日本屈指のフルーツカントリー、勝沼へ
東京都心から車で約1時間半、中央自動車道の笹子トンネルを抜けて勝沼I.C.あたりまで来ると、目の前の風景が大きく開け、左右にグリーンのブドウ畑が広がるようになる。
鉄道であれば新宿駅から勝沼ぶどう郷駅までは1時間半強。山の中腹を沿うように走る中央本線の車窓からも、眼下に一面のブドウ畑を望むことができ、遠くには甲府市街や南アルプスの山々も見える。
甲府盆地の東端に位置する甲州市は、旧勝沼町、旧塩山市、旧大和村が2005年に合併して誕生した。典型的な扇状地である勝沼エリアや塩山エリアは、その独特な地形と気候を生かして古くからブドウ栽培が行われてきた。特に勝沼は日本のワインづくり発祥の地。甲州市だけで38ものワイナリーがあり、その多くが勝沼エリアに集中している。
ブドウ畑とワイナリー、観光農園がひしめく勝沼の街なかを散策していると、民家の軒先に必ずといっていいほどブドウ棚が設置してあることに気付く。強い日差しを避けるためのブドウ棚は、いわば天然のバルコニーシェード。ブドウ棚の木陰で農作業にいそしんだり、のんびりとお茶を楽しんだりする光景はなんとも微笑ましい。奈良時代に高僧の行基がこの地に伝えたとされるブドウづくりは、1300年の時を経て、勝沼の人々の穏やかな暮らしぶりにしっかりと根づいているようだ。
ちなみに山梨県はブドウと桃の栽培面積、生産量が日本一。初夏はサクランボ、夏から秋にかけてはブドウと桃、そして冬から春にかけてはイチゴと、一年中フルーツに事欠かない。勝沼エリアはそんなフルーツ王国・山梨のシンボルといっていいだろう。
このテロワールでしか表現できないワインを
この日向かったのは、旧勝沼町の街なかを流れる日川のすぐ脇に構える「MGVsワイナリー」だ。同ワイナリーは2017年4月に開業したばかり。しかも、もともとは半導体の製造工場だったという。
鮮やかなグリーンの先に見えるスタイリッシュな黒い建物は、ワイナリーというよりはデザインホテルのような佇まい。川面を吹き抜ける風はどこまでも爽やかで、ここだけカリフォルニアのナパやソノマのような空気感が漂っている。かつて半導体の工場だったとはとても思えない。
それにしても、なぜ半導体の工場をワイナリーにしようと思ったのだろうか?
「フランスでコニャックづくりをしている友人がいるのですが、彼から『コニャックは50年単位でものづくりをしている。だから私は祖父が仕込んだコニャックを売り、孫のためにコニャックを仕込んでいる』という話を聞いて、感銘を受けたのがきっかけです」
そう話しながら出迎えてくれたのは「MGVsワイナリー」代表の松坂浩志さん。なんでも半導体事業のサイクルは年を追うごとに短くなり、近年ではせっかく培ってきた技術も5年もすれば使いものにならなくなってしまうという。最先端の技術を追いかけてばかりでは、人材も育たず、地域にも貢献できない。そう考えた松坂さんが目をつけたのが、ワインだったのだ。
実は松坂さん自身、勝沼町のすぐ隣にある笛吹市一宮町生まれ。明治時代から続くブドウ農家の4代目であり、自らプライベートワインを委託醸造するほどのワイン好きでもある。「この土地でしか表現できないものをつくりたい。そしてそれを次の世代へと引き継ぎたい」。そんな思いから、松坂さんは半導体事業のうち勝沼の工場の事業は海外へと移し、生まれ育ったこの地でワインづくりをスタートさせた。
よいワインは、よいブドウから
松坂さんが愛犬のルイスとともに案内してくれたのは、ワイナリーのすぐ横にあるブドウ畑。ワイナリー自体の住所は甲州市勝沼町等々力だが、小道を隔てたブドウ畑は笛吹市一宮町卯ツ木田となる。まもなく収穫を迎えようとしていたブドウの樹には、丁寧に笠がけされたブドウが美しく実っていた。訪れた日はまだ残暑が厳しい9月初めだったものの、ブドウの樹の木陰に入るだけで空気が涼やかに感じられた。
「このあたりは日川に沿って『笹子おろし』という冷たい風が吹くのですが、この風がないと、ブドウに香りが出ません。風のおかげで、夜には十分に気温が下がり、昼夜の寒暖差が大きくなる。この寒暖差がワインにしたときの香りと果実味に繋がるんです」(松坂さん)
