細部にこだわりながら編集の余地を残した住まいに
北、西、南の三方に窓を持ち、その向こうに豊かな緑を楽しめるマンションの一室。細やかなディテールの集積で開放的で表情豊かな空間へ再生させたのが乃村工藝社のデザイナー、吉村峰人だ。玄関を中心にリビングが扇状にぐるりと広がるプランは竣工時を踏襲しているが、ビフォーアフターを見比べればその劇的な変化は一目瞭然。そこにいる人々の心の動きや空気をすべてデザインすることを設計のコンセプトにするという吉村はまず、南面の窓から差し込む光の美しさを設計の手がかりとしたと振り返る。
「この部屋に足を踏み入れたときにまず光の美しさを体感してほしいと考えました。そして同時に回遊性の高い空間とすることでプランの見直しを図りました」
玄関を抜けた先に広がるのは、キッチン、ダイニング、リビングが一体になった広々とした空間だ。家族の時間はもちろん、友人知人を招く場でもある。ここではキッチンのあり方を大胆に変更し、既存の壁を取り払ってクローズドタイプから明るいオープンキッチンとした。もともとキッチンに緑を望む窓があり、壁を取り払うことでリビングからの視界をシームレスに広げた。キッチン奥のフリールームからリビングまで貫かれる視線は、空間の一体感や開放感を大幅に高める。
およそ5メートルに及ぶキッチンカウンターは家の舞台とも言える要素で、背後の壁面収納も奥へと視線を誘導するようにくの字型を描く。壁を取り払うことで露出した配管を収めるために設置したステンレス製の細い柱が、キッチンの象徴的な存在となる。吉村はこれを「現代的な大黒柱のような存在」という。
「広島の工場で特別に製作したもので、粉体塗装によってグラデーションを表現しています。粉末状の塗料を噴射し、それをイオンの性質によってグラデーション状に金属へ定着させる特殊な手法です。人の手でコントロールできる要素とコントロールできない要素が巧みに入り交じることで生まれる美しさを求めました。この柱から会話の糸口が生まれる、コミュニケーションを刺激するようなアクセントとして考えたものです。柱の裏側にマグネットが付く金属を貼り付けているので、それもまた家族のコミュニケーションが生まれるきっかけとなるのかもしれません」
その絶妙なグラデーションの意図を尋ねると、レストラン、ホテル、レジデンスなどの設計でも活躍する彼は「近頃、いろいろな空間を設計するなかで風を求めています」と切り出す。
「私が設計する空間には、物理的に窓が開けられない場も少なくありません。ではどうするか。光が揺れ、室内に影が差す風景などに人は風を感じるのではないでしょうか。室内に木漏れ日の葉が揺らぐ影が落とし込まれると、窓を閉じていても風を感じることができます。ただ壁に光が当たるだけではなく、そこから反射する光こそが重要です。そうした要素は住空間にツヤを与えてくれるものですし、それを設計のなかでうまく活用していきたいのです」
キッチンの象徴であるステンレス製の柱は窓の光を反射し、玄関からリビングダイニングに足を踏み入れたときに高揚感を生む。一日を通じ、さまざまな角度から差し込む光の調子によって色もまたさまざまに変わる。もちろんグラデーションの効果も大きく、立つ位置によっても色の変化が楽しめるのもうれしい。
気持ちを高揚させる「アップテンポ」な仕掛け
吉村が今回の設計でキーワードとして挙げた言葉のひとつが「アップテンポ」だ。三田の閑静な邸宅街にあるが、マンションまでのアプローチは駅からにぎやかな商店街や大学を抜ける。吉村はただ安らぎだけを求めるのではなく、アクティブな街並みを抜けていくからこそ、気持ちを高揚させる要素を住まいに持ち込みたいと考えた。
「活気ある街と閑静な住宅街へのコントラストをデザインにも踏襲できないかと考えました。仕立てや質感にコントラストを効かせることで、静かなリトリート的なくつろぎだけではない豊かさの幅を定義できないかと挑戦したのです。それこそがいまR100 tokyoが目指す新しい豊かさにつながるものではないかと、私たちは解釈しました」
とはいえ、もちろん住まいは日常を楽しむ場所。吉村のアップテンポは思わぬところに潜む。それはたとえば、キッチンカウンターの側面に貼られたベルベットのファブリックだ。この素材を背景に、大ぶりのガラスの花器に花を活けるかもしれないし、オブジェを置く人がいるかもしれないと吉村は語る。今回の設計に先立ってニューヨークのホテルを巡った経験から刺激を受け、こうした素材使いに挑んだ。最先端のホテル、開業から時間を経ても変わらぬ人気を誇るホテル、そして老舗ホテル。そうした空間を巡りながら、時間を超えて愛される要素はなにか。バーガンディのベルベットというと時代がかった素材に見えるかもしれないが、そこには普遍的な美が宿る。
