自宅でアートと出合う体験を
遠山:現在、株式会社リビタさんは、「日々を豊かにする」ということで、さまざまな体験やサービスを展開しています。その中で、株式会社The Chain Museum(以下TCM)と共に、生活の中にアートをということで、TCMがキュレーションした作品を住人の方にレンタルしていただくプロジェクトを進めています。プロのキュレーターが住人の方の意見や要望をヒアリングしながら、出合ったことのないようなアートをお貸出して、家をミュージアム化するということです。
鈴木:今回はそのサービスのモデルケースとなったお宅に我々もお邪魔させていただき、対談することに。さらに展示されているアーティストのお二人、井村一登さんと木谷天音さんをお招きし、作品や制作についてお話をうかがっていきたいと思います。
遠山:また今回は、久々に公開収録で対談を行い、参加してくれた方とコミュニケーションを取りながら、作家さんたちとアートの話を楽しみました。今後もリビタさんとしては、このようなコミュニティを形成し、いろんな形でアートの話を発信していく予定です。
アーティスト・木谷天音さん
遠山:まずは木谷天音さん。2001年生まれで、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻4年生です。彼女との出会いは今年の1月。3331 Arts Chiyodaで開催された東京藝術大学油画3年進級展示『oú』に私が行ったときに、入口入ってすぐの壁に掛けられていた彼女の作品と出合い、買いたいと即決。でもこの展示は売ったり買ったりする場ではなかったんですよね。
木谷:そうですね。プレ卒展のような感じで、展示するだけでした。
遠山:でもどうしてもほしくて、事務局に連絡して木谷さんとつないでもらったんです。それでいろいろと話を聞いたら、彼女自身の作品だけじゃなくて、制作に対する姿勢とかもめちゃくちゃおもしろくて。そういったお話をおうかがいできればと思います。
木谷:この作品は、とにかく身体を動かし、枚数を描こうというモチベーションで制作していたときに描いた作品の一枚です。
遠山:実は長い間、絵を描いていなかったんですよね。
木谷:はい、これを描いたのは3年生なのですが、それまでほとんど絵を描いていませんでした。いざ大学に入ってみたら、何を描けばいいのかわからなくなり、絵を描くことが怖くなっていたんです。そこで筆を置いて一時期絵から離れ、映像や写真を媒体として制作したんですが、どこかで自分の中でどうしても絵と向き合いたいという気持ちは燻っていました。すると3年生の課題で、とにかく1日1枚ドローイングを描きましょうと。そこでまずいったん自分の身体を動かして、そこから立ち上がってくるものとか、いいなと思うものをつないでいけないかなという模索の中から出てきた作品です。
遠山:東京藝大って入るのが本当に大変ですよね。でもいざ入ってみると、シンプルに絵を描くことができず、絵って何を描くんだっけと、とても根源的なところで止まってしまったわけです。
鈴木:予備校とかでは与えられた課題を描き、技術を磨くことはできるけど、確かに自由に何かを描くということはあまりないかもしれません。なんでそんなことで描けないのって思うかもしれないけど、そういう人って案外多いんです。
遠山:いまのアートって、≒コンセプチュアルアートのような感覚があります。だから制作するにあたって、常に何を描くべきか、そしていままでになかったあなたのオリジナルは何、何を考えてきたの、どうやって生きてきたの、これから何を生きていくのっていうことを無言で突きつけられるのがいまのアート。そういうのを作品にしてごらんってなったときに、技術とかそういう話と全然違うところが出てきてしまったりして。それで描けなくなって、木谷さんは別の表現方法を模索していたんですよね。
鈴木:本当に東京藝大って難関校。みんなすごい努力をして技術を磨いて課題をこなして入ってくる。もしかしたら入学することで一度ある意味完成しちゃうのかもしれない。
木谷:油画科に入学しても、油絵をこの先描き続けたいっていう意志を持っていない人もいます。だから一年生のときからすでに写真とか映像とかをやり続けている人もいて、それこそ3331の展示でも、映像の部屋がほぼ半分を占めていたぐらいです。
遠山:そう、あれには少し驚かされましたね。21世紀世代は身体や映像がメディウム(媒体)となり、作品が出来上がっているんだな、ということを痛感しました。
