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泉麻人が散策する「成城」――学園とシネマの郊外タウン
泉麻人の「東京カルチャーストリート」

泉麻人が散策する「成城」――学園とシネマの郊外タウン

都内屈指の邸宅地と自然豊かな崖地の街

コラムニスト・泉 麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載。第16回は、昭和初期に学園都市として設計された高級住宅街「成城」。小田急線の成城学園前駅を始点に、緑豊かな邸宅街を通って雑木林が残る成城台地西端の崖地を抜け、東宝スタジオまでを歩いた。

Text by Asato Izumi

新しい学園都市構想から生まれた街

小田急線の成城学園前駅で降りると、改札のすぐ目の前にワインショップの「エノテカ」があるのがいかにも成城らしい。この駅(ホーム)が地下になってからけっこう経つけれど、北口に出てすぐ横にある「村田永楽園」という生花店は地上に駅(2階が改札)があった時代からここにある古い店で、その先の「成城石井」こそ、いまや各所に見られる人気スーパー「成城石井」の本拠なのだ。

成城学園前駅北口と駅前商店街(1972年)。左手に「イシイ」の看板を掲げた石井食料品店(現在の成城石井)、右手には靴店や雑貨店が見える。写真提供:成城学園教育研究所
現在の成城学園駅北口を駅前商店街方面から。右手に見えるのは「成城コルティ」。2002年の小田急線の立体化・複々線化によってホームが地下化され、改札のある地上階は2006年に4階建ての駅ビルに生まれ変わった。

この店が石井食料品店として創業した昭和2年(1927年)は小田急線の開通とともに成城学園前の駅が開設された年であり、駅名のもと・・となった成城学園は2年前(大正14年)に開校している。といっても、すでに成城の名を付けた小中学校は新宿区原町にあった(いまも中学・高校が存在する)。そこに小原國芳という商才にも長けた敏腕主事がいて、氏が開通間近の小田急に「新しい学園都市構想がある」と提言して実現したのが、成城学園と郊外住宅によるこの街なのだ。やや先行して開発、宅地分譲が始まった東急の田園調布を少なからず意識したに違いない。

1950年代の成城学園正門。1928年に大谷石の門柱が設置されたが、門扉はなく、代わりに堂々とした松の大木が中央にそびえている。写真提供:成城学園教育研究所
現在の成城学園正門。門柱は昔のままで、松の大木の位置は変わっているが、その存在感は健在だ。「街や社会に開かれた学園」という建学理念のとおり、いまも門扉はない。

「成城石井」の先の十字路のあたりから桜の並木が目につくようになってくるけれど、ここに来ると僕が昔から愛好する植木 等のコメディ映画『ニッポン無責任野郎』(無責任シリーズ第2弾・昭和37年)の冒頭シーンを思い出す。いまも角に「成城パン」というパン屋の入ったビルがあるけれど、このパン屋と化粧品屋の見える辻で植木がテーマ曲「無責任一代男」をスイスイと調子よく歌い踊るのだ(よく見ると、直前に電車を降りた駅は東急線の自由が丘駅なのだが…)。そう、成城にはこの映画の制作・配給元の東宝もあって、成功した芸能人の邸宅も多い。

映画『ニッポン無責任野郎』の冒頭シーンは成城学園前駅周辺で撮影された。写真は、主役の源均(植木等)が北口近くの商店街で長谷川部長(ハナ肇)にぶつかるシーン。『ニッポン無責任野郎』© TOHO CO., LTD.

桜並木の邸宅地から自然豊かな崖地へ

駅前から続く桜並木の道を北上、学園は東側だが、今回は西側のほうを中心に歩いてみよう。いかにも年季の感じられる桜は、西進する路地にも植えこまれ、そういう樹木が豊かなせいもあるのだろう、玄関先の路端をホウキで掃く人の姿が目に入るのが、なんとなく懐かしい。僕が幼い頃にテレビでやっていた『少年ジェット』の科学博士が住んでいたような古い洋館や軽井沢の別荘風の屋敷がぽつぽつとあるのも成城の街の特徴だ。

成城学園前駅入り口の交差点から北に向かう閑静な邸宅街一帯には桜並木が続く。

成城六間通りの一角に成城一番というバス停(奥のほうには二番、三番、四番も)があるけれど、これは分譲当初の区画番号のようなものだろうか。この六間通りを越えると成城富士見通りというのがあり、さらに西奥の台地際を通る道にカシオ電機の樫尾氏の旧邸を使ったミュージアム「樫尾俊雄発明記念館」がある。建物のすぐ裏は成城台地西端の崖地で、南方には「成城みつ池緑地」の豊かな森が広がっている。発明をする科学者や研究者にとっては絶好の環境かもしれない。みつ池緑地は天然のホタルも棲息する場所…と聞くが、残念ながらそういうおもしろそうな秘境めいた一帯はフェンス張りされていて、入ることはできない。そんな緑地の脇の道端には、〈たぬきに注意〉なんていう、東京区部では珍しい警告板が掲げられていた。

