雄大な自然の中に佇む、眺めのいい家。
今から7年ほど前、フラワーアーティストのニコライ・バーグマンさんは、運命に導かれるようにこの土地と出会った。箱根の中でも美術館や温泉などのある強羅エリアで、傾斜地が多く環境は厳しいが、眼前には豊かな自然とすばらしい風景が広がる。2019年、ニコライさんはここに自身のアトリエを完成させ、日本にいる時はほとんどの週末を箱根で過ごすようになった。
「この土地のオーナーは、最初に私を案内してくれた時、あまりに急斜面で一面が林だったから、私がアトリエを建てるとは予想していなかったようです。でも坂を登って景色を見た時、アトリエをもつならここしかないと思いました。それくらい圧倒的な眺めだったんです」とニコライさんは話す。
建物の設計は、交流のあったクライン・ダイサム・アーキテクツに依頼。敷地が山の中腹なので、建物の奥行きが約20メートルなのに対し、約6メートルの段差をつける必要があった。そのため1階部分は、2面を大きな窓にしたリピングスペース、ダイニングやキッチンのスペース、そしてラウンジスペースへとスキップフロア状に段差を設けてある。インテリアのデザインや家具のコーディネートは、すべてニコライさん自身が手がけた。
リビングスペースは、ハイメ・アジョンによる白いソファをはじめ、デンマークの「Fritz Hansen」の家具を多く使っている。このソファ以外、新しく買った家具はほとんどなく、以前からニコライさんが所有しながら使っていなかったものをコーディネートしたのだという。天井が高く、暖炉から薪の燃える香りが漂う、ずっとここにいたくなるような空間だ。
ニコライさんは、自身が生まれ育ったデンマークのプロダクトに深い愛着を持ち、生活のあらゆるシーンで使いこなしている。中でも特に好きなデザイナーをひとり挙げるなら、20世紀半ばに活躍したポール・ケアホルムだという。
「彼はデンマークには珍しく金属製の家具を多く手がけたデザイナーで、どの作品も60年以上前にできたものとは思えません。本当にタイムレスなデザインをつくり続けた人です。普通に見ても美しい上に、裏返すと見えるパーツまで完成されています」
ラウンジスペースに置いたケアホルムの椅子「PK22」とテーブル「PK61」は、発表60周年を記念して2016年に限定発売されたアニバーサリーモデル。シートにヌバックレザーを、天板にペルシャ産ペトラ大理石を使用し、脚部は亜鉛コーティングによってグレイッシュに仕上げてある貴重な逸品だ。
1階の中央部分にあるダイニングスペースも、デンマークのデザインで統一されている。「CARL HANSEN & SØN」の黒い椅子とダイニングテーブルは、特別な経緯でこのアトリエに来ることになったものだという。
「デンマークの有名なレストラン『NOMA』が日本で初めてポップアップをした時、VIPルームで使われていた椅子とテーブルなんです。3カ月間の会期中、大統領や有名人から一般の人までたくさんの人たちが座って食事をしました。今ではここで会食したり、フラワースクールをすることもあって、やはりいろいろな人が集まっている。そんなストーリーが気に入っています」
無垢材と職人技の結晶、「Garde Hvalsøe」のキッチンの魅力。
ダイニングスペースに面した窓側には、「Garde Hvalsøe」の大きなキッチンがある。1993年にスタートしたデンマークのキッチンブランドで、その製品はすべてオーダーに基づいて制作される。ニコライさんは、創業者兼オーナーのソーレン・ガーデさんの父親と知り合いであり、そのクリエイションにずっと注目してきた。
「以前から『Garde Hvalsøe』が最高のキッチンだということは知っていたから、他の選択肢は考えませんでした。この家にはどんなキッチンがふさわしいのかを彼と話し合い、デンマークの工房にも足を運んでいます。素材はオークで、この空間の床や天井と同じく『DINESEN』の木材を使ったものです。木の節やバタフライのパーツが多く入るようにと、私の好みを伝えました」
ニコライさんのいうバタフライとは、日本の木工にも見られる「千切り」(ちぎり)のことで、無垢材の割れを抑えるために用いてある。このディテールは、「Garde Hvalsøe」の木箱部分の精緻なボックスジョイント(あられ組み)と並び、木工職人の確かな技術を裏づける要素だ。床の「DINESEN」のフローリング材にも同様のディテールがある。
