「収集ってほど立派なものでもなく、ほんとにテキトーなんです」
――「自分の気に入った作品はすぐに外国に出ていっちゃうし、友人たちの好きな作品もたくさん手元にあるから、そういったものを見てもらえる拠点に」(奈良)。「N’s YARD」は、奈良氏とその友人たちの現代美術家の作品に加え、奈良が長年大切に集めてきたレコードジャケットやオブジェも展示する。LAのギャラリーBlum & Poe(現在のBlum)を参考にしたという、やわらかな採光に包まれる空間で、奈良氏自身のナビゲートを受けながら館内を見て回った。
鈴木:連載36回目の今回は、アーティストの奈良美智さんの制作拠点、栃木県・那須塩原市にある、アートファンにとっての聖地のひとつ「N’s YARD」にやってきました。
遠山:(館内に設置されている「N」のオブジェを見て)“N”は当然、奈良さんのNなわけですが、この“N”はここのためにオリジナルでこしらえたものなんですか。
奈良:いえいえ、これはgrafと一緒に制作をしていたときにつくったものが倉庫にあったので持ってきました。
鈴木:2006年に青森県弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫(現:弘前れんが倉庫美術館)で大阪拠点の「ものづくり」集団、grafとともに開催した「Yoshitomo Nara + graf AtoZ」のときのものですね。たしか会場の1階のどこかにYOSHITOMO NARAとgrafを意味する“YNG”の木製のロゴが、かなり目立つかたちで掲げられていました。
奈良:その“N”だけを持ってきました。ここにちょうどいいと思って。
遠山:なるほど。こちらの「N’s YARD」の展示は、いつも奈良さんご自身でされているんですか?
奈良:毎年だいたいクリスマスくらいから閉めて、休館にして。暖房代もかかりますから(笑)。それで「何を飾ろうかな」と思いながら、年を越して、たいして何も考えていなかったことに気がついて慌てて、だいたい3月になってから、バタバタっと展示して開館してます。ほんとテキトーなんです。
鈴木:作品だけでなく、趣味のコレクションなども多く展示されていますが、収集癖みたいなものは、子供の頃から?
奈良:収集ってほど立派なものではなくて、ただ単に拾ったり捨てられない癖みたいな。でも子供の頃とかは、友達が買ったプラモデルの、箱だけもらって集めたりもしてましたね。なんか、同じものをたくさん集める癖があって。
遠山:このカバの貯金箱とかがまさにそう?
奈良:そうです、そうです。それはフィンランドのカバたち。こっちのシャンプーとリンスはたぶんアメリカで、使わないのに入れ物が欲しくて買ったのかな。
遠山:私もPASS THE BATONっていうセレクトリサイクルショップみたいな事業を立ち上げてるんで、ちょっと気持ちがわかるところ、あるかも。
奈良:いやいや、僕の場合はそんな立派なもんじゃなくて。テキトーです、ほんとテキトー。
「僕がほんとうになりたいのは、昔も今も『自由な人』だよなって」
遠山:奈良さんといえば、音楽のイメージが強くあります。ここにもボブ・マーリーやパティ・スミスの写真がありますね。
奈良:そのへんは友人でもあるダン・アッシャーが撮った作品ですね。好きなものだから、わりとずっとここに飾ってるかも。
鈴木:そして、ズラリとレコードのコレクション。
奈良:奈良といえばパンクロックばかり聴いている、とかってイメージがあるかもしれないけど、それはセックス・ピストルズが登場した高2からの話で。9歳離れた兄がいろんな音楽を鳴らしていた影響で、小学生の頃からビートルズもストーンズも聴いていたし。中学の頃からはビージーズのようなポップスとか、ボウイみたいなグラムロックとか、ティム・バックリイやヴァン・モリソンのようにジャンルを限定できないような人とか、いろいろ聴いていました。
鈴木:ご実家の近くには三沢基地があるから、FEN(極東放送網、Far East Network。現AFN)とかも聴いていたとか?
