昨今、耳にする機会が増えた「サードプレイス」とは、本来、「ファーストプレイス」(自宅)および「セカンドプレイス」(職場)とは別に存在する、「居心地の良い場所」のことを示す。ストレスの多い現代社会において、序列や権威勾配から解放され、利害や評価、責務を伴わないそうした場所の重要性を、1989年にアメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグが自著『ザ・グレート・グッド・プレイス(The Great Good Place)』で説き、注目されるようになった。
一般的には、公園、カフェ、ジム、サウナ、図書館、コワーキングスペース、あるいは必ずしも空間と紐づいていなくても、クラブ活動、同好会、サークルなどがそれに当てはまる。ブランディング・エージェンシー「artless Inc.」の代表であり、グラフィックから建築空間まで、デザイン領域における包括的なディレクションを生業(なりわい)とする川上シュンさんが、軽井沢という場所にサードプレイス的な拠点を置くようになったのは2020年。家族のなかで最も積極的に動いたのは、料理家でフード・ディレクターの妻・川上ミホさんだった。
きっかけは「子どもを思い切り外で遊ばせたい」
ミホさん(以下、敬称略):はじまりは私が仕事でフードラボとしてセカンドハウスをつくろうと、自然の近くで過ごせる土地を探していたんです。サステナビリティなど自然環境への意識も高まって、都市だけでなく自然から得られる新たな感覚があるだろうと感じていて。さらに、成長するにつれ運動量も多くなる娘を、思い切り屋外で遊ばせてやりたいと思っていたのもきっかけです。東京の夏の猛暑ではそれが叶わない日も多くて。それに都心では公園などでも禁止事項が多すぎますよね。そうして娘のヒノキが4歳のとき、軽井沢に移住しました。セカンドハウスの工事を進めているなかで、軽井沢の広大な敷地で、3歳から15歳までの子どもたちを学び遊ばせる「軽井沢風越学園」が開校すると知り、そこにも魅力を感じました。
シュンさん(以下、敬称略):ミホとヒノキは生活の拠点を軽井沢に移して、入学も決まりました。僕は仕事があるので東京の住まいはそのままに、週末に軽井沢へ赴く2拠点生活がスタートしました。最近は基本的に木曜日の夜から月曜日の朝まで軽井沢に滞在しています。ミホとヒノキにとってはここがファーストプレイスなのですが、僕にとってもやはり家族のいるここがホーム。ファーストプレイスであり、サードプレイスであるという感じです。
ミホ:その前は京都と東京に拠点があり行き来していたので、私たち夫婦にとって2拠点生活はすでになじみのあることでした。私の仕事も夫の仕事も、デスクの前だけでするような内容とは少し違いますし、彼は軽井沢でも仕事をするので、ファースト、セカンド、サードという位置づけが明確にはならないかもしれません。
シュン:軽井沢で取得した敷地の中にある10平米の小屋が僕の書斎みたいな感じで、そこで思索をしたりプランをまとめたり、あるいはコーヒーを飲みながら音楽を聴いたりするので、そこもひとつのサードプレイス的空間と言えるかもしれません。今年購入したキャンピングカーもまたひとつのサードプレイス。最近は中で映画を観たり、睡眠をとったりしています。すごくよく眠れるんですよ。東京では得られない良質な睡眠です。もちろんこの車に乗って家族でキャンプにも行くので、みんなにとってのサードプレイスでもあります。
軽井沢の「適度な都会感」と「アクセスの良さ」が決め手
シュン:僕は深川で生まれて東京のカルチャーはだいたい見てきたので、軽井沢で自然を学びたかったんです。自然のことを勉強するのに軽井沢は最適でした。東京から新幹線で1時間という軽井沢のアクセスの良さが何よりも決め手でした。必要に応じて東京に出向くことも容易で、東京とさほど変わらないサービスや物質的なモノが得られる。それでいて周囲にはふんだんな自然があるという魅力的な環境に惹かれて。自然といっても本格的にワイルドな荒々しい自然ではなく、アクセスしやすい自然というのもいいし、程よく都会なので生活するうえではほとんど不自由がありません。
