白井屋ホテル
鈴木:今回は2020年12月12日に群馬県前橋市に誕生した「白井屋ホテル」にお邪魔しています。
遠山:このホテルはもともと江戸時代に建てられた「白井屋旅館」を大胆にリノベーションしたホテルです。約300年も前に建てられ、その後1975年に一度建て替えで旅館からホテルへ。しかし残念ながら前橋市の中心地の衰退によって、2008年に惜しまれつつも廃業となりました。それから取り壊しの危機にありましたが、前橋市出身の起業家で、アイウエアブランド「JINS」の創業者である田中仁社長が、前橋市の活性化活動「前橋モデル」を主導する「田中仁財団」の活動の一環として2014年に再生プロジェクトをスタートさせました。
鈴木:建物の全体的なデザインと設計を手掛けたのは、武蔵野美術大学図書館や直島パヴィリオンを手がけたことで知られる人気建築家の藤本壮介氏。老舗旅館、ホテルとして時代を彩った建物のコンクリートの構造をそのまま生かしたヘリテージタワーは、剥き出しになった吹き抜けや客室が特徴的です。吹き抜けには、日本でもファンの多いレアンドロ・エルリッヒの作品《Lighting Pipes》が展示されています。これは時間によって光の色が変わり、幻想的な空間を生み出します。
遠山:このヘリテージタワーは外観がすごく目を引くんですよね。前橋のメイン通りである国道50号線沿いに建っているのですが、そのファサードを飾るのがローレンス・ウィナーの作品。
鈴木:ウィナーはコンセプチュアル・アーティストとして1960年代からずっと第一線で活躍しているアーティスト。文字を使った作品が有名ですよね。そんなウィナー自身が、田中さんたちからこのホテルのコンセプトを伝えられ、前橋という土地のことをリサーチし、しっかりとそれらを理解した上で制作したそうです。書かれている言葉は、前橋という土地が何から生まれ、どこから来たのか、そして何とつながっているかということを表現しているそうです。
遠山:私ウィナーの作品と知らずに最初見た時に、まだできてない? 看板?ってすごく驚いたのを覚えています。
鈴木:この文字を使った彼の作品のアイデンティティがとてもよく出ていますよね。ウィナーの作品がある種の看板っていうのも面白いし、贅沢。でも本当はこのファサード、もともとは植物を植える予定だったらしいですよ。それがまったく違った形になったのも面白い。
遠山:敷地内にはグリーンタワーという建物も新しくつくられ、こちらにも客室が用意されています。コンクリート剥き出しの無機質なヘリテージタワーに対して、グリーンタワーは小山のような丘のような建物。建物の上にはフィンランド式サウナも設置され、宿泊者一日限定2組だけが楽しめるようになっています。そしてそこには宮島達男さんの作品も設置されている。本当にそこら中にアートが飾られ、建物と一体化してるんですよね。特にヘリテージタワーは建物にアートがないところはないという感じ。
鈴木:それにすべての客室に作品が飾られているんだけど、どれも一緒ではない。ただ、部屋に版画を掛けてみた、というようなものではない。しかも展示されているアーティストも例えば塩田千春さんや群馬県を活動拠点にしている鬼頭健吾さん、KIGI、ライアン・ガンダーなど千差万別で、すべて違うアーティストの作品が展示されています。前回の東京都墨田区の「KAIKA 東京 by THE SHARE HOTELS」は2部屋だけに作品が飾られるという特別な部屋でしたが、このホテルはどの部屋もアートとともにあるというわけです。
遠山:特にスペシャル・ルームと呼ばれる4つの部屋は、このホテルのためだけに、田中さんが友人の4人のアーティストたちに声をかけて制作してもらった特別な部屋なんですよね。
鈴木:ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、藤本壮介さん、レアンドロ・エルリッヒがこのホテルのためだけに、内装設計を一から手がけました。