鈴木:やっぱりYouTubeやTikTok、TwitterにInstagramと、我々とは比べものにならないくらい、自分で発信するメディアが増えたのも間違いなくありますよね。誰でも表現の方法が自由に選べるようになったのもあるんじゃないでしょうか。
鈴木:身体を動かすっていうのはどういうことなんですか? いま展示されている作品はとても小さいんだけど、絵で身体を動かすとなると、大きなキャンバスに手足を大きく使って描くというイメージがあります。
木谷:私の場合は、いろんな場所に移動し、いろんな場所で描いた鉛筆でのドローイングを、すごく時間が経ったあとに改めて油彩に起こしていく、そういう意味での身体を動かすということなんです。あの絵で描かれている場所は河口湖なんですが、河口湖に行ったこと自体は去年の3月ぐらいで、そこで見た風景のドローイングを油絵に起こしたのは12月でした。物理的に身体を移動させて、自分の中で時間をかけて油彩に昇華していくというような感じかもしれません。それにやっぱり絵を描く意味とか、絵でもって自分が何を伝えられるのかとか、ずっと自問し続けているから大学にも入ったので、絵を描くことに戻ったのは当たり前だったのかもしれません。それに改めて絵を描きはじめると、やっぱり私は描く手を止めちゃいけないなというふうに感じます。
遠山:この作品は何層にも塗り重ねられているんですよね。
木谷:実は4層とか5層ぐらい、下に別の絵が描かれて重なっているんです。当時何枚もキャンバスを用意してドローイングする感覚で油彩を描いていたんです。自分が納得できないものは一度ペンキで真っ白にして、自分が納得するまで繰り返し描いていました。
遠山:描くときに下書きとなるドローイングがあって、そのイメージを油画でちゃんと描き起こすイメージですか?
木谷:下書きとなるドローイングをそのまま油彩に描き起こしているわけではありません。どこまで元のドローイングを反映するかは、描きながら判断してますね。手数自体もなるべく少なくしていっているので、一つ手を入れて二つ入れて、三回四回と、手を入れる度にどこまで描くべきかを吟味しています。
鈴木:すごく瞬発的に描いているということですね。それにちょっと即興的でもあります。
木谷:ドローイングをもとにして、さらに油彩のドローイングをする、そうして身体を動かすことを優先していますね。
遠山:そうなるとどこで完成になるの?
木谷:ここで最後だな、完成にしようというのは、画面を見ながら判断しています。
遠山:こういった作品はやっぱり絵を勉強している人だから描けるもの?
木谷:私としてはデッサンの延長線上にある感覚です。デッサンは受験生のときから大好きなんです。物の形をとらえていって、それが実際に空間をつくっていく感覚とか、目の前に物や空間が立ち上がる感覚があの絵にもあるというか。それが下に描かれたいくつかの絵にはなく、一番上の層に出来上がったあの絵にはあって、だから作品として残しました。
遠山:じゃあものを見てしっかりデッサンしていくという技術がないと描けない?
木谷:そうですね、最初の元となるドローイングの時点で、構図や画面上に入れる要素の選択はおおよそ決定しています。私は手数もそうですが、描く時間も10分から15分と短い時間で収めようと思いながら描いてきました。ずっとかまっていると蛇足になってきちゃうんです。時間をかけるのは、その前の段階で終わっていると思っていて。実際の風景の場所に足を運んで、ドローイングを描いて、さらにそこから時間を経て油画にする。ここの時間で既に使っているので、描くときは短い方が自分としてはいいものが出てくると思います。
鈴木:でもいろんな人がいますよね。いつまでも描き続けている人もいれば、木谷さんみたいな描き方の人もいるし、下書きなく即興で描き上げるような人もいる。でも木谷さんは自分のスタイルをしっかり確立していますよね。いまもずっとそのスタイルで制作しているんですか?
木谷:手数や時間をなるべく短くというスタイルは変わっていません。でも塗りつぶすことはしなくなりましたね。3年生のときはとにかく納得いくものを描くことを優先していたんですが、納得できないものでも、半年後に開いてみると自分自身の見方が変わるということに気づいてからは、反対に納得いったものもいかなかったものもキャンバスから剥がして、全部残しています。
鈴木:絵のスタイルも変わらず?
