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泉麻人が散策する「上野・銀座・外苑前・渋谷」――1975年のアメカジ少年、銀座線に乗って思い出の地を巡る
泉麻人の「東京カルチャーストリート」

泉麻人が散策する「上野・銀座・外苑前・渋谷」――1975年のアメカジ少年、銀座線に乗って思い出の地を巡る

学生時代に夢中になったファッションと出合える街

コラムニスト・泉 麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載。第20回は、アメカジが好きな泉さんが銀座線に乗り、ファッションとの思い出が深い4つの街を歩いた。

Text by Asato Izumi

僕のファッション史――というような切り口で東京の街を語ろうというとき、東部の方で思い浮かんでくるのが上野のアメ横だ。ならば今回は上野を始点に地下鉄銀座線を軸にして、極私的なファッションと街の思い出を綴ろうと思う。

昭和43年、44年の銀座線の記念切符。写真:泉 麻人

アメリカ製のGパンやスニーカーを買うなら上野・アメ横

上野のアメ横にGパンやウエスタンシャツなんかを物色しにいくようになったのは大学に上がった1975年のことだ。おそらく、映画『アメリカン・グラフィティ』(日本公開は74年暮れ)に端を発するアメカジのブームが始まった年で、アメリカ製の衣料から家具、車……までがぎっしりと掲載された『MADE IN USA カタログ』なんてムック誌が後の雑誌ポパイのスタッフによって発刊された。もちろん、僕のお目当ても、そういうメディアで紹介されたMADE IN USAモノのリーバイスやリーのGパン、ワシントンD.Cのウエスタンシャツ、コンバースのスニーカー……なんていった品目であり、それらはバラック建てマーケットの魚屋とか乾物屋とかの脇を入っていった、迷宮のような一角にある輸入衣料の小店で売られていた。

1975年のアメ横。食料品や衣料品などを買い求める人々でごった返している。写真:毎日新聞社/アフロ

アメ横という名の由来については、実際その地で商いをしていた長田 昭という人が著した『アメ横の戦後史』(KKベストセラーズ)に「イモアメ全盛の『アメヤ横丁』から、昭和22年頃には米軍のPXからの横流し物資を売るようになって『アメリカ横丁』に。」とあるから、ヤミ市に出た芋飴屋とアメリカとの両方が重なった俗称だったのだ。

僕が1970年代後半の頃によく通った店は、その後渋谷にも出店する「ミウラ」や下北沢の駅前市場にもあった「るーふ」、そして「守屋商店」といったところなのだが、いまも唯一健在なのが「守屋商店」だ。今回のカルチャーストリート散歩の皮切りに訪ねてみると、店主の守屋さんは昔ながらのヘインズ白Tシャツ+履きこんだリーバイス502――というスタイルで店頭に立っていた。

アメ横センタービル1階にある「守屋商店」。所狭しと商品が並ぶ。写真:泉 麻人
通りを挟んで中央に立っているのがアメ横センタービル。アメ横のシンボル的な存在。写真:photolibrary

――どうですか、最近は?

――もう高くなりすぎだよ。70年代の501の66(ロクロク)が百万だっていうんだから、とんでもないね……

投機対象になったヴィンテージ・ジーンズの話をしつつ、「この646なんか、どう? デッドストックで10万」「こっちは87年の501、ステッチは赤耳(あかみみ)の後の脇割(わきわ)りだけど……」雑然と積み上げられたGパンの山の中から、レアなリーバイスを取り出して見せてくれる。品番などの符牒(ふちょう)や専門用語は半分くらいしかわからないけれど、こういうマニアックな解説をいかにも下町の商人らしい毒舌を織りまぜてまくしたてる語り口がいい。ちなみにこの「守屋商店」の現主人は僕がアメ横デビューする頃から店を仕切っている2代目で、先代がここで米軍服の放出品を売り始めたのが1949年だというから、まさにアメリカ横丁草創期の1軒といえる。

アイビー族が闊歩した銀座はメンズファッションの中心地

昭和2年に浅草・上野間で開通した地下鉄が銀座までくるのが昭和9年、つまりここでようやく銀座線となるわけだ。銀座はその時代から“ファッションな店”が並ぶ東京唯一の街だったが、男性ファッションの店が増えてくるのは戦後の東京オリンピックの頃、1960年代中頃のアイビーブームの時代だ。

1966年の銀座。米国東海岸のアイビーリーガーをイメージさせるファッションに身を包んだ若者(アイビー族)が銀座に集まっていた。写真:共同通信社/amanaimages

とくに、晴海通りと並木通りとの交差点にあったテイジンメンズショップは、VANの商品を扱うメンズファッションの店として、アイビー族の拠点となった。洋服だけではなく、2階に入っていた「スナックVAN」が彼らアイビーや「みゆき族」の溜り場になっていた時期もあった。ちなみに、僕がこの銀座のテイメンによく立ち寄るようになったのは、店の晩年(2021年閉業)に近い頃ではあったけれど、イヌのイラストがプリントされたサマーシャツはいまも夏になると愛着している。

