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abysse・目黒シェフが考察する「島国日本ならではの循環社会」
思想するレストラン

abysse・目黒シェフが考察する「島国日本ならではの循環社会」

「abysse」目黒浩太郎シェフに聞く――「サステナブルの矛盾」とどう付き合うか

コロナ禍が人類に与えた影響は計り知れないし、その恐怖はいまだ続いている。しかし地球の食資源環境の悪化、これはコロナ禍とは別次元で進行中であり、長い歴史から顧みれば人類は今や「待ったなし」の時を迎えている。このような時代、食を生業(なりわい)に生きるシェフの頭に去来する思いとは?連載第3回となる今回、「島国日本ならではの循環社会」を理想に掲げる「アビス」の目黒浩太郎シェフを訪ねた。

Text by Mayuko Yamaguchi
Photographs by Yuka Yanazume

時代に合わせて変わり続けるレストランの価値

長く、食の業界で取材活動を続けているが、最近、以前と比べて本当に変わったと思うことばかりだ。誤解を恐れずに言えば、美食を提供して客を喜ばせるのがレストランの第一義の目的だったのが、ここ数年間でそれだけを打ち出す店が減ってきたように思う。

しかし今はどうだろう。もちろん、古き良き情緒を漂わせる素晴らしいレストランはたくさん健在しているし、筆者もそれらを否定しようとは思わない。むしろ長い時間を経て愛され続けるレストランには敬意を示すべきだと思う。

けれど、食の世界に「永遠」という文字はない。人々の価値観は、気づかない間にも進化を続け、おいしさや価値の基準も昔と今とでは変わった。

「サスティナビリティに生じる矛盾」に気づいてしまった

「アビス」を率いる目黒浩太郎シェフ。穏やかで常に冷静。しかし、考え抜いて語る一言一言が、深い。

筆者がここ最近、ずっと感じていたそんな思い、「レストランは何を目指していけばいいのだろうか。そして食べ手はどうあるべき?」を、代官山にある「アビス」のシェフ、目黒浩太郎さんにぶつけてみた。思いだけを吐露したわけではなく、ここ1、2年で世界的な料理コンペティションの世界でも見られる顕著な兆候についても、どう考えていらっしゃるかを聞いてみた。

例えば、100年以上の歴史を誇る「ミシュランガイド」では、2020年発表の京都版や東京版から新たに「グリーンスター」という部門が設けられた。良質な料理とサスティナビリティの実現に努力している店を評価するというものだ。「アジアのベストレストラン50」「世界のベストレストラン50」でもサステナブルなレストランが特別に評価されるシステムがあるし、そもそもこのコンペティションでは多様性やシェフの発信力、環境への配慮なども多大に評価対象だとされている。36歳になったばかり、しかも6年連続で「ミシュラン東京」の一つ星を獲得し、料理界のニュージェネレーションを代表する立場でもある目黒シェフにとって、現在の風景はどのように映っているのだろうか。

「変わりましたよね、確かに」

シェフの言葉は予想どおりだ。しかしそれに続く言葉は少々意外だった。

「でも、何を目指してもそこにはけっこう矛盾があって。例えば漁業資源を本気で守ろうと思ったら、もう、行き着くところは消費者が魚を食べないようにするしかないし、料理人や漁業関係者も店で提供したり漁獲することさえ放棄しなければならない。学べば学ぶほど、あっという間にその先が見えて絶望することになるんです。私たち世代の料理人は、そんな矛盾に気づき、目先だけ、その場の見え方のみを追うようなサスティナビリティの追求に軽い嫌悪感を覚えている、そんな感じかもしれません」

少々強い言葉だが、漁業資源をテーマに語りだした目黒シェフの思いはよく理解できる。というのも、「アビス」は元々魚介類をテーマにしたフレンチレストランとしてその歩みをスタートさせた店であり、この店で味わえるのは「魚介のおいしさがここまでガストロノミックに昇華されるものなのか」と感動するような料理たちだからだ。それだけに、食材への思いの深さには、一般消費者では窺い知れないほどのものがあるだろう。

「魚介料理」とひと言に言っても、実は無限の可能性があると気づかせてくれるのが目黒シェフ。愛媛県今治市から届いたマナガツオに実山椒とおかひじきを合わせたシンプルな一皿は、しっとりした食感に高度な火入れの技術が感じられた。

「魚介フレンチ」を標榜するレストランとして2015年、表参道に開業した「アビス」だが、2019年に代官山に移転するにあたり、徐々に胸の奥底で感じ始めていた「矛盾」について、目黒シェフは深く向かい合ったという。

「まずは料理人としてクリエイティビティをとことん追求したいというのが、私の料理人としての強い希望でもありました。高みを目指したいと思う一方、学べば学ぶほど漁業環境の悪化には漁業従事者やそれを求める自分たちも関与しているのでは、という気持ちになりました。そして、日本人として鰻や鮪の旨さを尊び、後進に伝えるのも義務ではないかという思いや、そもそもサスティナブルシーフード自体、成立するものだろうかという疑問など、どうすればこの環境下で『アビス』は成長していけるのだろうかと、けっこう悩んだんです」

