「サスティナブル」は日本の飲食店で定着するのか
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、大打撃を受けている日本の飲食業界。しかしその一方で、やはりこの国のレストランというのは世界的に見ても非常に優秀な立場にあることが多方面で証明されている。
3月25日に発表された「Asia’s 50 Best Restaurants 2021」でもこの事実は如実に表れており、アジア他国のガストロノミー大国に肩を並べ、日本からは9軒ものレストランがランクインした。ただ、筆者は単に日本のレストランが優秀ということだけをみなさまにお伝えしたいとは思っていない。昨今、レストラン、あるいはシェフのキャラクターは過去のそれと比べて大きく変わり、少々乱暴な言い方をすれば、「美味しさだけでゲストを満足させられる時代は終わった」のではないかと感じるのだ。
そんな感情を食べ手である私に抱かせるのは、自らの思想を料理や空間、サービスに込めて発信し始めたシェフたち。表現者として存在感を示す彼らを、この連載ではありのままにお伝えしていきたいと思う。
予約困難店が料理のベクトルを変えた理由
東京・神宮前、青山熊野神社のそばにあるレストラン「フロリレージュ」。南青山にオープンしたのが2009年で、2015年に現在の場所に移転した。予約困難と言われるのは12年経った今も変わらずで、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で夜の営業が1回転となってからも、その貴重な席で美味を味わおうとする人たちで連日満席が続いている。
予約が困難とされる理由のひとつは、リピーター客が多いこと。かく言う私もその一人であり、この店にはせめて一年に1〜2回は通わないと、なんだか取り残されたような気になってしまう。というのも、行くたびに「はっ、これは何……」という気づきがあり、味わいは言わずもがな、それ以上になんというか、今日この瞬間に「フロリレージュ」にいて、目の前のこの料理を、見ず知らずの他の客たちと共に味わえて本当によかったと感じさせてくれる、そういう雰囲気に満ちているのだ。そんなファンが多いことを知ってか知らずか、川手寛康シェフはいつも元気いっぱい、豪快な笑い声がトレードマークだ。それでいて、料理に向かい合うときは大きな体をかがめるように繊細な作業を行う様子が印象的。
川手シェフが作る料理は、誤解を恐れずに言えば南青山に店舗があった時代と比べるとずいぶん変わったように感じる。美味しさや美しさが変化したのではなく、そこに宿る思想が明らかに別のベクトルへと変遷した、と思う。
「僕自身も、そりゃあ少しは変わった部分もあると思いますよ。頑なにずっと同じ姿勢でいることってある意味格好いいのかもしれませんが、これだけ時代がドラスティックに動いている今、やはり変化に柔軟でいないと、とは思う。でもね、もっと変わったのは“美味しさの定義”だと思うんです。僕、南青山時代にはフォアグラや鴨の料理を出していて、それがスペシャリテだとも言われていたんです。あれらが間違いだったとは思いませんが、やはり今、なんのてらいもなく同じ料理を出す気にはなれない。それはやはり、レストランの料理は美味しいだけじゃ足りないということに世界が気づき始めたからだと思うんです」
美味しさの定義が変わったことは確かだ。考えてみてほしい。かつてテレビや雑誌などのメディアはこぞって「本場の味」を最高の贅沢と称し、欧州から空輸した希少肉類や乳製品、高級ワインを提供する店を「本物」として紹介していた。もちろん、今でもそんな風潮が消えたわけではない。しかし、令和3年の今、「ラグジュアリー」に空輸の贅沢食材だらけの料理をイメージする人はかなり少数派のはずだ。本場の食材を空輸することによってかかるフードマイレージ問題、あり余るメニューの選択肢が生むフードロス問題、さらには贅沢な食材を育てることで生じるエネルギー問題など、現代の私たちはあまりにも多くの“事情”を知ってしまった。その知識がありながら、単に美味しいからというだけで供される料理に舌鼓を打つのは忍びないし、それらを作り上げるシェフたちの思いはそれ以上だと推測できる。
やればやるほど感じるサスティナブル問題の違和感
しかし、飲食業界の中でも早くからサスティナブル問題に取り組んでいた川手シェフだが、ここ最近、違和感を覚えるようになっているとも言う。