木谷:いまは写実に描くということを修行としてやっています。
遠山:写実的な同じ構造の絵ということもあり得る?
木谷:あり得ると思います。
遠山:もしそれが描かれたら、ほしいな。並べたい(笑)
木谷:実は写実的な作品って描いてこなかったんです。受験時代は特にコンセプトを重視していたので、目の前のものを物として捉えて描くということから離れて油絵をスタートしました。それで、根っこというんでしょうか、もう一回スタートに戻りたいなと思って取り組んでいます。
鈴木:お若いし、まだまだ伸びしろ豊かなアーティストだと思います。
遠山:すでに新しく写実という表現と向かい、新しく制作している。次にどんな作品が立ち上がってくるのか、とても楽しみですね。
鈴木:自分でも楽しみなんじゃないですか?
木谷:そうですね、自分自身もどうなっていくんだろうって思いながら制作しています。
アーティスト・井村一登さん
遠山:続いて井村一登さん。井村さんは1990年生まれで、2017年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了されました。昨年は個展『井村一登 展 mirrorrim』 (日本橋三越本店コンテンポラリーギャラリー)を開催され、NONIO ART WAVE AWARD 2021 審査員特別賞名和晃平賞受賞されるなど大活躍されています。そんな井村さんの作品は鏡をメインとしています。
井村:私はいま、「自分が映らない」鏡をコンセプトに、制作しています。今回展示されている作品は、ここ数年でやり出したものです。いままではいろんな鏡を組み合わせて作品をつくっていたのですが、これはガラスに金属(アルミ)を蒸着させる方法で、鏡自体をつくっています。通常の金属とガラス板で鏡をつくるのと同じ方法ですね。最近はガラス自体も自分でつくったりもするんですが、今回、使用しているのはガラス工房の廃材です。
遠山:ガラスって廃材が出るんだ。
井村:溶けたガラスが窯の中に溜まり、作業終わりに火を落とすと、その中が急激に冷めて温度差で割れて勝手に歪な形になります。実際は再利用可能ですが、その方がコストや手間がかかる場合もあり、途中でもらってくるわけです。形も面白くてそのまま使用しました。
遠山:形状は自分の手は入ってない不定形のガラスの塊であって、自然にできたものなんですね。
鈴木:ガラスってすごい繊細なんですよね。徐々に冷ましていかないと割れてしまって、作品にならない。だからガラス作家さんはものすごく温度に敏感になりながら制作しています。火を入れながら冷ましていく規模の作品もある。
井村:徐冷ですね。字の如く徐々に冷ましていきます。作家さんによっては作品になるまでに数ヶ月かかる人もいるぐらいです。私自身も作品によっては二週間ぐらいかけて徐冷させていきます。
遠山:もともと鏡やガラスに対する知識はあったんですか?
井村:いえ、なかったですね。制作を始めた当初は市販の鏡で制作していたんですが、いざ自身の作品をアップデートしようと思ったときに、鏡について詳しくないとダメだと思い、鏡を構造から分解して、鏡は何でできているのかを勉強したんです。そのときに、たとえば金属が使われている、だったらしっかり金属のことも勉強しなければと思い、どんどん知識をつけていきました。僕は京都市立芸術大学の総合芸術学科を卒業して、その後藝大の院に入学したのですが、学部のときから素材の組み合わせが起こす現象を作品にして、興味があったんです。
鈴木:京都市立芸術大学の総合芸術学科というと、理論とかが中心になりますか? そこで制作もしていたんですか?
井村:京都市立芸術大学は理論を習う総合芸術学科であろうと、実技がすごく必要だし厳しくて、デッサンはもちろん、平面か紙立体を選んで制作しなければいけないんです。そこで僕は立体を選びました。その受験の過程で、制作するのが楽しいなと思い、在学中もずっと制作していました。ただ、もともとアーティストになるつもりはなかったんですが、通ううちに文章を書くよりも手に馴染んだという感じで、理論を習っていたにも関わらず、卒論も書きながら、教授から許可をいただき卒制も両方提出して卒業しました。(作家註:現在、総合芸術学科の実技の受験科目はデッサンのみ)
鈴木:制作はもちろんだけど、理論もしっかり大学で習ったわけですよね。そういう理論や美術の歴史のようなものがご自身の作品にも影響していますか?
