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遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.37 みうらじゅん
今日もアートの話をしよう

遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.37 みうらじゅん

京都の展覧会場と、東京の事務所を訪ねて…… “MJ”のいろいろすぎる人生とマイブームの軌跡

「Soup Stock Tokyo」を立ち上げた、実業家の遠山正道。雑誌『BRUTUS』で長年副編集長を務め、「フクヘン。」の愛称を持つ、美術ジャーナリスト・編集者の鈴木芳雄。このふたりがアートや旅、本や生活について語る「今日もアートの話をしよう」。第37回は、漫画家、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなどの肩書を持ち、「マイブーム」「いやげもの」「クソゲー」「ゆるキャラ」などの流行語の生みの親として知られる“MJ”こと、みうらじゅん氏。近年は“ツアー”と称し、幼少期からの猛烈な収集と創作への情熱、そしてマイブームそのものの集積であり、尋常ではない膨大な“コレクション”を引き連れ、全国各地で展覧会を行う。「なぜこんなモノを大量に……?」そんな興味を惹かれる、みうら氏に話を伺った。

Text by Hitori Publishing
Photographs by Eikho Tanaka, Takao Ohota

――1958年生まれ、京都市出身のみうらじゅん氏。武蔵野美術大在学中の1980年に雑誌『ガロ』でデビュー。漫画家、イラストレーターのみならず、エッセイスト、小説家、さらには吉田拓郎、ボブ・ディランらに触発されて音楽への情熱が高じ、ミュージシャンとしても活動を続ける。また独特の言語感覚により鋭く世相をとらえ、多くの新語・流行語を生み出している。7月上旬、みうら氏の膨大な数の収集品と創作物が一堂に展示された「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」(~2024年8月25日〈日〉)を訪れた遠山・鈴木の両氏。その感想と感動を携えつつ、東京の事務所に伺った。

“MJ”こと、みうらじゅんさん。
都内のみうらさん事務所にて。

展示される場所によって見え方が変わってしまう

鈴木:「みうらじゅん FES マイブームの全貌展 in京都」の内覧会を経て、今日はみうらじゅんさんの事務所にお邪魔しました。2021年にアサヒビール 大山崎山荘美術館(京都)で開催された「みうらじゅん マイ遺品展」も拝見しましたが、今回はさらにたいへんなボリュームでしたね。

遠山:じっくり拝見しましたが、ずっと圧倒されっぱなしでした。でもものすごく面白かったです。

京都駅直結の「美術館『えき』KYOTO」 にて開催中の「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」の内覧会に参加した遠山と鈴木。会期は2024年8月25日(日)までとなっている。(「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in 京都」展示風景)撮影:田中英行
「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in 京都」展示風景。撮影:田中英行
「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in 京都」展示風景。撮影:田中英行

みうら:ありがとうございます。2021年の大山崎ではお見せできなかったものも、いろいろ展示してみました。

鈴木:みうらさんの代名詞のひとつでもある「飛び出し坊や」もありました。子どもの飛び出し事故対策として全国に設置された看板ですが、たしか18歳だったみうらさんが琵琶湖畔をドライブ中、その看板を見て「飛び出し坊や」と名付けたんですよね。それ以来集めていらっしゃるとか。

みうら:そもそも「飛び出し坊や」は1973年に滋賀県東近江市(当時・八日市市)の、看板の製作や施工を行う久田工芸さんが生み出したものです。大山崎のとき、美術館の方がお願いし、僕バージョンのものを作ってくださった久田工芸さんには感謝しています。

鈴木:愛されていますよね、「飛び出し坊や」もみうらさんも(笑)。

遠山:今回、「マイブームの全貌展 in京都」を観たことを周りに話したら、とっても羨ましがられたんです。「東京にも巡回しないのかな?」と。

みうら:首都圏では僕が還暦を迎えたときの2018年初頭に、川崎市民ミュージアムで「MJ’s FES みうらじゅんフェス!マイブームの全貌展 SINCE 1958」を行いました。その後、富山、盛岡、大山崎、埼玉、茨城、仙台と依頼があってツアーを続けることになりました。そして今回の「美術館『えき』KYOTO」(ジェイアール京都伊勢丹内)です。

遠山:みうらさんのコレクションやイラスト作品がアートとして評価され、美術館で展示されたのはいつ頃からですか?