「こんな感じで続けていて、本当に日本の飲食業界にサスティナブルやフードロスへの思想が定着するのだろうかと疑問を抱くことが増えました。正しいSDGsは根付くのかな、と。いや、それだと言葉が違うな。僕ね、正しいSDGsなんて存在しないと思っているんです。長くいろいろ取り組んできた結果、本当にそう思うようになった。では海外のレストランやシェフたちはというと、彼らも決して正しいあり方で取り組んでいるわけではなくて、それでも結果を出している。“結果を出すサスティナブル問題への取り組み”が実現しづらいのが今の日本だと、ようやく見えてきました」
誰よりも早くこの問題に取り組み、フードロス解決を訴え、料理で表現してきた川手シェフが、あきらめたのだろうか? 一瞬、ドキッとしたけれど、そうではなかった。
「欧米諸国ではサスティナブル問題への取り組みは着々と進んでいるように見える。でも、日本は悔しいけれど、まだまだ。なぜかと言えば、完璧すぎるんですよ。コンビニはダメ、フードロス問題を提唱するならほんの少しでも食材を無駄にしてはダメ。使い終わったラップも洗って再利用なんていうのも、今思えば衛生的に大問題ながら、真面目に推奨している人もいました。この完璧主義が、この国のサスティナブルへの取り組みを阻んでいるのではないかと思うんです」
「結果を出す」のが海外ガストロノミーのシェフたち
世界で活躍する海外のシェフたちにとって、サスティナブル問題への取り組みはもはや当たり前の思想だ。例えば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍を続けているイタリア人シェフ、マッシモ・ボットゥーラという人がいる。イタリア・モデナにある彼のレストラン「オステリア・フランチェスカーナ」は、サスティナブル問題への取り組みでも世界的に有名で、その活動はイタリアだけにとどまらない。プロデュースしたパリの店「レフェットリオ」では、昼はラグジュアリーなレストランとして運営するも、夜はホームレス支援として無償で料理を提供。世界中のフーディーが訪れるその店は“元ホームレス”の人々をスタッフとして雇用することでも称賛を浴びている。しかも使用する食材は廃棄予定のものを中心に用いるなど、単なる美味の提供だけでなく、人々に「食と社会」のつながりを考えさせる一助となっている。
そんなマッシモシェフがどんな姿勢でサスティナブル問題と向き合っているかと言えば、日本人に比べてもっとラフなのだという。他人の“非・サスティナブル”をあげつらうことはなく、自らも無理なく続けられること、さらに言えば「ビジネスとして持続可能なやり方」を重視しているのだ
「5を捨てても10の収穫をきちんと拾う。それが、“結果を出す”ことを大切にする海外の現状だと理解し、僕たち日本の料理人は何かしら考え方を変えなければ、彼らに並ぶ結果を得ることは難しいのではと思い始めたんです」と川手さんは言う。
知ることをあきらめない
日本のサスティナブル問題への取り組みは、今やカオス。ある人にとっての正義はある人には非常識であり、異なる立場同士で他者を攻撃し合っている限り、多少強引なやり方をもってしても結果を出す欧米諸国に差を開けられ続けている。真面目な国民性ゆえに生じるこの状況を恥じることはないと思うけれど、それでもやはり、ガストロノミー先進国のひとつとしてこれでは残念。川手さんはこの状況を打破する具体的な方策はないけれど、ひとつ決してあきらめてはいけないのは「知るための努力を続けること」だと言う。
「何度も言いますが、正しいSDGsなんてあり得ません。何かをあきらめることは誰かの生業(なりわい)を邪魔することにもつながるし、多かれ少なかれ、料理の先人たちの偉業を否定することにだってなりかねません。けれど、地球の環境は変わっていくし、私たちの美意識や美味しさの概念も移ろう。進むしか、道はないんです。そんなときに、誰もが等しくできることと言えば、自分が所属する世界以外にも目を向けること、これしかないと思う」
