これがジビエ?と誰もが唸るフレンチレストラン
室田拓人シェフのことは、これまでに多くの人から評判を聞いていた。曰く、「名店として愛されたフランス料理店、『タテルヨシノ』の系譜に連なるクラシックフレンチを継承する人」とか、「客層が幅広く、ランチもディナーも満席続きで予約困難」とか、「最初にシェフを務めた店は瞬く間に『ビブ・グルマン』を獲り、独立後に開いた『ラチュレ』はミシュラン一つ星を連続獲得」とか。しかし、最も彼の名を脳裏に刻みつけた理由といえば、自らが狩猟を行うハンターであり、ジビエの恵みをコースに自在に組み入れている点だろう。
取材をさせていただく少し前に、予習を兼ねて店を訪ねた。もちろん、その美味をこの目と舌で体験するために。結果は言わずもがなで、鹿や猪、鴨といった森の恵みがオンパレードで登場するものの、まったく胸にもたれたり思考を中断されることがなく、スルスルと美味しく胃の中に消えていく、何とも不思議でチャーミングなコースだった。アミューズのスペシャリテ「鹿のブラッドマカロン」に始まり、肉だけではなく鳥獣の血やラードも上手に用い、しかも食後の小菓子にまで応用するなんて、まったくもって驚くしかない。しかも、言われなければわからないほど、自然に料理の一つ一つに溶け込んでいる感じなのだ。ジビエとは、このように軽やかな印象を与える料理だっただろうか?
そもそも、ジビエを料理に使うのは、牛肉や豚肉、鶏肉といった「食肉」と呼ばれる肉類を調理するのとはわけが違う。たとえば、同じ鴨肉でも、田園のそばで狩られたものと山奥で仕留めたものでは、成長の過程で食した餌がまるで異なるために肉質もまったく違う。一羽一羽、または一頭一頭、美味しく食べるための調理法から工夫しないと美食家を魅了するような味は到底生み出せない。ましてや、骨で出汁をひき、血や脂肪、筋肉に至るまで丁寧に料理に生かすには非常に高度な腕を要する。知れば知るほど、コース全体にジビエを用いる室田シェフの力量には舌を巻くばかりだ。
料理人の発信力不足が飲食業界の闇を深くしている
後日、実際にお会いして話を伺う機会をいただいた。折しも、ちょうど筆者はその頃、ある興味深いニュースを目にしていた。長野県諏訪にある某大手精密機械メーカーが、県内にある13ヵ所の営業所の社食で2022年2月よりジビエを取り入れた料理を提供することになったというのだ。そんな話を早速室田シェフにお伝えしてみた。
「いい流れです。それでこそ、ですよね。ようやく、少しずつですが個人も企業も、そんな考えを持って行動に移すことが増えてきたのだと感じます。そもそも、日本は美食の国だと誰もが認識していると思いますが、実際はかなり危機的な状況をはらんでいます。漁業のサステナビリティが昨今では話題ですが、そんなの本当にごく一部のことで。私はジビエを店で出す料理に組み入れることで、害獣として9割が廃棄される野生鳥獣のあり方について疑問を呈しているのですが、それでもやはり悔しいかな、焼け石に水の状態です。しかし、最も問題だと思うのは、そもそも我々料理人が長い間、食の世界で社会貢献をしてこなかったということです」
正統派フレンチが新たに背負ったもう一つの使命
室田シェフは、食料問題のサステナビリティ、あるいは自然環境の循環を語るとき、料理人たるものが率先して社会貢献活動に勤しむべきだと断言する。食の魅力を発信し、社会を啓発できる存在が料理人であるべきだし、長い目で見るとそういったことが「少しずつ未来を変えていくことにつながるのだと信じています」とおっしゃる。
「たとえば……」とお話ししてくださったのが、昨今のコロナ禍における国内飲食業界の惨憺たる現状。正確にいえばこの流行病が世界に蔓延する前から、ブラックな職場環境が当たり前であるとか人材不足が慢性化しているとか、なかなか厳しい状況が続いていたのだ。世界的にそうかといえば、実はそんなことはない。たとえば、フランスやペルーなどは料理人の社会的地位は非常に高く、発言力も労働条件も日本とはずいぶん異なるという。夢の部分が語られがちであるが、勝者はほんのごく一部というのが日本の飲食業界の今であり、室田シェフは「これでは若い人たちは飲食業界に夢を抱けませんよね」と言う。
心の奥にあるそんな大きなジレンマが、室田シェフを料理に、そして飲食業界の変革へと駆り立てているのだ。
一極集中の活動ではバランスが取れないから
話を伺いつつだんだん見えてきたものは、室田シェフという人は稀有なバランス感覚の持ち主だということだ。なぜなら、シェフの言動はどれもこれもが一方向のみを指しているわけではなく、絶妙のバランスで一つに集中しないようにあえて計算されていると思うから。
