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泉麻人が散策する「渋谷 宇田川町」――閉業する渋谷西武とハンズを偲ぶ、宇田川町散歩
泉麻人の「東京カルチャーストリート」

泉麻人が散策する「渋谷 宇田川町」――閉業する渋谷西武とハンズを偲ぶ、宇田川町散歩

ファッション、音楽……最先端の若者文化を発信してきた街

コラムニスト・泉 麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載。第21回は「渋谷 宇田川町」。渋谷西武とハンズの閉店を控えた、変化を遂げつつある界隈を歩いた。

Text by Asato Izumi

この秋、西武の渋谷店、さらにハンズの渋谷店と、70年代から80年代にかけての渋谷文化を牽引(けんいん)してきたデパートが閉店することになった。どちらの立地も渋谷北西部の宇田川町なので、閉店間近の両者に立ち寄りながら、宇田川町散歩を試みることにした。

58年の歴史に幕を閉じる渋谷西武。
渋谷西武A館の壁面には、渋谷西武との思い出エピソードや、閉店までのカウンドダウンの電光掲示板が設置されていた。
48年の歴史があるハンズ渋谷店は、11月に閉店予定。

‟ヤングマン“の聖地として一世を風靡した「渋谷西武」

井ノ頭通りの入り口の両側に西武百貨店のA館とB館がオープンしたのは1968年の4月、僕は小学6年生に上がった春だ。それ以前の渋谷のこのあたりに来た記憶はないのだが、古写真を眺めると駅寄りのA館の場所には、頂きに塔看板を掲げた渋谷松竹、B館のところには三井銀行と渋谷国際という映画館が立っている。B館の西隣り(奥)にも80年代の初めくらいまで渋谷パレスという、エロ気味の洋画をかける小劇場があって、中高生の頃に横目をくれながら通り過ぎたものだ。

1962年に撮影された、井ノ頭通り入り口交差点付近の風景。左から渋谷松竹、松竹地下劇場、渋谷パレス座、渋谷国際などの映画館が並ぶ。後に両側は西武百貨店になった。写真:池田信撮影/毎日新聞社/アフロ

ところで、手元に渋谷駅の東口から北西の方をとらえた古い写真が1枚ある。これはおそらく玉電の最終運転の日に使い始めたばかりのカメラ(リコーオートハーフ)を持って撮影にきたときのものだから、69年の5月の初め頃だ。確か、当時珍しくなってきた小型車のダットサンを見かけたのでシャッターを切った(スナップの真ん中に写っている)はずだが、背後の左側には東急東横店の東館、右奥の富士銀行の向こうにピカピカした西武の赤いマークの看板も垣間見える。

泉さんが撮影した、69年の渋谷駅周辺の風景。歩道の影は東急文化会館と思われる。写真:泉 麻人

実際、僕が渋谷の西武によく行くようになったのは、B館地下1階に〈Be・in〉と呼ばれるフロアーができてからだ。原宿にあるようなブティックや輸入レコードの店……などを並べて、確か通路も曲がりくねった迷路状に仕立てたこのフロアーのオープンは70年の秋だというが、68年4月13日の開店広告の店内案内に「B館地下1階=ヤングマン・レクリエーションフロア おしゃれ、スリル、サウンド…ヤングマンの溜り場ファッションラウンジをはじめ、スポーツ、レジャー用品のすべてが揃っています」とあるから、コンセプトはすでに当初から固まっていたのだろう。

高校生だった72、73年頃、トラッド系よりも英米ロックにカブれたコンチ系(ロンドンブーツなどを愛好する)のオシャレ小僧が、この〈Be・in〉のなかの「NEBUSTAR」というブティックのビニール袋をサイドバッグに使っていた印象が残っているのだが、検索してもそれっぽい書き込みは出てこない。いくつかスペルを変えてやってみたが該当記事は見当たらないから、僕のカン違いか、かなりレアな店だったのかもしれない。

さて、今回の散策もまずB館のB1フロアーからアプローチしたが、全体が展覧会会場になっていて、〈Be・in〉時代の面影は感じられなかった。渋谷西武の構造的な特徴は、3階と5階部に設けられた、井ノ頭通りをまたぐ“渡り廊下”だが、B館から3階廊下を渡ってA館2階の一画で催されていた「ピンク・レディー50周年祭」の資料展を眺めてから外へ出た。

渋谷西武のA館とB館をつなぐ渡り廊下。

西武の渡り廊下越しにも見渡せる井ノ頭通りの景色は、50年くらい前と大きくは変わっていない。西側はY字の二又のところに宇田川町交番があり、その背後に「角海老」の大看板を出した雑居ビル、雑踏の中の一方通行路を阿佐ヶ谷行きのバスがたまに走っていく。沿道のビルの高さも僕のヤングマン時代とさほど変わりないけれど、オシャレ質屋のKOMEHYO(米兵)なんかは新しい店舗風景だ。商店会の関係なのか、この井ノ頭通り沿の街灯にも〈渋谷センター街〉と表示されている。

渋谷西武の渡り廊下の下を通る井ノ頭通り。右手にKOMEHYO、奥に角海老の看板が見える。

大人の遊び心をくすぐるグッズの宝庫だった「東急ハンズ」

宇田川町交番の右側を進むと、公園通りの方からくる道との角にハンズがある。と、書いていて、頭に「東急」と付かないのが物足りないのだが、もう業務的にも東急グループから離脱してしまったようだ。ここが「東急ハンズ」としてオープンしたのは1978年の9月だから、渋谷西武のおよそ10年後。さっき西武でポスターやレコードの展示を眺めたピンク・レディーが人気のピークにあった頃で、大学4年の僕は就職活動をちゃらんぽらんとしながら、サタデー・ナイト・フィーバー・ブームのディスコで踊りまくっていた。ちなみに西武の場所は映画館だったが、こちらハンズの敷地には教会(聖パウロ教会)が立っていた。