川手シェフはと言えば、コロナ禍に入ってその活動は狭められたとはいえ、厨房を飛び出してさまざまな人々や地域と活動を共にすることが多い人だ。コロナ禍になる前は、南米アマゾンに出向き、そこで栽培される希少な「アマゾンカカオ」の存在に惹かれ、自身の店でも無理のない方法で料理に用いたり、海外のシェフたちとの交流で日本という国を俯瞰で眺めるようになり、その結果、料理人の在り方についてももっと自由な考え方を持つようになった。また、池袋のカルチャーセンターで、一般家庭の主婦向けに料理レッスンを行う活動はもう10年以上続けており、ここで得られる気づきも大切にしている。現実と乖離しない感覚があるからこそ、作る料理が独りよがりになることはなく、常に優しさを宿し、共感を呼ぶことにつながっているのだと思う。
知れば、ゆえに悩む。その姿こそ正解
時にはうまくいかないこともある。悔しい思いをすることも。そんなときも、知る努力だけは怠らないようにしていると言う。なぜなら、「他人になんと言われようが、誰よりもたくさんの情報にふれ、知識を得ようとしている」という自信こそ、この時代にふさわしいバランス感を保つことに一役買うとわかっているからだ。
「ここ数年、定期的に京都に通っていましてね。精進料理のお坊さんと交流しているんです。寺の脇で畑を作りつつ、彼もサスティナブルな世界の実現について悩みながら生きている。『僕だって悩んでいます』というお言葉を聞いたときに、あぁそうか、仏門の道に入ってもそうなのか、と」
世界には知らないことが山ほどある、ということを知る
取材のために「フロリレージュ」を訪れたのは、とある平日の午後。昼営業を終えた厨房では、大勢のスタッフがまかないをとりつつ、束の間の休息をとっていた。その横で、自分は食事も後回しにしてインタビューに応じる川手シェフ。そんな様子を眺めつつ食事中のスタッフは恐縮しているかと言えばその逆で、楽しげにシェフを眺めている。筆者はこれまで多くのレストランを取材してきたが、たまに見かけるまかないスタイルは店によってさまざまで、「フロリレージュ」のように全員が揃って楽しく食事というのはなかなかレアケースだと感じた。「いいですね」と川手シェフに声をかけると、「食事時間は楽しくないと。それを伝えるのが我々料理人の使命ですからね。料理人が生まれるきっかけを作るのも、大事な仕事だと思うんです」とおっしゃる。かぶせるようにスタッフが「ここに入るとみんな、食事が楽しくて美味しくて太ってしまうんです」と言葉を挟み、全員が笑顔に包まれた。
世界的な飲食業界の苦境は依然として続いており、日本の飲食業界が今後一致団結して結果を出せるかどうかは、まだ誰にもわからない。ただひとつ言えるのは、楽しい食体験を重ねた人が、次の世代にもそんな思いを引き継ぎたいと真剣に考えるなら、たとえやり方は違うにしても、何かしらのソリューションを見つけられるのではないだろうか。
サスティナブル問題、SDGs、フードロス問題。そういったものを解決するのは、国でもなく抜本的で画期的な対策でもなく、小さな喜びと飽くなき知識吸収の積み重ねであることを、「フロリレージュ」で過ごした120分が教えてくれたように思った。
Shop Information
フロリレージュ(Florilege)
東京都渋谷区神宮前2-5-4 SEIZAN外苑B1
▶︎https://www.aoyama-florilege.jp/
Chef profile
川手寛康
1978年、東京都出身。洋食店のシェフであった父の影響を受けて育つ。「OHARA ET CIE」「ル・ブルギニオン」での修業後に渡仏。星付き店に勤務し、帰国後は「カンテサンス」のスーシェフを務める。2009年、南青山に自身の店「フロリレージュ」をオープン。2015年、神宮前に移転。「Asia’s 50 Best Restaurants 2021」では7位にランクイン、「ミシュランガイド東京2021」では二つ星を獲得し、さらに、サスティナブルな取り組みで注目を集める店に贈られる「ミシュラン グリーンスター 東京」でも初代6名のうち一人として選ばれた。
profile
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)編集部を経て独立。現在、食とライフスタイルをテーマに、動画やイベントのディレクション、ブランド・新規レストランのコーディネートなどで活動している。著書に、自身の朝食をまとめたレシピエッセイ『世界一かんたんに人を幸せにする食べ物、それはトースト』(サンマーク出版)。
▶︎https://note.com/mayukoyamaguchi