奈良:聴いていました。小学校から中学にかけては、ベトナム戦争だったのでいろんな反戦歌も流れてきて。
鈴木:そうなんだ? FENって御用ラジオでそういう反戦歌はご法度なんだと思ってました。
奈良:いや、そのへんは、視聴者である米軍従事者や家族、関係者が聴きたいものは流してよいということになっていたみたい。そもそも緊急時のために開設されていた局だから、ふだんはヒマで、日本語の教育番組とかのほかに流すもんないから、音楽番組ばかりプログラムされていたみたいです。
鈴木:音楽といえば、青森県立美術館の「奈良美智: The Beginning Place ここから」に登場したロック喫茶「33 1/3」の再現も非常に印象的なものでした。あの作品の元ネタは、高校時代に、弘前で実際に建築から手伝ったロック喫茶だったんですよね。
奈良:元ネタというよりも完璧に近い再現です。自分は中学の部活は柔道部で、高校はラグビー部なのに、手先が器用で、絵が上手い上手いとよく褒められて、音楽にやたら詳しい17歳。ロック喫茶づくりに誘われたのはそういう僕でした。開店した喫茶店に来る、ヒッピーっぽい美術系の大学生たちがやたらと自由に見えたんですよね。
遠山:そこで、美大行きをすすめられたんでしたっけ。
奈良:「奈良くんは、絵が上手いから美大に行きなよ」って。たぶん弘前大学の教育学部の美術専攻の学生さんが言ってくれたと思うんだけど。そのときは「えー! 僕なんかが受験してもいいの?」って。
遠山:そのときに、現在の自身の姿を想像していました?
奈良:いやいや。絵描きになろう、アーティストになりたいなんてことは1ミリも思ってなかった。喫茶店に来ていた彼らを見ながら、美大に行くと「こういうふうに自由な感じで生きていけるのかなー」って。
遠山:ははは。
奈良:ここに来て最近、つくづく思うんですよ。たまたまこういうふうに美術の世界で運よく成功したけれど。僕がほんとうになりたいのは、昔も今も「自由な人」なんだって。
鈴木:それは、ずっと見ていて、なんとなくわかる。
遠山:ちなみに当時、ベトナム戦争の時代に見聞きしたものが、その後の作品づくりなどに影響していますか。
奈良:そうですね。もっといえば戦争もそうだし、アメリカの公民権運動なんかもそうですね。
鈴木:ドイツ滞在中には、ベトナムから来たボートピープルたちと交わる機会もあったとか。
奈良:そう、そう。彼らは自分と同年代だったので、デュッセルドルフの学生寮で出会った彼らから、あの戦争がもたらしたものの大きさを直接聞いた経験も大きかった。自分の中にある反戦、反核、反権力的な思考は、そういった直接的な体験や話を聞いたこと、また当時流れていた音楽によって育まれたんでしょう。それはそのまま、作品にも表れているのかも。
「褒められて、嬉しくなってカメラでたくさん撮ってた時期もあった」
鈴木:奈良さんは、写真もたくさん集めていて、ここにも展示されていますね。今期でいえばダイアン・アーバスとか。あの代表作のオリジナルプリント、よく買えましたね。オークションかなにかで?
