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泉麻人が綴る、原宿・表参道「オシャレカルチャー」変遷史
泉麻人の「東京カルチャーストリート」

泉麻人が綴る、原宿・表参道「オシャレカルチャー」変遷史

それは“アパート”から始まった――泉麻人が綴る、原宿・表参道「オシャレカルチャー」変遷史

東京・昭和のカルチャーやトレンドの第一人者であるコラムニスト・泉麻人が、都内の街や通りをテーマに時代の移り変わりとそのカルチャーを解説する連載コラム。第6回は「原宿・表参道」。小学生の頃から原宿に通い、社会人になってからは事務所を構えるなど、泉氏にとって馴染み深いエリアである。いつの時代も若者発信のトレンドを生み出してきた原宿は、明治通りや竹下通り、表参道といった特徴あるストリートに囲まれ、そこには時代の象徴となるようなアパートが幾つか存在した。泉氏の原体験とともに原宿カルチャーの変遷を巡ってみよう。

Text by Asato Izumi

塾通いの泉少年が、千疋屋よりも惹かれた店

僕がはじめて原宿という街に行ったのは1960年代の後半、67年か68年だと思う。小学5、6年生だった当時、日曜日に通っていた進学教室の会場が東郷神社の隣の日本社会事業大学(現在、原宿署がある)のキャンパスだったのだ。社大は学生運動が盛んだったので、明治通りの入り口の所から激しいゲバルト言葉を記した看板がずらりと立てかけられていたのを思い出す。

近年の神宮前交差点の様子。明治通りを千駄ヶ谷方向へ見る。Photo:Getty Images
1980(昭和55)年撮影の神宮前交差点。右に原宿セントラルアパート、左にラフォーレ原宿。原宿セントラルアパートは1998年に解体され、現在跡地には東急プラザ表参道原宿がある。Photo:髙橋義雄/PIXTA

その当時の原宿は“若者の街”として注目され始めてはいたものの、山手線を降りてから社大の会場まで行くときによく歩いた竹下通りはまだ普通の民家が目についた。表参道のほうは店が並んでいたけれど、人通りがあるのは明治通りとの交差点のあたりだけで、講座帰りにマセた進学教室の連中と千疋屋のパーラーに2、3度入ったことがある。

しかし、当時の僕が講座帰りの目当てにしていたのは、千疋屋より何軒か原宿駅寄りの所に並んでいた「フクオ」という切手屋と「桜商会」という模型屋だった。「フクオ」には切手や古銭以外に記念乗車券とか記念タバコのパッケージとか、よりコアなコレクターグッズが揃っていて、こういうのを物色するのが大の楽しみだった。そして、隣の「桜商会」には家の近所の模型屋ではお目にかかれない、輸入モノのカッコいいプラモがオシャレに陳列されていて、「さすが原宿……」と感心した。

この模型屋も「キディランド」と同じく、代々木公園の一帯に存在した米軍住宅「ワシントンハイツ」の子供たちをターゲットに開店したのだ、と後に知った。

60〜70年代の原宿を象徴する、伝説の「原宿セントラルアパート」

ワシントンハイツの跡地は公園化される以前、東京オリンピックの選手村に利用されたが、原宿の街の発展の契機となったのがこの64年の東京オリンピック。丹下健三設計の第一体育館をはじめとする多くの競技施設(国立競技場も近い)が置かれたことと、表参道という広々としたメインストリートが通っていたことも関係しているだろう。表参道というくらいに、従来は明治神宮の単なる参道だったわけだが、ここが「原宿族」と呼ばれる、スポーツカーを乗り回して夜遊びする若者たちには格別のストリートとなった。

当時“トレンド”に敏感だった週刊誌『サンデー毎日』の66年7月30日号に原宿族の生態をとらえた特集記事がある。
「赤いトライアンフは表参道の中ほど『セントラルアパート』の前でブレーキを鳴らし、乱暴にとまった。この高級アパートの一階は『クレ・ドール』という深夜レストラン。そこが彼ら仲間のたまり場なのだ。一足早くテーブルに陣どっていた仲間の一人が、『ハアイ』とアメリカ人がするように手をあげるのが見えた。」
と、記者はアメリカ青春映画のワンシーンのようなタッチで描写しているが、彼ら原宿族が集まるのは夜間で、まだ日中は静閑とした街だったという。

現在ラフォーレ原宿がある場所の隣で営業していたドライブインレストラン「ルート5」に、オープンカーで乗り付ける原宿族。昭和41(1966)年撮影。Photo:朝日新聞社/アマナイメージズ

ちなみに、彼らが根城にする「クレ・ドール」のあった原宿セントラルアパートは58年に竣工。65年に駅前にできた高級アパート「コープオリンピア」とともに、原宿・表参道のランドマークとなったマンションビルで、70年代に入る頃からはカメラマン、デザイナー、コピーライター……といったトレンディなヨコモジ業界人の拠点となっていった。とりわけ、表参道に面した小体の喫茶店「レオン」は、トンがった業界人が溜まる“伝説の店”となった。

