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遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.47 遠山記念館
今日もアートの話をしよう

遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.47 遠山記念館

重要文化財指定の建築遺産で、近代日本の豊かさと文化継承を考える

実業家でアートコレクターの遠山正道と、美術ジャーナリストの鈴木芳雄が、アートや旅、本や生活をテーマに対話する連載。第47回は埼玉県川島町の遠山記念館を訪問。日興證券の創立者である遠山元一氏が建てた遠山邸と美術館には1万3000点超の収蔵品があり、1970年より一般公開。現・理事長の遠山公一氏と、副館長の久保木彰一氏にお話を伺った。

Text by Yoshio Suzuki
Photographs by Yuya Hasegawa

プロもうなる建築技術の粋

鈴木芳雄(以下、鈴木):今回は、都心から車でおよそ1時間の場所にある、埼玉県比企郡川島町の遠山記念館に来ています。

遠山公一(以下、公一):遠山記念館は、私と正道の祖父であり、日興證券(現・SMBC日興証券)の創立者・遠山元一が自身の母親のために建てた邸宅と庭園、そして美術工芸コレクションを保存、展示する美術館からなる施設です。

遠山記念館の正面口となる長屋門。
表玄関から振り返り長屋門を臨む。
回遊式の日本庭園では四季折々の風情が楽しめる。
生家を再興したことを象徴する豪農風の東棟・玄関。
1970年に完成した美術館は今井兼次の設計。

久保木:6年前に重要文化財に指定された邸宅は、今年(2026年)で築91年。昭和8年に着工し、2年7カ月かけて建設されました。施主である遠山元一さんは明治23年、ここ川島の地で豪農の長男として生まれたのですが、その後、家は傾いて、土地も家屋もすべて人手に渡り、一家離散になります。16歳で東京に丁稚奉公に出されますが、証券業界に入り頭角を現し、会社を起こし、それを大きくしていった立身出世の人です。

公一:証券マンになり一生懸命会社を大きくしたというのもあるけれど、やはり生家を買い戻して、その家を再興するという目標が祖父を支えたのではないでしょうか。16歳で川島を出て、その後にこの約3000坪の土地を買い戻した。水田だったところを庭地にし、桑畑だったところを造成して家を建てたんですよね。

久保木:家屋は、和風建築の大工や左官などを東京から呼び寄せて住み込みで建ててもらい、2年7カ月で延べ3万5000人という人手を雇いました。東京でトップクラスの職人たちによる技術は申し分なく、建材は関西に調達に行って買い求めた銘木づくしの家です。3つの棟のうち、東棟は民家風の茅葺き屋根が施された豪農風。これは先祖の家を再興したことを示す象徴的なものです。中棟は貴顕の来客を接待するための格式ある書院造り、西棟は母・美以さんのために数寄屋造りの座敷を設けました。中棟の2階にはソファを置いた洋間もあります。これに、土蔵や長屋門を加えると、総建坪は400坪近くになります。3つの棟が建築様式を異にしながら違和感なく溶け込み、心地の良い変化と趣を味わうことができます。

副館長・久保木彰一氏が遠山記念館の歴史を伝えてくれた。
築91年の東棟。現在の修復計画で、茅葺屋根を初めてすべて葺き替える。

正道:建材は関西から運んだということでしたけど、どのような方法で?

久保木:貨物列車で東京まで運び、そこからは荒川へ持って行ったようです。もともと東京から桶川までは物資を運ぶ水路のルートがありました。

正道:ようやく家を完成させたのに、祖父はここにはほとんど住んでいなかったんだよね。会社のあった茅場町まで55キロあって、関越自動車道がまだない時代、車で通うのは不可能だった。東京・麻布に家がありましたね。家を再建する話を曾祖母の美以にしたら、「故郷に帰りたい」ということで。美以の実家もこの近くで、遠山家以上の豪農だったと聞いています。