奈良:いや、普通にアートフェアでなんですけど。値札の桁、間違えて買ったんですよ(笑)。同じエリアに、エルスケンもありますよ。
鈴木:ほんとだ。
奈良:これは、エルスケンの展覧会のポスターや、書籍『セーヌ左岸の恋』のカバーに採用されていた。高校出て上京した頃にそれを見ていて、エルスケンという人物を認識していなかったけど、ずっと「いいな」ってイメージが頭に残っていて。あるときタカ・イシイギャラリーさんにお邪魔したら、スタッフルームに飾られていて、サイン入りのオリジナルプリントだったから、迷わず「ください!」と。
鈴木:サインが入ってたから。なるほど。
奈良:僕が集めたり買ったりしている写真はモノクロが多いんだけど、エルスケンについては、彼が最初に撮ったカラーの写真も持っています。
遠山:写真は、ご自身でも昔からかなり撮られていますね。
奈良:かなり撮りましたね。荒木経惟さんに褒められたりして、嬉しくなってカメラでたくさん撮っていた時期もあったけど、最近はもう、iPhoneばかり。
鈴木:日本人のフォトグラファーの作品もかなり持っていますよね。
奈良:はい。今期は飾ってないけど、荒木(経惟)さん、畠山直哉さん、森山大道さんとか好きで持っています。
遠山:ご自身の作品にもなんらかの影響を受けたり?
奈良:それはそうなのかな……。写真といえば、ベトナム戦争の時代の沢田教一のピュリツァー賞を獲った有名な写真、あるじゃないですか。
鈴木:母子が川を渡って逃げる「安全への逃避」ですね。
奈良:この「A Sinking Island〜」は温暖化をテーマにした作品ですが、水をモチーフにしたものは、昔からたくさん描いてるんです。よく考えてみたら、初めて沢田さんの「安全への逃避」を見たときに感じたものに影響されているのかも。これは最近気づいたことだったんですけどね。
遠山:どこかで「もともとは、フォトジャーナリストになりたかった」と話していましたね。
奈良:そう、そう。
「僕も、絵の描き方はずいぶん変わっていますよ」
鈴木:この「N’s YARD」は、ご自身の作品とともに、あっと驚くようなアート界の巨匠の作品から、期待の新鋭まで、奈良さんの目線で実にフラットに、並列に展示されているのが特徴ですね。
遠山::入ってすぐのところにまず、ジャン・デュビュッフェ。
奈良:それは、あの展示エリアでいちばん高いものですね(笑)。ある資産家の方からいただきました。
遠山:えぇ! さすが……世界が違う。
鈴木:ほんとだね。それから、レイモンド・ペティボーン。
奈良:90年代初めくらいに買ったのかな。ドイツで暮らしはじめてまもなくの頃。彼がまだ今ほど有名でなくて、ケルンで500マルク、4万円くらいで。
鈴木:展示室4の……これはなんだろう。
奈良:これはフィリップ・ガストンです。
鈴木:え! これガストンなんだ。2022年かな、ボストン美術館で展覧会やっていましたね。
奈良:ガストンは大好きな作家のひとり。ガストンの絵がダメになったって言われてた時期があるじゃないですか。
鈴木:えぇ、そうですね。
奈良:そう言われていた時期にガストンは「でも、今はこれしか描けないんだ」って。その言葉が自分はすごい好きで。
遠山:そういう感じ、奈良さんらしいですね。
奈良:たとえばマティスなんか、その年齢と作風の変遷を眺めていると、やっぱりすごいなと思うんです。自分の老化とうまく付き合えている。
鈴木:奈良さんも、すっかり巨匠だけど?