みうら:アートとして評価されたことはないと思いますよ(笑)。僕はただおかしなことを続けているだけなんで。それまでは原宿のラフォーレや渋谷のパルコなどで催事としてやっていましたから。2014年には「国宝 いやげ物展」(パルコミュージアム/渋谷パルコ パート1・3F)というものまでやったぐらいです。僕のなかでは美術館も商業施設も括りはあまりないんですが、置き場所によってそれらが美術品に見えたり見えなかったりするところが面白くて。

遠山:それが狙いだったりもするんでしょうね。

みうら:もちろん、そこはあります。大概の人は箱(施設)でモノを見ますからね。僕自身はアーティストだという自覚は全くありません。でも、由緒ある場所や公的な箱の中で行われると、アーティストだってことになるんでしょうね。

みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」展示風景の一部。撮影:鈴木芳雄
みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」展示風景の一部。撮影:鈴木芳雄
みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」展示風景の一部。撮影:鈴木芳雄
みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」展示風景の一部。撮影:鈴木芳雄

エロ本がこの世からなくなってしまうことを必死で食い止めたい

遠山:場所やクライアントによって「これはちょっとダメかも」とか、あるいは逆に「ここはノリが良いから展示しちゃえ」とかそういう判断の差はあるんですか?

みうら:そうですね、結局は箱の大小。並べきれるか、それが判断基準です。

鈴木:うーん……ではエロはどうでしょうか?

遠山:ここにあるスクラップブックの山は観てもいいんですか?

みうら:観ちゃダメです! それは全部エロスクラップなので勘弁してください。このご時世なのでね。1996年に「タモリ倶楽部」で「みうらじゅんエロスクラップ30巻完成記念パーティー」という回を企画、放送してもらったことがあったんですけどね。その頃は大らかな時代でした(笑)。

鈴木:みうらさんらしい企画ですね(笑)。

みうら:つーか、そんな企画しか持ち込んだ覚えはありませんから(笑)。タモリさんのほか、松尾貴史さん、ひさうちみちおさん、田口トモロヲさん、久住昌之さんといった出演陣が、みんなタキシード着てね、僕が30巻目を貼り終わるのを待っているんです。そして貼り終えたところで全員が拍手喝采、大団円を迎えました。

遠山:素晴らしいですね。動画サイトに上がっていないかな(笑)。

みうら: たぶん誰かが上げているでしょうね(笑)。「観ちゃダメ!」と言ったのは自主規制ですから。基本、大概の企画は僕がプロデューサーなものでね。『週刊文春』の連載「人生エロエロ」も毎回、それを念頭に置きつつ書いています。

遠山:当時から「エロスクラップ」の元ネタになる雑誌などは、ご自身で買い集めていたんですか?

みうら:もう45年以上続けてますので、そりゃエロ本に何百万円使ったかわからないですよ(笑)。1996年の当時で30巻。今思うとゾッとするくらい少ないですよね。20歳の頃から始めたので、まだふんだんにエロ本を買う軍資金がありませんでした。だからゴミが出る日に街を徘徊して、エロ写真が載っていそうな雑誌を持ち帰ったりしていましたね。

鈴木:神保町の古書街なんかも行きますか?

みうら:もちろん。今じゃ常連ですから(笑)。2ヵ月に1度は行っていると思いますよ。だから、この世からエロ本がなくなることを誰よりも恐れていますし、必死で止めようと買い続けてるんだと思います。

遠山:買ってきたらすぐにスクラップするんですか?

みうら:はい、それが目的ですから(笑)。写真集は買ってきて、すぐに全ページをバラバラにします。

鈴木:スクラップではたしか、見開きごとに意味のあるシリーズもあるんですよね?

