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Retrouvailles à Paris――松浦弥太郎の「パリで再会」
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Retrouvailles à Paris――松浦弥太郎の「パリで再会」

Vol.1 パンの香りに約束を包んで

エッセイスト・松浦 弥太郎が、パリの街で遭遇したさまざまな「再会」を描くショートエッセイ。色彩豊かなパリを背景に、時と人が再び交差する。第1回は18区モンマルトルのパン屋「Maison Laurent」で、待ち列の前後に並んだ「ある人」との邂逅と約束。焼き立てのパンの香りに包まれて……。

Text & Photographs by Yataro Matsuura

パリでパン屋に行くなら何時?

パリの街を歩いていると、ときおりどこからかパンの香りがふわりと漂ってくるときがある。そうすると、「ああ、パリに来たなあ」と実感して嬉しくなり、足を止めてパン屋を探す自分がいる。

パリのパン屋は、11時くらいになると焼き上がったパンが棚に揃う。パリに暮らす人にとってそれは当たり前のことかもしれないが、ぼくのようなパン好きの旅行者なら知っておきたいことのひとつだ。ちなみに夕方6時くらいも焼き立てのパンが棚に揃うタイミングでもある。パンはこのいずれかのタイミングで買いに行く。いや、一日に2回、パリのおいしいパン屋を訪れる楽しみがある。

ある静かな昼、モンマルトルの丘のふもとにある小さなパン屋「Maison Laurent」でバゲットを買おうと並んでいた。

すると、後ろに並んでいた女性から「すみません、この店ではどのパンがいちばんおいしいですか?」と流暢な英語で話しかけられた。女性は日本人だった。突然の問いかけに戸惑いつつ、「この店ではヴィラジョワーズというバゲットがおすすめですよ」と英語で答えた。この店の看板商品のヴィラジョワーズは3種類の小麦粉を使ったバゲットだ。ぼくのつたない英語の発音から気づいたのか、「あ、日本の方なんですね、ありがとうございます!」と彼女は言った。「パン好きなのでここにはよく来るんです」と言うと、「私もパンが大好きでここに来ました」と彼女も言い、ぼくらは自然と挨拶を交わした。

パリのパン屋は手際が良いから並んでいてもすぐに順番がやってくる。一緒に店内へ入り、それぞれ焼き立てのヴィラジョワーズを買い、店の外に出た。「ぼくはあっちに行くので」と言うと、「私もそっちです」と彼女は笑った。

思いがけぬ散歩の同行者

パリでは、ルーブル美術館やエッフェル塔よりも、おいしいパン屋巡りが楽しいということ、パン屋でもらえるバゲットを入れるカラフルな袋を集めていること、パリのパン屋では1区の「Julien」がお気に入りだと、歩きながら彼女は楽しそうに話した。

ぼくは買ったばかりで焼き立てのヴィラジョワーズをちぎって食べた。実を言うと、買ったばかりのバゲットをこうして食べるのがいちばんおいしいと思っている。カリッとした皮の香ばしさ、水分が多めでもちっとしたパン生地の口当たりを味わった。「やっぱり、すぐに食べたくなりますよね。私も食べます!」と彼女はヴィラジョワーズをちぎって食べて、「わ、おいしい!」と嬉しそうに微笑んだ。

バゲットというのは「細い棒」という意味だ。20世紀はじめに生まれたこのパンは、もともとは長さ70センチくらいで1キロもあるパンだった。パリッとした皮を味わうためのパンとして、オーストリアからフランスに広がった。そんな話をすると、「たしかにバゲットは皮のおいしさが魅力ですよね」と彼女はうなずいた。
「パリにはいつ来たのですか?」と彼女が聞いた。「3日前に来て、2週間ほど滞在します」と答えた。「私は1週間滞在して、それからロンドンに帰ります」と答えた。ロンドンでは大学に勤めていて、もう6年も暮らしていると話してくれた。ロンドンとパリは近いので、ちょっとした気分転換の良い旅になるとも彼女は言った。

ぼくと彼女は、旅をする者同士の不思議な親しみを抱き、互いに心を打ち解け、あたかも昔からの友だちのようにおしゃべりをし、その日を一緒に過ごした。

ひとりだから見つかる旅の宝物

旅の出会いはいつだってさりげなくて、それゆえに愛おしい。知らない街を歩き、見知らぬ人と出会い、その土地の空気や光を感じることで、少しずつ自分の心がほどけるのを感じていく。日常から離れ、自分を静かに見つめ直す時間とともに、気づきや出会いを大切にする、そんな自分を取り戻すというように。

午後は彼女の誘いでロダン美術館へ行った。暖かな陽射しの中、庭園を歩き《考える人》の前に立った彼女は小さく呟いた。「何を考えているんでしょうね」。その声が静かにぼくの心に響いた。

彼女はロダンが大切にしていたゴッホの名作《タンギー爺さん》が2階の展示室にあることを教えてくれた。こんなに静かで閑静な場所でゴッホを堪能できるなんてと驚いた。

ぼくらは庭園の歩道を歩き、その先に立つ大きなバルザック像の前で足を止めた。彼女はその逸話を語ってくれた。これはフランス文芸家協会からの依頼で制作をした作品だけど酷評を受けて拒絶された。しかしロダンはこの像を生涯大切にし、亡くなるまで発表をしなかったという。「きっとロダンは、この像に自分自身の深い孤独や誇りを重ねていたのでしょうね」。ぼく自身もロダンの作品を見るたびに、彼の内面や人生を感じずにはいられなかった。繊細な表情や力強い動きに宿る人間の本質を伝えるロダンの彫刻。そのことを話すと、彼女は嬉しそうにうなずいた。

バラの季節に再びパリで

庭園を吹き抜けるそよ風、ほのかなバラの香り、ふたりの静かな足音が心地よかった。すべてがゆったりと流れるひとときだった。

日の沈む頃、ぼくらは互いに連絡先を聞かずに別れた。別れ際「いつかまたここで会いましょう。今日みたいにバラの咲いている頃に」と彼女は言った。その約束はぼくの胸の中にあたたかな灯をともした。

人は旅の途中で誰かと出会い、何かを分かち合い、また別れてゆく。ぼくにとって旅とはひとりになること。ひとりだからこそ、ささやかでまばゆい出会いを大切にし、そこで生まれたふれあいがいつまでも宝ものになる。そして、また旅に出かけようというきっかけにもなる。

おしゃべりの中で彼女は、「鳥はゆっくりと巣を作る」(Petit à petit l’oiseau fait son nid)というフランスのことわざを教えてくれた。あの日からずっと、ぼくの心にこの言葉があり続けている。

あれから数年経った今、ぼくは再びパリを訪れる。ロダン美術館の庭にはバラが咲いているだろうか。まずは彼女が好きだと言ったパン屋「Julien」へ行こうと思っている。

※「Maison Laurent」は現在なく、同じ場所で別のオーナーが「Maison Lardeux」というパン屋を営んでいる。

profile

松浦 弥太郎

エッセイスト。クリエィティブディレクター。「暮しの手帖」編集長を経て、「正直、親切、笑顔」を信条とし、暮らしや仕事における、楽しさや豊かさ、学びについての執筆や活動を続ける。著書に『今日もていねいに。』(PHP研究所)、『しごとのきほん くらしのきほん100』(マガジンハウス)、『正直、親切、笑顔』(光文社)など多数。

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