「Garde Hvalsøe」のキッチンは昔ながらの木工技術に基づいていて、現代的な高機能キッチンとは一線を画している。無垢材をジョイントした箱で多くが構成され、引き出しも木箱そのものといった趣。どこに何を収納するかが工夫され、吟味されているので、十分に使いやすいとニコライさんは話す。
「アトリエが完成して3年ほど経ちますが、大きなダメージはなく特にメンテナンスもしていません。水に濡れると色が変わるのは自然の変化なので気にならないし、もしキズがついてもサンドペーパーをかけてオイルを塗れば元に戻ります」
OEO Studioがデザインしたオパス有栖川の新しいコンセプトルームにも「Garde Hvalsøe」のキッチンが採用されている。「日々の暮らしにすばらしい瞬間をもたらすキッチンは住空間の中心にあるべきもの」と、OEO Studioのトーマス・リッケとアンマリー・ブエマンは語っていた。ニコライさんのアトリエではキッチンがまさに1階の中央部にあり、ダイニングスペースとの境界を設けずひと繋がりの場としてレイアウトされている。
「調理中に行き来しやすいのはもちろん、キッチンからの眺望も大事だと思ったのです。朝のコーヒーはキッチンの横のカウンターに座って飲み、メールのチェックなど簡単な仕事もここでします。ここに座っていると、シカなどの動物が庭で休んでいて目が合うこともあります」
何も考えず自然に接することが、いちばんの楽しみ。
ニコライさんの感覚が最大限に発揮されたこの家は、選ばれた家具も、自然との距離感も、すべてにおいてスカンジナビア的と言える。ただしその心地よさは、日本に暮らす人々にとっても素直に共感できるものだろう。とても贅沢な空間ではあるが、どこか親しみのわく簡潔さや清潔感がそなわっている。
「日本の昔の住まいを見ると、何ももののない畳の空間があり、必要に応じて食事したり、布団を出して眠ったりと、そのシンプルさがとても格好いいと思います。北欧デザインのミニマリズムとも共通するものを感じます」
ポール・ケアホルムはじめ、20世紀のスカンジナビアのデザイナーたちも日本の美意識にしばしば影響されてきたことは確かだ。OEO Studioのふたりもまた、日本から多大なインスピレーションを得ていることを率直に認めている。
現在、ニコライさんはアトリエの周囲2万坪の敷地を使い、誰もが訪れることのできる広大なガーデンにしようというプロジェクトを進める。箱根の自然の中で、彼が手がけるフラワーアートを堪能できる場所になるそうだ。
「カフェもつくるし、温泉のお湯を利用して冬でも楽しめる建物もつくりたい。東京にいると季節の変化を感じにくいけれど、箱根は1週間で景色がダイナミックに変わるんです。だからここに来ると何も考えずに自然の中を散歩するのが習慣になっています」
OEO Studioがオパス有栖川のコンセプトルームで重視したのは、住む人が自分の家だからこそ過ごせる、目的や予定から解放された「何もしない時間」だった。そんな時間の中で心と体がエネルギーを取り戻し、日々の幸せを実感できるようになる。ニコライさんが箱根で過ごす時間にも、同じような意味があるに違いない。
全3回のインタビュー連載において、OEO Studio、水野製陶園、ニコライ・バーグマンさんとの対話を通して感じるのは、ただ単に美しい家具や上質な設えを揃えても本当に心地よい住まいは完成しないということだ。オパス有栖川では、多様な文化に触れて経験を積んだデザイナーが、ものに対して真剣に向き合うつくり手やブランドとコラボレーションして、かけがえのない空間を完成させた。その魅力は普遍的にして根源的であり、時代に左右されることなく、いつまでも語り継がれることだろう。
profile
デンマーク生まれ。デンマークでフローリストの勉強をした後、1998年に来日してフローリストの経験を積み、2000年に彼の代名詞となるフラワーボックスを開発。現在、デンマークやロサンゼルスなど国内外に13店舗を展開する。21年完成のオパス有栖川のコンセプトルームではフラワーアレンジメントを担当した。22年春に「ニコライ バーグマン 箱根 ガーデンズ」がオープンする予定。
▶︎ https://www.nicolaibergmann.com/