に“届けられるもの”であって、収穫や製造の工程を見ることはありませんでしたから」
「チーズから電気まで自給自足」を地でいくのがクルックフィールズ。ここは大規模の循環をテーマにつくられた実験的な場所でもあり、電気はソーラーパネルで発電、水は自然の雨水を蓄水し浄化濾過させることで成り立っている。そんな環境下で食材と向き合ううちに、山名シェフの料理はどんどん変化してきた。
たとえばシェフが得意とするパスタ料理。場内で収穫した小麦でつくった生パスタに、朝自分を起こしてくれる鶏たちが産む新鮮な卵を合わせ、調理に欠かせないバターやミルクも場内のもの、添える野菜も自らが摘んだものだ。そうなると、新鮮で美味しいのはもちろんだが、その料理を貫く物語までが無理なく繋がってくる。自然と地の恵みをお客さまに届けることまでが料理なのだと実感するようになった。技術は力ゆえに、いくらでも足したり飾ったりすることは可能だが、食材が厨房に来るまでの過程を知れば知るほど、素材の美味しさをなるべくシンプルにストレートに届けたいと思う気持ちが強まってきたのだという。
単なる理想郷でこの場を終わらせないために
「perus」のシェフでいるというのは、エキサイティングなことがある半面、ある意味農業従事者であるかのような厳しさも多々あるという。たとえば、店で使用する野草やハーブなどはすべて敷地内で採取したものを使っているが、なにしろ広大な「クルックフィールズ」だ。敷地内のどこに何がいつ芽を出すか、それらがいつ食べ頃を迎えるかをたった一人の料理人が細かく把握するのは、到底できることではない。しかし、ここで働くさまざまな部門スタッフたちは皆「チーム」のような絆を持ち、互いに見事な連携プレーを行っている。その結果、「あそこのハコベラが美味しそうな感じでした」「ローズマリーに花がつき始めていたよ」などと各方面から情報が入るようになった。
植物や農作物だけではない。チーズ職人からは「モッツァレラは傷みやすいので、なるべく触れないように調理して早々に召し上がっていただいて」とアドバイスされ、試行錯誤を重ねた結果、スープ仕立てのカプレーゼに仕上げたという。近隣の狩猟家から「猪を仕留めたから、新鮮なうちにすぐにさばきに来て」と電話が来れば、迅速にシャルキュトリーのスタッフと共に駆けつけ、作業することも。「perus」の厨房で腕を振るうのは山名シェフ一人だが、このレストランを陰で支えているのは、「クルックフィールズ」で働く多くのスタッフたちなのだ。
変容し続けるユートピアに完成はない
2005年に創業したkurkkuだが、その後は都内にてレストランや商業施設として成長。2019年に木更津に移転してからは新たに「KURKKU FIELDS」として生まれ変わり、スタイルも世界観も次々に変容している。おそらく、完成という概念を持っていないのではないかと思う。
家族連れやカップルが楽しそうに行き交う平和な場内を眺めていると、「クルックフィールズ」を行楽地として訪ねる人が多いと推測するが、施設ひとつひとつのストーリーを少しでも追えば、ここが豊かな自然との共生体験の場だというメッセージを発していることに気づくだろう。
宿泊棟利用者しか山名シェフの料理は食べられなかったのが、4月からは日帰りの来場者もランチを楽しめるようになった。しかし、やはり宿泊したうえでこの料理を味わうのが正解だろう。土の香りを嗅ぎ、野草の露に触れ、夕暮れに染まる空を眺めたり鳥の声を聴いたりして一日を過ごせば、目の前でつくられる山名シェフの料理に、都会では決して味わえない感動を覚えるだろうから。体験型のガストロノミーとして、「perus」の今後に大いに期待したい。
Shop Information
perus
千葉県木更津市矢那2503
▶︎https://kurkkufields.jp
※ディナーは宿泊棟「cocoon」perusプラン利用者のみ受け入れ可能。
週末限定のランチ詳細 ▶︎https://kurkkufields.jp/topic/perus/
予約ページは【こちら】
profile
山名新貴
1995年生まれ。鳥取県鳥取市出身。大阪調理製菓専門学校卒業後、大阪のイタリアンレストラン「クイントカント」に務め、4年半の勤務時代にはスーシェフまで務めた。在職中にはシチリアのミシュラン一つ星レストランでも研修を体験。その後、東京にある会員制レストランでシェフを務めるなか、縁があり「KURKKU FIELDS」ヘ。場内のレストラン「DINING」のシェフを経て、2022年11月、新規にオープンした「perus」のシェフに就任。
profile
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)編集部を経て独立。現在、食とライフスタイルをテーマに、動画やイベントのディレクション、ブランド・新規レストランのコーディネートなどで活動している。著書に、自身の朝食をまとめたレシピエッセイ『世界一かんたんに人を幸せにする食べ物、それはトースト』(サンマーク出版)。
▶︎https://note.com/mayukoyamaguchi