ディスコ、ナイトクラブ……赤坂は大人のアソビ場だった
いまは千代田線の赤坂という駅がTBSの方にあるけれど、僕が子供の頃の赤坂の玄関口は丸ノ内線の赤坂見附駅だった。繁華街が広がっているのは、ここから溜池のほうにかけての一帯だが、青山通りの四谷側に元赤坂という町名が付いている。元赤坂の領域の大方を占める赤坂御用地の場所に江戸時代は紀州徳川家のお屋敷があって、
そもそもはこの門前(いまの外堀通り)を見附の方へ下っていく紀伊国坂を通称・赤坂と呼んでいた(赤は赤土かな?)という説がある。
元赤坂の国道246沿いには商売・芸能の神様として知られる豊川稲荷があるけれど、赤坂見附の駅を出て、繁華街の方へ進もう。
駅の裏口(つまり外堀通りの反対側)の目の前には、ほんのひと頃までイチゴのケーキを並べていた「コージーコーナー」があったものだが、いつしかドラッグストアに変わってしまった。赤坂田町通りといったこの道もいまは〈エスプラナード赤坂通り〉という表示が出ている。一瞬、ムード歌謡のタイトルを思わせるが、なんでも“貴族の散歩道”という意味合いらしい。
このエスプラナードなストリート、僕が高校、大学生の時分はディスコ街道のような通りだった。駅のすぐそばのビルに「スーパーコップス」というのがあり、先の方に「フランス乞食」(いまはこういうネームも付けられないのかも……)なんて店もあったはずだが、なんといっても有名だったのが「ムゲン」と「ビブロス」。両店が入っていた「パンジャパン」というビルは改築されて健在だが、かつて1階のビブロスの玄関先に立っていた“甲冑姿のヨーロッパ騎士”みたいなオブジェはもちろんない。地階は黒人バンドの入るムゲンだったが、ともに1968年にオープンした日本のディスコの草分けとされている。
ちなみに、僕がビブロスの“門前”まで初めて行ったのは高校2年生だった73年頃だが、このとき、ファッション・コードにそぐわず入店できなかったのだ。当時のビブロスは、JUNやEDWARD’S系のヨーロピアン・コンチなファッションがキマっていないとハネられたのである。
僕らは行かなかったけれど、ディスコともうひとつ、赤坂特有のアソビ場が「ミカド」や「コパカバーナ」……などに代表されるナイトクラブだ。こういう洋風趣味の社交場ができた理由は、ひとつには1964年の東京オリンピック前夜に続々と周辺にオープンした本格ホテル(ニューオータニ、オークラ、ヒルトン、東急、ニュージャパン)だろう。訪れる外国人観光客が当初のターゲットだったのではないだろうか。そして、何より歓楽地の一帯が料亭街だった、という地勢が大きい。料亭の重要な顧客が外堀通りの北側、国会議事堂を中心に集まる政治家筋……ということは言うまでもない。
もちろん、いまも1本裏の「みすじ通り」さらにもう1本向こうの「一ツ木通り」にかけて、ぽつりぽつりと高級料亭が見受けられるけれど、昭和30年代の映画――たとえば川島雄三監督の『赤坂の姉妹より 夜の肌』など――を観ると、外堀通り北方の日枝神社の鳥居を背に黒瓦屋根の料亭がぎっしりと並ぶ俯瞰風景に目がテンになる。
昔の裏町風情が残る細長い坂道
エスプラナード通りやみすじ通りの山王下の側にはディープな感じの韓国料理店も多いが、TBS、赤坂サカスを横目に一ツ木通りを246の方に少し歩いて、上島珈琲店の角から南方へ延びる路地に入っていきたい。
右手に丹後坂の石段のある崖が続き、左手に古い木造の料亭なども残るこの道、昔の赤坂の裏町風情が残っていて気に入っている。勾配のきつい坂を上ったところで薬研坂(やげんざか、通称・コロムビア坂)の通りにぶつかって、さらに狭い道を直進していくと、右側に「リキマンション」というのがある。この“リキ”は力道山。あの力道山が晩年に建てた高級アパートメントで、ひと頃は隣に「リキアパート」というのもあった。この前あたりから下っていく坂は稲荷坂というらしいが、そういえば薬研坂の道に出る手前に小さなお稲荷さんがあった。
稲荷坂下の通りはちょっとした商店街になっている。八百屋さん、薬屋さん、以前一度入った「まつもと」という喫茶店(珈琲がおいしかったが、惜しくも本日は休業)、さらにちょっと横路地に入ったところに「珉珉(みんみん)」というグッとくる古建築の町中華がある。この辺、まさに赤坂の奥座敷という気配。
公園や神社の緑を味わいながら歩く
商店街の通りを北方へ行くと、国道246の手前に高橋是清の旧居跡に設けられた公園があるけれど、この日は反対側の乃木坂通りの方へ進んだ。山王下から乃木坂、さらにトンネルをくぐって南青山の方へと抜けるこの道も赤坂のメインストリートのひとつだが、赤坂小学校前のやや乃木坂寄りのところから、年季の入ったコンクリートの柵に仕切られた坂道が奥の方へ続いている。ゆるやかに湾曲するこの道を歩いていくと、豊かな芝生が目につく公園の前に行きあたる。檜町(ひのきちょう)公園だ。そう、芝生の向こうに見えるのは東京ミッドタウン。もう六本木なのだ。一帯は、僕がディスコでヘラヘラ踊っていた頃までは防衛庁だったところ。そもそも陸軍部隊の敷地であり、戦後20年近く存在した駐留米軍のハーディー・バラックス(宿舎)が赤坂・六本木のエキゾチックな街風土の土壌になったともいえる。
檜町公園の裏道を溜池側に行くと、深い森に覆われた氷川神社がある。赤坂は寺も多い街だが、この社は951年創建とされ、元赤坂に紀州徳川家が置かれた吉宗の時代にぐっと参詣熱が高まったという。久しぶりに境内に入ったが、とくに四合(しあわせ)稲荷の方へ下っていく素朴な石段坂のあたりは山里の神社のような趣がある。
そちら側の参道を出て、TBSの方へと進んでいくと、道の先にオヤッ?と思うようなヨーロッパ古城風の建物が見えてきた。「シャンティ赤坂」というラブホテル。僕がビブロスの服装チェックでハネられた頃から立っていたはずだが、こうやって眺めると、充分ヴィンテージ建築の風情が感じられる。
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1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。著書に『銀ぶら百年』(文藝春秋)など。