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駅前の賑わいと、住宅街の静寂のコントラスト「浜田山・荻窪・吉祥寺」
街歩きの風景

駅前の賑わいと、住宅街の静寂のコントラスト「浜田山・荻窪・吉祥寺」

別荘地としての面影が残る、著名人に愛された街

その街に住んでいるように街を歩き、文化、息づかい、地形の起伏などを感じていく本連載。今回、歩いたのは杉並区の一部(浜田山、荻窪、西荻窪)と、武蔵野市吉祥寺界隈だ。この一帯は、明治期以降、別荘地として注目され、当時の上流階級の別荘や邸宅が多く存在した。広い庭があり、凝った意匠の家屋がある邸宅の多くは、ここ30年で集合住宅へと姿を変えている。しかし、文化的かつ健康的な街の雰囲気は変わらない。その理由を考えつつ、街から街へと歩いていった。

Text by Aki Maekawa
Photographs by Takashi Mishima

大企業の保養施設が公園に。緑豊かな浜田山

浜田山は、北側に善福寺川、南には神田川が流れる間の地域にある。駅前には活気あふれる商店街が広がっており、そこに邸宅街が隣接しているところが特徴だ。いったい、どのような歴史を辿ってきたのだろうか。

浜田山駅前の商店街。全国チェーン店もあるが、ワインの品揃えがいい酒店や、フランス菓子店、庶民的な食堂など個性が光る個人商店も多い。

1933(昭和8)年に帝都電鉄 (現京王井の頭線)の渋谷~井の頭公園間が開通し、浜田山駅が設けられた。とはいえ、農業地のままであり、戦前までは田畑が広がるのどかな地域だった。近代化が加速したのは、地名が現在の「浜田山」になった1969(昭和44)年頃だ。

地名の由来は江戸時代の米問屋・浜田屋の所有地があったことだという。一帯は高台なので「山」と呼ばれ、浜田屋の山だから、浜田山になったという説が有力だ。

戦後の地図を見ると、住宅地として急速に発展していったことがわかる。1960年ごろまでは田畑が目立つが、ところどころに、広い邸宅が存在し始め、その後大小の住宅が一気に増えていく。住宅の周辺には、大企業の運動場、農業研究所などがあり、現在の地図を見ると、それらの広大な土地はマンションや公園になっていた。

駅前から3分ほど歩くと、突然邸宅街が広がる。第一種低層住居専用地域で低層の建物ばかりだ。
邸宅や公園が多く、空が広いことも浜田山の特徴。

杉並区で最大規模の公園「柏の宮公園」(約5ヘクタール)は、かつて日本興業銀行(現みずほ銀行)のグラウンドだった。芝生が広がっており、愛犬を連れた人や、子供たちの姿も目立つ。園内には興銀グラウンド時代からの茶室(林丘亭・1959〈昭和34〉年築)と日本庭園がある。さらに、約300㎡の水田も。ここには高度経済成長期以前の風景が残されており、私たちの目を和ませてくれる。

このエリアのもうひとつの公園は、「三井の森公園」だ。人の手がほぼ入っておらず、里山の原風景を今に伝えている。園内には、美しい欅並木や桜並木のほか、珍しい野生のランも自生しており、昆虫や野鳥の姿も見られる。

この公園の隣には、3万坪の土地に瀟洒なマンションが並ぶ「パークシティ浜田山」がある。海外の高級住宅地のようなモダンな雰囲気が特徴だ。ここには、かつて三井グループの「三井上高井戸運動場」(浜田山グラウンド)があった。当時の面影は、1935(昭和10)年築、久米権九郎(久米設計創立者)設計のクラブハウスが伝えている。

パークシティ浜田山は総戸数522戸、2009年築。浜田山駅まで徒歩4分の立地ながら豊かな緑が楽しめる。

浜田山は邸宅街に隣接する公園があり、交通の便もいい希有な土地だ。幹線道路「井ノ頭通り」沿いには、レクサス、BMWなどのディーラーがある。中でも高級外車・ポルシェを扱う「ポルシェセンター浜田山」は「日本一ポルシェが売れる」という風説がある。実際にこの街を歩くと、道幅が広く運転しやすいことがわかる。

水と緑の気配を感じながらしばし歩くと、「和田堀公園」に着いた。

木々を渡る爽やかな風に、ほっと一息つく。公園が多い杉並区でも“緑の濃さ”は屈指だという。近くには大宮八幡宮、善福寺川緑地もある。この週辺も邸宅が多い。調べると一帯は和田掘風致地区に指定されていた。

善福寺川が流れる和田堀公園内には旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡があり「松ノ木遺跡」と総称されている。

