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時間をかけて馴染みながら現代に引き継がれた住宅遺産――「津田山の家」
未来に残したい、TOKYOの建築<番外編>

時間をかけて馴染みながら現代に引き継がれた住宅遺産――「津田山の家」

街に根付き街の景観も継承する豊かな暮らし ――女性建築家の先駆者、浜口ミホが設計した「G邸」

変化の早い時代にあっても、一部の建築物は世代を超えて継承され、街の風景と印象を支え続けている。街を行き交う人々や、街に暮らす人の心を惹きつけてやまない名建築を紹介する本連載8回目で取り上げるのは、「津田山の家」。ダイニング・キッチンとステンレス流し台を日本の住宅にもたらし、女性建築家の草分け的存在として知られる浜口ミホが手掛けた築57年の当建物は2022年に新しい家族に継承され、今もその街の景色としてあり続けている。

Text by Jun Kato
Photographs by Satoshi Nagare

眼下に多摩川を望む多摩丘陵に位置する台地「津田山」のエリアは、電鉄沿線の住宅地として開発された。時代を経て建て替えが進んでいる区画もところどころで見受けられるが、落ち着きのある閑静な雰囲気をたたえている。斜面を登っていくと、開発当時のゆったりとした一画に、打ち放しコンクリートで曲線を描いたバルコニーが外側に張り出し、切妻屋根のボリュームが屹立するモダンな外観の家が現れる。1965年に竣工した「G邸(旧中村邸)」で、2022年にリノベーションし「津田山の家」として受け継がれた住宅である。

ダイニング・キッチンの生みの親が導いた合理的な間取り

この住宅を設計したのは、浜口ミホ(1915-1988年)。東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)で家政学を学んだ後、女子学生の入学が認められていなかった帝国大学(現・東京大学)建築学科の聴講生となり、前川國男建築設計事務所で建築の経験と実績を積んだ。1954年には女性初となる一級建築士資格取得者となっている。

1949年の34歳の時点で、浜口は『日本住宅の封建性』という本を著し、大きな話題を呼んだ。戦前から続く日本の戸建住宅は武家屋敷の影響を強く受けており、封建的な家父長制や格式主義が表れていることを痛烈に批判。客間が南側に配される一方で台所は北側の隅に追いやられている状況を説明し、男女や階級の差がなく、使用人を置かない家族の生活を中心にした住宅を提唱した。浜口の革新的な視点に注目した日本住宅公団は、東京大学の吉武泰水研究室と彼女に協力を仰ぎ、団地のプランに食事をする部屋と寝室を分けたダイニング・キッチンを実現。浜口は今日のシステムキッチンの先駆けとなる台所周りの計画とステンレス製流し台の開発・普及に貢献した。

50歳手前の浜口に、自宅の設計を依頼したのは中村氏という人物であった。中村氏の姉が浜口ミホと旧知の仲であったといい、浜口はその時点で10人のスタッフを自身の事務所で抱えていたという。この時点での中村氏の家族構成は、夫妻、幼い娘2人に両親の6人。エヴェレスト山系にも登頂するほどのアルピニストであった中村氏は「山小屋のイメージ」で、浜口に設計を依頼したという。

この住宅が「発見され」住み継がれた経緯は後ほど詳述するとして、まずは間取りの特徴をみていこう。建物の入口となる地階はバルコニーをもつ鉄筋コンクリート造で、ピロティにはカーポートがあるエントランスを入ると、ガラスで囲まれた玄関スペースが広がる。蹴込み板のない軽やかな階段を鉄製の手摺りを伝ってのぼっていくと、1階には3方に大きな窓が設けられた吹き抜けの開放感あふれるリビング空間が現れる。

1階リビングの裏に位置するのが、ダイニング・キッチン。その奥の部屋が主寝室となっている。さらに 階段をのぼると、2階には3人の子供部屋が続く。

ダイニング・キッチンが3層の家の中間にあたる1階にあり、東西に細長い平面のほぼ中央に配されていることで、家族それぞれがプライベートな部屋を持ちながらもコミュニケーションが取れ、無駄のない動線が生み出されている。なお、2階東側の子供部屋は当初から増築が想定されており、実際に子供の成長に合わせて部屋が足され、現在の切妻の外観になったようだ。