久保木:先ほど、東棟の玄関で見ていただいた大きな沓脱石(くつぬぎいし)は京都の鞍馬石です。天井は格天井(ごうてんじょう)になっていて、中に嵌(は)めてある板は欅(けやき)の玉杢(たまもく)です。欅の泡模様は気泡が入ったように見える丸い模様。同じ木材のそれぞれの部分の特徴や味わいを使い分けた、見事な職人技を随所に見ることができます。壁、建具や畳などの材料も充分に吟味されていて、自然素材の持ち味を保っています。

東棟・玄関の格天井に嵌めてある板は欅。
内玄関の三和土(たたき)は亀甲模様の人造石の研ぎ出し。
欄間の細工にもさまざまな技術が注ぎ込まれている。

鈴木:遠山邸の細部や材料について語り始めるとキリがないのですが、元一さんがお母さまのためにつくった部屋の欄間(らんま)の桐と藤の透かし彫りを見たとき、ピンと来たんです。これは源氏物語だと。桐壺と藤壺。桐壺更衣は言わずもがな、光源氏の母。そして、その桐壺更衣に瓜二つ、美貌と才知を兼ね備え、光源氏の理想であり、初恋の女性が藤壺ですね。

久保木:透かし彫りの名人が厚さ2センチの桐の板を7割ぐらいまで彫ってある。10割彫ったらワンパターンで面白くなくなっちゃうから、あえて3割ぐらいは残している。床の間もそうだし、天井も欄間もやりすぎるとうるさくなるので、意匠は抑え気味にしてあります。お母さんがここで本当に心地よく過ごしていけるようにという心ですね。さらに藤の花も完全に下がり藤ではないんです。家業が証券ですから、下がりは良くない。もっと言うと庭には白梅だけ。紅梅は赤字に通じるから植えない。百日紅(さるすべり)の木もありません。

母・美以のための寝室の欄間には桐と藤の花の彫刻。
あえて10割まで彫らず、少し余韻を残した意匠。
美以の寝室の天井の木材は極上の薩摩杉。
庭の手水鉢には月が映り込むこともあった。
蛍が飛ぶような模様を演出した蛍壁(ほたるかべ)。

蔵から発見された江戸後期の貴重な絵画

遠山正道(以下、正道):公一は、長く慶應義塾大学文学部美学美術史学科の教授を務めていて、専門はイタリアのルネサンス美術です。東京大学院時代に美術評論家でもあった高階秀爾教授の下で学び、フィレンツェに留学していました。2013年から遠山記念館の理事長として館の運営を担っているんです。祖父・遠山元一のことはどんなことを覚えていますか?

公一:人物像ということでは細かいことはあまり覚えていないけど、1970年に記念館がオープンしたとき、孫の僕がテープカットをしたよね。まだ我々は小学生だったけど。そのときの写真や映像が今でも残っているよ。

遠山公一氏

鈴木:元一さんが集めた美術品およそ1万3000点を保存、展示するべく美術館建設に至ったそうですね。建築家は碌山美術館や早稲田大学図書館などを手掛けた今井兼次ですね。

公一:もとは日本と中国の書画や工芸品や染織品などがあり、記念館創立以降は、古代オリエントやアンデスの工芸品、染織品を数多く収集し、今に至ります。

鈴木:現在開催中の企画展は、今年の干支、午(うま)をテーマにしたコレクション展示ですね。初公開の作品があるということで、今回は楽しみにしてきました。

久保木:江戸時代後期の大和絵師、岡田為恭(おかだためちか、別名・冷泉為恭)による《騎馬図》です。六曲一双の屏風になっていますが、実はこれは2年前、土蔵から見つかりました。表具をしていない、まくり状(表装前の書画)の騎馬絵が12枚でした。専門家を交えて協議を重ねた結果、屏風に仕立てて今回公開に踏み切りました。

公一:当館ではほぼ毎年末年始、新年の干支をテーマにした企画展を行ってきました。2026年がちょうど午年にあたりますし、人の目に触れることで、絵についての情報が周囲から入ってくるのではないかと。為恭の研究者は国内外にいるので、その機会を念じます。

