1.異業種からの転身組が志すオーガニックワイン
これまで4人のシェフにご登場いただき、サステナブルへの多様な姿勢を聞いた連載「思想するレストラン」だが、今回は番外編をお届けする。
フランス西部に位置するボルドーは、メドックやサン・テミリオン、ソーテルヌなど世界屈指の銘醸ワイン産地として知られている。しかし、今回紹介するのはワインコレクターが喉を鳴らす有名ワイン、というわけでは、もちろんない。この地でここ最近、着々と進行しつつあるサステナブルへの取り組みについて知る人は、まだ少ない。今回、お伝えしたいのは、“ワインの聖地”で行われているひたむきな挑戦の数々だ。昨今、どんな業界においても環境について憂う人々がさまざまな取り組みを始めているが、食の業界でもそれは同様。フランスやイタリアなど古くからワイン醸造が盛んな国は、ワイン用語で「オールドワールド」と呼ばれるが、長い伝統を守りつつ辿り着いた現代において、ここボルドーでも新たな思想が根付き始めている。
最初に訪ねたのは「クロ・デュ・ノテール」。歴史を辿れば12世紀から続く老舗だが、7年前、27歳の若夫婦がこの地を気に入り元の醸造家から譲り受けたことからネクストストーリーが始まった。インテリアデザイナーだったアメリ・オズモンさんと、屋根職人のヴィクトール・ミシュレールさん。彼らが目指すのはオーガニック農法によるぶどう栽培と、そのぶどうで醸すワインだ。前オーナーは、他の生産者と同様に除草剤や化学肥料を用いてぶどうを作っていたが、アメリさんたちが率いるようになってからは、生産量の低下や不安定な成果にも目をつぶり、「未来のため」を信じて有機農法をやり続けた。代替わりから3年ほどでようやく畑には雑草が生えるようになり、鳥や虫が舞い戻ってきたという。「今はまだ、スタート地点。ここからが正念場ですが、本当に楽しい」と畑を歩きながらアメリさんが語ってくれた。
2.世界を体験してボルドーに戻る若い造り手たち
ボルドーに移り住む若い造り手は、前述したアメリさんのような転身組ばかりではない。元々この地で生まれ育ったけれど、世界を見ようと羽ばたいて行った人がUターンするという例も増えているという。
ボルドー市街から程近い「シャトー・オー・リアン」で、80ヘクタールの広大なぶどう畑を案内してくれたのは、このシャトーを率いる33歳のポーリーヌ・ラピエールさん。この地に生まれ育ち、ワイン造りに勤しむ父や母を見て育った。「一度世界を見てみよう」とシンガポールの大手食品メーカーに就職するが、やはりワインへの想いが募り、28歳のときに帰郷。今ではぶどうやワイン造りに加え、2人の子どもを育てるママでもある。「実家に戻れば、旧態依然としたワイン造りの世界が待っているかも」と考えたこともあったというが、すべては杞憂だった。今や、似たような境遇の若者が村にはたくさん暮らしており、大先輩たちに醸造を学びつつ、自らが信じる新しいワインのスタイルを試す日々だという。
そのひとつが、白ワインやロゼワイン。お恥ずかしい話ながら、筆者は今回の渡仏まで「ボルドーといえば赤ワイン」という強い印象を持っていたのだが、街では老若男女がさまざまな色のワインを楽しんでいるのを幾度も目にした。世界的なヘルシー志向、食文化の変遷などによって、ライトな食事に合う白やロゼ、スパークリングは消費量が伸びているというが、そもそもそれ以前に「ボルドー=赤ワイン」という認識が間違っていたのだ。ポーリーンさんは、一族の宝ともいうべき赤ワイン醸造も大切にしつつ、自らの世代が気軽に親しめる白やロゼのオーガニックワイン造りに情熱を傾けている。
もうひとりのUターン組は、サン・テミリオン地区にある「シャトー・フラン・ボードロン」率いるソフィ&シャルル・フォレさん。ご主人のシャルルさん、3人の子どもと共に蔵を守る5代目だが、ボルドー大学醸造学部を卒業した後はスイスでワインを学び、その後、アルザスでも勉強した。夫のシャルルさんも然りで、アルザスでビオディナミ(有機自然農法)を学んだ後はローヌ地方でもワイン業に従事。ワインを学ぶ学生時代からビオディナミに親しんだ2人が再び故郷のボルドーへと戻り、数々のしきたりを未来型オーガニック醸造スタイルへと変換させている。
「ずっとビオディナミに取り組んできたので、ボルドーに戻ったからといって慣れない農薬を使うという選択はあり得ませんでした。両親の代から減農薬には取り組んでいましたが、実はこの方法は定着しスタンダードになるのに非常に時間がかかります。なので、私たちの世代から始めて、ようやく形になるのではないかと。何代にもわたってようやく完成する醸造製法なのかもしれませんね」
3.歴史に正しくインストールする現代の技術
ボルドーの中でも最も小さなAOC(原産地呼称)として名高いのが、セロン地区。貴腐ワインで有名なソーテルヌ地区はお隣で、地区は違うもののセロンでも多くの秀逸な貴腐ワインが造られている。
他の地方では「ワイナリー」と称される醸造所が、ボルドーでは「シャトー」と呼ばれるのだが、広いぶどう畑を借景にして建つ「シャトー・ドゥ・セロン」は、まさに城そのものだ。「今でいうカリフォルニアのモダンワイナリーのような存在だったんですよ、17世紀末から18世紀初めくらいに」と笑うのは、このシャトーのオーナーであるカロリーヌ・ペロマさん。2012年からご主人と共にこのシャトーの再生事業に取り組み、2021年からはオーガニックへの転換手続きも完了。順当にいけば2024年からはここのワインはオーガニックワインとして認証が下りることとなる。
