デビュー時の情熱を今も持ち続ける。作品と触れる場を自らつくる理由
鈴木:今日は伊島 薫さんの「野沢場ラウンジ」にお邪魔しています。そしてゲストに、アーティストで現・東京藝術大学学長の日比野克彦さんをお迎えしました。ひょんな思いつきからスペシャルな座談会が実現しましたね、遠山さん。
遠山:私たちの運営する「Gallery & Restaurant 舞台裏」での日比野さんの個展(2024年5月24日〜6月23日に開催した日比野克彦個展・ライブペインティングavecVR「脳はダマせても⇄身体はダマせない♯01」)の打ち上げで、鈴木さんと日比野さんと3人で飲んでいたときの軽い会話が発端でしたね。「伊島 薫さんが新しいサロンを開いたから行かない?」って。
日比野:飲み会での話題からよい機会をいただきました(笑)。伊島さんとは本当に久しぶりなんですよ。おそらく四半世紀以上前、子ども用品のカタログかなにかの撮影でご一緒したとき以来かな……。
伊島:『sesame(セサミ)』(朝日新聞出版/現在休刊)だっけ。僕がカメラマンで、日比野さんが背景とかプロップをつくるアーティストとして参加していて。
日比野:伊島さんが、上手にモデルの子どもをあやしながら写真を撮っていましたね。久しぶりですけど、お互いあまり印象が変わらないし、そこまで久しぶりって感じがしないね。
遠山:おふたりは一時代を担ってきたスターフォトグラファーであり、スターアーティスト。
鈴木:僕が『エル・ジャポン』編集部(当時、同誌の版元はマガジンハウス)で働いていた頃、伊島さんとお仕事したいといつも思っていたんですが、先輩たちがそれ以上の迫力で「伊島さんとお仕事したい」と言うから、下っ端だった僕はスケジュールの取り合いに勝てなかったんですよ(笑)。
伊島:そんなふうに言ってもらえてありがたいけど、こちらは20代からずっと必死ですよ。当時はやっぱり写真は「印刷物に載らないと意味がない」と思っていたんで、自らフリーマガジンまでつくって。25歳で出した『SALE』というのが最初の雑誌で、29歳で『TRA』という雑誌を創刊して、自分の作品を発表する場所をつくりました。
鈴木:『TRA』は「ART」を逆さまに読んだんですよね。そして40歳で『zyappu(以下、ジャップ)』を創刊されましたね。
日比野:僕も、伊島さんの言う「印刷物に載らないと」という気持ちはすごくわかる。まだ無名だった若い頃、自分の絵をどうしてもみんなに見てもらいたくて、山手線の車内吊り広告に自分の絵を貼りましたもん。
遠山:えぇ⁉ 今や東京藝大の学長というお方が、若かりし頃にはそんな……。
伊島:いや、ほんとオレと一緒。載せてくれないなら、自分で雑誌をこさえちゃおうと、そういう発想ですよ。
日比野:僕は、自分のメディアを持たなきゃって気持ちは、今でもありますよ。当時は山手線をメディアとして使わせてもらったけれど(笑)。
鈴木:伊島さんはファッションフォトグラファーのなかでも、とりわけ際立った存在感を放ったスターフォトグラファーのひとりだったと思います。特に、今なお強いインパクトを我々に与え続けているものに、「連続女優殺人事件シリーズ」、いわゆる「死体シリーズ」がありますけど……。あの作品群はどのようなことがきっかけで生まれたんですか?
伊島:ファッション誌の仕事をいっぱいしていて何が面白かったかというと、最先端の表現を実験できる場所だったこと。さらにもう少しなにかできないかなと考えているときに、ロケで行った浜松のビーチの向こうで外国貨物船が座礁している場面に出くわしたことがあって。そのときふと、「ここでファッション写真を撮ったら、きっとカッコいいな」と思ったんです。
遠山:それってもう、ファッション誌の撮影を超えて、現代アートの領域に踏み込んでいますよね。
伊島:そのうちに、フェイクでもいいから倒れた人が入ったら作品として面白いかなと考え始めて。それで知り合いの編集者に話したんだけど、「面白いけど無理だね」って反応ばかりだった(笑)。
鈴木:それは、僕がもし担当編集者でも、なんて答えてたかな……(笑)。
伊島:そうこうしているうちに、「ほかの誰かが同じこと思いついて、万が一先にやられでもしたら死んでも死にきれないな」と思ってさ(笑)。それなら、自分でまた雑誌を創っちゃおうと。それが『ジャップ』が誕生したきっかけです。
日比野:わかる、わかる。そういうタイミングがあるから、自分のメディアが欲しくなる。
鈴木:アーティストには実感としてあるんですね。『ジャップ』は結局、何号まで出したんですか。
伊島:年4冊の季刊誌として、1994年から5年やったので、21号まで出しました。ちょうど20号まで出た時点で、出版社が倒産しちゃったんです。
デジタル時代だからこそリアル・ライブで見せる意義
鈴木:こちらの「野沢場ラウンジ」も、伊島さんにとっては新しいメディアのような位置づけなんでしょうか。
伊島:そういうことなのかな。主たる作品は、すべて自分の手元にあるんですよ。それをぜひリアルで観てもらいたいという思いがまずありました。今は、ウェブサイトやSNSのおかげで拡散する手法には事欠かないし、そうしたデジタル空間でマスに披露することは簡単なんだけど。音源配信の一方で、ライブとかリアルで鑑賞して、楽しんでもらう大切さがぐっと増している音楽業界なんかと同じで、写真もやはりリアルに観てもらうことが、あらためて大事だと思うんですよ。
遠山:つまり、この場でリアルに伊島 薫の写真を感じてほしいと。
鈴木:伊島さんは、ファッション写真においても独特の伊島ワールドをお持ちだったし、「死体のある風景(Landscapes with a Corpse)」のような世の話題をさらった作品群もあります。美術館での展覧会だったり、収蔵の話はなかったんですか?
