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デザインの力を生かし、世界を相手に壁を越えていく「マルニ木工」
100年の理(ことわり)

デザインの力を生かし、世界を相手に壁を越えていく「マルニ木工」

「HIROSHIMA」という椅子によって、世界は近づいた。これからマルニ木工が進んでいく道とは【後編】

企業に見る伝統継承とイノベーションの物語を紹介する「100年の理(ことわり)」。今回取り上げるのは、1928年に広島県で創業し、日本を代表する木工家具メーカーとして歩み続けてきた「マルニ木工」。日本の経済の発展と西洋化するライフスタイルを背景に成長したマルニ木工だが、バブル以降は苦境に立たされる。しかし思い切ったデザイナー起用が、家具業界で日本初となるグローバルブランドとしての足掛かりをつくることになった。社長の山中洋さんが、近年の取り組みと今後の展望を語る。

Text by Takahiro Tsuchida
Edit by Masato Kawai(BUNDLESTUDIO)
Photographs by Satoshi Nagare

デザイナーと組むことで得た貴重な教訓。

戦後の高度経済成長からバブル景気にかけて、マルニ木工は業績を右肩上がりで伸ばしていった。しかし1990年代後半、国内の家具市場の縮小が目立ってくる。2021年に社長に就任した山中洋さんがマルニ木工に入社した2000年前後は、会社としての苦境が明確になっていた頃。サッカーやアメリカンフットボールに打ち込んでアメリカに留学し、選手の道は諦めてもスポーツ関係の仕事を志していた山中さんは、当時の社長だった父と話し合うなかで入社を決めたという。

「父からマルニで働いてほしいと言われたことはありません。ただアメリカから帰り、父と会話していると、会社がしんどいことははっきり伝わってきた。一人息子として助けなければいけないと思ったのが入社の理由です。それまで家具に興味があったわけではありませんでした」

広島市郊外にあるマルニ木工の工場にて。このマークは、1933年に昭和曲木工場と地元のライバル企業だった沼田木工所の2社が合併した時代のマークにルーツがある。
マルニ木工が用いる木材は、FSCやPEFCといった国際森林認証をクリアした北米やヨーロッパからの輸入材が中心。国産材は、海外市場で流通させるのが難しいこともあるという。
褐色の木目が美しいブラックウォルナットは、近年、人気の高まっている材のひとつ。
ビーチ、オーク、メープル、アッシュなど、工場の敷地内に十分な量の木材が保管されている。

マルニ木工で働き始めた山中さんは、製造部門に配属された後、長く営業部門で経験を積むことになった。そして今まで売れてきた自分たちがつくる家具が、徐々に市場に受け入れられなくなっているのだと痛感する。

「何より残念だったのは、親父たちがつくってきたものを見て、それがよくできた家具だとわかっていても、自分で欲しいと思えなかったことです。自分たちの世代のライフスタイルに合わないから、当事者として感情移入できないし、家具に対する思いが伝えられなかった」

そんな状況を打ち破る出来事が、2005年に訪れる。それが、世界的に活躍する国内外のデザイナーや建築家を起用したプロジェクト「nextmaruni」(ネクストマルニ)だった。

工場の最初の工程で、用途に合わせて木材を大まかにカットしていく木取り。
「HIROSHIMA」アームチェアの背もたれになる木材をカットする工程。この後、独自のプログラミングに基づいてNCルーターで加工を施す。

nextmaruni第1弾に参加したのは、アルベルト・メダ、内田繁、黒川雅之、ジャスパー・モリソン、妹島和世+西沢立衛(SANAA)、ハッリ・コスキネン、深澤直人、ミケーレ・デ・ルッキはじめ12組。12点の椅子が最初に発表されたのはイタリア・ミラノでのことだった。

「デザイナーの黒川雅之さんから企画を提案されて、nextmaruniが始まりました。マルニ木工にとって外部のデザイナーと仕事すること自体ほとんど初めてで、当時の私には知らないデザイナーも多かった。それでも会社の状況を考えると、何か新しいことを試みなければいけないと考えたんです。そして、やる以上は一切妥協はしたくなかった」

nextmaruniは2007年まで3回にわたって続き、それまでのマルニ木工のデザインの幅を大きく広げることになった。しかしビジネスとしては、必ずしもうまく行かなかったという。それでも山中さんは、この企画から何物にも代えがたい経験を得ていた。

椅子が完成したときに木目が揃うように、ひとつずつ木材に番号を記してセットで加工していく。
「HIROSHIMA」アームチェアの座面を成形する機械。この椅子の発表時は、まったく違う工程で製造されていた。
工場では女性の職人が重要な工程を担当することが増えてきたという。ユニフォームは2018年にオンワードのデザインで新調された。

