どんな欠片にもインスピレーションがある
宮城県南部、大蔵山スタジオの敷地を訪れると、いわゆる石切場や採掘場のイメージとは異なる風景が広がっている。視界に入るのは、緑豊かな里山の景色。多様な植生によって彩られたのどかな環境に、凛とした風情の岩や石が散在する。大蔵山スタジオを率いた先代の山田政博さんが、この一帯の緑化事業を始めた成果なのだという。
大蔵山スタジオは、初代の山田長蔵が1925年に伊達冠石の採掘を始めたところから始まった。長らく墓石などを中心に用いられたが、1972年に彫刻家のイサム・ノグチがこの地を訪ね、自身の作品に伊達冠石を使いはじめる。やがて多くの文化人との交流が増え、大蔵山はサロンのような場になっていく。5代目にあたる山田能資さんは、父の意志を受け継いで敷地内のさまざまな整備を進めている。
学生時代に絵画の個展を開催するなどしていた山田さんは、ロンドンに留学してグラフィックデザインを学び、帰国後に家業を継ぐというバックグラウンドをもつ。
「ニューヨークかロンドンで勉強しようと考え、どちらも一人旅で見に行ったら、ロンドンのほうが感覚に合っていました。ニューヨークは刺激的だけどスピードが速すぎた。ロンドンは古いものと新しいものが混在しているのがいいと思いました。また当時のカルチャー誌を通して知るロンドンの生活は、とてもおもしろく見えたんです。デザインの勉強は、いつか家業に役立つかもしれないと思っていました」
帰国後は石材店や採石場で働いて経験を積み、石の扱いに慣れていった。石にも木の木目と同じように「目」があり、熟練した職人はそれを一瞬で見つけて見事に石を割っていくのだという。目が読めないと石はバラバラになり、資源の無駄遣いになってしまう。
「石切場で働いている職人は野武士のような印象でした。ただし親方は目利きで、感性がすぐれていなければ決してできない仕事です。目を読むには数十年の経験が必要ですが、石の表面に見られる細かいキズなどは、だいたい1〜2年くらいで判別できるようになります」
石の世界に足を踏み入れた山田さんは、やがて伊達冠石の魅力に強く惹かれるようになっていった。大きな石に入った割れ目の暗闇が、特に好きなのだという。
「その暗闇に引き込まれそうになります。イサム・ノグチさんは亡くなる少し前に、相方であった和泉正敏さんに『そろそろ石の中に入ってもいいかな』と漏らしていたそうです。石に入るというのは、何となくわかる気がする」と山田さん。伊達冠石の割れ方は、特に美しいのだそうです。
「もともとマグマだった石ですから、その伸縮によって奥までヒビ割れが生じます。割れた石や落ちている石も1個1個がすごいインスピレーションを与えてくれる。こちらに語りかけてくるんです」
大蔵山の敷地を進んでいくと、三角の屋根をもつ建物が現れる。山堂サロンと呼ばれるもので、2004年に完成した。大蔵山スタジオの文化活動の拠点に位置づけられる場所だ。さほど大きな建物ではないが、木や石をふんだんに使った設えは、明らかにたっぷりの手間と時間がかかっている。
内部に足を踏み入れると、1本の直立した巨石に驚かされ、圧倒される。柱状節理と呼ばれる状態の伊達冠石だが、このように長さ4mに及ぶものはとても珍しい。
「巨大な石を立てることは、ストーンヘンジのように大昔から行われています。これはおそらく宗教とも違い、信仰が生まれるずっと以前から人間が行ってきたことだと思います」
火山から噴き出した溶岩が、海底に沈んでから隆起して、伊達冠石が生まれたのは今から2千万年前とされる。それでも岩石の中では、比較的新しい部類に入るのだそうだ。きわめて長い時間軸の中で、人は石と関係をもち、生活や文化の中に取り入れてきた。大蔵山スタジオの活動は、そんな時間軸の先端にあると言える。
石の力が、気鋭のデザイナーを引き寄せる
山堂サロンに併設したショールーム・スペースでは、大蔵山スタジオがつくってきたものが展示されている。伊達冠石の家具、洗面台、暖炉など、それぞれにこの石の持ち味を巧みに引き出したものばかりだ。
「これらの伊達冠石の多くは、昔の職人が使わなかったものを素材に用いています。昔は大きなモニュメントなどに使えない大きさの石を捨てていましたが、石としての魅力は変わりません。SDGsとかではなく、石と向き合っていると、どこも余すところがないという気持ちになる。食材を扱う板前さんと同じかもしれません」
現在、大蔵山スタジオでは新たな採掘はほとんど行ってない。それでも事業が続いていく仕組みを確立させつつある。