《騎馬図》は、江戸時代の絵師・岡田為恭の手になる。
美術館1階には2室あり、そのうちの一つ。
美術館1階には2室あり、そのうちのもう一方。

鈴木:では、この絵の研究はこれから始まるというところですね。

久保木:発見時、表具は施されていませんでしたが、一枚一枚、絵よりもひと回り大きい紙で裏打ちがしてあったんです。その右端に右一、右二……左一、左二……という数字が鉛筆で書いてあった。その順に基づいて、六曲一双の屏風に仕立てました。本当にこれが屏風として描かれたものなのか、何も確証はないのですが、この配列には為恭の意向に沿っていた可能性もゼロではないので、そのとおり並べました。

 公一:これだけ良質な顔料を使っているということは、きちんと注文を受けて描いたに違いないというのは、専門家の意見の一致するところです。青にはアズライトやラピスラズリなど高価な絵具が使われているので、高貴な身分の人のオーダーを受けて描き上げたけれども、何かの理由で屏風に仕立てることができなかったのでないかと。

久保木:為恭は幕末に狩野派の絵師の家に生まれ、若い頃は平安や鎌倉の画や書を懸命に模写しています。最高級の絵の具を惜しげもなく用いた濃彩画を得意としましたが、障壁画や白描画、仏画においても傑作と言われる名画を残しています。絵を勉強するために、公家の宮中の仕事もしていました。不運にも尊皇攘夷派と佐幕派の争いに巻き込まれ、あちこちを逃げ回った末、数え年42歳で殺害されてしまいました。

正道:この絵、まるで最近描き上がったようにみずみずしいですね。躍動感があり、描かれている人たちの衣裳がまた素晴らしい。

久保木:鎌倉時代に《随身庭騎(ずいじんていき)絵巻》というのがあって、大倉集古館所蔵の国宝ですが、その種の騎馬を描いたものがモチーフだと思われます。

鈴木:「随身」というのは身分の高い人の警護にあたる人のことですね。院政期、馬芸に優れた彼らは宮廷行事に欠かせない存在になるんですよね。それを描いた絵巻であると。

久保木:こういうもので一番古いのは13世紀くらいのものでしょうか。室町時代のものもありますが、たいていは絵巻で背景もなく、着色も薄く、馬のみ横並びで描いているものが多いようです。この絵の類本で、色のない巻物形式のものが早稲田大学にあります。でもそれも横一列の並びなんです。この絵には上下がありますでしょ。疾走する馬や、向かい合う馬が、高さを生かして配置されている。レイアウトを相当考えたように描かれていて、為恭の考え方が絵の出来上がりに反映されている。

躍動感にあふれ、人物の衣裳や馬の表情も素晴らしい《騎馬図》。

正道:面白いのは、鞍をつけている馬もいれば、つけていない馬もいたり……。武士の装束や帽子もさまざまですね。

久保木:帽子などは形によって身分の違いが分かります。立烏帽子は位の高い武家で、折烏帽子は普通の武士です。ただ武家であれば、馬術を身に着けることは必須だったはずです。

鈴木:元のモチーフは中世でしょうが、衣裳には絵が描かれた江戸時代の風俗が取り込まれていますか?

久保木:そうですね、蜘蛛の巣に紅葉(もみじ)がかかっているとか、柵の中に花畑があるとか、そういう柄の着物を鎌倉や室町の武士が着ていたとは思えないので、それは為恭が生きた江戸時代後期の友禅の模様でしょう。

鈴木:今年は午年だし、この作品自体が世に出たかったんじゃないでしょうか。

公一:そうかもしれません(笑)。公共の美術館にはありえないことだと思いますけど。

鈴木:旧家ならではのことですね。お屋敷の蔵にこういう驚きのお宝が眠っている。お屋敷は100年もたってないはずですが、それでも遠山家の蔵は「深い」ですね。

江戸時代後期・仁阿弥道八による《黒楽銀彩猫手焙》(写真左)も傑作と名高い。

重要文化財が語り掛けるもの

公一:もう一つ、特別な作品をお見せしましょう。現在、遠山記念館には重要文化財が4点ありますが、そのうちの一つが《佐竹本三十六歌仙絵 頼基》です。展示中ではないので、収蔵庫の前室で見ていただきます。