ミホ:私の実家が埼玉県の熊谷にあることも、軽井沢を選択するうえではポイントでした。私たちが住んでいる場所は軽井沢の中でも中軽井沢に近く、旧来の別荘文化がある旧軽井沢とは少しカラーが異なります。ニューファミリー層が多いので溶け込みやすいというメリットがあります。デザイナーやクリエイター、スタートアップの経営者など、比較的親和性のある方々とのコミュニティが形成されつつあるのを感じます。その一方で、地元の農家の方などと接する機会もあります。数年前から車で30分ほどの小諸に畑を借りて野菜を育てているのですが、そこでは土地の方にいろいろと助けていただいています。
シュン:畑はミホにとってのサードプレイスのような場所でもありますね。サードプレイスっていくつあってもいいと思うんですよね。キャンピングカーを購入した後、それに乗っていつでも行ける場所が欲しくなり、軽井沢から自動車で1時間ほどの、長野県上田市の森の中に小さな土地を買いました。僕らにとって最新のサードプレイスはそこかな。車を置けるように整地しただけで、何も建っていない場所なのですが、いずれそこにまた小さな小屋をつくっても面白いし、その場所が与えてくれる気づきやエネルギーは、僕の仕事にも反映されます。サードプレイス的な場所があることのメリットを感じていたら、どんどん増えてきた感じですね。
ミホ:あらゆる場所にすべてを完備するのではなくて、足りないものは地域のものや自分たちで補うスタイルです。このキャンピングカーは、キッチン機能は充実していなくて、お湯を沸かせる程度。シャワーはありますがまだ使っていません。上田に行くと、日帰りで入浴できるなかなかいい温泉施設があって、そこでいただくお食事も美味しいんです。キャンプグッズは夫の趣味なのでいろいろありますし、星空の下で煮炊きするのも楽しくて。
親子3人で自然から得る学び
ミホ:ヒノキが通う「軽井沢風越学園」は、幼稚園児から中学3年生までの年齢差12歳がいくつかのクラスで一緒に学ぶ方法をとっているんです。先生はスタッフと呼ばれていて、あくまでも子どもの自主性を伸ばすお手伝いをするという役割。さらに保護者が自主的に学びの場に参加するケースも多く、料理を教えたり、読み聞かせをしたり、自由に課外授業を企画して参加しているかなり振り切った教育方針だと思いますね。義務教育の間はもちろん教科書はあるのですが、基本的には自習スタイル。一年を通じて柱となるのが、「プロジェクト」というもので、何かをつくってもいいし、何かを研究して発見を報告するということでもいい。火薬を使ってロケットを研究している子もいます。
ヒノキ:私は今「水の研究」をしています。水はどこから来て、どこに向かうのか、とか。「水」がつくことわざを集めて、マンガみたいにして本をつくったりもしました。
ミホ:少し風邪気味でも「絶対に休まない」って、学校に行くのが大好きなんです。東京ではいわゆる英語のプリスクールに通っていて、風越学園に移ったばかりの数か月は結構戸惑っていたんですけどね。鉛筆は持たなくてもいいのかとか、お行儀よくしていなくちゃいけないとか、でも夏休みころには泥風呂に入って泥だらけになって帰ってきました。環境や自然探求というのは学びのベースにあって、とくに幼稚園の頃は自然にまみれて遊ぶことがメイン。
ヒノキ:いまは年に3回くらいみんなの前で自分のプロジェクトを発表するんです。(※ヒノキちゃんは現在9歳)
ミホ:そういうプロセスって社会とつながっている気がします。私たちがやっていることとあまり変わらないというか。そんな環境もあって、ヒノキは今年から「MIRAI WO TSUKURU」という株式会社の社長になりました。代表取締役は私ですが、もともと発案したのはヒノキです。「森を守りたい」というのは2、3年前ぐらいから言い始めていて。そんなことを大人が聞くと、「へえ、偉いね」と言われるのが関の山で、子どもの話だと思って本気で受け止めてくれないのが不満だったみたいです。それで会社にして社長になれば、 真剣さが伝わって、大人もしっかり話を聞いてくれるのではないかということで。
ヒノキ:名刺もあります。
ミホ:すると、軽井沢で国有林の藪(やぶ)刈りの活動を長年している「まつぼっくりの会」の方などと面識ができて、一緒にネイチャー活動をすることになりました。森の手入れをすることで、野生動物を守る活動を一緒に企画したり。知識や経験のある方々に出会って話を聞いたり。漠然としていたことが、結構具体化しています。
シュン:温暖化の問題などは、ヒノキたちの世代にはよりネイティブな問題になっていますね。そういう意識は僕らよりも高いように感じます。僕自身もここで数年過ごすことで、五感が開かれたのを実感します。匂いや気温に敏感になりました。鳥の声も最初は漠然と「鳥」だったのが、今は時間帯によって鳴く鳥の声の違いがなんとなくわかるようになったし、カラスって本当に夕方鳴きながら帰るんだなとか。暗さもそうですね。ここは夜にはちゃんと暗くなるじゃないですか。時間や季節を肌で感じるようになりました。