ここに展示されているダン・イェフェのサイドテーブルは、山田さんが初めて海外のデザイナーと組んで制作したものだ。約5年前、世界最大級の家具フェアであるミラノサローネを初めて観に行った山田さんは、あるパーティで偶然に彼と知り合う。イスラエル出身でパリ在住のイェフェは、量産品よりもギャラリーから発表する作品で実績があった。そこから生まれた作品は、大蔵山スタジオに新しいチャンスをもたらすことになった。
「同時期に知り合ったアーティストのウォンミン・パークとも作品をつくるようになりました。ロンドン、パリ、ニューヨークにスペースのあるカーペンターズ・ワークショップ・ギャラリーが彼の作品を扱っていて、いくつもの注文が入り、ビジネスになっています。またフランスのカールンスタジオによってデザインされた全長7mのロングテーブルは、ニューヨークに拠点をもつギャラリーフィリアを通して、サウジアラビアのお客様の別荘へと届けられました」
コラボレーションする相手に限らず、山田さんは国内外の多くのデザイナーを大蔵山に招き、時間をかけてコミュニケーションを取るようにしている。どんな環境の中で、どんなふうに伊達冠石が採れるかを直接知ることで、素材についての理解が深まる。それは作品のクオリティへと反映されていくだろう。
「僕は大蔵山を桃源郷にしたい。現在、宿泊施設、食事できる場所、そして大蔵山の土を使った陶芸のためのアトリエをつくろうと考えています。招待した作家が朝起きてから1日を山で過ごせる環境ができたら、ものをつくる上でも刺激になり、かけがえのない思い出になるでしょう」
大蔵山の中には、屋外にも2本の巨大な柱状節理の伊達冠石を直立させた施設「現代イワクラ」がある。高さはいずれも約5m、大蔵山で掘り出されたものとしては過去最大のサイズだった。この屋根のない施設は、建築家の渡辺豊和の設計により、壁にも床にも伊達冠石を使用。訪れた人々は、誰もがこの2本の岩と対話する気持ちになる。場所は大蔵山のほぼ頂上付近だ。
「以前、ここに能楽師の安田登さんがいらっしゃった時、雪がさっと降っている中、能を舞っていただいたことがあります。それを観ていたのは僕と父ともうひとりだけ。能楽堂で観る能とは違う空間感でした。石を通して、そんな力を広めたい。事業以前に重要なことだと思っています」
外国からデザイナーが来た時も、現代イワクラはかなりのインパクトがあるらしい。あるスウェーデンのデザイナーは、石を見た感想よりも、その存在に感じることを語っていたという。石に対してピュアな感興を得ることは、世代や国民性を超えるということだろう。
「そうだと思います。現代の人も昔の人も、巨大なものを見たら驚くし、奇妙な形には何かを連想すると思う。丸い石であれば、川に流されて角が削れ、長い時間をかけて丸くなっている。人間には太刀打ちできないスケール感が、そこにあるのです。イギリスのストーンヘンジは1500年かけてつくられたという話があります。ただ石を運んだだけではなく、自然との繋がりの中で石を動かすこと自体に意味があったのでしょう。私たちが仕事で石を納品する時も、そこに生まれる達成感や臨場感、コミュニケーションとコミュニティがあります」
木やテキスタイルに比べると、日本では住空間の構成要素として石が使われるケースは限られてきた。しかし暮らしに自然素材を取り入れる傾向が続く中、今後はそのデザインも幅が広がっていくだろう。伊達冠石は、大理石のような国外産の石に比べて趣が深く、控えめな美しさがある。オブジェとしても、建材としても、まだ知られざる魅力が眠っていそうだ。
「僕らがつくるものは、表面のラフなテクスチャーなど、どこかに本来の表情を残すようにしています。それは視覚的なものだけでなく、手で感じる情報にもなる。また錆びたような色合いは、海水を浴びていた物語があるということ。ライフスタイルに落とし込むためも、それを大切にしなければなりません。それがないと、伊達冠石ではなくなってしまう」
大蔵山スタジオは、悠久の歴史と結びついた素材である石と、現代のさまざまなクリエイションをクロスオーバーさせる役割を担う。伝統を重視しすぎても、現代に引きずられても、本質的にすぐれたものは生まれないだろう。そのバランスを見据えながら、伊達冠石でしかできないことを山田さんは追求していく。心強いのは、その価値をはっきり認識している同志が世界各国にいることだ。国境を超えたリアルなコミュニケーションが再開していく今後、石のポテンシャルはさらに豊かに花開いていくに違いない。
profile
1887年創業。初代山田長蔵が伊達冠石の採掘を始め、規模を拡大。1970年代から、イサム・ノグチをはじめとする彫刻家やアーティストに注目され、文化活動にも力を入れる。代表の山田能資は2017年より現職。デザイナーとしても活動している。
▶︎ https://okurayamastudio.com
※大蔵山スタジオは一般非公開