「MGVsワイナリー」では周辺にいくつものブドウ畑を所有しているが、いずれの畑も川のそばにあり、畑の中を涼風が吹き抜けるそうだ。また、栽培するブドウ品種は、基本的に白ワイン用の「甲州」と赤ワイン用の「マスカット・ベーリーA」の2種類のみ。ともに世界的にはマイナーなブドウ品種だが、古くから勝沼周辺で栽培されてきた品種であり、勝沼というテロワールを余すところなく表現するには「この2種類のブドウしかない」という。
ほかにも、秋雨をやり過ごすためにブドウの樹の発芽をあえて遅らせたり、日本式の棚仕立てでもヨーロッパ式の垣根仕立てでもないオリジナルの三段式仕立てを一部で採用したり、果実味を凝縮させるためにひと房になるブドウの実を3分の1に減らしたりと、半導体製造メーカーらしい緻密なブドウづくりを実践している。
「よいワインをつくるには、まずはよいブドウづくりから」
松坂さんがそう言いながら、ブドウを愛おしそうに見つめる姿が印象的だった。
半導体工場としてのDNAをワインづくりに
さて、ひと通りブドウ畑を見せてもらった後は、お待ちかねの試飲タイム。ワイナリーに戻り、エントランスを入って右手にあるテイスティングルームへと向かった。スタイリッシュな外観同様、ワイナリーの内装もすっきりとクリーンな印象にまとめられている。
それもそのはず、醸造施設やセラーなどは半導体工場時代のクリーンルーム(外気中の不純物を取り除く空気清浄システム)をそのまま活用しているという。配管やバルブ、グレーチングといった什器類もインテリアとして再利用。半導体づくりに使用していた窒素タンクも、そのままワインの鮮度保持(酸化防止)に役立てているそうだ。
こうした半導体工場としての遺産をあえて活かすようなブランディングを担っているのが、アートディレクター兼デザイナーとして活躍するMTDO(エムテド)の田子學さんだ。この日はたまたま居合わせた田子さんにも話を伺うことができた。
「半導体とワインというと別次元のことのように思われるかもしれませんが、ものづくりとしての根本は一緒です。ワイナリーを訪れた方には、半導体製造メーカーとして培ってきた精緻なものづくりのDNAを感じてほしいですね」(田子さん)
「MGVsワイナリー」ではワインをアルファベットと3桁の数字の組み合わせで表記しているのだが、これも田子さんの発案によるもの。物事を体系立ててロジカルに考えることが得意な半導体製造メーカーとしてのキャラクターをワイナリーのブランディングに反映させたという。アルファベットがKなら甲州、Bならマスカット・ベーリーA。1桁目の数字はブドウの収穫地を、2桁目は仕込みの方法を、3桁目は製造方法をそれぞれ表している。
例えば「K131」なら、ブドウ品種は甲州(K)、勝沼町産(1)、仕込みはフリーラン+プレス混合(3)、ステンレスタンク発酵(1)という意味だ。
「車のモデルナンバーみたいでしょ(笑)。ワインを飲んだ方に、どこで、どんなふうにつくられたワインなのか、ワインに込められたストーリーをトレースしてほしいんです」(田子さん)
実際にいくつかワインを試飲してみると、同じ甲州種のワインでも水はけの良い勝沼地区のものと標高500mの丘陵地帯にある韮崎市穂坂地区のものとではキャラクターが異なる。同じ品種、同じ産地のワインを製造方法の違いで飲み比べてみるのも興味深い。よく「酒はつくられた場所で飲むのが一番美味しい」といわれるが、つい先ほど訪れたばかりのブドウ畑のワインを飲むことは、旅における最高の贅沢かもしれない。
いろいろと迷った挙句、ワイナリーのすぐ裏手にあるという勝沼町下川久保の単一畑の甲州を使用した「K131」と、ワイナリーから歩いて10分ほどの勝沼町下岩崎のマスカット・ベーリーAを使用した「B153」をお土産として買い求めた。
朝、東京を出発して、「MGVsワイナリー」のブドウ畑を見学し、テイスティングルームで試飲を重ねたというのに、まだ正午過ぎ。東京から勝沼は思った以上に近い。少し酔いを醒ますために、ブドウ畑をのんびりと散策しながら、高台にある評判のビストロへと向かうことにしよう。
次回後編では、勝沼エリアを代表する名店「ビストロ・ミル・プランタン」でランチを楽しみ、同じ甲州市内の笛吹川温泉に構える湯宿「坐忘」に投宿。さらには地元の人々に愛される自家製天然酵母仕込みのベーカリー「パンテーブル」を訪れる。憧れのカントリーライフのヒントになるような、豊かな暮らしにつながる発見の旅へ。
Spot information
MGVsワイナリー
山梨県甲州市勝沼町等々力601-17
▶︎https://mgvs.jp/