みうら:お詳しいですね(笑)。基本、見開きページがステージ。若い頃は資料的な感覚で、気になるエロ写真やエロ記事をただスクラップしていただけなんですけど、いろんな変遷があり、今はストーリーを大切にしています。そのため豪邸の写真集を買いに行ったりもします。エロにとってムード作りは一番大切ですからね。

遠山:豪邸ですか(笑)。

鈴木:つまり右ページに豪邸の写真、左ページにエロ写真、みたいなことですか(笑)。

みうら:その豪邸でコトが行われている、というようなイメージ作りですね。その豪邸の本ってやつも結構高いんですよね。でもやっぱり、豪邸とエロの相性が良くてね。買っちゃいます(笑)。

鈴木:文章はあるんですか?

みうら:そりゃ、ストーリー作りに文章は大切ですから。いろんなところから引っこ抜いて写真の横に添えるんです。だから僕の人生は、 ずっとレイアウトと編集なんです。本来の意味や役割を解体して再構築するのが好きなんです。

「あんた、どうかしているよ」という言葉で「どうかしている人」に徹すると決めた

遠山:さらにさかのぼってみると、みうらさんはどういうお子さんだったんでしょう?

みうら:展覧会にも並べていますが、スクラップブック作りは小学1年生から始めた怪獣スクラップが最初です。親に雑誌を捨てられないようにと、怪獣の写真や記事を切り抜いて、貼り出したんです。そうして自分の創作物にしてしまえば、捨てられないだろうという子どもながらの知恵でした。

鈴木:原点は「自分の作品にしてしまう」なんですね。小学生のときは友達に見せたりしましたか?

みうら:僕には収集癖がありましたが、発表癖もありましてね、自作の漫画雑誌を作って、うちに遊びに来た友達に読ませたりしたんですが、そこまで興味がないようでね(笑)。だから読者獲得のために営業努力もしだすんです。昔からやってきたことは「ひとり電通」だったんです。企画、制作、営業、すべてセルフでするという。

遠山:または「ひとり出版社」か「ひとり編集部」ですね。

みうら:そうです。漫画と文章だけじゃなく、編集長でもあったので、締め切りには厳しかったですね(笑)。なんだかいつも忙しかったなあ。それは今も変わっていないですね。結局それが仕事なんだと思います。

鈴木:「えき」の会場には仏像のスクラップブックも大変な数が展示されていました。

みうら:仏像ブームは小学4年生から始めました。ただし、仏像のスクラップブックを喜んでくれたのはうちの母方の祖父だけでしたけど(笑)。その祖父は、拓本(木や石、また石碑や器物に刻まれた文字や文様を紙に写し取ったもの)が趣味でした。それが高じて高価な本まで作ってね、親戚が集まる新年会で売りつけている現場も目撃しています(笑)。

遠山:身内にそうしたモデルケースがあったわけですね。ムサビ(武蔵野美術大学)に通い始めると、そういうブームやスクラップブックに理解を示す友達は見つかったんじゃないですか?

みうら:美大に入ったことの喜びは理解者を2人増やせたことでした。すごく嬉しかった。僕が物心ついたときから感じていたのは、既存の趣味や価値観には、揺るがしがたいヒエラルキーがあるということでした。結局はお金持ちには敵わない。だから僕は世間的な流行から離れていたいと思ったし、もっと自由に独り相撲できることばかり考えていたんです。

鈴木:なるほど。では、ロングセラーでもある『見仏記』でご一緒されている、いとうせいこうさんとはどんなご関係ですか?

みうら:仏友になったいきさつは、いとうさんが初めてうちの事務所に遊びに来てくれたとき、僕が仏像スクラップを見せたことに始まります。「おれも興味あるんだよね」って、いとうさんがぽつりと言ったんです。それで盛り上がって、部屋の電気をつけることも忘れ、暗い中でしゃべり続けました。

遠山:想像すると微笑ましいですね(笑)。

みうら:そのスクラップを見て、「あんた、どうかしているよ!」と、いとうさんが突っ込んだんです。たぶん僕はその言葉を長い間、待ってたんでしょうね。以来、僕はいとうさんの前ではボケ役を務めるようになりました。その後すぐ、僕が連載の仕事をしていた中央公論社(現・中央公論新社)に電話をかけ、『見仏記』の企画を持ちかけたんです。それが来年で33年を迎えます。