「スタッフも私たちも、このシャトーの長い歴史を支えるほんの一瞬の存在。けれど、今できることはとても重要で任務は大きいんです」と語るカロリーヌさん。その証拠に、一見歴史的建造物にしか見えない建物の中には至るところに近代的な改造が施されており、特にワイン醸造に関わる部分はかなり近代的だ。それまでは高級ワインを造るシャトーで働いていたカロリーヌさんは、最初ここを引き受ける話が来たときに逡巡もあったというが、結果的に「歴史を残す重責を担える」という点に魅力を感じ、飛び込んでみることにしたのだとか。
4.ワイン造りが共存すべきは地球、という意識
オーガニックワインや有機栽培ぶどうへの回帰、人材の循環についてボルドー内での取り組みをリポートしてきたが、これは決して、一部の造り手に限った話ではない。2019年の調査結果によると、ボルドー全体の75%のシャトーと畑がなんらかのサステナブル認証を受けており、一過性のスタイルやファッションではなく、これを推進させることがボルドーだけでなくフランスというワイン王国が永続的に存在するための必須項目だということは、もはや誰の目にも明らかだ。
そのため、ぶどうやワイン造り以外にもサステナブルへの視点は広がっている。たとえば、ボルドー市街地南部にある「シャトー・ブラウン」では、シャトーの広報を務めるマティルド・ロリオさんが、シャトー内で行っている取り組みを紹介してくれた。そのひとつが、木箱を廃止して紙製のキャリーボックスを採用する動きだ。ビストロなどでは什器としても用いられるほど、味わい深いワイン用の木箱だが、情緒を満たすにはよいが、とても重く、車で運搬する際に燃料を多く要する。頑丈で軽い紙製を使うほうがよいという考えから徐々に運搬スタイルを変更しているという。「もちろん、木箱に負けない美しいデザインであることも大変重要です」と言うあたりに、フランス人ならではの誇りを感じた。
2004年に現当主が購入して以来、シャトーのぶどう畑はバイオダイバーシティー(生物多様性)を目標に掲げ、花粉を運ぶ養蜂や、害虫を食べる小動物(コウモリやシジュウカラ)の保護に努め、さらには花の栽培も行っている。花の栽培? それがどう自然保護に関わるのかと思ったら、すかさずマティルドさんが教えてくれた。曰く、花の栽培はその過程において非常に環境に負荷を与える要素が多く、しかも海外への輸出入が多い市場。近隣で栽培された花を流通させることで、それを防ぐのだという。もはや、ワイン造りを超えるサステナブルの試みだ。
5.知らしめることこそワイン産地としての使命
最後に、ワインの醸造所以外でも垣間見えた「ボルドーの本気」をお伝えしたい。2016年に誕生したワイン文化博物館「ラ・シテ・デュ・ヴァン」では、非常に興味深い多くのワインに関する展示物を見た。通り一遍の博物館を想像していたが、それを遥かに超えるエキサイティングな場所だ。
ここでは、ボルドーだけでなく世界中のワイン生産地(日本の勝沼の展示もあった)について詳しくその魅力を紹介しており、それだけでなく、ワインの楽しみ方やかつての歴史の偉人たちがワインをどのように愛したか、映画や音楽で取り上げられたワインのある風景など、一日中いても飽きないような手立てでバラエティーに満ちた展示がなされている。お酒が飲めない人にとっても楽しいワンダーランドなのだが、入場チケットには屋上でボルドーの風景を眺めつつワインが1杯飲める特典が付いているので、やはりワイン愛好者におすすめしておこう。
駆け足で巡ったボルドーだが、数軒のシャトーを訪ねるごとにこれまで考えていたイメージがことごとくくつがえされるのが実感できた。素顔のボルドー、それは、富裕層が投機の対象として欲しがる銘醸ワイン産地でも、ワイン初心者がやみくもに赤ワインの聖地として崇める場所でもなく、この地には過去から今に至るまでの長いワインの歴史があり、チャーミングでさまざまな色のワインが人々の日常を彩っていた。
ワイン醸造の未来に不安を感じる新世代は、サステナブルなワイン製法やぶどうの栽培法を試みることで地球との共存を目指していた。そこには、深い思想がある。そんなことを知ってしまうと、これからボルドーワインを味わうたびに、何かしら感慨にふけってしまいそうだが、旅の道中で出会った多くのボルドーっ子は「ただ楽しむんだよ。ボルドーワインというのは日常に寄り添ってくれる友達なんだから」と教えてくれた。そのアドバイスに従うことにしよう。
協力
ボルドーワイン委員会(CIVB)
▶︎https://www.bordeaux-wines.jp/
profile
神戸市出身。『婦人画報』『ELLE gourmet』(共にハースト婦人画報社)編集部を経て独立。現在、食とライフスタイルをテーマに、動画やイベントのディレクション、ブランド・新規レストランのコーディネートなどで活動している。著書に、自身の朝食をまとめたレシピエッセイ『世界一かんたんに人を幸せにする食べ物、それはトースト』(サンマーク出版)。
▶︎https://note.com/mayukoyamaguchi