名ソムリエがいる、居心地のいいビストロを訪ねて
午前中に訪れた「MGVsワイナリー」を後にし、周囲に広がる勝沼のブドウ畑をのんびりと散策すること約15分。ゆるやかな傾斜を上った少し先に、目的の三角屋根の一軒家レストランが見えてくる。「ビストロ・ミル・プランタン」だ。
同店のオーナーは、フレンチの名店「銀座レカン」で長年チーフソムリエを務めてきた五味𠀋美さん。ということで、少しばかり緊張しながら扉を開けたのだが、そんなこちらの緊張を察してか、五味さんは「田舎のビストロなんで、どうぞ気楽にしてください」と屈託のない笑顔とともに温かく迎え入れてくれた。
八角形のドーム状になった店内は、天井が高く、大きな窓越しに勝沼のブドウ畑を見渡せる明るい雰囲気。五味さん自身もシャツにジーンズ、エプロン姿と、ビストロらしいカジュアルな装いだ。親しみやすい自然体のサービスも実に心地いい。
窓際の席に通されると、テーブルの上に敷かれているのは勝沼周辺のワイナリーマップになっているランチョンマット。聞けば、五味さんが考案し、イラストレーターの福永由美子さんに描いてもらったオリジナルだという。
「皆さん、ワインを飲みながら、ランチョンマットでそのワイナリーがある場所を確認します。ワイナリーによっては、窓から実物のワイナリーも見えるんですよ。お食事の後はランチョンマットを持ち帰って、ぜひワイナリー巡りにお役立てください」
「ビストロ・ミル・プランタン」から徒歩10分圏内には、10軒ものワイナリーが密集している。ワイナリーを数軒はしごしてから「ミル・プランタン」でワインと食事を楽しんでもいいし、その逆もまた然り。こういう贅沢な楽しみ方ができるのも、ワインカントリーにあるビストロならではだ。
甲州ワインとともに、山梨の旬の味わいを
さて、山梨県出身の五味さんが勝沼の地に「ビストロ・ミル・プランタン」を開業したのは2010年のこと。ワイン業界の第一線で活躍するソムリエとして世界中のワイン産地を旅するなかで、改めて勝沼のブドウ畑のある風景の素晴らしさや、そこで造られるワインや食材のおいしさに気づかされたのだという。
取り扱うワインは、山梨県産のものをメインに常時250種類ほど。甲州市内のワイナリー38軒のうち、勝沼エリアを中心に30以上ものワイナリーのワインをストックしている。またグラスワインを常時10~12種類と豊富に揃えているのも、地元のさまざまなワインを気軽に試してほしいという想いから。
一方、食材も甲州麦芽ビーフや信玄鶏、キングサーモンとニジマスを掛け合わせた富士の介、南アルプス産ベビーリーフなど、県外ではあまり知られていない地元のものを積極的に使用している。特に野菜やフルーツは、五味さんが勝沼に移住してから自ら生産者のもとに足を運び探し出してきたものばかりだ。
実際に味わってみると、どの野菜もハッと驚かされるくらいに新鮮で、味自体が濃い。ニンジンならニンジンの、クレソンならクレソンの味がちゃんとするのだ。もちろん肉や魚も言わずもがな。これに地元のワインを合わせておいしくないはずがない。
「調布や国立など東京の西のほうにお住まいのお客さまは、銀座に行くよりも勝沼のほうが感覚的に近いとおっしゃいます。キレイな空気を吸って、自然に囲まれて食べるほうが料理もワインも断然おいしい、と。そしてなにより勝沼のほうが値段も安いですから(笑)」
五味さんの穏やかな話しぶりに耳を傾けながら、土地の食材と土地のワインを堪能する心地よいひととき。もしも近所に住んでいたなら週末ごとに通いたい……、 そう思えるビストロがある。そんな豊かな暮らしを思わず想像してしまう素敵な出会いだった。
Spot information
ビストロ・ミル・プランタン
山梨県甲州市勝沼町下岩崎2097-1
▶︎https://mille-printemps.com/
美しきニッポンの山里風情が漂う湯宿
せっかく山梨まで足を運んだなら、やはり温泉も楽しみたい。近隣にはいくつか天然温泉が湧き出ており、気軽な日帰り温泉から情緒あふれる温泉宿まで、さまざまな施設が点在している。この日向かったのは勝沼エリアから車で20分ほど、甲州市の北部を流れる笛吹川のほとりに佇む温泉宿「笛吹川温泉 坐忘」だ。国道140号線沿いに架かる小さな橋を渡ると、笛吹川と竹林に囲まれた静かな山里があり、そこに一軒宿として「坐忘」が構えている。
約8000坪の敷地には小川が流れ、錦鯉が泳ぐ池を中心に本館や離れ、食事処などが配されている。敷地内のどこにいても竹林と裏山を背景にした日本庭園が見え隠れし、喧騒からは遠く離れたどこまでもゆったりとした時間が流れている。
この日案内されたのは、ベッドルームと12畳の和室から成る全8室の「別邸 離れ」。それぞれに専用の露天風呂が付き、また部屋によって趣も異なるという。その他、本館にも洋室の離れや和室の離れ、池を望む特別室などがあり、宿全体で23の客室を用意している。
