賑わいと静寂が共存する、広尾1丁目
渋谷区広尾は地図で見ると、ほぼ正方形のエリア内に1丁目から5丁目まであることがわかる。中心には、聖心女子大学、東京女学館、日本赤十字医療センターという広大な敷地を有する施設がある。かつてここには何があったのかと古地図を見ると、江戸時代中期から、大名屋敷が多く立ち並んでいたようだ。明治時代にはそれらの武家屋敷は外国大使館として用いられるなど、多くが宮内省(当時)の所有地だった。高台にある風光明媚な土地だから、当時、身分の高い人に選ばれたのだろう。
まずは広尾1丁目から順番に歩こうと、恵比寿駅に降りた。駒沢通りを北東に向かうと「渋谷橋交差点」がある。東京都心は駅を中心に街ができるので、「恵比寿」駅のすぐそばに、「渋谷」橋の名がつくことに違和感を覚えた。理由を調べると、恵比寿という地名は、1889(明治22)年10月、日本麦酒醸造會社(現・サッポロビール)のヱビスビール醸造場の完成によるものだとわかった。それ以前、この一帯はすべて「渋谷広尾町」と呼ばれていた。
明治通りを渡って右側が現在の広尾エリア。1966(昭和41)年まで一帯の地名は、羽沢町、豊分町、宮代町などであった。当時の地名が残されている古い電柱を見つけた。明治初期の古地図を見ると、ここは寺町だったようだ。
広尾1丁目といえば、1997年竣工の恵比寿プライムスクエアタワーだろう。1988年竣工の恵比寿ガーデンプレイスとともにランドマークとして知られている。ここに90年代に外資系企業が集まり、恵比寿が“働く街”となるきっかけをつくった商業施設だ。
ここには、イタリアの高級家具ブランドを扱う「アルフレックス東京」などの上質なライフスタイルショップやレストラン、カフェがある。この施設が広尾1丁目界隈の邸宅マンション化や恵比寿のお洒落なイメージにも寄与することになった。
風格ある邸宅地の雰囲気を残す、広尾3丁目
邸宅地が続く広尾2丁目を通過して広尾3丁目に向かって歩いていく。森と土の香りに誘われて進むと、2015年完成のマンション「ザ・パークハウス広尾羽澤」が立っていた。ここはかつて、「羽澤ガーデン」という飲食・宴会施設があった。1915(大正4)年完成の和風建築で、見事な庭園と茶室で知られ、料亭時代は将棋の名人戦も数多く行われていた。有名棋士・大山康晴(1923〈大正12〉-1992年)が、ここで対局したことでも有名だ。
「羽澤ガーデン」の前身は、明治から大正時代にかけて活躍した政治家・中村是公(よしこと・1867〈慶應3〉-1927〈昭和2〉年)の邸宅だ。中村は南満州鉄道の第2代総裁や東京市の第9代市長、貴族院議員などを歴任し、文豪・夏目漱石とは学友という粋人だった。
ザ・パークハウス広尾羽澤はその歴史も踏まえて計画された。特に樹木保存に力を入れており、大正期から生えるヤマザクラやイチョウのほか80本以上の樹木を保存。これらは現在も敷地内の緑地で生い茂っており、風格ある邸宅地の雰囲気を次の時代に繋げている。
文教地区である広尾には、暮らしの中で芸術を楽しむような雰囲気がある。歩いていると、邸宅街の中に個性的なギャラリーや生花店、輸入雑貨店などに気付く。駒沢通りには、日本初の日本画専門美術館として知られる山種美術館があった。
この美術館は山種証券(現・SMBC日興証券)創業者・山﨑種二(1893〈明治26〉-1983〈昭和58〉年)の個人コレクションが中心だ。横山大観、速水御舟、川合玉堂、東山魁夷ほか近現代の日本画を中心に、古筆、近世絵画、浮世絵、洋画ほか重要文化財を含む約1800点を所蔵。企画展も年5〜6回開催されており、散歩ついでに第一級の作品を鑑賞できることも、広尾の魅力だろう。
皇族ゆかりの土地、広尾4丁目
広尾4丁目にある日本赤十字医療センター(以下・日赤)に向かって歩く。江戸末期の地図を見ると、ここには江戸幕府の要職にいた、堀田正俊(ほった まさとし)の屋敷があった。外苑西通りに向かう「堀田坂」にその名が残されている。
1891(明治24)年に日赤は千代田区九段から現在地に移転・開院する。隣接地は皇族で陸軍軍人の久邇宮家の邸宅が築かれた(1924(大正13)年に完成)。久邇宮家は香淳皇后(昭和天皇の后)の実家だ。その一部が聖心女子大学となり、今も敷地内には、旧久邇宮邸の御常御殿、小食堂、正門、附(つけたり/車寄のこと)が保存されており、いずれも国の重要文化財に指定されている。
聖心女子大学は、美智子上皇后の母校としても知られている。そこには香淳皇后が使ったであろう建物が保存されている。この地で昭和・平成時代が交差していることを知ると、広尾の街の気品の高さに気づかされる。