その最たる例が、東京でも屈指のジビエ料理の名店だと謳われつつ、シェフは自身を「ジビエ料理人」とは思っていないこと。中学生のときに食べたブーダンノワール(豚の血を固めて作るフランスの伝統料理)に衝撃を受けてシェフを志した日の情熱を持ち続け、根底にあるのはフランス料理人としての矜持である。
また、人間が傍若無人に生を紡いできた結果、野生鳥獣は棲む場所を失い、結果「害獣」として駆除されるようになったことを憂いたのがジビエを多用するようになったきっかけでもある。少しでもそれらを美味しく調理して店で出すことでジビエの魅力を伝えるだけでなく環境への気づきを持ってもらいたいと語るが、しかし、満席の客に提供しても、店での消費量は1日に5キロほど。たかが知れている。なので、レストランとは別の部分でも活動を始めている。食品メーカーの監修を務め、ジビエの肉をレトルトや缶詰にアレンジする手法を編み出したのだ。店で提供する量と比べればはるかに大量にジビエを消費できると踏み、結果、消費量拡大だけではなく広く一般にジビエを認知させることにもつながった。
「抜群の指導力」も室田シェフが持つ財産だ。というのも、こぢんまりした「ラチュレ」の店の厨房には、この規模感としてはちょっと驚くくらいの人数の若いスタッフが働いており、皆が楽しげ。千葉県流山にある菜園とも契約し、ここの「ラチュレ農園」では規格外の野菜も分け隔てなく育て、店で出す料理にたっぷりと使われている。なんと、店のスタッフは定期的にこの菜園にも勤務しているのだとか。室田シェフご自身は、日本の漁業資源の未来を考える料理人集団「シェフズ フォー ザ ブルー」の創始メンバーの一人でもあり、「ラチュレ」に関わる人は皆、ジビエはもちろんのこと、農業のこと、漁業のことについても深く思いを馳せ、考える機会が自然と与えられるようになっている。
子どもたちにジビエを用いた料理を教えるクッキングスクールに幾度となく参加しているのも、「いつかこの子たちが日本の飲食業界を担う存在になるかもしれないと思って。うちで働いてくれるようになったらうれしいな」と笑顔を見せてくれたが、あながち冗談ではなく真面目な思いなのだろうと思う。
人間という“生き物”を環境循環に融合させたい
店を訪れる客には、料理や空間を通じて自身が考える「森の食材と人間の付き合い方」を問題提起し続ける室田シェフ。同時に、料理人として理想とする「自然環境の循環」を果たすためには、人間を中心に考えるのではなく、循環の中に生物として人間も存在しているのだという俯瞰したものの見方をしている様子。
そんなシェフにはアフターコロナの時代に向かっての夢がある。それは、海外のフーディーに日本のジビエを知ってもらうこと。前述したように、里山や森の奥で餌を見つけ成長する鳥獣こそ、血肉にはその土地ならではの風味が宿る。通常の食肉と違って、まさに“テロワール”をふんだんに秘めた食材であり、調理技術も相まって、寿司や天ぷらに負けない日本が世界に誇れる食材産になると感じているからだ。
同時に、そんな時代が訪れる頃には日本の料理人が今よりももっと発言権を持ち、さまざまなメディアで食のあり方を語っているだろう。室田シェフの話を聞いていると、そんな風景がまるで現実のものとして頭の中に見えてくるような気がしてならない。料理をいただいた際にかけられた魔法を、今度は熱い言葉を通して再び感じたのであった。
Shop Information
ラチュレ(LATURE)
東京都渋谷区渋谷2-2-2 青山ルカビル B1
▶︎https://www.lature.jp/
profile
室田拓人
1982年生まれ。千葉県出身。武蔵野調理師専門学校卒業後、都内フランス料理店を経て、日本フレンチの名店「タテルヨシノ(現在は閉店)」で修業。クラシックフレンチを学ぶ。その後2010年にはシェフを務めた「deco」がビブ・グルマンを獲得。2016年に独立して「ラチュレ」オープン。即座に「ゴー・ミヨ」にて「明日のグランシェフ賞」受賞。2018年にミシュラン一つ星を取得して以来、星を守り続ける。2009年に狩猟免許を取得し、以降は自身で食材を調達し店で出すまでのすべてを行うように。2021年にはミシュラングリーンスターも獲得。
profile
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)編集部を経て独立。現在、食とライフスタイルをテーマに、動画やイベントのディレクション、ブランド・新規レストランのコーディネートなどで活動している。著書に、自身の朝食をまとめたレシピエッセイ『世界一かんたんに人を幸せにする食べ物、それはトースト』(サンマーク出版)。
▶︎https://note.com/mayukoyamaguchi