鈴木:恐らくいいタイミングで持ちかけているんでしょうね。編集者がなんとなく首を縦に振ってしまうような(笑)。

みうら:だって「ひとり電通」ですから(笑)。元来、“普通のこと”が苦手なふたりで、とにかく今までの仏像本とは違うことを目指しました。いとうさんとは、仏像以外にも「ザ・スライドショー」(1996年に始まったショーステージ)というライブも始め、武道館公演やハワイ公演までしました。

遠山:2020年ころから、世の中が「土の時代」から「風の時代」に移っていると言われているのをご存じですか? 資本主義を生み出す大きな組織やお金に頼るのではなく、目に見えない幸福や自身の充足感を物差しにする時代になっているという見方です。お話を伺っているとみうらさんの場合は一貫して後者で、何か大義や目的があるわけではなく、心赴くままにしていたことが、ある人たちの心をつかみ、奇しくも大きな成果につながったように見えます。

みうら:いや、少なくとも何かを目指してやっていたら、こうはなっていないと思うんですよね。僕の目指しているものは、何も目指さないこととも言えます。「まともさ」を押し付けてくる雰囲気には敏感ですから。

テレビコンテンツにもなった「見仏記」。33年前に中央公論社から発刊された1冊目の『見仏記』の中で「三十三年後三月三日三時三十三分三十三間堂で会いましょう」と約束したおふたり。その約束が来年2025年3月3日に迫っている。

アーティストではなく、横尾さんになりたかっただけ

みうら:僕はよく「マニア」と思われる節があるのですが、たぶん違うと思います。それは心血注いで人生をかけているマニアの方を何人か知っているからなんです。

遠山:実際にご存じの「極めたマニア」とはどういう方なんですか?

みうら:本当のマニアの方は、「私は今、この世界では何番目」って言い切れる人なんですよ。それだけその世界をくまなく把握しているんですね。極めていくと自分が世界レベルで大体どこらへんまで行っているかわかる。そういう人が本物だと思っています。

鈴木:たしか、みうらさんはボブ・ディランの日本公演のお仕事もされていましたよね?

みうら:ボブ・ディランさんのレコードを各国盤で集めていた頃です。ソニーの方からオファーが来て、来日キャンペーンに参加してもらいたいと。だからそのときの公演はすべて見ています。2001年のことだったと思います。北九州・小倉の楽屋で初めてお会いしたんです。めちゃくちゃ緊張している僕を、通訳の方がボブさんに紹介しながら、「ミュージシャンであり、ライターであり、漫画家であり……」と長々説明してくれたんですが、最後にボブさんはなにかボソボソと言ったんです。気になって楽屋を出たあと、通訳さんに尋ねたら、ちょっと言いにくそうに「彼には定職はあるのか?」と言っていましたと(笑)。スゴイですよね、僕のことを一言で言い表してくれたんですから。

鈴木:みうらさんは、吉田拓郎さんについてもあちこちで言及されていますよね?

みうら:ボブ・ディランを知るきっかけを作ってくださったのが拓郎さんですからね。「吉田拓郎さんになりたい」とずっとノイローゼのように思い詰めてました。

遠山:本棚には横尾忠則さんの本がいっぱいありますが。

みうら:だって僕の神様ですから。拓郎さんを知った中学3年生と同じ時期に、地元の京都書院という書店で、この分厚い『横尾忠則全集 全一巻』が目に飛び込んできたんです。

鈴木:私もこれは持っています!

みうら:衝撃的でしたよね。開いてみると、最初に出てきたページが、花畑のある漁村みたいなところで横尾さんが戯れていらっしゃるような写真でね。瞬間的に「この人はロックスターなんだ!」と思ったんです。ロックミュージシャンのようなフェロモンを感じたと言うんでしょうか。そして、「この人になりたい!」が出て(笑)。作品ももちろんなんですが、まず横尾さんのルックスにビビッと来たんですよ。

遠山:ひょっとしてムサビ(武蔵野美術大学)を選んだのも、横尾さんの影響ですか?