かつては鎌倉と並ぶ別荘地だった街、荻窪

荻窪には現在も人気を誇る版画家・棟方志功、小説家・井伏鱒二、歌人・与謝野晶子、児童文学作家・石井桃子ほか多くの文化人が住んでいた。現在も文化の薫りが漂う。

武蔵野の雰囲気を感じつつ、浜田山から荻窪まで歩く。庶民的な商店街と邸宅街が層のようになっていることに気づいた。

まず、向かったのは、「荻外荘(てきがいそう・近衞文麿旧宅)」だ。ここは、1937(昭和12)年から1945(昭和20)年まで内閣総理大臣を3度務めた政治家・近衞文麿の邸宅跡だ。善福寺川北岸の高台にあるこの邸宅に、当時の外相・松岡洋祐、陸相・東條英機などが訪れ、昭和前期の政治を左右する重要な会議を行ったという。

近衛文麿は、1891(明治24)年、華族筆頭の家柄であった近衞家の長男に生まれる。戦争を回避するために尽力したが、その努力は灰燼となり、終戦後は戦争犯罪人容疑者に指定されてしまう。1945年12月、巣鴨拘置所に出頭する日の朝、ここで自らの命を絶つ。

彼がここに住み始めた理由は、体が弱く、空気のきれいな土地を求めたからだという。荻窪はかつて「西の鎌倉、東の荻窪」と言われていた別荘地だったのだ。前の住人は大正天皇の侍医・入澤達吉。荻外荘という名は、政治家・西園寺公望が名付けたという。歴史に名を残す人物が登場する土地だ。

2016年に国の史跡に指定され、現在は整備中の荻外荘。戦後には、内閣総理大臣・吉田茂や、その息子である健一と娘の和子が一時期住んでいた。
2016年に国の史跡に指定され、現在は整備中の荻外荘。戦後には、内閣総理大臣・吉田茂や、その息子である健一と娘の和子が一時期住んでいた。

荻窪といえば、多くの文化人が住んでいたことでも知られる。特に有名なのは、音楽評論家の大田黒 元雄(1893〈明治26〉-1979〈昭和54〉年)だろう。彼の邸宅跡は「大田黒公園」として整備され、高低差を生かした回遊式日本庭園が目を楽しませてくれる。

園内で注目したいのは、「大田黒公園記念館」(旧大田黒元雄邸・国登録有形文化財)だ。この1933(昭和8)年築の美しいレンガ色の建物は、内部も公開されている。館内には大田黒氏愛用のピアノ(1900年スタインウェイ社製)、蓄音機、菊や龍の木彫が施されたテーブルセットなどがあり、当時の上流階級の生活を今に伝えている。

格子のガラス窓やリビングの大きな開口部など、外観からも凝った設計が見て取れる。荻窪は、このような建物が数多あることで、モダンで閑静な邸宅街として歴史を重ね、現在も人気を誇っているのだろう。

大田黒公園の門は、総檜、切妻づくりの瓦ぶきという典型的な日本建築。
モダンな住宅が多いのも荻窪の特徴。電柱広告の「角川庭園」とは、角川書店の創立者で俳人の角川源義の邸宅「幻戯山房(げんぎさんぼう・1955〈昭和30〉年築)」(国登録有形文化財)のことだ。近代数寄屋建築の美しい建物は一般公開されている。
大田黒公園の周辺は、戦前まで別荘地だった。

戦前の邸宅街の面影が残るのは、1931(昭和6)年築「西郊(せいこう)ロッヂング」(国登録有形文化財)だ。現在も宿泊施設として営業が続いており、当時の雰囲気を伝えている。

青銅の屋根が特徴的だ。「ロッヂング」とは英語で「下宿」という意味。写真左奥に新館があり、アパートとして貸し出されている。
庶民的な雰囲気の「荻窪南口仲通り」には、明治時代創業の古書店、ライブハウスもあり、文化の街であることがわかる。荻窪の邸宅地が人気なのは、こうした駅周辺の商店街が繁栄し続けていることも理由の一つ。

名門校や女子大学がある文京地区・西荻窪

荻窪から西荻窪に歩いていく。すると、大正・昭和初期の建物に多い、洋館付きの和風住宅があった。玄関の横に洋室のような部屋が付随しているのだ。名作アニメ『となりのトトロ』の主人公一家が住んでいた住宅と似たつくりだ。

調べると、「一欅庵(いっきょあん)」という施設で、アートの展示やワークショップ、演奏会、落語会などのレンタルスペースとして貸し出されていた。

1933(昭和8)年築。宮大工が建てた家屋は、テレビの美術番組などにも取り上げられている。

荻窪も西荻窪も、戦前からの邸宅街でありながら、道が広く区画が整然としている。戦前の地図を見ても、道はまっすぐで、道路は直角に交差している。

邸宅街として同様の歴史がある世田谷区では、細い農道が現在も使われており、車が四苦八苦しながらすれ違う様子をよく見る。一方、杉並区は全体的に道が整備されているのだ。その理由を調べると、地元出身の政治家・内田秀五郎(1876〈明治9〉-1975〈昭和50〉年)が100年先を見越して道路整備をしていたことがわかった。