この日、厨房で見かけたのは、まるで蝋細工かと思うほどに隅から隅まで丁寧に下処理されたマナガツオ。「これがプロの仕事だ」とひと目でわかる美しさに息をのんだ。

その結果、魚介フレンチの名店としての誇りは失わないようにしつつも、移転にあたって考え方は変えた。「海」「魚介」に固執するのではなく、それらを取り巻く自然環境についてもう少し広く、深く、考えていくレストランを目指そうという心境へと至ったのだという。

「ロゴマークも変えました。それまでは小さく魚の形がデザインに入っていたのですが、新生アビスではそれを外して店名のみに。もちろん、魚介類に対する愛情や情熱を失ったわけではないんですが、島国である日本という国でレストランを営むのであれば、健やかな海洋環境を生み出す豊かな森を創造する努力も必要だろうと」

循環すること、させること。未来はそこにある

まるで緑の枯山水。ほうれん草のピューレを、有田焼の窯元が器の絵付けに使う回転台を用いて皿に塗り付け、そこに毛蟹を盛った。金時草でそれを覆い、ゲストは期待感に胸を躍らせながら中を探って味わう仕掛け。
まるで緑の枯山水。ほうれん草のピューレを、有田焼の窯元が器の絵付けに使う回転台を用いて皿に塗り付け、そこに毛蟹を盛った。金時草でそれを覆い、ゲストは期待感に胸を躍らせながら中を探って味わう仕掛け。
まるで緑の枯山水。ほうれん草のピューレを、有田焼の窯元が器の絵付けに使う回転台を用いて皿に塗り付け、そこに毛蟹を盛った。金時草でそれを覆い、ゲストは期待感に胸を躍らせながら中を探って味わう仕掛け。
まるで緑の枯山水。ほうれん草のピューレを、有田焼の窯元が器の絵付けに使う回転台を用いて皿に塗り付け、そこに毛蟹を盛った。金時草でそれを覆い、ゲストは期待感に胸を躍らせながら中を探って味わう仕掛け。

新生「アビス」のコンセプトはこうだ。

「From the Sea and the Forest」

海の恵みをメインに携えつつも、それらには森や山が生み出した食材も無理のないように添えて、さらには肉類などもブイヨンなどに巧みに用いつつ、自然界における循環、サーキュラーシステムを静かに訴えるような料理へと変わった。

目黒シェフの「チェンジ」を支えるもう一つのものは、変わらずに続けているあくなき学びの姿勢だ。

目黒シェフといえば、フレンチのシェフでありながらどんな和食料理人よりも頻繁に鮨店を巡っていることで知られている。都内の名店という名店に足繁く通い、そこでは美しい握りを味わうだけではもちろんあらず、魚の扱い方を食い入るように学ぼうとするのが常であるといい、その姿勢はずっと変わらない。

「abysse」で食事をすると、一皿一皿は非常に繊細で、ビジュアルの奥にストーリーが隠れていることがわかる。例えばこの夏に佐賀県で開催されたガストロノミーイベントに招聘されて腕を振るった目黒シェフだが、その際に開眼したのが、佐賀産の「コハダ」の品質の高さ。コハダは鮨職人にとっても腕が試される難しい食材で、これを、食材の良さを損なわずにきちんと調理するには技術が必須だ。さらに、目黒シェフの場合はそれをガストロノミーフレンチへと昇華させるためのセンスも駆使して、佐賀県の食通や生産者たちでさえも驚くような料理を完成させた。

コハダの料理を盛り付ける皿には、地元への敬意と飽くなき興味の表現を試み、有田焼の絵付けに使われるという回転台を用いて、皿に刷毛でソースを塗ってからコハダをのせて。イベントの1カ月後に店を訪れた際は、それらの料理が「毛蟹と金時草のピューレ」に姿を変えていて、経験から得た感動やストーリーがその後、着実に東京の店にも根付いていることがわかるのだ。

取材時の一皿。味噌とヘーゼルナッツのソースを細く絞ってぐるりと輪を描き、そこにフェンネルの香りを移した飴色のソースを。白茄子を置き上には白ギス、フェンネルの花。

ローカルを学ぶことで得た新たな視点

目黒シェフの学びの場所は、以前から東京を飛び出して各地に広がっている。2016年に尾道で開催されたローカルガストロノミーイベント「ダイニングアウト」への参加をきっかけに、その後は各地で開催されるさまざまな食イベントに招聘され、それらの機会を経て、日本が誇る地方食材の魅力や器にも見識が広がった。そしてそんな学びはそのまま「アビス」の実力を底上げする新たな魅力へとつながっていく。