客室で荷解きをしてひと息ついたら、部屋にも専用の露天風呂が付いているものの、やはり大浴場へと向かいたい。
地下約1000mから湧き出る笛吹川温泉の湧出口温度は43~44℃。ゆえに自然のまま利用できる理想的な温泉といえる。また泉質はpH値(水素イオン濃度)が9.6と極めて高いアルカリ性を有しながら、お湯自体の感触はいたってマイルド。高いpH値のお湯が肌の古い角質を取ってくれることから「美人の湯」とも呼ばれているそうだ。過度の長湯は禁物だが、「坐忘」名物の洞窟露天風呂に入ることもお忘れなきように。
築140年の古民家で味わう、茶料理とワインのマリアージュ
野趣あふれる大浴場で旅の疲れを癒やした後は、軽くドレスアップして「別邸 離れ」の小路を抜けた先にある食事処「懐石まる喜」へ。ここで供されるのは、一汁三菜からスタートし、料理長自らが点(た)てる薄茶で締めくくる茶懐石。コース自体は9~10品から成り、それぞれ四季折々の山里の滋味あふれる食材が並ぶ。
例えば、看板メニューの「乾徳山アマゴの炭火焼き」は、笛吹川の上流にある乾徳山の麓で育ったアマゴを使用。これを生きたまま輸送して敷地内の池で泳がせておき、焼き上げる直前にさばく。さらには備長炭(うばめがし)でじっくり焼き上げることにより、その繊細な香りまで存分に楽しんでもらおうという趣向だ。この「アマゴの炭火焼き」を目当てに、たびたび「坐忘」に足を運ぶリピーターも多いという。
これらの料理に合わせるべきは、なんといっても地元のワインにほかならない。ワインリストには同宿のグループ企業であり、現存する日本最古のワイナリー「まるき葡萄酒」のワインが常時20種類ほど並ぶ。茶懐石と甲州ワインのマリアージュ。そんな粋な楽しみ方もまた、勝沼の旅ならではの贅沢といえるだろう。
疲れた心と身体にじんわりと染み込む温泉の心地よさ。どこか懐かしい畳の匂い。旬の食材の滋味深い味わいを堪能する夕餉……。東京にもスパや温浴施設は数あれど、都会の喧騒から離れた温泉宿で得られる癒やしには代えがたい。温泉があるエリアに暮らしの拠点を持てたら、そして気が向いたら近所の温泉宿にふらりと泊まるような、そんなライフスタイルを思い描きながら眠りについた。
Spot information
笛吹川温泉 坐忘
山梨県甲州市塩山三日市場2512
▶︎http://www.fuefukigawaonsen.com/
ワインカントリーでの暮らしを彩るベーカリー
ワイナリー、ビストロ、温泉宿と、もう十分すぎるくらい勝沼周辺の魅力を堪能した翌日。帰りがけに地元で評判のベーカリー「パンテーブル」にも立ち寄ってみることにした。ブドウの観光農園が並ぶ国道411号沿いにある「パンテーブル」に到着すると、小さな駐車場はすでに満車。にもかかわらず、次々と山梨ナンバーの車がやって来るではないか。
「パンテーブル」は地元勝沼出身の女性オーナー、奥山美紀さんが2005年に開業したベーカリー。国産小麦粉を100%使用し、自家製の天然酵母と白神山地の天然酵母を使い分けながらこだわりのパンを焼き上げる。「香りは外国産の小麦を使ったほうが強く出るのですが、国産小麦のほうがパンの味わいがやさしくなります」と奥山さん。
安心、安全はもとより、時には原価率の高い山梨県産の小麦粉を使ったり、県のブランド豚であるワイン豚を使ったりと、試行錯誤を繰り返しながら地産地消にも力を入れている。地元のレストランやカフェにもパンを卸しているそうで「うちのパンはワインにも合うんですよ」とのこと。旅の最後に、昨日「MGVsワイナリー」で購入したワインに合わせていくつかパンを買い求めたのだが、ついつい買いすぎてしまったことを記しておこう。
「ワイン産地のベーカリーのパンは、きっとワインに合うはず」という勝手な思いつきで訪ねたのだが、結果的に大当たりだった。次はいつ来られるだろうか。ひっきりなしに来店する地元の人々を羨ましく思いつつ、小さなベーカリーを後にした。
Spot information
パンテーブル
山梨県甲州市勝沼町休息1360
勝沼を旅して思う、「これからの暮らし方」
今回、勝沼周辺を旅して感じたことは、東京から車でわずか1時間半ほどの場所なのに、この土地にはワインというカルチャーが深く、しっかりと根づいているということ。サンフランシスコの郊外にナパやソノマがあるように、東京の郊外には勝沼がある。そんな「ワインカントリー」が意外と近くにあることに、改めて気づかされた。
個性あふれる数々のワイナリー、豊かな土壌に実る果物や野菜、それらを堪能できるビストロや温泉宿、そしてすがすがしい空気と素晴らしいランドスケープ。こんな土地に、東京以外の暮らしの拠点がある人生も悪くない。ディアルライフを思い描きながら巡った1泊2日の旅は「これからの暮らし方」の確かなヒントとなった。