家への愛着と感動が連鎖し継承へと動く

浜口は生涯で1000戸以上の住宅を手掛けたというが、現存する実作は限りなく少ないとされている。この住宅を2020年秋に発見したのは、スイス連邦工科大学チューリヒ校で浜口の研究をしていた建築家の上田佳奈さん。浜口の案件の施工をしていた工務店を伝って現存する住宅を探していたところ「G邸(旧中村邸)」の存在が浮上し、施主家族とも連絡が取れた。しかし半年後には土地が売却される予定があることもわかり、上田さんの研究仲間である東京工業大学博士のノエミ・ゴメス・ロボさんに連絡。彼女を通して、東京工業大学の建築史家の山崎鯛介教授、建築家の塚本由晴氏が教鞭をとる東京工業大学の塚本研究室に伝わり、さらに一般社団法人住宅遺産トラストへと情報が伝わった。

価値ある住宅建築とその環境を継承する住宅遺産トラストが、東京工業大学のメンバーとともに現地に見学へ訪れると、ほぼ建設当時のままに住み継がれてきたことがわかる。しかしすでに不動産会社に売却する話が進んでおり、「古家」扱いの住宅の存続は風前の灯火だったという。所有者の中村家にも、建物を受け継げるものなら残したいという意向を示されたことから、急遽この住宅へ関心を寄せて継承してくれそうな人に連絡を入れていった。

結果的には、このエリアで住宅を探していた家族が手を上げ、すんでのところで不動産会社への売却と解体は回避された。継承者へと繋げたのは、以前にもフランク・ロイド・ライトの高弟・遠藤新による「加地邸」の継承を手掛けたこともある、株式会社NENGO代表取締役の的場敏行氏であった。的場氏は、一般社団法人リノベーション協議会の理事も務める。

「なんとかしなければ、というのがまず思ったことでした」と的場氏は振り返る。「私たちはリノベーションや不動産事業を手掛けていて、建物はできるだけ壊さずに、長くあり続けてほしいという想いがあります。でも、築古の戸建住宅を継承することはマンションリノベーションや新築を買うことに比べて見えないトラブルもあり、うまくいくとは限りません。新しい家族にはその理解をもって住み継いでいただきました。この土地にこの建物があったこと、発見されたタイミング、全てが運命的であったと思っています」。

家族はもともと成長する子ども3人の成長に合わせて、2年近くこの住宅近辺のエリアでリノベーションを前提に中古マンションを探していたが、条件に合う広さの物件はほとんどなかった。物件探しを半ば諦めていたところに、今回の話が舞い込んできた。妻は初めて内覧したときの印象を「古さは感じましたが、それよりもこの建物のもつ魅力に惹かれました」と振り返る。「リビングに入った瞬間に、素敵だなと。リノベーションしたら建築がさらに引き立つことも想像できました。住宅遺産トラストの方が、浜口ミホさんの資料をたくさん持ってきてくれて、時代に捉われない彼女の想いやストーリーに惹かれたのも決め手のひとつでした」と語る。

家を継承するには、表面的な改修やインフラ設備だけでなく、現代の住宅として必須な耐震、断熱のアップデートも不可欠であり、それだけで多額のコストが費やされるであろうことを聞かされる。それまでは低地の駅近くのマンション暮らしであったことから、坂の上に居を構える生活への覚悟も問われた。「それでも、こんな機会はないだろう、ここに住みたい、引き継いでいきたいという願いが上回りました。」と夫は振り返る。

愛着の湧く特徴的な仕上げも継承する

リノベーションの改修設計は塚本由晴氏が率いるアトリエ・ワンが担当し、NENGOが施工を担当した。躯体や仕上げでどこを残すことができるか、現地で新オーナーと一緒に話し合いながら検討。基本的には、元の間取りを踏襲することになった。現在では流通していない、特徴的なタイルやサッシ、建具は貴重な意匠としてそのままに、給排水とインフラの刷新、外周壁の断熱改修、必要な個所に耐震壁を加えた。

インテリアでは、リビングの吹き抜け部分に面した壁面のタイルが目を引く。

深い緑青をした色合いで、厚みのある正方形の凹んだ中央部分に釉薬が溜まり貫入と呼ばれる細かなヒビと色ムラが生まれたクラフト感の高いものである。階段とセットで外周壁から独立して設けられたこのタイル壁はそのまま保全。ダイニング・キッチン側の横長状のタイルは釉薬がかけられていない黄土色のもの。地階にあしらわれた焦げ茶色の薄いタイルは、剥離した部分もあったためタイルメーカーに協力を仰いで復原制作したという。