泉さん愛用の“テイメン”のシャツ。写真:泉 麻人

特色豊かなショップが軒を連ねる外苑前・キラー通り

さて銀座線、次に途中下車するのが外苑前。青山通りの口を出て少し渋谷寄りに行った青山3丁目の交差点には、ひと頃までVANの本社ビルが立っていた。もっとも、いま1階に「Louis Poulsen」(ルイス・ポールセン)というデンマークの照明ブランドが入っているビルは、VANの時代と同じA・Yビルで、ルイス・ポールセンの店と同じく交差点角の斜めに切ったファサードの店舗がテイジンメンズショップの青山店だった。

青山3丁目の交差点にあるルイス・ポールセン。

そういえば、先日久しぶりに保存ビデオで観たコント55号の『人類の大弱点』(1969年)という東宝映画のなかで、欽ちゃんがこの店のスーツを物色する場面があった。青山通りを挟んだ向こう側に、これも先頃なくなってしまったスーパー「ピーコック」の青山店がちらっと映り込んでいた。

石津謙介のVANは64年のオリンピックの年に日本橋本町からここに本拠を移し、国立競技場へ行く新道として敷設された外苑東通りの開通も相まって、このあたりのファッションストリートのシンボルになった。

外苑西通りに「キラー通り」のニックネームが付けられたことについては、以前このエッセーでくわしく書いたけれど、その命名者とされるコシノジュンコをはじめとして、松田光弘のニコル、金子 功のピンクハウス……トップデザイナーのブティックが60年代後半から70年代前半にかけて沿道に出揃う。高校生くらいの僕にとっては、原宿や表参道の奥座敷といった感じで、ヘタな格好をして歩けないようなイメージがあった。

VAN(テイメン)を除けばヨーロピアン・コンチ系のブティックが優勢だったこのキラー通りで、アメ横と同じく大学生の頃からたまに覗くようになったのが「ベーリーストックマン」だ。本格派のウエスタンブーツを揃えたマニアックな店で、背後のビルに張り付くように存在するアーリー・アメリカン調の木造の小店は、開店から50年余り、ほぼそのままの姿を見せている。

1974年に創業したベーリーストックマン。

僕の手元に女性誌『若い女性デラックス』(75年5月)の付録の「TOKYO おしゃれ地図帖」というのがあって、当時のオシャレ店が数々と紹介されているのだが、そこに開店2年目のベーリーストックマンのちょっとコミカルな解説が載っている。
「映画のセットみたいに、奥行き50cmしかない。幅はふつうの店の1軒分くらい。店番の人は入り口にうずくまっているのです。」

以下、ウエスタンシャツ¥3,000〜¥7,000、ウエスタンブーツ¥18,000〜と商品説明が続いているが、いまの店の棚に並んだブーツの価格は20万円前後が目につく。
しかし、店内に充満するブーツとデニムのインディゴが混在したような匂いは“老アメカジ族”にはグッとくるものがある。

ベーリーストックマンの店内。ウエスタンブーツやウエスタンシャツなど、こだわりを感じるアイテムが揃う。

渋谷道玄坂の路地裏は、アメカジの最先端ショップ発祥の地

秀和外苑レジデンスがクラシックな佇まいを見せる神宮前3丁目の交差点を左折していくと、ユナイテッドアローズの本拠などがある原宿のノースエリアに入るが、今回は銀座線を軸にしたので渋谷へ移動しよう。

銀座線・渋谷駅のホーム。老朽化に伴い、2020年に明治通り直上に移設された。写真:photolibrary

大学生になった1975年当時、渋谷のファッション・ストリートというと「公園通り」が第1だったけれど、パルコを中心にしたこの坂道にアメカジ系が行く店はあまりなかった。2、3年後あたりから“ファイヤーストリート”と名づけられた山手線線路端の道(消防署があった)にその種の店は増えたけれど、渋谷での服買いというと、僕のターゲットは道玄坂の石段道にある「ミウラ&サンズ」だった。

この店についても以前の渋谷道玄坂の回でふれているのでそちらをお読みいただくとして、そのとき書き落としたのが坂下の「麗郷」向かいの酒屋裏に残っていたバラック建ての路地。ここにサカエヤとミドリヤという2軒の古いアメリカ衣料店があった。戦後の米軍払下げ品から始まったとおぼしき店には年配のオッチャンがいて、そこでホコリを被ったワシントンD.Cのウエスタンシャツをゲットした記憶がある。

profile

泉 麻人

1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。近刊に『「冗談画報」という楽しい番組があった』(三賢社)。

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