遠山:まさに世界に一つだけの客室。しかしそのメンバーがすごすぎますよね。4人とも田中さんが懇意にしているお友だちで、田中さんのために彼らが協力してくれたんだそうです。どの部屋も彼ららしい部屋。例えばジャスパー・モリソンの部屋は木材で揃えられ、さらにこのためだけにつくられたオリジナル家具も使われています。
鈴木:ジャスパーファンにはたまらない部屋ですよね。
鈴木:レアンドロは真鍮色の配管に囲まれた部屋。レアンドロの作品の特徴である彼の作品の中に入って、作品の一部に自分もなるという体験を客室で得られることができます。《Lighting Pipes》と呼応しているような作品ですよね。ホテルがこの部屋に閉じ込められているようにも思えます。
遠山:ミケーレはミケーレで、基本白が貴重となっているどの部屋とも違い、黒い短冊状の板で壁面が覆われ、さらには名作家具を揃えています。藤本さんは本物の植物をソファやテーブルなどに生けていらっしゃいます。
鈴木:遠山さんも言ってたけど、アートがないところはないというのもこのホテルの特徴。スペシャル・ルームはもちろんだけど、ホテルに泊まらない人もレアンドロの作品はオールデイダイニングの「the LOUNGE」で当たり前に見られるし、フロントの壁には杉本博司さんの「海景」シリーズの《ガリラヤ湖、 ゴラン》が飾られ、そのほかライアン・ガンダーや武田鉄平さんの作品がさりげなく飾られています。
遠山:それにこのホテルは緑も豊富だし、インテリアデザイン好きにもたまらないんじゃないかな。例えば SOLSOという、インドアグリーンやランドスケープデザインを手がける会社が植栽の選定から監修までを手掛けています。
鈴木:食へのこだわりもすごいんですよね。
遠山:メインダイニング「the RESTAURANT」は、青山にある「フロリレージュ」のシェフ川手寛康さんが監修を手がけられ、「the LOUNGE」は「街のリビング」と謳っているように、誰でも気軽にこのホテルのアートも食も楽しめる場所。そしてスイーツも充実していて、こちらも青山にある「EMME」のオーナーパティシエ延命寺美也さんがプロデュースしたフルーツタルト屋さん「the PÂTISSERIE」があります。
鈴木:五感をフルに使って楽しむホテルですね。
額縁の中の建築
遠山:なんだかそういうふうにいろいろ考えながらホテルを見ていると、このホテルって、建築という額縁の中にあるような気がしたんですよね。剥き出しのコンクリートの構造や色味を抑えた室内っていうのは、簡単で単純なように素人には見えてしまう。でもめちゃくちゃ考え抜かれた建築だと思うんです。藤本壮介さんは額縁のような建築を目指していたのかなって。藤本壮介建築の特徴を残しつつも建築を額縁にして、そこにアートや植栽、家具というキャンバスを入れ込んでいるような感覚があります。余白を楽しんだり、引き算だったり足し算だったり。骨と素地が入り組みながらも絶妙に互いを支え合いながらあると思いましたね。
鈴木:それぞれがとてもいいレベルで、互いの領域を侵すことなく調和して、でも影響を与え合いながら共存していると僕も感じました。でもそれを調和させているのは、間違いなく藤本壮介さんの建築の力。近接した領域の職業と思われるかもしれないけど、その実は全然違う建築家にアーティストにデザイナー、それに植栽。これが渾然一体となり、絶妙なバランスでもって存在しているのがこのホテルでしょうね。前回ご紹介した「KAIKA 東京 by THE SHARE HOTELS」は、アートはもちろん、今までになかった試みである、ギャラリーとの協同、そしてストレージとしてのホテルという新しい形を打ち出しました。それなりに多くのアートホテルに宿泊してきた我々ですが、遠山さん、このホテルはほかのいわゆるアートホテルとは何が違うと思いますか?