奈良:あはははは。鈴木さんとは、初めて会ってからずいぶん時間も過ぎたもんね。僕も、絵の描き方はずいぶん変わってますよ。巨匠のままで、なんてもちろん思ってるわけではなくて(笑)。最近は、目も悪くなってきたから、細かいのはもう無理かもしれない。刷毛とか使って、大きなものを描いてます。いや、言うほど描いてなくて、描きかけのものを、ただ眺めている時間が長いけど(笑)。
遠山:新たに生まれくる、若い作家たちの絵を見ていて、なにか思うことはありますか。
奈良:最近は、インスタとかでみんな自分の作品をあげたりするから、簡単に知ることができて面白い時代ですよね。国内外問わず、いいなぁと思う人は、SNSで交流することもできるし。
鈴木:そうやって知り合った若い人も集めた、展覧会も近年開催されていましたね。
奈良:その一方で、インスタグラムとか眺めていると、どう見たって、僕の絵を見て描いてるだろって、海外の若い作家もいて。なんだかなぁと思ったりもするんだけど。でも、よく考えたら、僕も世の中に知られてだいぶ経つから、あの描き方自体が定着しちゃってんのかな(笑)。
「友達や若手の作品もここに合うかなと思ったら飾ってます」
鈴木:これは大きい絵ですね。奈良さんの絵でここまで大きいのは、なかなかないよね。
奈良:そうですね。あんまりないですよね。
遠山:これは杉戸 洋さんとの共作ですね。
奈良:2004年にドイツのミュンヘンでの展示会に呼ばれて、杉戸を誘って、ウィーンでふたりで描いたものですね。僕が描いたように見えるとこが実は杉戸が描いていたり。
鈴木:へぇぇ(笑)。
遠山:奈良さんの教え子になるんですよね。
奈良:僕が美術系予備校で講師を務めていたときに、彼が高校生で通ってきていて。年齢は10くらい違うんだけど、ウィーンに彼が持ち込んできたCDのラインナップが僕のと被りまくっていて可笑しかったな。
遠山:こちらの小田瀧 秀樹さんは?
奈良:彼は、友達のなかでも僕の実家まで遊びに来た数少ないヤツ。若くして、ガンで亡くなってしまったんですけどね。
鈴木:こちらは中原正夫さん。面白い絵を描く方ですね。
奈良:この人は、僕より年上なんですけどね。僕がドイツに住み始めた頃、アトリエを貸してくれたりしたんです。今もデュッセルドルフで活動されているんですけど、作品は青春そのもの。大人のドロドロの一歩手前の、若い男女をいつも描いている。
遠山:トーテムポール風の作品が、インパクト大の黒瀧舞衣さん。彼女の作品は、私も東京藝大の卒展で見て、実は購入しました。
奈良:そうでしたか! いいですよね、彼女。あるとき会って話してみたら、お父さんが造船技師で子供時代は室蘭、小樽、青森、函館を転々としていたんだって。それ聞いたら、なんかこう、自分ともつながっているかなと思って。
鈴木:私が前に来たときには、このスペースには村瀬恭子さん、小林孝亘さんの作品が飾られていましたよね。
奈良:そうですね。僕の予備校講師時代の教え子とか、愛知県立芸術大学の恩師である画家の櫃田伸也(ひつだのぶや)先生に学んだ人とか、あとは、SNSで知り合った人とか。この場所に合うかなと思ったら、展示しています。
「自分が心地よいと感じるルーツというか、思い出を掘っているような気持ち」
遠山:こちらのN’s YARDは、知っている方に言わせると、まるで奈良さんのアトリエやご自宅を見ているような、そんな空間だそうですね。
奈良:恩師の櫃田先生にも言われたんです。「絵を見るより、お前の部屋を見ているほうが面白いよ」って。
鈴木:奈良さんがいつも言う、「好きなものに囲まれている」空間そのものですね。
奈良:ほんと、テキトーなんですけどね。冷蔵庫の中にあるあり合わせのもので、おかずをつくるような。
遠山:そこには、奈良さんの大小さまざま、作風もいろいろな作品が並ぶから、訪れる人にはたまらないでしょう。
奈良:うんと若い頃から、好きなミュージシャンのジャケットを勝手にイメージして描いてつくって、自分の部屋に飾っているようなところがありましたから。そのへんはあんまり人間が変わってないってことですよね。
遠山:奈良さんが、友人や若い人たちの作品を大切に自分の作品と同等、あるいはそれ以上の扱いで展示していて。その愛のあふれる様子に今回一番感動しました。
鈴木:こちらは2018年に開館して、6年経ちました。拠点を那須に移されて、居心地はいかがですか。
奈良:弘前と東京の間に位置する土地だし、もともと都会が好きではなかったから、いいとこだなと。でも最近になって、ちょっと東京と近すぎるかなあと思うようになりました。
遠山:お客さんには、アクセスいいでしょうけど。
鈴木:まぁ、それはそうだね(笑)。また、どこか違うところに行きたくなっています?