原宿セントラルアパート前、表参道側の入り口付近にて。昭和52(1977)年撮影。Photo:朝日新聞社/アマナイメージズ
1階にあった喫茶店「レオン」入り口。昭和52(1977)年撮影。Photo:髙橋義雄/PIXTA

66年の『サンデー毎日』の記事にすでに書かれているが、表参道をパリのシャンゼリゼ通りにたとえる意見があって、その後商店会の名称にも採用された。まぁ当時、ファッションの都といえばパリのシャンゼリゼ……というのがお決まりだったから、そういうことになったのだろうが、表参道の並木はマロニエではなく、武蔵野を象徴するケヤキである。

現在のコープオリンピア。昭和40(1965)年完成当時の分譲価格が最高で1億円を超えたことから、「億ション」の先駆けと称される。

竹の子族、そして同潤会青山アパート界隈の記憶

“原宿ホコ天”にて、奇抜な衣装で集団舞踊(?)を楽しむタケノコ族。昭和55(1980)年撮影。Photo:日刊スポーツ/アフロ

さて、進学教室通いの後、積極的に原宿へ行くようになったのは高校生の73、74年頃だ。僕と同世代の中村のんさんがまとめた『70s原宿 原風景』という本に、そのくらいの時代の原宿のスポットが解説されているが、オープン・カフェの先駆けともいえる「カフェ・ド・ロペ」、ツギハギのGパンやロンドンブーツを陳列していた「グラス」、吉田拓郎の歌にも唄われた脇道のパブ「ペニーレーン」……など実に懐かしい。

そしてここにも書かれているが、原宿セントラルアパートの明治通り側の向かい「ラフォーレ原宿」の場所は「東京中央教会」というキリスト教の聖堂だったのだ。こういう教会の見える景色も原宿の欧米ムードに一役買っていた。

大学生時代は大滝詠一のラジオ番組をきっかけにハマった、アメリカのオールディーズポップスの輸入盤レコードを物色しに竹下通りの「メロディハウス」によく行ったが、大学の卒業も近づいた78年、竹下通りの脇道にオープンした異色のブティック「竹の子」から翌年奇妙なブームが巻き起こる。卒業した僕は『TVガイド』の編集部でNHK担当の記者をしばらくやっていたが、NHKの行き帰りに当時よくホコテンになっていた代々木公園前の広い通りで、「竹の子」の奇抜な服を着たタケノコ族がアラベスクとかノーランズとかのダンスナンバーに合わせて集団舞踊していた光景が印象に残っている。ちなみにこの時期、タケノコに張り合うようにロックンロールで踊る、リーゼント&ポニーテイルのグループもいた。

タケノコ族に対抗するように、ロックンロールナンバーでツイストするグループ。昭和57(1982)年撮影。Photo:Getty Images

原宿セントラルアパートとコープオリンピアについては触れたけれど、原宿には両者よりもさらに歴史の古い、シンボリックなアパートがあった。現在の表参道ヒルズの場所に存在した「同潤会青山アパート」である。昭和初め(1927年)に関東大震災の復興住宅として誕生したこのアパートの裏手に、僕は独立して最初の仕事場を借りていた。84年から86年にかけてのことだが、日々通っていたのでこの時期の原宿には濃い記憶が残る。

昭和61(1986)年に撮影された同潤会青山アパート。テナントにはアパレルのショップなども入っていた。Photo:朝日新聞社/アマナイメージズ

「――表参道」の名が付いたその4階建てワンルームマンション、2階の僕の部屋のすぐ下に、みうらじゅんの仕事場があった(彼がココの空室を探してきたのだ)。みうら氏とのエピソードはともかくとして、この時代から表参道や明治通りの横道を奥に入ったような所にアパレルの店がぽつぽつ出現し始めた。やがてビームス裏の渋谷川暗渠道(キャットストリートの俗称もあった)の界隈に「裏原宿」の呼び名が付けられて、ヴィンテージ・ジーンズなんかをショーケースに飾った古着屋がにぎわうようになった。

観光地化した表参道から逃げるように、裏路地に面白い店が増えてきた原宿だったが、80年代中頃はまだ原宿セントラルアパートも健在で、僕は学生時代から憧れていた「レオン」で仕事の打ち合わせをする……という小さな夢を果たした。

Photo:Getty Images

思い出の店の多くは消えてしまったけれど、表参道のケヤキはおそらく40、50年前よりぐっと太くなって、原宿のメインストリートの景観に箔を付けている。

profile

泉 麻人

1956(昭和31)年、東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。『週刊TVガイド』等の編集者を経てコラムニストに。主に東京や昭和、カルチャー、街歩きなどをテーマにしたエッセイを執筆している。近刊に『続・大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)。

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