遠山:先ほどの「額縁」という感覚を持ったのもありますが、「バランス」でしょうか。ホテルとしてももちろん素晴らしいんだけど、すべてのバランスが最高だと思います。これは間違いなく、田中さんや藤本壮介さんが、アート、デザイン、建築、インテリアなど、あらゆるものに同等のリスペクトを持っているから。どれ一つおろそかにすることもないし、敬意を払っている。それがうまくハマっている感じがしましたね。
鈴木:それにホテルというものについても考えさせられるな、と思いました。それぞれみんなの好みにもよりますが、ホテルのある意味面白さというのは、誰にとっても同じ「箱」ということ。でもそういった「箱」とは対極的。このホテルは選ぶ楽しみもあるし、選ばなくて予約した部屋が自分のための部屋だって思う時もあれば、好みと少し違うなと思う時もある。
遠山:確かに。ホテルというのは、泊まる人数によってベッドの数や部屋の広さが変わってくるけれども、その内装は藤本壮介さんによるデザイン・設計だから、同じような部屋の雰囲気であり。だけどそこに部屋に飾られているアート作品によってまったく雰囲気が異なります。さらにはスペシャル・ルームもある。
鈴木:だから全制覇したくなる人も出てくると思うんですよね。いろんな角度から楽しむことができるのが、このホテルだと思います。それにホテルという非日常を与えてくれる場所な上に、さらにこの建物のつくりや部屋によって、さらなる非日常を楽しめると思います。自分の家でやろうって思ってもできないことだらけですからね(笑)。
遠山:うん、アートを部屋に取り入れたらどうなるか、というシミュレーションはできるかもしれないけど、建築そのものを取り入れたいと思ってもこれはできないですよね(笑)。そう考えると、田中さんというのは、アートはもちろんだけど、建築が好きな人だなって思いますね。
鈴木:もともとアートありきではなくて、建築ありきで建てられたというお話ですもんね。
遠山:そうですね。彼は建築や空間といったものが好きで、それをこのホテルでどう生かすか、ということを最初に考えていたんだと思います。実はアートの世界にどっぷり浸かったのはここ数年と言っていました。そのあたりは後編でお話聞くとして。
鈴木:そう考えると、建築と空間ありきな上に、アートをここまで落とし込むというのは、さすがだなと思いましたね。まさに同時代の、今の現代アートを楽しみつくすことができるホテル。でもこれが色褪せることは決してないという作品ばかりです。
遠山:世の中には本当にいろんなパターンのアートホテルがありますが、その中でも突出していると思います。
鈴木:そうですね、徹底的にやりきったのが白井屋ホテルだと、訪れてみてわかりました。
二人の考える起業家、田中仁の思いとは
遠山:今回思ったのが、前橋にこのホテルがあるということが重要だということ。田中さんはホテルだけじゃなくて、地域とともに歩んでいくという根幹のもと、前橋という土地そのものを変えていこうとしている。ひとりよがりではなくて、行政もまちもすべてを巻き込んできっちり動かしている。そこには我々が想像できないほどのいろんなことがあると思いますが、彼がやっていることはただ間口を広げてウェルカムってやっているだけじゃないんですよね。
鈴木:ホテルとしては、これだけすごいアーティストや建築家が関わっているわけですから、アートや建築好きが来るというのは想定内のこと。でもアートを目的とせず、食を楽しみたいとか、カフェとしてホテルを使う人もいる。そういう人は例えばファサードにもしかしたら強烈な違和感を持つかもしれない。ホテルってわからずに入るかもしれない。でもホテルを知ることで、アートを知り、アートについて勉強する人も出てくるかもしれない。
遠山:さらには建築やデザインについても新しい発見があったり、今まで興味なかった人が興味を持ったりするかもしれない。そういう学びを体験する場かもしれないですよね。それをふまえて後編では、田中さんにホテルへの想いや、前橋で活動することなど、ビジネスの面でもお話を聞いてみたいと思います。
鈴木:田中さんは前橋出身の著名人をいい意味で巻き込んで、今も大きなうねりをこの前橋から起こしています。2016年8月には前橋市が官民一体の前橋ビジョン発表会で都市指針として、糸井重里さんが命名した「めぶく。」を発表。これを機に、シャッター街となりつつあるアーケード街などの中心市街地を再開発。暮らす人と訪れる人が集い、交流する場としての前橋を生み出しています。
遠山:アーケード街ではすでに田中さんは建築家を多数起用して、新たなレストランやスイーツのお店を開業しました。そしてこれからいくつもの建物が設計され、中心地が大きく変わっていくということです。
鈴木:しかしここで田中さんはただ建築家に新しい建物を建築設計してもらうのではなく、お題を出しているそうです。それがレンガ。ホテルの入り口へと続く道にも使われているのですが、明治初期に絹産業におけるイノベーションを興し、日本近代化の先駆けとなった前橋はレンガのまちとしても有名でした。そのレンガも今ではほぼ使われなくなっていることに注目し、レンガを使った建築を依頼したそうです。
遠山:レンガと言ってもいろんな形や色があります。それを建築家がそれぞれどう選び使うのか。ホテルだけでなく、その周りを探索し、そのまちや歴史について知ることも楽しみの一つです。その楽しみを田中さんは私たちに提示してくれているような気がしました。
(後編 近日公開)
Information
白井屋ホテル
371-0023
群馬県前橋市本町2-2-15
027-231-4618
www.shiroiya.com
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎http://toyama.smiles.co.jp
profile
1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。