井村:確かに理論を学ぶことで知れる作家の幅が広かったと思います。アーティストでは特に、ジェフ・クーンズの作品からの影響の方が大きいです。クーンズの赤いハートをモチーフにした作品を実際に見たときに感動して、時間を忘れて2時間以上ぼーっと見ていたんです。クーンズってとてもやり手なイメージがあると思うんですけど、この人はきっと凄くピュアで、建築的な部分やマテリアルに対応した設計や、テクニカルの集め方、金銭面など、アーティスト本人の手だけじゃどうにもならないことと向き合って、ただただハートをつくりたいために努力してつくったんだろうなということに心を打たれて。
鈴木:クーンズはステンレスを素材につくっていますが、井村さんはそこを鏡に変えた。
井村:自分にとって鏡は身近だったのもありますね。それに比較的安価で構造もおもしろく、応用が効くというものありました。それでいろいろ遊ぶうちに作品になっていって、いまに至るという感じです。
遠山:「自分が映らない」鏡というコンセプトはどこから生まれたんですか?
井村:自身が鏡に映ったり、写真に写ったりということへの違和感や小さな恐怖がきっかけになっています。実際にそれをテーマに作品としたのは、昨年の三越コンテンポラリーギャラリーでの初個展が最初ですね。そこで人と鏡の向き合い方の歴史というのを考えました。
鈴木:私たちはいまやいろんな方法で自分の姿を映し出すことができますよね。鏡だけじゃなくてスマホのカメラを鏡代わりにしている人もいるし、それこそガラスだって鏡の代わりになったりする。では昔の人は何を鏡にしていたのか。
井村:人と鏡の出会いの始まりは水面ですね。自身の個展でも、大型の天体望遠鏡に使われる液体鏡の回転構造を利用した水鏡を発表しました。
鈴木:ナルキッソスだ。
井村:まさしく作品タイトルも《narcissus telescope》です。
鈴木:草間さんもナルキッソスをテーマに作品を展開しているし、美術において、そして鏡の歴史においてナルキッソスは避けて通れない道だと思います。
井村:その通りなんです。そして次に鏡として用いられたのが黒曜石。僕実は石器づくりが趣味なんですけど、はじめに岩宿の博物館で見たときに感動したんです。黒曜石はただの黒じゃなく火山でできた天然のガラスで、磨くと艶が出ることで、約8000年前に鏡として使用されていました。先ほど鈴木さんからいろんなものを鏡として使用しているというお話がありましたが、いまも8000年前もガラスを使うということは同じなんですよね。それがおもしろいなと思って、黒曜石をテーマに作品も展開しています。
鈴木:鏡は自分を映すものというあたりまえのことが、井村さんによって覆されていますよね。鏡から映すという仕事を取っ払って、真逆のあり方を提示させている。井村さんの考え方はちょっと特殊だけれども、これまでの鏡の意義や存在に新しい価値観をもたらしていると感じました。
井村:ありがとうございます。鏡ってまだまだ研究されていないところもあるんですよね。それは実用的な鏡としてではなく、歴史的、美術的なところなのかもしれませんが、鏡って「魔鏡」とかいろんな種類があるんです。僕自身も「魔鏡」を作品として制作しているんですが、これもその仕組みをしっかり勉強して、自分の作品に落とし込んでいます。
遠山:「魔鏡」とはどういうものなんですか?
