美術館でも博物館でもない、アートを体感する測候所へ
国道135号線を熱海方面に向かい、真鶴の手前、根府川の信号を右折してつづら折りの坂道を上っていくと、やがて急斜面に沿って蜜柑畑が広がるようになる。右に左にとカーブを曲がるたびに、蜜柑畑の奥にコバルトブルーの相模湾がきらめく。
「日本のアマルフィ」といったら少し大袈裟かもしれないが、東京からわずか2時間弱の場所に、こんなに壮大なランドスケープが広がっているとは……。
今回の旅の最初の目的地「江之浦測候所」は、まさに相模湾を眼下に望む蜜柑畑の真ん中に位置している。見学は完全予約制。3,000円(事前予約。当日予約は3,500円 ※ともに税別)という入館料も、アート施設としては決して安いものとはいえないだろう。にもかかわらず、連日多くの来館者が押し寄せているという。そもそも「江之浦測候所」とはなんなのだろうか。
手掛けたのは、現代美術作家の杉本博司氏。世界各地の海をモノクロプリントで切り取った「海景」シリーズで知られる写真家であり、その活動は彫刻やインスタレーション、演劇、建築、造園、と多岐にわたる。また、かつてニューヨークで古美術商を営んでおり、世界有数の古美術コレクターとしても知られるところだ。
現代の数寄者(すきしゃ)、杉本博司氏の原点であり、集大成
その杉本氏の最初の記憶は「子どもの頃、旧東海道線を走る湘南電車から見た海景だった」という。
「熱海から小田原へ向かう列車が眼鏡トンネルを抜けると、目の醒めるような鋭利な水平線を持って、大海原が広がっていた。その時私は気がついたのだ、『私がいる』ということを」(杉本氏)
そんな自身の原点ともいえるランドスケープに導かれるように、この場所に「江之浦測候所」を設立した。構想10年、建設10年を経て、2017年秋に開館。杉本氏はコンセプトについてこんなふうに記している。
「悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれがアートの起源でもあった。新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し点の夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う」と。
「人の最も古い記憶」を現代人の脳裏によみがえらせる
相模湾を望む広大な敷地に、ギャラリー棟や石舞台、光学硝子舞台、茶室、庭園、門、待合棟などで構成される「江之浦測候所」は、杉本氏の掲げたコンセプトどおり、冬至や夏至の朝日の方向をもとに設計されている。
例えば「冬至光遥拝隧道」。冬至の朝には、相模湾から昇る太陽の光がこの70mの隧道(トンネル)を貫き、対面に鎮座する円形石舞台の巨石を照らし出す。これは冬至が世界各地の古代文明において、死と再生の節目として祀られてきたことに起因する。つまりは「人の最も古い記憶」を呼び覚ます壮大なオブジェ、という訳だ。
隧道と平行して、冬至の軸線に沿って建てられた「光学硝子舞台」は、檜の懸造り(かけづくり)の上に光学硝子を敷き詰めた作品。もちろん冬至の朝には、舞台の中央の位置から太陽が昇るように計算されている。
一方「夏至光遥拝100メートルギャラリー」は、夏至の朝に海から昇る太陽の光がギャラリー全体を駆け抜ける仕組みだ。海抜100mの地点に立ち、長さも100m。大谷石と硝子板から成るギャラリーには杉本氏の「海景」シリーズが展示され、その先の海に突き出すような展望スペースからは「リアルな海景」を望むこともできる。
また能舞台の寸法を基本とした「石舞台」と、千利休作と伝えられる国宝「待庵」を写した茶室「雨聴天」は、春分と秋分の日の出の軸線に合わせて設計されている。
その他、鎌倉・明月院の正門として室町時代に建てられた「明月門」、北大路魯山人が買い求めたという「古信楽井戸枠」、飛鳥時代のものとされる「法隆寺 若草伽藍礎石」、杉本氏の化石コレクションを展示する「化石窟」といったお宝や作品群が、敷地内に所狭しと点在している。
内なる声に耳を澄ませ、自分自身と向き合う場所
「コンセプトを聞くと少し難しく思われるかもしれませんが、予備知識は必要ありません。むしろ、まっさらな気持ちでお越しいただくほうが感じることは多いと思います。ここは単に鑑賞するのではなく、五感で体感しながら、内なる自分自身と向き合う場所。杉本が仕掛けたアートを通して、ご自由に想像をめぐらせてみてはいかがでしょうか」