吉村はあくまで全体を見つめつつ、玄人好みなディテールを積み重ねる。巨大なキッチンカウンターも家具を設えるように人造大理石の天板は薄く仕上げ、その下にそれを支える構造を設けた。カウンターと一体化したシェルフの一部は、棚板を両面ともに使用できるリバーシブルの仕立てとした。一面はステッチの入ったレザー、もう一面は木を使う。素材や色の違いで並べるものも変わるだろうと吉村はいう。家具造作に使う木材は赤褐色の二ヤトーを選び、マンションのもつ重厚感と重ね合わせた。
「たとえば共用部から連続する玄関はしっかりとモールディングが取り付けられており、こうしたデザイン言語を踏襲しながら、共用部から室内に宿る世界観との連続性を考えました。壁は漆喰で仕上げているので厚みが出るため、床との調和にモールディングを採用しています」
マスターベッドルームはホテルライクなプランを採用。ウォークインクローゼットからも浴室にアクセスできるため、就寝時間が違う二人がそれぞれにストレスなく睡眠時間をとることができる。吉村は南に面したリビングやダイニングと、北に面したマスターベッドルームでは光のあり方がそもそも違うことに着目し、そこを整えようと間接照明で光をデザインした。照明の光をカーテンが受けとめ、寝室に入ったときのドラマ性を高める。インテリアを突き詰めて考えるデザイナーという職能もある種の職人だという吉村の考えをよく示すのが、クローゼットの手がかり部分だ。ベッドのヘッドボード同様、手がかりの奥にもワインレッドという色を差し込んだ。
「キッチンや主寝室の収納扉の手がかり部分にも硬質なメラミン化粧板を使い、色を差し込んでいます。これも通常は板材を接着で貼るものですが、削り出した化粧板そのものをはめ込んでいます。ミリ単位のこだわりから、引き戸の取っ手も特注仕様でわずかに幅を広げたものを使用しました。このわずかな寸法の違いで手のかかりがまったく違います。先ほどお話ししたキッチンカウンター下のレザーの棚板もステッチの糸を太さや色まで指示します」
デザインの操作で住み手の行動を促す
寝室から続く洗面室は日常的なアイテムを陳列する場だ。吉村はそれを受け止める洗面台のあり方も考えた。洗面ボールの下に楕円型のテラゾーの板を設置することで、そこにコップを置くだけでも様になる。飾り棚も透け感のある塗装をしたステンレスで、やはり赤い色を差し込んだ。
「百貨店の化粧品コーナーが心躍るように、自宅の洗面室もそうでありたいと考えました。これこそ気持ちをアップテンポにさせる要素です。デザインのわずかな操作で住み手に行動を促し、住まいをアクティブに楽しんでほしいと考えました。ハイグレードのレジデンスは、どうしても色を抑える傾向にあります。ここでは色が入ることで空間の楽しさを感じていただき、思わずなにかを飾りたくなり、色に合わせて家具を置きたくなるような動機づけを意図しています。ただこうしたカラーのアクセントが空間全体を支配しすぎてしまわないよう、細心の注意を払ってデザインしています。たとえばこの飾り棚の色はウォークインクローゼットから目にすることはありません。なぜならウォークインクローゼットは衣服が主役であり、それをきれいに見せる空間でありたい。目線をコントロールすることで各部が主張しすぎることがないようにしています。けれど一歩進むと、その色に気づく。そうした調整を細部で行いました」
こうした色は木材の赤みを基本に、ベージュ、温かみのあるグレーなどを選定している。家具には深みある赤や緑を入れているが、どれも彩度の低い色を選定した。あくまで空間は背景として、これからここに暮らす人々が色を差し込んでいく。だからこそ細部で思わず飾りたくなる空間を意識した。
吉村は住宅に特化したデザイナーではなく、アパレル、レストラン、ホテルなどの非日常的な空間まで幅広く手がける。だからこそ住宅の設計では目が向けられることの少ない色や素材の知識も多く、動線計画や目線の操作にも独自の視点が宿る。オープンキッチンはレストランのシェフズテーブルを思わせ、作業の背景までデザインしながら、思わずともに調理を楽しみたくなるような臨場感も兼ね備える。
そうした能動的な愉しみこそ、吉村が提案する住まいに宿るものだ。吉村自身は飾っても飾らなくても絵になるデザインにしていると話すが、そこになにを置くか、そんな想像力を刺激するデザインであることは間違いない。そしてそこから住まいのなかで豊かなコミュニケーションが生まれる。そしてそれは住まいに豊かな個性を生み出すきっかけとなっていく。
profile
乃村工藝社 クリエイティブ本部 デザイナー。1983年埼玉県生まれ。多摩美術大学環境デザイン学科卒業を経て、2007年乃村工藝社入社。「そこにいる人々の心の動き・空気”まるごと”デザインする」をモットーに、物販店、レストラン、ホテル、レジデンスまで、ライフスタイルにまつわる空間を幅広く手掛ける。