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街をつくり、人を育てた<br>代官山ヒルサイドテラスの50年
未来に残したい、TOKYOの建築

街をつくり、人を育てた
代官山ヒルサイドテラスの50年

街をつくり、人を育て、さらに成熟を続ける名建築
—— 代官山「ヒルサイドテラス」50年の軌跡とその魅力

次々と風景が変わりゆく街、東京。一方で、変わらずに在り続ける名建築の存在が東京という街の風景を支え続けている。人々の心を惹きつけてやまない東京の名建築を紹介する本連載の1回目は、2019年に第1期計画の完成から50年を迎えた、代官山の「ヒルサイドテラス」を紹介。半世紀を経た今でも古びることなく、時とともに魅力を増している。建築家、槇文彦が地域の人々とつくり上げた職住一体型の複合施設の魅力を探っていこう。

Text by Yoshinao Yamada
Photographs by Manami Takahashi
左がC棟、右がD棟、ケヤキの巨木の奥にE棟が立つ。D棟に隣接するデンマーク大使館も槇が設計を手掛け、ヒルサイドテラスとの調和を図った建築を実現している。

恵比寿、中目黒、そして代官山をつなぐ鎗ヶ崎交差点。この交差点から始まる旧山手通りを渋谷方面に向かって歩くと、豊かな緑とともに数々のショップやカフェ、ギャラリーなどが連なっている。これらを擁する複数棟の建物が「ヒルサイドテラス」だ。いまから半世紀前の1969年に第1期計画が完成して以来、代官山の街並みを形成してきた名建築である。都心部にありながら建物はケヤキの巨木よりも低く抑えられ、あまりに風景に溶け込み、人によっては建物を意識することなく歩いているかもしれない。

この建物を設計したのは、建築家の槇文彦。国内では東京表参道の「スパイラル」や「幕張メッセ」などを手掛け、海外ではアメリカ・ニューヨークの「4ワールド・トレード・センター」などの設計で知られる世界的な建築家だ。槇は東京大学を卒業後、ハーバード大学に留学し、米国の設計事務所での勤務を経てハーバード大学などで都市デザインを教えた。その後、1965年に帰国するとともに槇総合計画事務所を設立。1967年から「ヒルサイドテラス」の設計を始めている。クライアントであり、現在も「ヒルサイドテラス」の管理運営を行う朝倉家は戦前に東京府会議長を出した名家で、戦後は不動産業を主な事業として営んできた。代官山がいまのような賑わいを持つはるか前、旧山手通り沿いの土地にアパートを建てるために建築家を探しており、槇には緑に覆われた環境を生かす建築を求めたという。

ヒルサイドテラスF・G棟。2棟の間には中庭の広場がある。道路面は先行したA〜D棟に合わせて高さを抑え、ややセットバックした部分から階高を上げている。
B棟横の駐車場手前に設置された案内図。この案内図の裏に比較的小ぶりな円筒状の建物があり、その地下には音楽イベントなどを開催する広々としたホールがある。

国内外で、ほかにないユニークな存在として高く評価される「ヒルサイドテラス」。この建物がいまの形に育った最大の要因は、なにより完成までにゆっくりと時間をかけた点にある。第1期の設計が始まった1967年から、最終期の「ヒルサイドウエスト」が竣工する1998年までおよそ30年。槇と朝倉家は、住宅、商業施設、オフィスなどからなる複合的な建築の開発を段階的に進め、時間をかけていまの街並みへと育てた。その開発中、東京はバブル景気を迎えて都市開発の速度を早めていき、近年もそれは高まる一方だ。しかし「ヒルサイドテラス」は、現在に至るまで時間の堆積とともにゆっくりと環境を成熟させてきた。はたして「ヒルサイドテラス」はどのようにして施設の統一性を保ちつつ、多面的で豊かな表情を持つ街をつくり上げたのだろうか。

C棟。もともと集合住宅から計画が始まっており、各棟の上階に住居が設けられている。
ともにC棟。旧山手通り側からは意識されないが、裏側に回ると換気塔などの機能も美しくデザインされていることに気がつく。
左:女性が立つのがG棟のメインエントランス。階段下には「代官山パントリー」、通路右奥には「minä perhonen Daikanyama」が入店する。右:C棟の入り口の一つ。曲線を描くガラスで親しみやすいエントランスを演出する。