1969年に撮影された、聖パウロ教会(写真右、1973年に目黒区に移転)。跡地が東急ハンズになった。この坂道は後にオルガン坂と呼ばれ、上っていくと公園通りにいたる。写真:池田信撮影/毎日新聞社/アフロ

ハンズは東急の冠こそ取れたものの、館内の雰囲気はほとんど変わっていない。1A、1B、1C、2A……と、あまり苦痛にならないほどの階段を上って行くと、アウトドアーやパーティーグッズ、組み立て式の家具のコーナーなどがある。ドン・キホーテが台頭する前は、年末の宴会シーズンになると、ここにウケ狙いの冗談グッズ(レーガン大統領のゴムマスクとか)を物色しにきたものだった。

ハンズ渋谷店の店内。フロアが階段で細かく分かれているのが特徴だ。

78年のオープンというと、おそらく雑誌『ポパイ』のライヴ版のようなコンセプトだったのだろうが、生活雑貨のスグレモノがいろいろあって、いまも十分イケそうなショップだけれど、店じまいするということは、やはりオンラインの普及でモノの買い方が変わってきた、ということなのかもしれない。

洋楽レコード店がひしめいた、宇田川町の路地裏

公園通り側から下ってくる坂はオルガン坂と名づけられて、道標まで立っているけれど、僕がよくきた80年代の頃、そんな呼び名は浸透していなかった。音楽関係の店が多かった……というのが由来の一説のようだが、それでオルガンってのはちょっと苦しい(もしや、聖パウロ教会から聞こえてきたオルガンが源かも……)。オルガンとはあまり結びつかないが、タラコ味に代表される和風スパゲティーの祖とされる「壁の穴」のバラック建ての店があった対面の路地を斜めに入っていった界隈は、輸入モノの洋楽レコード店の密集地帯で、渋谷西武の〈Be・in〉内店舗から始まったその世界の草分け「CISCO(シスコ)」もこの界隈に長らく存在した。

路地を少し奥へ行った、左手の階段(井ノ頭通りの方へ下りる)脇の柳光ビル本館という5階建てビルの前にシスコと柳光ビルの歴史を記したプレートが出ている。シスコは渋谷西武〈Be・in〉の頃に海賊版の類いをそれとなく物色したのと、この柳光ビルの時代にUKファンクの12インチ盤の何かを買ってブルーのビニール袋に入れてもらった記憶がぼんやりとある。週刊TVガイドの編集部でNHK担当記者をしていた80年代初め頃ではないだろうか。そう、その時代、NHKの人にランチをごちそうになった、穴場のような料理店がこの階段上のあたりに何軒かあった。輸入レコードといえば、通称シスコ坂の階段を下りて井ノ頭通りに行きあたった、いまのサイゼリヤのところにタワーレコードの日本1号店があった(非公式の店が札幌に先行して存在したという)。

通称「シスコ坂」と呼ばれる階段の右側が、2007年に閉店した「シスコ」が入っていた柳光ビル。

井ノ頭通りをNHKの方へ向かって歩いていくと、ひと頃までビデオスタジオのあった側にはABEMAのタワービルが聳(そび)え立ち、右側にはShibuya LOVEZというイマっぽい劇場ができあがっていた。LOVEZではどうやらアニメゲーム系のショーをやっているようで、ちょうど開演前だったのか、玄関の宣伝看板にスマホ(カメラ)を向ける若い人たちが群がっていた。

新しい建物が少し奥まって建てられているところから察して、この辺の井ノ頭通りもおそらく近く拡幅されるのだろう。そのせいもあるのか、NHKセンター下の信号左角にはもう随分昔から廃屋の雰囲気を漂わせていた木造下宿屋のような建物がまだ残っていて、僕は思わずカメラを向けた。

ここだけ時が止まったかのような一角が急に現れる。写真:泉 麻人

泉麻人のよそ見コラム

宇田川の暗渠道で

木造下宿屋のような古びた建物が残る「NHKセンター下」の信号のところを左に曲がると、やがて緑道に差しかかる。町名のもとでもある宇田川の暗渠道で、1960年代の東京オリンピックの頃までは、ドブ川ではあったものの外目に川水が眺められた。上流の代々木八幡近くは河骨(こうぼね)川とも呼ばれて、童謡の「春の小川」のモデルとされている。

僕がこの道を歩くようになったのは、週刊TVガイドのNHK担当記者をやっていた80年代の初め頃で、いまよりもずっと裏ぶれたムードが漂っていた。少し渋谷よりのあたりに1軒、小さなヤキトリ屋があって、ちょうど店前にひょろっと1本桜が植わっているので、花見の季節になるとなじみのNHKのディレクターに連れられていって、ここで1杯やった。もはやヤキトリ屋も桜も見あたらないが、代々木公園の方から広がってきたような、リゾート気分のカフェが目につくようになってきた。

オシャレプロムナード化しつつある宇田川緑道をNHKの方へと北上していくと、昔ながらのモルタル造りの平屋を見つけた。「TV人形劇 着ぐるみ制作 光子館」と窓やトビラに記されたこの物件はTVガイドのNHK担当記者時代から見おぼえがある。各TV局の幼児番組に関わっている制作工房のようだが、場所的に見てもNHKの風土を感じる物件だ。そう、風土物件というと、渋谷名物・ハチ公ソースのオフィスもこの少し先にある。

profile

泉 麻人

1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。近刊に『「冗談画報」という楽しい番組があった』(三賢社)。

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