現代になると、その敷地の一部に、高級マンションの「広尾ガーデンヒルズ」と「広尾ガーデンフォレスト」が建つ。1980年代に順次完成していった集合住宅は、現在も高い人気を誇っている。
港区南麻布地区と隣接する、広尾5丁目
「広尾ガーデンヒルズ」から外苑西通りに向かい、広尾5丁目に至る。「広尾」は江戸期に徳川将軍が鷹狩りに訪れていた場所だ。もっと範囲は広いのではないかと戦前の地図を見る。すると現代の港区南麻布4、5丁目付近までが「広尾町」だったことがわかり、向かうことにした。明治末期の地図を見ると、ここにも旧大名屋敷が多く、早くから瑞西(スイス)公使館が置かれていることがわかった。
道路を挟んで有栖川宮記念公園がある。ここは戦前まで高松宮邸だったことでも有名だ。
緑多いこのエリアには、邸宅マンションも多いが、ひときわ威厳と風格があるのは「ザ・ハウス南麻布」だろう。西武鉄道グループ創業者・堤 康次郎(1889〈明治22〉- 1964〈昭和39〉年)の自宅跡に建っており、迎賓館・米荘閣(べいそうかく)もここにあった。当時の樹木やバラ園、噴水などが残されており、訪れる人を出迎えている。
広尾は各界の名士が住む街というイメージがある一方で下町の面影もあり、親しみやすい街だ。1964(昭和39)年に日比谷線の広尾駅が開通してからは、住みやすい街として知られるようになった。
駅前の広尾商店街(通り名は「広尾散歩通り」)は 1948(昭和23)年から活動を始め、マグロ祭りや広尾フェアなどのイベントを開催してきた。商店街の高台には、1629(寛永6)年からの古刹・瑞泉山祥雲寺がある。おそらく、門前町として栄えてきたのだろう。個人商店も多く、活気がある。
広尾は新旧の文化が交差する街だ。邸宅街の面影、国際的な雰囲気と、庶民的な温かさが混在一体となり、住む人を包む混むことがわかった。時代を経て選ばれ続ける邸宅街には、重層的な魅力がある。そこに住めばまた、街の深さがわかるはずだ。
(参考)
渋谷区立図書館
▶︎https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/uploads/2023/03/f9edb315fca5caceb31e3fbb69ead31d.pdf
渋谷区町名・町界 重ね地図 (渋谷区立図書館)
▶︎https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/uploads/2022/06/shibuyakunochoumei-choukaikasanetizu.pdf
サッポロビール「1890年 恵比寿ビールの誕生」
▶︎https://www.sapporobeer.jp/company/history/1890.html
渋谷区都市計画図・日影規制図
▶︎https://files.city.shibuya.tokyo.jp/assets/12995aba8b194961be709ba879857f70/47dba5c9710a4a60bf5048f72abffee3/toshi_soudan1.pdf
広尾町
▶︎http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/11/1851/11-297.html.ja
プロジェクトリポート「ザ・パークハウス 広尾羽澤」 樹木保存と意匠の継承 広尾羽澤の歴史を紡ぐプロジェクト
▶︎https://www.mecsumai.com/brand/story/report/002/
山種美術館
▶︎https://www.yamatane-museum.jp/
聖心女子大学
▶︎https://www.u-sacred-heart.ac.jp/assets/images/about/campus/palace_ja.pdf
港区公式サイト
▶︎https://www.city.minato.tokyo.jp/
ザ・ハウス南麻布
▶︎https://r100tokyo.com/sales/akasaka-aoyama-azabu/thminamiazabu/
ザ・AZABU42号
▶︎https://www.city.minato.tokyo.jp/azabuchikusei/azabu/koho/documents/azabu42.pdf
エノテカ
▶︎https://www.enoteca.jp/company/history/index.html
広尾商店街
▶︎https://www.hiroo.info/
祥雲寺
▶︎https://shouunji.or.jp/