「ヒルサイドテラス」はA〜H棟までの8棟、A棟裏のアネックス2棟、B棟とC棟の間の地下に設けられたホール、さらに渋谷方面にやや離れた「ヒルサイドウエスト」の3棟からなる。もともと第1期の計画時には、敷地が第一種住居専用地域・第一種高度地区に指定されていた。そのため住居以外の建物は建てることができず、建物の高さも10メートル以下に抑えることが求められた。そこで槇は「ヒルサイドテラス」を「一団地計画」として申請することでショップやレストランの併設を可能にしている。第2期以降の計画では、第1期の内容が高く評価されたことから使われ方に応じた予定変更案が認められ、計画を進める都度、再提出を行って時代とニーズに応じて建物を育み続けた。後期になると用途地域も変更され、建物の高さ制限も変化する。しかし槇は後期に建設した棟でも道路に面した部分は高さをそれまで同様の10メートルに抑え、低層でのびやかな街に育てることを選んだ。

では、実際に建物へ足を踏み入れていこう。鎗ヶ崎交差点に最も近いA棟の角には道路よりもやや低くなったサンクンガーデンが設けられ、ここから建物へアクセスする。このように、「ヒルサイドテラス」の大きな特徴の一つには「隅入り」と呼ばれるエントランスが挙げられる。

隅入りとはコーナーから建物へアプローチする形式をいう用語で、日本の伝統的な空間構成に多く見られるものだ。伝統的な西洋建築は多くが左右対称の空間構成で、中央に入り口を設ける。それに対し日本の屋敷は正面からのアクセスを良しとせず、あえてズレを設ける。「ヒルサイドテラス」の敷地隣には重要文化財に指定される歴史的建造物の旧朝倉家住宅があるが、槇はこれを意識しながら、西洋の権威的な構成ではなく親しみやすい空間の実現を目指した。ほぼすべての棟でそれが採用されており、代官山駅から歩いてくると道なりに自然と建物へアクセスができる。それと言われなければわからない細かな仕掛けで、「ヒルサイドテラス」は街と人と繋ぐ。

C棟には現在「minä perhonen materiaali」「kuchibue」「クリスマスカンパニー」などのショップやレストランが入店している。
C棟2階からテナントを見る。なにげない吹き抜けや植栽が複雑で心地よい空間を生み出している。

また「ヒルサイドテラス」の多くの棟は内部空間が屈曲し、スロープやスキップフロアの採用で床の高さが起伏に富み、奥へ導かれるような構成をとる。槇がここで意識するのは、もともと目黒川に向けて下がってゆく土地の地形だ。それをなぞるような複雑な方向性や階高の変化が、平坦な建物にはない視線を生み、身体を刺激する。

一方でC棟は奥行きある敷地を生かして中庭をもつ。ここでも中庭へのアプローチは隅入りが採用され、街ゆく歩行者を自然に招き入れる。開放的な中庭と天井高を抑えたピロティ、コリドー状の軒下空間など、外部空間にもさまざまな居心地をつくり出すことで内部と変わらぬ複雑さを生み出している。

館内の外部廊下を歩き回ると、ピロティやテラス、渡り廊下、階段による抜け感、ルーフガーデンの緑など、なにげない視線の先の風景までがきめ細かくデザインされていることに気づくだろう。このように路地のような空間でテナントや住居を結び、旧山手通りから広場、各店舗や住戸へと回遊することを強く意識させている。こうした立体的で変化に富んだ体験で、単調な施設にはない街本来の複雑さを実現する。つまり槇は「ヒルサイドテラス」で、起伏の多い代官山の地形を建物に織り込んだのだ。

テラスや吹き抜け、通路部分に渡されたガラス開口部などで、内外の空間や視線が結ばれる。随所に空間のたまりをつくることで、建物に複雑な表情を与えている。

そうした背景には、槇が「ヒルサイドテラス」で公共性が高い空間を実現しようと願ったことがあるのではないだろうか。アーバンデザイン、つまり都市のデザインをハーバードで教えた槇による実践が「ヒルサイドテラス」で行われたのだ。建築を街に開き、人々の生活に寄与する仕掛けを隅々に設けることで、代官山 蔦屋書店などをもつ「代官山T-SITE」をはじめとした後の建物の規範となった。こうして槇が地域の人々とつくり上げた職住一体型の複合施設は、周辺に魅力ある施設や店舗を呼び、結果的に街の価値創造にも大きく寄与し、代官山を魅力ある街にしたのである。