鈴木:「佐竹本三十六歌仙絵」は、最初は下鴨神社、幕末頃に元秋田藩主の佐竹侯爵家に伝わった歌仙絵の最高傑作ですね。万葉から平安時代の和歌の優れた詠み手、36人と和歌の神とされる住吉大明神(住吉大社)が描かれています。作者は似絵の名手、藤原信実と言われている。これが大正6年に売りたてに出された。現在の貨幣価値で言う数十億円を一人で引き受けられる人がおらず、当時の財界人たちで分割して所蔵することになりました。結果、一歌仙ずつ切っちゃったんですね。元は2巻の絵巻ですが、37幅の掛け軸になった。

公一:今はそれぞれ所蔵者も変遷していて、東京国立博物館、出光美術館、サンリツ服部美術館、大和文華館など多くの美術館に収まっているものもあれば、個人蔵もあります。

久保木:当館所蔵の「大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)」は平安時代中期の歌人です。以後六代にわたって高名な歌人を輩出する大中臣家の祖です。「筑波山 いとど繁きに紅葉して 道見えぬまで 落ちやしぬらむ(筑波山はますます紅葉が盛んになり、道が見えなくなるまで落葉していることだろう)」という歌が頼基像の横に書かれています。

《佐竹本三十六歌仙絵 頼基》を特別に見せていただいた。
絵の地に塗られているのは雲母(きら)。

鈴木:2019年に京都国立博物館で「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」という展覧会があり、住吉大社含め31点が一堂に展示されたんですよね。サンリツ服部美術館は《大中臣能宣像》、この人は大中臣頼基の息子ですが、それを展覧会に貸し出して、もう一つ所蔵しているお姫様の方《中務》は自館で展示しましたね。僕は長野県諏訪市まで見に行きました。ですので32点までは見ているんですが、すべてを見るのは叶わないでしょう。

久保木:こうして間近で見ていただくと、人物の背景が輝いているのが分かるはずです。絵の地に塗られている雲母(きら)の効果ですね。

正道:展覧会でガラスケースに入っていると、こんなふうにいろんな角度から見ることができないけど、確かに光っていますよね。

歴史的建造物×現代アートのこれから

公一:先ほど見ていただいた、東棟の囲炉裏のある部屋は家族が食事をする場所でしたが、現在は2枚の畳が斜めに入っていると思います。あれは長澤英俊(1940-2018)のアート作品《浮島》です。2009年に長澤さんの展覧会をここで行い、そのままにしています。長澤さんが畳を斜めに入れると面白いと考えられて、図面を描いて川越の畳屋さんに変形床をつくってもらいました。海原に島が浮いているイメージです。

鈴木:面白いですね。畳屋さんはなんて言っていましたか?

公一:たいへん苦労したと……(笑)。長澤さんのテーマの一つは「重力の顕在化」です。《浮島》もすべての畳が互いにしっかり収まれば、止まるわけですよね。ほかにも20センチ四方、厚さ3センチの鉄板を300枚以上並べた彫刻作品《306枚の鉄板》や、正門を入った玉砂利の上に木の柱を組み、その上に真鍮の立方体を載せた作品《ドラーゴ》なども展示されました。この展覧会は埼玉県立近代美術館と川越市立美術館と同時開催でした。

東棟・囲炉裏の間には現代美術家・長澤英俊氏の《浮島》が。
長澤英俊展「夢うつつの庭」の図録より。©Anzaï
長澤英俊展「夢うつつの庭」より《306枚の鉄板》©Anzaï
長澤英俊展「夢うつつの庭」より《ドラーゴ》©Anzaï

正道:公一が理事になってから、ここで現代アートの展覧会を3回行いましたね。2000年の「The Treasures of James Lee Byars」展、2009年の「長澤秀俊 夢うつつの庭」展、2016年に「竹岡雄二 台座から空間へ」展と。

公一:いずれも世界的に活躍するアーティストがこの場所を存分に活用してくれた良い企画だったと思います。ジェームズ・リー・バイヤーズ(1932-1997)はこの企画の半年後に亡くなったので、生前最後の企画でした(実現は2000年)。彼は60年代、日本に10年も住んでいた人で、禅や仏教思想、神道、能、茶道、書など、多岐にわたる日本文化に傾倒し、大きな影響を受けています。