ミホ:今は火をおこすのもお手の物だけど、最初は結構まごついていたよね。寒くなってきたこのごろは外に出たと思うと、あちこちで火をおこしている。
シュン:ぼうっと火を見ていると、なんだか満ち足りてしまいますよね。でも居心地が良すぎて、いかんいかん、自然への感受性は高まっているけど、トレンドへの感受性を失ってしまうのではないか、とハッとして東京へ戻る、みたいな日々です(笑)。仕事柄、最も刺激的な東京のシーンにもまだ十分に魅力を感じますし。それでも、最近ビジネスの世界などでよく登場する「サステナビリティ」とか「レジリエンス」とか「エシカル」とか、これらはみんな自然と関わりのあることだから、そのへんを軽井沢で体得できたのは大きいですね。
ミホ:自然の中に身を置いたときの回復力ってやはりすごいですからね。
シュン:僕の場合、インプットを増やさないとアウトプットも増えないから。軽井沢に拠点を持つことでやっぱりインプットは増えました。多少不便なところはあっても、やはりポジティブな選択かなと思っています。
距離が離れているからこそ、親密になる家族の関係
シュン:僕は月曜日から木曜日までは東京、木曜日から日曜日までは軽井沢、というサイクルで過ごしています。ミホやヒノキと顔を合わせるのは週のだいたい半分ですが、会っているときはいろいろな話題を共有し、東京にいたときにはないコミュニケーションが生まれていますね。友人関係にも変化が生じ、家族ぐるみの付き合いが増えて、より親密な関係が築かれている実感があります。
ミホ:こうしたスタイルなので、家族が物理的に離れていることは多いのですが、かえってお互いのスケジュールを把握するようになり、共有するものも多くなったと感じます。私とヒノキとの関係でも、東京にいた頃は私もフルで働いていたので、ベビーシッターサービスも利用していました。今は学校に通っているから、実際一緒にいる時間は前よりも少ないのですが、しっかり向き合えているという実感はあります。
シュン:それと周辺住民の方とかのコミュニケーションも東京より多いですね。ここの付き合い方は結構家族ぐるみが多いんです。 住んでいる人同士もそうだけど、東京の友人も呼びやすい。東京では個人対個人で仲の良い人は多いけど、家族ぐるみってわりと限られています。 東京から遊びに来てくれる友達も家族単位が多い。
ミホ:ピザ窯で一緒にピザをつくったり、夫は友達とバレルサウナによく入っています。普通、東京で友達の家のお風呂に入るってあんまりないじゃないですか。滞在時間も自ずと長くなります。
シュン:みんながなかなか帰らないもんね(笑)。緩やかな家族みたいな感じで過ごしていくんです。
ミホ:私たちも全然気にしないし、そうやってみんな好き好きに過ごしてくれればいいなって思います。母屋は仕切りのない空間で、カーテンのない大きな窓から敷地が見渡せるから、なんとなくそれぞれの気配を感じていられます。彼らにとってのサードプレイスになっていてくれたら嬉しいです。
シュン:サードプレイスはやはりパブリックな側面も持つべき場所だと思う。家族、友達、地域の人などとシェアするということがポイントだと思います。結構、そのへんのサードプレイスとか家に対する考え方はみんな緩くなっているように思いますね。
ミホ:そのときの状況に合わせて変えていってもいいのではないかと思います。私たちだってこの先もずっと軽井沢に住むかはわかりませんし。
シュン:サードプレイスはつくる過程がすごく楽しい。そしてできた後、拡充させるのもまた楽しいですよね。目下、サードプレイスの中にサードプレイスをつくる楽しさを味わっています。
「サードプレイス」の提唱者オルデンバーグは、その定義として8つの条件を挙げている。
1,中立性のある場所
2,すべての人に平等な場所
3,会話が重視される場所
4,アクセスしやすい場所
5,常連のいる場所
6,控えめだが安心感のある場所
7,陽気な雰囲気のある場所
8,第二の家となる場所
川上家の軽井沢の家は、以上の条件と照らし合わせたとき、多くのポイントで一致することがうかがえる。社会の流れとともに変化するさまざまな「居場所」。その中に心地よさを見出すには、複数の「プレイス」を持つことが、これからの私たちの豊かさを大きく広げてくれるのではないだろうか。