前述した佐賀県の食イベント「USEUM SAGA(ユージアム サガ)」では、佐賀県の若い料理人と共に手を組んで、佐賀県が誇る美術館クラスの器に今の息吹を宿す料理を盛って客に出すという試みに参画した。「アビスの目黒浩太郎」としての矜持を示すことももちろんだが、単に自分を表現するだけでは足りない。佐賀県の食材や器が持つ歴史的背景や魅力を理解し、どうすればそれを内外の客に伝えられるかを考えて挑んだ。共に取り組む若いスタッフたちに、チャレンジの姿勢を見せ、一緒に前進することも求められる。

「今や、自分ももう若手だとは言っていられませんからね。次の世代もぐんぐんと成長している。高みを目指していかないと」と笑顔で語る目黒シェフだが、すでに老成の貫禄さえ漂わせている。

アスリートのように、高みを目指して

2021年夏に上梓した料理本『魚介フレンチの深淵』(旭屋出版)。今の自分が持てる知識や思いを精一杯表現し、形にしたという。

「世界が目まぐるしく変化していくのであれば、料理にも変わることが求められているはず。変わらないことが良いとする信条ももちろんあると思うのですが、私の場合はやはり、変化は必須だと。変化は進化であり、変化することで深まります」と語る目黒シェフ。

そんなシェフが率いる店では、「慣れ」はタブーとされている。常に状況に慣れすぎてしまわないように、目の前の仕事に緊張と新鮮な気持ちを持って挑めるように。そんなルールが、スポーツのチームプレーを愛し、自らもバスケットをはじめさまざまなスポーツに親しむ目黒シェフらしい。

「まるでアスリートのようですね」と言うと、シェフからはこんな言葉が返ってきた。

「料理人、アスリート、アーティスト、ビジネスマン。全く異なる世界観のようでいて、これらの職業に就く人には非常に似通った感性や強いメンタルが必要ではないかと思っています。クリエイティブであることはもちろん重要ですが、私が料理を学び今も尊敬する『カンテサンス』の岸田周三シェフは、クリエイティビティの裏で、常にアスリートのような努力を続けています。0.01ポイントを正確に刻むような感覚で、料理に向き合っているんです」

目黒シェフ(中央)を中心に目まぐるしくスタッフが動く、「アビス」の厨房。客席とはフラットになっていて、彼らのキビキビした様子は食事中、いつでも目に入る。

サスティナビリティに対する意見を伺いたくて、目黒シェフを訪ねた。ところがシェフから戻ってきた答えは、海のこと、森のこと、働き方のこと、上の世代や下の世代への接し方、世界へ目を向けることなど、多岐にわたる。実際に目黒シェフは本当に博識な人で、そういえば最近筆者が観てずいぶん考えさせられたNetflixのドキュメンタリー番組(『偽りのサステイナブル漁業』だった)を教えてくれたのも、この人であった。

我々は今、対価さえ払えばさまざまなレストランでトレンド最先端の美食を味わうことができる。ただ、その奥にシェフたちのどんな思いや考えが潜んでいるかは、自らも学ばないと知ることはできない。もちろん、レストラン側としてはお客さまに無理を強いるようなことは決してしないし、料理をどう味わうかは客人の自由だ。

しかし私は、料理の道で生きる人の話を聞けば聞くほど、思いを知ったうえで食事をしたいと思うし、かつて食中酒や料理の美味しさ、同行者とのおしゃべりのみに終始して通り過ぎてしまった数々の食事の時を、今、少し悔しく思い出している。サスティナビリティは、知ろうとする姿勢から始まるのだ。大きな行動に出ることはなかなかできなくても、その一歩を踏み出すことこそ、レストランの喜びを享受する私たちに課せられた小さな役割なのかもしれない。

Shop Information

アビス(abysse)
東京都渋谷区恵比寿西1-30-12 EBISU-HILLS 1F
▶︎https://abysse.jp/

profile

目黒浩太郎
1985年生まれ。祖父は和食の料理人、母は栄養士という家庭環境に育ち、自身も幼少期より自然と料理の道を志すようになる。「服部栄養専門学校」を卒業した後に都内の数店に勤務し、その後渡仏。マルセイユの「Le Petit Nice」での修業を経て、帰国後は「カンテサンス」へ。スーシェフまで上り詰め、2015年に独立。表参道に魚介と山の恵みを標榜するフレンチレストラン「abysse」を開業。2019年に代官山に移転。「ミシュラン東京」では6年連続して一つ星を獲得。

profile

山口繭子

神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)編集部を経て独立。現在、食とライフスタイルをテーマに、動画やイベントのディレクション、ブランド・新規レストランのコーディネートなどで活動している。著書に、自身の朝食をまとめたレシピエッセイ『世界一かんたんに人を幸せにする食べ物、それはトースト』(サンマーク出版)。
▶︎https://note.com/mayukoyamaguchi

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