特別保護区に指定され、武蔵野の原風景が残る「成城みつ池緑地」内の散歩道。その奥に広がる豊かな森は貴重な動植物が生息しているため公開は制限されている。

往年の成城屋敷から富士見百景の橋へ

この「成城みつ池緑地」を背にしたところにもう一軒、「旧山田家住宅」という一般公開の素敵な洋館が立っている。渋赤色のフランス瓦(かわら)、黄土色スクラッチタイルの支柱が並んだポーチ…などが目にとまる洋館は、戦前にアメリカ貿易で成功した実業家が昭和12年に建てたもので、戦後GHQに接収された後、山田盛隆という画家の住まいとなった。往年の成城屋敷の気分が体感できるスポットとして貴重だ。

「成城みつ池緑地」内にある区指定有形文化財の「旧山田家住宅」。昭和12年(1937年)ごろに建てられ、当時の設計意図がそのまま維持されている。入場無料で住宅内にはカフェもある。

この家の前の坂をくねっと下っていくと、喜多見不動というのがあるのだが、下らずに二又を直進すると小田急線の上に架かる不動橋に差しかかる。成城学園前駅寄りにもうひとつ富士見橋というのがあって、こちらのほうが“富士見百景の名所”として知られているが、狭い不動橋のほうは車も通らず、散歩をする者には快適だ。小田急線のホームが地下化以降、線路上はフタをするように区民農園が広がっているが、かつては崖の間の渓谷のような、橋下の線路を走りぬける小田急線が眺められた。そう、先日ローカル局で再放送されていた山口百恵の「赤い」シリーズを連続して観ていたら、しばしばこの不動橋が使われていた。なるほど、向こうの富士見橋との距離も近いから、橋上のショットを狙うには都合がよかったのだろう。

関東の富士見百景にも選ばれている小田急線上の富士見橋から不動橋越しに富士山を望む。

不動橋を渡って小田急線の南側に入ると、こちらも緩やかに湾曲した道に沿うように、大きな家が並んでいる。橋を渡ってすぐ右手に口を開けたカエデ並木の私道めいた砂利の路地、ちょっと先あたりからは古めかしい垣根の緑が続いている。この辺の町名は成城3丁目だが、野川が流れる喜多見の側の横道に入ると、とんでもなく急な坂に出くわしてびっくりする。

里山風の雑木林を抜けて東宝スタジオへ

明正小学校の傍らにも成城三丁目緑地という里山風の雑木林が残されているが、崖のちょっとした谷間に湧水が見られる。以前、横溝正史の作品ロケ地探訪のような取材でこの辺を歩いたことがあったけれど、横溝が戦後暮らした家も成城南側の一角にあり、東宝と思しき映画撮影所を見渡す丘や現在の大蔵住宅の端に存在した沼…などが小説に描かれている。

竹林や雑木林が残されている世田谷区立「成城三丁目緑地」。写真中央の谷間には湧水が流れている。

明正小学校の門前から成城消防署の前へ出て、バス通りを下っていくと、やがてサミットストアの向こうに東宝のスタジオが見えてくる。箱型のオフィスのようなスタジオビルが並んでいるが、白い外壁に描かれたゴジラや三船敏郎の『七人の侍』の写真イラストが目に残る。ここに東宝の前身、「PCLスタジオ」が設置されたのは昭和7年というから小田急線開通のたった5年後。成城住宅南側の外れの田園地帯が広がっていた時代で、戦後も『七人の侍』の頃は傍らの仙川沿いの湿田で戦闘シーンがロケされたと聞く。

東宝スタジオの空撮写真(1962年)。左端部分は現在、「サミットストア成城店」になっている。画像提供:東宝株式会社
東宝スタジオのエントランス手前でゴジラの巨大なペインティングが来訪者を迎えてくれる。

東宝スタジオの入り口の坂を下った世田谷通りに、渋谷のほうへ行くバスの「東宝前」という停留所がある。もう成城の街の南端だが、この辺が成城1丁目1番地なのだ。

泉麻人のよそ見コラム


成城のアルプス

成城学園前駅の北口を少し喜多見側に行ったところに「成城アルプス」という、この街に根づいた洋菓子屋さんがある。並びの「成城飯店」も昔からの中華料理店だが、こちらのアルプスも昭和40年(1965年)の開店というからもう60年。1階がケーキなどの洋菓子を陳列した売場で、傍らの階段を上がった2階に喫茶室が広がっている。高級な質感のじゅうたんを敷きつめた応接サロンのような空間。ひと頃まで六本木の西麻布寄りのほうにあった「クローバー」とか、昔の東京には1階でケーキを売って、2階でお茶が飲めるこういうタイプの店がけっこうあったものだが、最近は珍しくなった。

この日も散歩の途中にちょっと立ち寄って、ひと休みした。はじめはコーヒーだけにしよう、と思っていたのだけれど、メニューを開いてケーキセットの品目を見た途端、やっぱりケーキも食べたくなって下の売場のショーケースを眺め、結局定番のモカロールに決めた。開店当初からのメニューというこの店のモカロールは、珈琲風味のスポンジケーキに織り込まれたバタークリームの渦巻模様が実に上品で美しい。

ところで、本文で富士(見)の話を書いたけれど、店名のアルプスは、スイスのアルプスのほうではなく、店を立ちあげた長野出身の先代が眺めて育った木曽の日本アルプスをイメージしたものらしい。

profile

泉 麻人

1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。近刊に『昭和50年代 東京日記』(平凡社)。

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