伊島:海外ではありました。『ジャップ』を創刊して、死体シリーズを連載していたら、海外とコネクションのあったライターが向こうの関係者に紹介してくれて。まずドイツのギャラリーから声がかかりました。2000年くらいからケルンやミュンヘンで個展が開催されたことを皮切りに、パリ、ロンドン、ニューヨークでも展覧会をやりましたよ。海外では作品もけっこう売れていたんですが、日本ではさっぱり。
遠山:さっぱり? どうしてだろう。
伊島:日本でも話はいくつかあったんですよ、美術館などでも。現場のキュレーターが「すごくやりたい!」って言ってくれても、上に行くとストップがかかって、「ちょっとやっぱり……これはやらないほうがいいんじゃないか」となってしまうようです。
遠山:だからこその新しい場所=「野沢場ラウンジ」なんですね。ここでは展示されている伊島さんの作品、いずれも購入することが可能なんですよね。
伊島:そうなんです。でも物理的な問題で展示できないものもありますね。「死体シリーズ」の実物はうんと大きいんですよ。横位置のものだと、天地が180cmで幅が250cmくらいある。だから本当のことを言うと、大きな美術館とかギャラリーでちゃんと展示してもらいたい。もちろん、ここがそのきっかけづくりとか突破口になるといいなと思っています。
――ホストのふたりと共に「野沢場ラウンジ」を訪れた日比野克彦さんは、東京藝術大学に在学していた1980年代前半より作家活動を開始。社会メディアとアートの融合といった表現領域を拡大するような活動が注目されてきた。2022年からは同大学学長を務めており、「芸術未来研究場」を立ち上げ、現代におけるアートのさらなる可能性を追求。「アートは生きる力」であるということを研究、実践し続けている。
鈴木:こちらにみんなでお邪魔するきっかけともなった、日比野さんの個展「脳はダマせても⇄身体はダマせない♯01」は意欲的な試みでしたね。
遠山:ルドンの絵を媒介に――ギャラリー内ではVRゴーグルを装着してライブペインティングを行うことで、脳の欲求と身体の快感の関係性を同じ空間に居合わせた観客と共にあらためて検証する――そんな個展を私たちのギャラリー、麻布台ヒルズ「Gallery & Restaurant 舞台裏」にて開催させていただきました。
日比野:きっかけは昨年、南仏のフォンフロワッド修道院を訪れて、オディロン・ルドンがその図書室に描いた壁画を観たことでした。そこには当時ルドンを支援したオーナー一族の末裔が現在も住んでいて、アーティストインレジデンスを主宰しているんです。「それならぜひ!」と申請して、許可が下りた今年2月に伺い、実際に創作を行いました。
鈴木:VRゴーグルの使用はどういった発想から生まれたのですか。
日比野:僕もルドンと同じように図書室の壁に絵を描きたいと思ったけれど、そこにはもちろん既に彼の絵があるわけだから無理。そこでVRゴーグルを用い、バーチャルな世界で創作を行う実験を試みることになりました。
遠山:たぶん、この一連の創作で初めてVRゴーグルを使うことになったかと思いますが、いかがでしたか?
日比野:そうですね。いろいろと発見も多く、面白い経験となりました。画材を用いず、服を汚すこともなく、自由気ままに動きました。天井にも手が届くし、縦を横にしたり、横を縦にしたりも思いのまま。いろんなストレスから解放されるわけです。そういうことを経験すると、絵を描くうえでも、多くの身体的な制約があったのだということにあらためて気づかされました。
鈴木:「Gallery & Restaurant 舞台裏」では、さらにどのような試みを?