槇の信念は、たとえばF棟とG棟の間に設けられた広場にも表れている。高さを抑えた建物に囲まれた凹状の広場にはケヤキを植え、正面奥にはオープンカフェを設けた。ガラスを多用するので建物内部の奥まで視線が届き、内外ともに開放感が溢れる。また広場からは旧山手通りに対してやや斜めの角度がつけられた小道が設けられ、自然と人々を奥へ誘う仕掛けもある。さらにこの広場では定期的にマーケットが開かれ、イベントで賑わう週末も多い。

F棟はギャラリー機能をもつ「ヒルサイドフォーラム」を併設し、文化活動も行う。なかでも槇の発案で始まった『SDレビュー』は、毎年若手建築家の優れたアイデアを表彰する展示として建築関係者には広く知られている。ほかにも「ヒルサイドテラス」のサイン計画を担当したグラフィックデザイナー、粟津潔の回顧展、陶芸家の内田鋼一の展覧会など幅広い内容の展覧会で人々を刺激する。こうした雰囲気もあってか、F棟やH棟には多くのクリエイターがオフィスを構える。

C棟に新しく入店したレストラン「kuchibue」。右隣では新しいテナントの内装工事が行われていた。
敷地内には古墳時代末期である6~7世紀頃の円墳と考えられている「猿楽塚」があり、豊かな緑を形成している。写真は猿楽塚の奥に位置するE棟。

このように「ヒルサイドテラス」は、人を育み、その交流をも促し続けてきた。現在、A棟には『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』などでディレクターを務める北川フラムが主宰する「アートフロントギャラリー」が入店する。鎗ヶ崎交差点から「ヒルサイドテラス」に向かって真っ先に見えるガラスの箱は同社のスペースで、国内外のアーティストの作品を積極的に紹介している。北川はかつて、「ヒルサイドテラス」を廃材で覆う川俣正のインスタレーション『工事中』、そして街中に作品を展示する『代官山インスタレーション』など、ギャラリーから街へとはみ出したアートの展開で大きな賑わいを生み出してきた。

また近年は「minä perhonen」が店を構え、惜しまれながら閉店した「トムスサンドイッチ」の跡には料理家、坂田阿希子のレストラン「kuchibue」が入店した。時に世代交代を行いながら、人々が住まい、働き、文化を享受する場をつくり出している。

槇らが第1期計画を始めた頃から最終期の工事を終えるまでのあいだに、東京という街もライフスタイルも大きく変わった。外からはうかがい知ることができないが、「ヒルサイドテラス」の各棟に設けられた住居も時代ごとのニーズに応え、第1期の建設当時に一般的ではなかったメゾネットタイプを提案し、第3期ではワンルーム、第6期では職住が共存するSOHOスタイルの住居をつくっている。けして戸数が多いわけではないが、その多様性は現在も入居者を惹きつけてやまない。

手前がF棟、奥がG棟。旧山手通りに沿って、歩車ともに往来の多い道に面する。

半世紀という時間をかけ、人と地域を育ててきた「ヒルサイドテラス」。その建物には、近年の東京の開発に見ることのできない成熟した時間とコミュニティがある。それは、街の地形に寄り添い、風景に寄り添い、歴史に寄り添ってきた建物だからこそ持ち得るものであり、優れた建築は静かに街や人の感覚に訴えかけることを教えてくれる。超高層のビルが林立するターミナル駅にはない東京のもう一つの風景が、代官山には息づくのだ。東京オリンピックを終えた後、これからの東京が選ぶべき豊かな街の姿とはなにか。「ヒルサイドテラス」は可能性の一端を教えてくれる、唯一無二の存在だ。

参考文献・資料

『Hillside Terrace 1969-2019』(槇文彦・北川フラム著、ヒルサイドテラス50周年実行委員会監修/現代企画室)2019年
『ヒルサイドテラス白書』(槇文彦+アトリエ・ヒルサイド編著/住まいの図書出版局)1995年
『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』(槇文彦 編著/鹿島出版会) 2006年

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