鈴木:巨大な球体のオブジェなどが有名ですね。

公一:はい。西棟の客室の床の間に、直径180センチの金の玉を置くというのが、一つの作品でした。今も蔵に残されています。

「The Treasures of James Lee Byars」展より《The Sphere of A.P.Q》©Anzaï

鈴木:また遠山コレクションに貴重なものが加わったんですね。

公一:竹岡雄二さんは、ドイツ・デュッセルドルフ在住の彫刻家で、多様な素材を用いて、「台座」の彫刻の制作を続けている作家です。ジェームズ・リー・バイヤーズが金の球《The Sphere of A.P.Q.》を置いた同じ西棟の床の間に、竹岡さんも金色の柱《立っている彫刻》を立てました。

正道:「台座」は公一の研究テーマの一つだね。

公一:台座は、美術史において重要な研究テーマなんです。近代まで、西洋の立体作品には、まずほとんど台座がある。台座は、見る人に「これはアートです」ということを示す装置でもあるわけです。

竹岡雄二展「台座から空間へ」より《展見》(提供:遠山記念館)

公一:竹岡さんは遠山記念館のコレクションから作品を選び、同時開催の埼玉県立近代美術館における展示構成に組み込みました。これにより、現代美術と古美術が混在する、特徴ある展示空間が出現しました。

鈴木:伝統的な空間の中での現代アート展覧会は、昨今、いろいろな場所で試みられていますね。昨年、京都の二条城で行われた「アンゼルム・キーファー:ソラリス」は屈指の素晴らしさだったなぁ。

公一:ヨーロッパだと歴史的な建造物の活用はもっと積極的ですよね。日本の建築はもう少しフラジャイルなので保存が先になり、危険は極力犯さないという考え方でしょうけれど、もし条件が合い、また資金があるなら積極的にやってもいいんじゃないかと思いますよ。

正道:少しずつだけどフェーズは変わってきているような気もするね。

中棟の書院造りの大広間からは見事な庭が見える。
中棟の大広間。床の間には季節ごとの掛け軸が飾られる。
中棟の廊下。ガラスは建設当初、アメリカから輸入されたもの。

久保木:当記念館ももともとは遠山元一という個人が建て、収集したものではありますが、現在は公益財団になっており、公共性や社会への開示を第一の使命と考えています。

正道:美術品を「公のもの」として扱わなくてはいけないということは、心あるコレクターの間では浸透しつつありますよね。人の一生に比べると、美術品のほうが寿命が長いわけだから、預かっている個人や美術館は、そういう意識を持たないといけないですね。

鈴木:今回は遠山記念館の凄さをいろいろと学びました。そして新発見、岡田為恭《騎馬図》の素晴らしさを目の当たりにしました。

1月18日まで展示されているので、ぜひお出かけください。ご案内いただきました遠山公一さん、久保木彰一さん、どうもありがとうございました。

公益財団法人遠山記念館

埼玉県比企郡川島町白井沼675
電話:049-297-0007
▶︎https://www.e-kinenkan.com/
*干支「馬」をテーマに米原雲海の彫刻作品「馬」、合戦絵の名品「平治物語絵巻 待賢門合戦巻」模本などのほか、正月にふさわしいコレクションを中心にご紹介!
2025年11月29日(土)~2026年1月18日(日)

profile

遠山公一

1959年、東京生まれ。西洋美術史家。専門は15世紀イタリア絵画・彫刻史。公益財団法人遠山記念館理事長。父方の祖父に遠山元一。音楽評論家・遠山一行とピアニスト・遠山慶子の長男。慶應義塾大学文学部仏文学専攻、および美学美術史学専攻卒業。1989年、東京大学大学院人文科学研究科美術史学専攻修士課程修了。3年間、フィレンツェ大学にて学ぶ。女子美術大学専任講師を経て、1995年から慶應義塾大学文学部で教鞭を執り、2006年より同大学文学部教授。2025年3月退職。同大学名誉教授。

profile

遠山正道

1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。

▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/

profile

鈴木芳雄

1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

▶︎https://twitter.com/fukuhen

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