気づいたら、自社製品を愛していた。

nextmaruniが発表されると同時に、それまで皆無だったメディアからの取材依頼が続き、商品を取り扱いたいというインテリアショップからの問い合わせも相次いだ。従来の新作とはあまりに反応が違うことに、山中さんは驚かざるをえなかったという。こういう製品をつくる会社なのだからと、他業種からマルニ木工への入社を希望するケースさえあった。未知のチャンスが訪れたことで、山中さんはデザインの力を実感するとともに、自分たちがつくった家具を愛しながら売ることの意義を感じた。「気づいたら愛していた」という感覚だったと山中さんは語る。

「入社してから初めて感じるような期待感とワクワク感がありました。ただし会社の体質を変えるため、過去を断ち切って従来のマルニ木工を否定するのがnextmaruniのルールでした。その結果、社内の現場ではブーイングも大きかった。そこで広く浅くではなく、ひとりのデザイナーと腰を据えてじっくりものづくりをしようということになりました」

nextmaruniの経験をふまえて、山中さんはあらためてデザイナーとの新しい協業を考えた。それなら深澤直人さんとやりたいという声は、現場にもあったという。これが「HIROSHIMA」アームチェアのプロジェクトの始まりだった。

プログラムされたNCルーターは、数種類の刃物を自動で付け替えながら、「HIROSHIMA」アームチェアの背もたれからアームにかけてのパーツを短時間で正確に削り出していく。
NCルーターの加工を終えた「HIROSHIMA」アームチェアのパーツ。左端には「Tako」のパーツも見える。
磨き上げる前の「HIROSHIMA」アームチェア。背もたれのエッジが立っているが、やや丸みを帯びるように仕上げる。
研磨は手作業で行われるため、わずかな形の調整には職人の感性が求められる。
座面を取り付ける前の状態の「HIROSHIMA」アームチェア。

「僕はデザインのプロだが、マルニ木工はものづくりのプロ。こうするほうがつくりやすい、こうするほうがコストが下げられる、そんなことがあればどんどん言ってくださいと、深澤さんは最初に言ってくれました。そうやってアイデアを揉むうちにうどんのようなコシが出て、デザインの魅力になるという考え方なんです」と山中さん。彼らが一緒に目指したのは、世界の定番になる木の椅子。そして、すでにある定番の椅子を超えるクオリティをもつ椅子だ。

山中さんは、「HIROSHIMA」アームチェアの魅力の秘密は、そのディテールにあると考える。開発の終盤に、深澤さんから椅子の脚の直径を0.1mm細くしたいというオーダーがあった。とても細かく難しい作業だが、それ以前に0.1mmの差に気づく人はいないというのが社内の大勢の意見だった。

「しかし実際に細くしてみると、全体のバランスが違って見えたんです。深澤さんには自分たちにない視点があり、その積み重ねが無意識のうちに伝わるのだとわかりました」

塗装の工程も手作業が欠かせない。手早く均一に塗装することはきわめて難しいと言う。
塗装後の最終研磨も繊細な作業。職人の目と手がものを言う。

2008年に「HIROSHIMA」アームチェアが発表されると、期待を上回る反応があった。山中さんは語る。

「そのときは好き嫌いより、これが売れなかったら会社がなくなるという危機感のほうが強かった。伊勢丹新宿店が発売と同時にこの椅子に注目してくれたのは大きかったですね。その頃はまだクラシックな家具が並ぶ百貨店が多いなか、マルニさんが変わるなら、一緒にプロモーションをかけましょうと言ってくれました。1店舗あたりのHIROSHIMAの売り上げは、それからずっと伊勢丹さんがトップでした」

その後は無印良品の有楽町店(現在は閉店)からも、扱いたいという依頼があった。店舗にある多くの製品に比べてはるかに高額な椅子なので、山中さんは最初は乗り気でなかったが、当時の店長の熱意に負けてHIROSHIMAが店頭に並ぶことになった。

「すると店長が自分で接客して、1年目から伊勢丹に次ぐ売り上げになったんです。人の力はすごいと思ったし、先入観をもってはいけないと気づかされました。そして、この椅子にはそれだけの力があるのだと感じました」

その後、海外でも徐々に実績を上げてきたHIROSHIMAだが、いちばんの大仕事になったのは2017年のApple Parkへの数千脚の納品だった。自社の椅子が世界的企業の本社に並ぶ様子を見て、山中さんは涙が出そうになったという。

テキスタイルをカットする工程は、プログラミングどおりに機械が行う。「ミナ ペルホネン」の張り地は人気の高い定番のひとつ。
マルニ木工には家具のリペア部門もある。必要な修理は一点ずつ異なるため手間がかかるが、愛用者のニーズは大きい。

「HIROSHIMA」アームチェアが発表されてから10年以上の間、張り地を用いるタイプなどバリエーションは増えたが、椅子そのもののデザインは不変だ。ただし製造工程においては、大小さまざまな改善が行われてきたという。