日比野:まず、ライブペインティングのお客さまにもVRゴーグルを装着していただいて、バーチャル空間での創作を共有しました。そして、「Gallery & Restaurant 舞台裏」に設置していただいた壁紙には実画も描きました。バーチャルで描いた絵のデータも残してみたんだけれど、プリントアウトすると、意外にデータが粗くって(笑)。そのあたりは、次回以降に向けて印刷会社とも詰めていたりします。
伊島:日比野くんが、そうやってゴーグルを着けて描いているところを後ろから撮ったら面白そうだね。スチールよりムービーかな。
鈴木:次回以降、ということは既に予定があるんですか?
日比野:じつは、僕が館長を務めている岐阜県美術館は、日本で最も多くルドンの作品を収蔵している美術館なんですよ。その数、なんと253点。今年9月に岐阜でルドン展を予定しているので、そこで「脳はダマせても⇄身体はダマせない」の#03を開催します。
鈴木:それだけの数のルドン作品を背景にやるとなると、本当に楽しみですね。
日比野:それから、2008年来のアートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」や、今春からスタートしたワークショップ「明後日朝顔と能登」でご一緒いただいている金沢21世紀美術館の担当学芸員の方からも興味を持っていただいて、やはり同じ9月に「脳はダマせても⇄身体はダマせない」の#02を開催予定です。
鈴木:成果物としては、データ保存されているバーチャルな作品もあるし、実際に壁紙に描いたリアルな作品もあるというわけですね。面白い。
日比野:もっと言うと、3Dプリンターを用いれば立体作品としてもアウトプットできますよ。このリアルとバーチャルの行ったり来たりが面白いんですよね。
著作権フリー宣言から解き明かすクリエイティブの基本的態度
遠山:こちらに架かっている伊島さんの作品群、たいへん興味深いのですが、これはいったい何ですか?
伊島:カメラを使わない写真「スクリーンショット・シリーズ」です。最近、インスタとかで投稿されている写真を見ていると、ピントがぼけたまま、きちんと表示されるまでに時間がかかることがあるじゃないですか。
鈴木:はい、はい。
伊島:何を撮ったのがわからないけど、すごくいい感じのビジュアルだなーなんて思って、いざちゃんと表示されると、ただのパスタの写真だったりする。
日比野:ありますね(笑)。
伊島:だったら、いちばんいい瞬間をスクショして、保存しておとくといいんじゃないかなと思ったのが始まり。それはさ、絶妙なピンボケを生かしてすごくいい状態をつくったのはオレだから……つまりオレの写真なんですよ!
一同:(爆笑)
伊島:いつだったか、森山大道さんが「写真ってのは結局複写だ、自分が撮っている写真も、ただ街を複写しているだけなんだ」的なことを話しているのを読んだことがあるんです。
鈴木:街を複写……あぁ、なるほど。
伊島:森山さんにパーティで会う機会があったから「ということは、ボクが森山さんの写真を複写したら、それはボクの写真ってことでいいんですか?」って尋ねてみたら「……あぁ、もちろん! それでいいよ」って。
遠山:それは論拠として強い(笑)。
伊島:そういうわけで、きょう架けてある「スクリーンショット・シリーズ」もよく見ると、どれも見たことがある名画なんですよ、じつはね。
鈴木:……ほんとだ。ゴッホの「ひまわり」。
遠山:これは、……ピカソ。
鈴木:こっちは、……モディリアーニ。
日比野:これは、……わかった! ドガだ。
伊島:当たり(笑)。でも、これらはすべてオレの発見だから、オレの作品なんです(笑)。
鈴木:‟photography“を語源的に解析して訳すなら、本来はphoto(光)のgraph(画)だから「光画」なんですよね。つまり、光を画像化したものが‟photography”。でも、明治期の日本人は目で見たもの=真実を写すものだと解釈して「寫眞(写真)」としてしまった。……と、まぁ僕はいくつかの大学でこういった話をよくしているんですが、伊島さんがされているスクショシリーズはまさに「光画」そのもの。光を捉えたものが‟photography“なわけですから。
伊島:そんなふうに言ってもらえると、勇気が出ますね。まぁ、インスタみたいなものが登場したから、新しくたどり着くことができたわけで、面白く取り組んでいますよ。
鈴木:そういえば、先日「著作権フリー」宣言をされたと聞きましたが。
伊島:そうそう。自分のインスタで宣言したんですよ。「写真が百年後千年後に残るかどうかはゼラチンシルバーかインクジェットかなんてどうでもよくて、どれだけ拡散されたかってことだと考えるとオリジナルプリントとか著作権云々なんてまったくどうでもいいことなんじゃないかと思う。よって私は自分のすべての制作物に対する著作権を完全に放棄することを宣言します」ってね。
日比野:ほんとに、伊島さんみたいに思い切った姿勢が必要な時代なのかもしれない。僕らが世に出た頃は、クリエイティブが確かな「産業」として存在していたけれど。今はライツがどう、著作権や肖像権がどうのこうのということばかりで、一方でクリエイティブがまったく「産業」には程遠い存在感になってしまっている。