奈良:そうですね。最近よく通っている洞爺湖のある北海道とか。
鈴木:そういえば、ここのところ、Spotifyの番組とかで、何度かアイヌの人々や文化について話されているのを聴きました。
奈良:もともとうちの実家は神職の家系で、僕の兄ふたりが育った神社は乳井(にゅうい)神社というんですが、これはアイヌ語で“深い森の入り口”という意味なんですよ。
鈴木:その話は今回初めて聞きました。
奈良:今まであんまり言っていませんもん。でも、中学校の隣のクラスにアイヌの人がいたりとか、北東北だとアイヌ語の地名もたくさん残っています。だから、そこまで意識して話すことはなかったのもある。
遠山:でも、北海道などに通うようになって、そういったカルチャーにも新たな興味が湧いてきたと?
奈良:新たな、というよりむしろ、自分が心地よいと感じるルーツというか、思い出を掘ってるような気持ちですよね。今ごろになって思うんですよ。僕がなりたかったのは、いわゆる「アーチスト」じゃなくて、いつも「自由な人」でいたいということなのかなって。
鈴木:その自由な人になりたかった人は、6月からスペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館で個展が始まるそうですね?
奈良:そうなんです。でも、新作は1点もありません。ドイツにいた90年代は、年間で120作くらい描いたもんだけど、去年なんて2作くらいしか描いていない。
鈴木:アトリエに、未発表作はあったりしないのかな。
奈良:ドローイングならいっぱいあるけど。まぁ、人に見せたいものはあんまりないかな。
鈴木:ペインティングは、もう描かない?
奈良:いや、そんなことはないけど。年間120枚描いていた時代みたいには湧いてこないから。ただ、ときどきふっと頭に浮かぶことがあるんですよ。「あそこにあの色を置いたらいいのか!」みたいなイメージがふっと頭に浮かぶときが。
鈴木:それは、那須でなく、洞爺湖とかそっちのほうが浮かびやすいとか。
奈良:どうかな。そうなのかもしれませんね。なんかね、昔から端っことか、小さなコミュニティが好きなんですよ。なんか自分の理解の範囲に収まる感じがする。
遠山:奈良さんの「森の子」もある麻布台ヒルズに、「舞台裏」という私が運営している小さなギャラリーレストランがあるんですが。そちらで、写真の展示なんていかがですか。
鈴木:さすが、タイミングよくオファーするね(笑)。
奈良:なんか作品たちの居心地が悪そうだけれども、そこで地方の面白くて有意義な活動を紹介する、ということならなんかやれるかも、ですね。
鈴木:自由な人になる道のりも、まだいろいろありそうですね。今日はありがとうございました。またぜひお話ししましょう。
N’s YARD
栃木県那須塩原市青木28-3
Tel : 0287-73-5711
Fax : 0287-73-5712
開館時間:10:00 - 17:00
※入館は16:30まで
ショップ・カフェの営業時間:10:00-17:00
※カフェのオーダーストップは16:30
休館日
毎週火曜日・毎週水曜日
詳細はサイト内営業カレンダーでご確認ください。
冬期休館:毎年12月下旬から翌年3月上旬にかけて休館
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profile
1959年青森県に生まれる。1987年愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。1988年渡独、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学。修了後、ケルン在住を経て、2000年帰国。1990年代後半以降からヨーロッパ、アメリカ、日本、そしてアジア各地のさまざまな場所で発表を続ける。作品が国内のみならず海外の美術界でも高い評価を受ける一方、都会から離れた土地で暮らす人々の小さなコミュニティーへ個人的に訪れ交流を続ける。2006年以降制作拠点としていた那須で、2018年、N’s YARD を設立。北海道をはじめどこへ行くにも車1台で飛ばしていくという車好き。
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/
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1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。
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