みうら:当然です(笑)。横尾さんになろうと思っていっぱい本を読んだら、横尾さんが「ムサビを目指した」って書いてあったから。ただそれだけの理由なんです。

鈴木:現在『朝日新聞』で連載されている「みうらじゅん マイ走馬灯」の「コロナ画」を見ていると、ちょっと横尾さんの絵を彷彿させるものがありますね。

「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」(ジェイアール京都伊勢丹 美術館「えき」KYOTO)で展示された「コロナ画」。

みうら:それ、ときどき言われるんですけど、もう嬉しくって仕方ありません。神様に少し近づけたのかもしれませんからね(笑)。

鈴木:みうらさんは、コロナ禍になって「コロナ画」を自主的に描き始めたんですよね。横尾さんも2020年~2022年末まで「WITH CORONA / WITHOUT CORONA」という作品群1000点超をインターネット上で発表されていました。「頼まれてやる仕事がデザインで、頼まれなくてもやるのがアート」という定義の仕方をするならば、やはりみうらさんのやっていらっしゃることはアートではないでしょうか。

みうら:いや、どうでしょう? 僕の場合、単にコロナ禍に入ったとき、「ここ何年もの間、頼まれた仕事しかしなくなってるじゃん、オレ」と思って反省したんですよね。小学生のときの気持ちに戻って描き始めただけです。僕はただ横尾さんに憧れ続けるファンなんだと思います。

鈴木:冒頭の「みんな箱で騙される」という話がありましたけど……。

みうら:だから僕を一端のアーティストだと思っている人は、箱に騙されているんだと思いますよ、きっと。

遠山:いったい、みうらさんは何者なんでしょう? タレント? コラムニスト?

みうら:僕はおそらくザシタレ(雑誌タレント)なんでしょうね。ザシタレなんてたぶん、皆さん聞いたこともないでしょう。自ら名乗っているだけですけどね(笑)。僕はたまにテレビも出ますが、当初からずっとタレント業に違和感がありました。それはやはり自分のベースが雑誌にあるからなんですよ。

鈴木:言われてみれば……たしかに活動内容は雑誌タレントですね。

雑誌『ガロ』で「ウシの日」という漫画でデビュー。事務所にあった原画。

みうら:昔はたくさん、雑誌企画に顔出しして、ルポに行ったりする人がいたんですけどね。今はほとんどおられない。たぶん僕が「ラスト・ザシタレ」になるのかもしれません。

遠山:「みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in京都」は8月末まで続きますね。

みうら:あ、はい。そのようです。ザシタレとしては展覧会が終了しても活動は終わりませんからね。

鈴木:みうらさんの「FES=祭り」はまだまだ続きそうですね。

みうら:続いてくれると倉庫代が助かるんですがね。うちの秘書もそう言ってます(笑)。

事務所で出迎えてくれた、みうらさんの“秘書”。

Information

みうらじゅんFES マイブームの全貌展 in 京都
美術館「えき」KYOTO
2024年7月13日(土)~2024年8月25日(日) 10:00〜19:30(最終入館/19:00)
入館料:一般1000円、高・大学生800円、小・中学生600円

京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町 ジェイアール京都伊勢丹7F隣接
JR「京都駅」直結
Tel.075-352-1111(ジェイアール京都伊勢丹・大代表)
会期中 無休
駐車場有
▶︎https://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/

profile

みうらじゅん

1958年京都生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、イラストレーター、エッセイスト、ミュージシャンなど、幅広く活躍。1997年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞に。「ゆるキャラ」の命名者でもある。2005年、日本映画批評家大賞功労賞受章。2018年、仏教伝道文化賞 沼田奨励賞を受賞。
[みうらじゅんオフィシャルサイト ▶︎http://miurajun.net/

profile

遠山正道

1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。

▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/

profile

鈴木芳雄

1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

▶︎https://twitter.com/fukuhen

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