そう話すのは「江之浦測候所」を運営する小田原文化財団コミュニケーション・ディレクターの稲益智恵子さん。実際に、一人で訪れ、静かに自分だけの世界と向き合う来館者も多いそうだ。また季節や時間帯、あるいは天候によって、江之浦測候所の佇まいは大きく変化するという。
「杉本は個人的に『雨の江之浦がいい』と言っているくらいです(笑)。いずれにせよ、普通の美術館と違って階段を上ったり下りたり、竹林や蜜柑畑を行ったり来たりするので、動きやすい格好でいらしてください」(稲益さん)
アートとも建築ともつかない不思議な空間をひと通り巡ったあと、目の前に広がる相模湾と蜜柑畑を眺めていると、この場所が美術館でも博物館でもなく、測候所である理由が少しだけわかるような気がした。
Spot information
小田原文化財団 江之浦測候所
神奈川県小田原市江之浦362-1
※完全予約・入れ替え制
※予約の詳細、および最新の休館・営業時間等の詳細情報は下記オフィシャルサイトをご確認ください
▶︎https://www.odawara-af.com/
天然木の色や木目を生かした、現代の用の美
続いて足を運んだのは、小田原市内にある箱根寄木細工の老舗工房「露木木工所」。創業は1926(大正15)年。現在は3代目の露木清勝さんと4代目の清高さんを中心に、伝統の技術や技法を守りながら、現代のライフスタイルにも溶け込む寄木細工を通じて豊かな生活への提案を発信し続けている。
箱根の山を控えた小田原界隈は平安時代から木工芸が栄えた地。また小田原城築城のために全国から集められた腕利きの大工や職人がそのまま住み着いたとされる。さらに箱根山系は日本でも指折りの樹種が豊富な土地柄でもあった。
こうした条件が重なり、江戸時代末期、天然木を寄せ集めて幾何学模様を描き出す箱根寄木細工が生まれたといわれている。当時から、東海道を行き交う旅人や箱根を訪れる湯治客に大変な人気を博したという。
一見プリントのようにも見える寄木細工だが、その精緻な模様を構成するのはすべて天然の木の色。
「例えば、白ならミズキ、黄色ならニガキ、緑ならホウノキ、黒なら2000年以上地中に眠っていたとされるカツラやケヤキの神代木、といった具合です」
そう説明してくれたのは4代目の清高さん。これらの多種多様な木材を細長く削り出し、いくつもの木片を組み合わせて、寄せる(接着する)ことで、幾何学模様を描き出していく。こうして出来上がった「種木」を鉋(かんな)で薄く削ったものが「ズク」と呼ばれ、「種木」を直接ロクロなどで削り出したものは「ムク」と呼ばれる。
職人の手仕事により、モダンに昇華した伝統工芸
ギャラリーに展示される「露木木工所」の作品は、いわゆる土産物店で見かけるような典型的な箱根寄木細工とは趣を異にしている。一言でいうと、モダンなのだ。
清高さんが手掛けた抹茶椀は、縞寄木という手法を用いたストライプ柄の作品。あえて暗い色みの木材を組み合わせ、そのなかでミズキの白が大きなカーブを描くことで、奥行きのある立体感を生み出している。これまでの寄木細工のイメージを鮮やかに裏切ってくれることだろう。
「伝統的なパターンはありますが、木の色と柄の組み合わせは職人次第。表現の幅も広く、新しい模様が生まれる可能性はまだまだ残されています。ウチは初代から新しいことに挑戦してきた工房なので、伝統をリスペクトしつつも、自由にやらせてもらっています」(清高さん)
ギャラリーには定番モノも含めて複数の作品が展示されているが、たとえ同じ作品でも、天然木を使用しているだけに、それぞれに微妙に表情が異なる。まさに一期一会。気に入った作品に出合えたら、旅のよき思い出として、さらには毎日の暮らしにちょっとした彩りを添えるアイテムとして、持ち帰ってみてはいかがだろう。
次回後編は、小田原・沼津を巡る旅の2日目。沼津へ移動し、まずは景勝地・千本松原に佇む伝統的な数寄屋建築をモダンなゲストハウスとしてよみがえらせた宿「沼津倶楽部」を訪ねる。また、「BARの街」として知られる沼津市内で話題のBARも詳しく紹介。さらなる発見のある旅へと誘う。
Spot information
露木木工所(ギャラリーショップ)
神奈川県小田原市早川2-2-15
※最新の休業日・営業時間等の詳細情報は下記オフィシャルサイトからご確認・お問い合わせください
▶︎https://www.yosegi-g.com/