彼は30歳という若さで井荻村(当時)の村長になる。1925(大正14)年から土地区画整理事業に着手し、たった10年で道路を整備した。ほかにも西荻窪駅や西武鉄道(現西武新宿線)3駅の誘致、郵便局の開局、金融機関の設立、水道や電気のインフラ整備、教育の充実など多くの偉業を成し遂げていた。

いい街には、街を強く愛し、人生を捧げる人物が存在する。杉並区の大半は、内田秀五郎がその役を果たしていた。偉業を後世に伝える銅像が「善福寺公園」にあるという。早速、行ってみることにした。

善福寺川までの道にはアンティークショップや喫茶店、オーガニック食品店、スタイリッシュな飲食店などがあり、活気にあふれていた。学生の姿が多く、地図を見ると都立高校、私立中高一貫校などがあった。西荻窪は学生街の顔もあるのだ。

善福寺公園内の「善福寺池」は、神田川の源流のひとつ。湧水量も多く、武蔵野三大湧水池の代表格だ。

善福寺公園は公式SNSで「杉並の奥座敷」と自称している。その言葉の響き通り、喧騒を離れ、澄んだ空気を吸っていると、どこか郊外の別荘地にいるような気持ちになる。

周辺を歩くと、東京女子大学(1918〈大正7〉年創立、初代学長・新渡戸稲造)があった。白壁が美しい本館(1938〈昭和15〉年)に見とれてしまう。水平と垂直の直線で構成するデザインは、フランク・ロイド・ライト(1867〈慶応2〉- 1959〈昭和34〉年)建築の特徴でもある。調べるとライトではなく、弟子の建築家・アントニン・レーモンド(1888〈明治21〉-1976〈昭和51〉年)の設計だった。彼が手がけた「南山大学」のキャンパスや、「軽井沢聖パウロカトリック教会」など。ほかにも多くの名建築が日本に現存する。

類は友を呼ぶではないが、優美な建物の周囲には、普遍的な美しさを持つ建物が多い。善福寺公園の周辺には、シンプルだが存在感ある邸宅が並び、街全体の格調の高さを感じる。

善福寺川周辺には低層邸宅が並ぶ。内田秀五郎の尽力により1930(昭和5)年から風致地区に指定されているからだ。自然の風景と住宅が融合しており街並みが美しい。

住みたい街の代名詞的存在、吉祥寺

吉祥寺は駅の内外に大規模商業施設があり、魅力的な個人店が並ぶ商店街が広がっている。映画館、劇場、美術館、ギャラリー、コンサートホールなど文化施設も多く、街を歩いているだけで、多くの刺激を受ける。

吉祥寺の発展の契機は、1899(明治32)年、「甲府鉄道」(現JR中央本線)の駅として吉祥寺駅が開業したことだ。利便性が高まった1917(大正6)年に「井之頭恩賜公園」(現「井の頭恩賜公園」)が開園。日本で最初の郊外型、皇室の御領地の下賜による公園だ。当時、周囲には別荘が存在したという。

吉祥寺駅前の雑多な商店街。道幅は狭いが、バスも通る。武蔵野市は交通問題解決も含む施策「吉祥寺グランドデザイン2020」を進めている。

1921(大正10)年に「東京女子体操音楽学校」(現「東京女子体育大学」)、1925(大正14)年に「成蹊高等学校」(現「成蹊大学」)が移転してくる。1934(昭和9)年には帝都電鉄(現京王井の頭線)吉祥寺駅が開業。さらに1938(昭和13)年には、1945年(昭和20年)まで存在し、当時東洋最大の航空機メーカーだった「中島飛行機」の工場である武蔵野製作所ができると発展は加速していく。

吉祥寺は、住民、別荘に住む上流階級の人々、労働者、学生という、階層が全く異なる人々が渾然一体となって育った街ともいえる。戦後に計画的な区画整理が行われたこともあり、繁華街・住宅街・文化の街としての変化は現在も続き、多くの人を惹きつけている。

早速、井の頭恩賜公園に向かって歩きはじめる。駅前の雑多な商店街を過ぎると、突然邸宅街があり、公園がある。浜田山、荻窪、西荻窪にもあるレイヤーが、吉祥寺にもあった。

吉祥寺駅は「アトレ吉祥寺」「キラリナ吉祥寺」など駅直結の商業施設も充実している。
吉祥寺は、1960年代から世代や階層を問わず、ニーズに応える大型商業施設が続々と開業。写真は1960(昭和35)年に開業した「吉祥寺マルイ」(旧丸井吉祥寺店)。
駅から続く、商業エリアの裏には邸宅街が。喧騒→邸宅街→公園へと続くレイヤーが武蔵野エリアの邸宅街の特徴なのかもしれない。