井村:銅鏡などの金属鏡の一種が魔鏡と呼ばれるものです。鋳造された鏡面を研磨し続けることで微細な凹凸が生まれ、裏に何かが描かれていた場合、それが壁や床に反射して光の濃淡ができ、文様が像となり浮かび上がってきます。その現象を応用して塗装を重ねて、見えない層を可視化するようなものを考えました。なんとかそういう過去からの鏡の歴史を自分の作品、現代アートの中に落とし込めないかということで、実験を繰り返しながらいろんな作品を制作しています。
遠山:実は鏡って無限の可能性があるってことだ。確かに鏡がすでにメディアになっていますよね。洋服屋さんで鏡が写真の機能を持っていて、自分を映すとお店の中のどの服があなたに似合いますよとか、ジムで自分の体型を保存してくれて、トレーニングの経過を見せてくれたりとか、新しいアプローチをしていますよね。でもそれをあまり鏡とは認識せず、新しいテクノロジーとか機械的なことで考えてきてしまったかもしれない。
井村:もっと恒久的に自分の記録として使える、身近な存在となる鏡も生まれればいいなと思っています。鏡の中に生きているような、そういう感覚があると、今度は鏡の意味だけじゃなく、記録という意味でも認識も手法も変わってくるんじゃないかな、と思いますね。
鈴木:こうやってお話をうかがっていると、ガラスをモチーフに制作する作家さんや鏡を応用した作品を制作している作家さんは多いけど、鏡そのものをテーマに、そもそも鏡を自分でつくり、さらには鏡一本でやっている人はほとんどいないと思います。
井村:あと、鏡を歴史や素材から分解して追っていく人もいなかったと思います。制作も一からの実験が多いので、突き詰めることができればと思いながら制作しています。
鈴木:今後はどんな活動をされていく予定ですか?
井村:去年個展を開催してから、ようやくアーティストとしてお仕事をいただけるようになりました。そのため、展示のために制作することが増えてしまったので、自分のために制作するというか、実験できる時間が減ってしまったんです。
鈴木:井村さんはおそらく頭の中ではあれもやりたいこれもやりたいってあると思うから、ありがたいお誘いもどこか焦りになったのかな。
井村:そうですね、これは皆さんの前に出せる、と思えるものしか出せなかった。でも頭の中にはこれどうだろう、いけるかないけないかなと思うような実験的なことをしたいし、それを作品にしたいと思っています。
遠山:井村さんも楽しみだなあ。次にどんな鏡と私たちを出合わせてくれるのか。
鈴木:そうですね。井村さんの作品もどんな展開を迎えるのか、我々にはちょっと想像がつかないところがあるからこそ、次の作品に高揚感を覚えてしまいます。
アートを、アーティストを知る
鈴木:こうやってアーティストの話を聞くのってすごくおもしろいですよね。井村さんも木谷さんもまったく作品に対するアプローチも違えば、つくっているものも違う。アーティストって一括りにされちゃうけど、個々を知ることが重要。
遠山:なんとなくこの作品好きっていうのでもちろんいいんですが、その作品やアーティストのことを深く知ることで見えてくるものも変わってきます。アートはいろんな楽しみ方がありますよね。
鈴木:その一つが、リビタさんたちが進めているアートのレンタル。自分では選ばないような作品とも出合えたりと、新しい発見をもたらしてくれると思います。我々も会ったことがないアーティストと、このレンタルを通して今回お会いすることができましたしね。
遠山:そう、アートだけじゃなくてアーティストとの距離も縮めてくれると思います。ぜひまたたくさんの作家さんをお迎えして、いろんなお話を皆さんにお届けできればと思います。今回はお二人ともありがとうございました。
profile
1990年京都市生まれ。2017年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。2021年に個展「井村一登 展 mirrorrim」 (日本橋三越本店コンテンポラリーギャラリー)。同年、NONIO ART WAVE AWARD 2021 審査員特別賞名和晃平賞受賞。ハーフミラー、球体鏡、LED などを用いて視覚や認識にかかわる光学的作品を手がける。近年は、鏡の歴史とルッキズムに関心を寄せ、鏡の素材・技法を再構成し「自分が映らない」鏡を制作している。
▶︎ 井村一登 instagram
profile
2019年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学。映像を中心とした作品を制作する。世界観を細部まで作り込む一方、絵画作品ではラフな筆致で構成を捉えた作風。2022年 3331 Arts Chiyoda /東京藝術大学油画3年進級展示『oú』 にて展示。
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎http://toyama.smiles.co.jp
profile
1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
▶︎https://twitter.com/fukuhen