「HIROSHIMAのパーツの多くはNCルーターという機械で削り出していきますが、そのプログラミングは常に見直しています。最初は1脚40分くらいかかっていたものが、今は15~20分程度でできるようになった。そのぶん生産性が上がり、次の磨きの工程もしやすくなる。こういう工夫も、工芸の工業化です」

広島市内のホテル「KIRO」のカフェでは、マルニ木工のためにジャスパー・モリソンがデザインした椅子「ライトウッド」が使われている。
以前はプールだった空間をリノベーションしたホテルKIROのカフェ。外光あふれる空間にライトウッドのスツールやテーブルが似合う。

2011年には深澤直人のアートディレクションのもと、イギリス人デザイナーのジャスパー・モリソンによる椅子「ライトウッド」が製品化された。モリソンはnextmaruniにも参加しており、深澤直人とは「スーパーノーマル」と題した展覧会を行うなど、日常的なデザインの名手として評価が高い。

「ジャスパー・モリソンはとても信頼感のあるデザイナーで、どの家具も安定して売れていきます。彼はイタリアをはじめ多くの国の家具ブランドと仕事していますが、どこも同じらしい。そのデザインで押さえるべきツボが感覚的にわかるんでしょうね」

深澤のデザインとモリソンのデザインは、ひとつのコレクションのなかで調和しつつ、互いに補い合うような関係が生まれている。さらに山中さんは、HIROSHIMAに続くコレクションのもう一本の強力な柱になるアイテムを追求していきたいと考えている。

世界のブランドへと成長するために。

マルニ木工は、2008年から毎年4月のミラノサローネ国際家具見本市に連続して出展してきた。2020年、2021年はパンデミックのためスキップせざるをえなかったが、本来、そこで世界デビューするはずだったのが深澤直人による新作椅子「Tako」だ。

「同じ深澤さんがデザインした木のアームチェアでも、HIROSHIMAとTakoでは座り心地が違います。HIROSHIMAはしっかりとした安定感がありますが、Takoは人から優しく包み込まれるような感じがする。全体的に曲線が複雑で、量産するのが難しい椅子でもあります」

製造現場では、数をつくればつくるほど、効率よく作業を進めるための工夫や知恵が生まれるという。豊かなポテンシャルを秘めた椅子として、山中さんがTakoにかける期待は大きい。

「HIROSHIMAをつくった頃に比べて、私たちと深澤さんのコミュニケーションは格段に深まりました。この十数年でお互いにできるようになったことを、すべてこの椅子に凝縮した自負があります」

深澤直人による新作椅子「Tako」。アーム後部、後脚の上部、背もたれの端の3つのパーツがつながる部分の有機的な形状をはじめ、メーカーとしてはとても難しい椅子だった。
深澤直人による新作椅子「Tako」。アーム後部、後脚の上部、背もたれの端の3つのパーツが繋がる部分の有機的な形状はじめ、メーカーとしてはとても難しい椅子だった。
深澤直人による新作椅子「Tako」。アーム後部、後脚の上部、背もたれの端の3つのパーツが繋がる部分の有機的な形状はじめ、メーカーとしてはとても難しい椅子だった。
製造工程の「Tako」のパーツ。これはNCルーターが削り出した状態で、ここから手作業による加工を施す。
山中さんがマルニ木工にとって重要な椅子と位置づけている「Tako」。デザイナー、深澤直人との10年以上にわたるコラボレーションからたどり着いた彫刻的な形だ。

2021年に社長に就任した山中さんは、2つの目標を掲げている。ひとつは従業員の待遇の改善。Appleのような企業に製品が選ばれる企業なのだから、それに見合うように環境や条件を向上させるということだ。もうひとつは海外でマルニ木工というブランドを確立すること。現在、その製品は世界30カ国63店舗で展開され、美術館、空港、公共施設などにも多数採用されている。日本の家具ブランドとしては例のない成功を収めたが、世界的に見ればまだできることは多い。

「日本の木製家具の輸入額は2500億円ほどありますが、輸出は約39億円なので輸入額と比べるとほぼ0%です。理由は明確で、今まで誰も本気で海外に日本の家具を輸出しようとしなかったから。ミラノ出展を10年以上続けてインフラが整ってきたので、自分たちが先駆けて次のレベルに進みたい。同時に、そのインフラを活用しながら、同じ志をもつ国内のメーカーと協力しあってムーブメントを起こすことも構想しています」

木材は、生態系を壊さない限り、永遠に使い続けられる素材だ。世界的な認証制度をクリアした素材を主に用いるマルニ木工は、今後は国産材の有効利用も視野に入れ、木の家具を手がけていくという。深澤直人やジャスパー・モリソンによる家具を通して、工芸の工業化というコンセプトを世界に伝えることはできる。次は日本発のブランドとして世界観を確立し、より豊かな感性を訴えるフェーズに入っていくのだろう。歴史を経てきたものづくりは、そのための何より心強いよりどころだ。

企業情報

マルニ木工
▶︎ https://www.maruni.com/jp/

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