井の頭恩賜公園へと歩みを進める。すると、スワンのボートがある大きな「井の頭池」に圧倒された。公園の面積は約43万㎡だが、池の面積は約4.2万㎡もある。1/10を池が占めているにもかかわらず、2万本の樹木があり、競技場、テニスコート(8面)、野球場、野外ステージ、ボート場、「井の頭自然文化園」(動物園、水生物園)、「三鷹の森ジブリ美術館」、さらには駐車場もある。

「井の頭池」の外周は約1.5km。散歩に程よい距離だ。池のほとりには約200本の桜の木がある。
井の頭恩賜公園には、約2万本の木が自生している。

「善福寺池」は武蔵野三大湧水池のひとつだったが、井の頭池もそれに並ぶ。ちなみに3つ目は、練馬区の「三宝寺池」だという。井の頭池は現在、湧水量が減ってしまったが、「東京都建設局」ほか行政による観察が続いている。

ふと、衛生的な水の供給は都市の生命線ではないかとひらめき、井の頭公園の第二公園である、南側の奥まったエリアに進むことにした。ここは、「玉川上水」が流れている。井の頭公園は奥に広いため、第二公園や玉川上水の辺りを歩くと駅前とは別世界の景色が広がり、賑わいのあるエリアと至近ながらも緑豊かな環境を保持している。

第二公園の玉川上水は、植物のトンネルの中を流れているようにも見える。

玉川上水は、江戸幕府草創期の1653年に多摩川上流の羽村取水堰から開削された。目的は江戸市中に衛生的な水を供給するためだ。約43kmにわたって、多摩川上流から武蔵野市を通り、新宿区・四谷大木戸に至る。江戸・東京の発展を支えた玉川上水は、2003年に国の史跡に指定される。水は身分の上下を問わず、誰もが必要な資源だ。

杉並区から武蔵野市へ歩きながら、多くの文化財や史跡を目にしてきた。文化の薫りを漂わせる建築領域の遺産をのこしつつ、街づくりの思想がこの一帯を住みよい環境へと導いてきたことが伺える。武蔵野台地の面影が残る点では世田谷区の邸宅地と似ているが、世田谷と異なるのは、駅前商業地、住宅地、公園がエリアを分けて存在しながら、先述した杉並区の区画整理のように、道幅にも配慮した整備がされていることで街全体の解放感が保たれているのではないか。そんなことを念頭にこの街を歩いてみると、きっと新たな発見があるだろう。

杉並区
▶︎https://www.city.suginami.tokyo.jp/

京王電鉄
▶︎https://www.keio.co.jp/company/corporate/history/prehistory.html

荻窪地域区民センター協議会「町名の由来と今 第10回」
▶︎https://ogikubokyougikai.sakura.ne.jp/wp-content/uploads/2018/01/town_10.pdf

東京都公園協会
▶︎https://www.tokyo-park.or.jp/

杉並区立 柏の宮公園 自然の会
▶︎https://www.kashinomiya-shizennokai.org/

三井百科・百景 旧浜田山グラウンド倶楽部ハウス
▶︎https://www.mitsuipr.com/sights/encyclopedia/KEI-029/

全三井陸上「三井高井戸運動場思い出集」
▶︎http://www.all-mitsui.jp/4_top_right/kinenshi/pdf/54.pdf

すぎなみ学倶楽部
▶︎https://www.suginamigaku.org/

荻窪南口仲通り商店会
▶︎https://ogikubo-nakadori.com/

善福寺公園公式X
▶︎https://twitter.com/Parks_Zenpukuji

東京女子大学
▶︎https://www.twcu.ac.jp/main/index.html

武蔵野市「吉祥寺 まちづくりのあゆみ」
▶︎https://www.city.musashino.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/582/2412-1.pdf

井の頭恩賜公園
▶︎https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/seibuk/inokashira/index.html

武蔵野市プロモーションサイト「わたしらしく、あなたらしく」
▶︎https://www.city.musashino.lg.jp/citypromotion_75/

成蹊大学
▶︎https://www.seikei.ac.jp/university/

学校法人 藤村学園 東京女子体育大学 東京女子体育短期大学
▶︎https://www.twcpe.ac.jp/

京王電鉄 「前史1910~1948」
▶︎https://www.keio.co.jp/company/corporate/history/prehistory.html

武蔵野市
▶︎https://www.city.musashino.lg.jp/

東京都建設局
▶︎https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000040420.pdf

東京都水道局
▶︎https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kouhou/pr/tamagawa/rekishi.html

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