鈴木:東京美術学校(現・東京藝術大学美術部)創設の頃の主任教授だった黒田清輝は、法律を学ぶためにヨーロッパへ留学したのに、 画家へ転向して帰ってきちゃったから。成果物を見せなきゃならないところもあって、帰国後は彼が師事した印象派を広めたんだよね……日本のアートシーンはそのあたりもゆがんでいるのかも。
日比野:ほんと、そうなんです。
鈴木:今の美術史って印象派から教えちゃうわけですよ。開国して、一気に西洋の美術が入ってきてしまうので当時の最先端というか、同時代美術をまず伝える。理想的には古代エジプト、古代ローマなどを始まりに、3000年くらいを費やしてロマネスク、ルネサンス、バロック、ロマン主義があって、ようやく印象派にたどり着くと教えるべきなのに。
日比野:本当にそうです。黒田清輝がたった10年ヨーロッパにいただけで何が学べるんだと。
伊島:そうやって、黒田清輝に怒っている日比野くんがさ……。
日比野:……はい?
伊島:いつのまにか東京藝大の学長になっているって、めちゃくちゃ面白いよね(笑)。それってだれが決めたの?
日比野:僕がなろうとしてなったわけではなくて、下の年代の人間から突き上げられた格好なんですよ……。一回りくらい下の年代の教授陣から、「日比野、なんとかしろ!」ということで、神輿に乗せられたわけです。
鈴木:長い年月の間にひずんできた日本のアート・芸術界を、日比野学長が正していくわけです(笑)。
日比野:まだ途上にありますけどね……。腹蔵なくこんな話ができたのも、こういう場所あってこそですね。
遠山:場所のエネルギーを感じますよ。野沢場ラウンジ、最高! 料理も素晴らしかったです!
鈴木:今日はありがとうございました。また伺ってもいいですか?
伊島:もちろん。だけど、いっぺんには押しかけないでね(笑)。完全要予約制です!
Information
伊島 薫×三浦憲治at野沢場ラウンジ
2024年12月頃開催予定
10:00〜19:30(最終入館/19:00)
所在地・連絡先は非公開
来館希望は以下のURLから
▶︎http://www.izimakaoru.jp/nozawaba/lounge01.html
「F. 日比野克彦ライブペインティングavec VR 脳はダマせても ⇄ 身体はダマされない」
金沢21世紀美術館(シアター21)
2024年9月20日(金) 開場18:00 / 開演18:30〜21:00(途中休憩有)
入館料:無料(予約不要) ドリンク・カウンター:run by one one otta(有料)
定員:80名
石川県金沢市広坂1-2-1
Tel:076-220-2801 (金沢21世紀美術館 学芸課)
▶︎https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=25&d=2127
ルドン×アートまるケット「日比野克彦ライブペインティング avec VRルドン/脳はダマせても⇄身体はダマされない#03」岐阜県美術館(展示室2 ほか)
2024年9月27日(金)~12月8日(日) 10:00〜18:00
入館料:無料
※休館日:月曜日(祝・休日の場合は翌平日)
※10月18日(金)、11月15日(金)は20:00まで夜間開館
※展示室の入場は、閉館の30分前まで
岐阜県岐阜市宇佐4‐1‐22
TEL:058-271-1313
▶︎https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/events/2024artmarket-2/
profile
1954年、京都市生まれ。1980年代から、主に音楽やファッションの分野でカメラマンとして活動。 2000年ごろからドイツを皮切りにヨーロッパ各地やアメリカを中心に、 『死体のある風景(Landscapes with a Corpse)』シリーズを展開。 その後『ONE SUN』『あなたは美しい』『針と糸そしてけむり』などの作品を発表。 近年は、カメラを使わない写真「スクリーンショット・シリーズ」を展開中。
profile
1958年、岐阜県生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、同大学大学院修士課程を修了。大学在学中より段ボールを使った作品で注目を浴び、修了後間もない86年にシドニー・ビエンナーレに参加。95年にはヴェネチア・ビエンナーレに参加し、顔が描かれていない赤ん坊《AURO》をはじめ、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件を経た日本社会を反映した作品を出品。近年は各地で一般参加者とその地域の特性を生かしたワークショップを多く行う。2015年より岐阜県美術館館長、2022年より東京藝大学学長。
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/
profile
1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
▶︎https://twitter.com/fukuhen