1階の水回りにも長方形のモザイクタイルが使われていたが、目地の汚れが著しく、浴室の面積も広げたためにタイルを刷新。キッチンは従来のものをリスペクトしてステンレス性のものを採用した。元のキッチンユニットは、東京工業大学側で別の場所に移動し保存されている。建物自体は、地階部分が鉄筋コンクリート造で、1階の床がGL(地盤面)から約1m上がっていたことが功を奏し、1階2階は木造であるにもかかわらず湿気の影響をあまり受けずに済んでいた。木造の外壁部分は表面を削り塗装し直した。

以前の家族がオリジナルの姿をほぼそのままに住み続けてきたのには、動線や空間の計画が綿密にされていたことに加えて、タイルをはじめとする仕上げが表情豊かで愛着が湧くものであったことが大きく関係しているはずだ。リビングの壁は白いスタッコで少々粗く仕上げられ、大きな窓から入る光を受け止めながら陰影をもたらした。新たなオーナー家族も、LDKや居室の壁面には多様な質感や色合いをもつPORTER’S PAINTSの塗料から、それぞれの空間に合うものを選んで施した。

インテリアショップに勤めていたことのある妻は、「既存から残る木が暗めなので、空間を明るくしたくてフローリングはオークにしました。家具は素地の表情やバランスをみながら、少しずつ取り入れています。バランスを取るのが難しいですが、それも楽しんでいます」と語る。入居してから1年ほどが経ち、天井のスギ材や床材の色合いは落ち着くとともに、建築にも家具にも馴染んできている。

街に根付き馴染む家

引っ越してきた直後、近隣住民の方々から「この建物が残ってよかった」と声をかけられたという。「特に年配の方にお声がけいただきました。長くこの街に住まわれている方にとっては、この建物がある景色が普段の生活や記憶とセットになられているのでしょうね。街並みが変わらないことにまで感謝されるのには驚きましたが、それだけ地域に根付いている建物なのだと改めて実感しました」と夫は語る。妻は「ここでは地域猫を飼っていたり、ゴミ箱の回収を手伝ってくださったり、当番制の役割があったりして、みんなで街をつくっているという感覚があります。その分、愛着も生まれるのかもしれません」と同意する。

リビングの吹き抜け3面に位置する木枠の窓には、カーテンを付けていない。通りから見上げると吊るされたライトが見えて、夜は街にとっての柔らかな灯火となっている。「窓から夕日が差し込んでくると、空が近く感じて。家の中だけど、外とのつながりを感じられます」と妻が言えば、夫は「帰ってきて高窓から月が見えると、嬉しいよね。昔の人が月見をするだけで時間を過ごしたという気持ちがわかる」と頷く。

まだまだ子育てモードで、子どもたちは階段をジャングルジムのようにして使って駆け回り、壁面にクレヨンで落書きしたりと慌ただしく、自分たちは休日に食事をしながらワインを楽しむくらいが精一杯、と夫妻は言うが、この家での日常になにより感謝し、楽しんでいるように見える。そのような光景は以前の住まい手たちも同様であったに違いない。「50年は自分たちが住むとして、その後はまた別の人に引き継げるといい」「この建築の価値や良さを感じとっているのか、長女は『ここを継ぎたい』と言ってくれています。100年目を作るのは彼女かもしれません」と語るオーナー夫妻の言葉は、ごく自然なものとして感じられる。

3面に広がり空を近くに感じられる窓、またバルコニーから庭までのアプローチを見るに、浜口氏は家と庭とのつながりも重視していたように思える。夫は、休日は庭の手入れで無心になるという。道路に面した石垣や斜面はそのままに、もとはバラや椿、紅葉を楽しめる植栽があったところを、実のなる木やハーブを植えて食も楽しめるガーデンに整えた。施工を担当したNENGOの的場さんは「『家庭』は、『家』と『庭』からなっています。庭がないと、家は街と仲良く過ごせません。津田山に根付いたこの家が、これからさらに美しく年を重ねていくことを願っています」と語る。

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