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自邸に見るジャン・プルーヴェのデザイン哲学
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自邸に見るジャン・プルーヴェのデザイン哲学

知識と技術で苦境を乗り切る、柔軟なエンジニアリング

独学で建築を学び、新しい素材や建材の開発に尽力したジャン・プルーヴェ。彼が1954年に設計したフランスのナンシーの自邸は、プランニングから設計、施工までをすべて一人でこなした究極のセルフビルド住宅だった。

Text by Hisashi Ikai
Edit by Masato Kawai(BUNDLESTUDIO Inc.)

目を付けたのは、工場の余剰材。デザインの力が不可能を可能にする。

ル・コルビュジエをはじめとした数々の建築家たちとの協業を通じ、独自に建具や建築のあり方を開発。多くの名作を世に残したフランスのジャン・プルーヴェ(1901〜1984)。スイスの家具メーカーのヴィトラが1990年代にプルーヴェデザインの家具を復刻して以来、その存在は広く知られるようになり、ファンも増大。2022年には東京都現代美術館で大規模な回顧展が開催されたことも記憶に新しい。

プルーヴェが残した数々の偉業をたどるにあたり、フランス北東部の街、ナンシーに現存する自邸「メゾン ジャン・プルーヴェ」は、独自のデザイン思想を新しい視点から捉えた挑戦的なプロジェクトであるとともに、彼にとって人生の大きな分岐点となった建築物として、研究者のあいだでも特別な存在として見られている作品だ。

幅3メートルという特大サイズの回転扉のエントランス。屋根の勾配に応じて、高さも斜めに調整している。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
リビングルームの様子。開放的な窓と機能性の高い収納棚+書架が向き合うように配置されている。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
元は床下の土台として使われていた頑丈な構造体を梁に転用。リビングルームを大胆に貫いている。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514

ジャン・プルーヴェは、1901年にパリに生まれたが、工芸家の父と共に、ナンシーに移住。エミール・ガレ、ドーム兄弟が牽引したガラス工芸をはじめ、陶芸や木工、そして金属加工にいたるまで、アール・ヌーヴォーの流れを継ぐ豊かな工芸文化が花開いた地に育ったプルーヴェが、ものづくりの道に進んだのはごく自然な流れだった。金属加工職人のアトリエでの下積みを経て、1923年にナンシーに工房を構える。その後順調にキャリアを重ね、1947年には郊外のマクセヴィルに巨大な自社工場を開設。アルミによる建材の開発を本格化していった。

娘のカトリーヌと一緒に写真に映るジャン・プルーヴェ。©SCE Jean Prouvé
家族や友人と一緒に楽しく時間を過ごすジャン・プルーヴェ。©SCE Jean Prouvé

順風満帆のプルーヴェだったが、経営面において工場の株主のフランスアルミニウム公社との対立がはじまった。

交渉も虚しく、株主主導による組織再編に伴い、所員を守るために工場からの退陣を余儀なくされたプルーヴェ。突然活動の場を失ったものの、たゆまぬものづくりの情熱が簡単に消えるはずもなく、街の中心部から30分ほど北にある土地を購入。事務所兼自宅の建築に取り掛かる。彼が購入した土地は街が一望できる南向きの高台だが、元ブドウ畑で勾配のきつい土地のため、簡単に重機を入れることはできない。そこでプルーヴェは最小限の労力で整地できるようにと、土地を水平方向に細長く整備していった。

壁を隔てたリビング脇には、コンパクトながら長いカウンターとたくさんの収納を備えたキッチンを配置。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
備え付けの棚の下部は、引き戸を付けて。山形のハンドルにもプルーヴェのデザインが生きる。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
リビングにある暖炉には、友人のアーティストが直接アートワークを施した。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514

次なる課題は建材の入手だった。自身を建築家やデザイナーではなく、あくまでも工場で働く職人だと認識していたプルーヴェにとって、手を動かしながら建材や構造の実験や検証が自由にできるものづくりの現場を持たないことは想像を絶する打撃だったはず。しかし、プルーヴェはマクセヴィルの工場と交渉を重ね、敷地の片隅に残っていた余剰材を買い取る。そして、設計に合わせ部材を新たに開発するのではなく、バラバラの部材の個性をひとつひとつ読み解きながら、構造や設計を巧みにアレンジするという逆転の発想で自邸のプランを構築していった。

建設もほぼ人力で行われ、知人や友人、そして工場で共に働いていた同僚など、多くの仲間たちが協力。結果として、間口28メートル、奥行き8メートルの建屋に大きなリビングと4つの個室が横一列に並んだ平屋をわずか3カ月で完成させた。

寝室や子供部屋、書斎へと続く廊下。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
個室の扉は、角を丸くカットしたもので統一している。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514
連続する小さな丸窓がアクセントになった浴室の壁。Jean Prouvé @ ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2024 E5514

家はコンパクトながらも、プルーヴェが仕事をこなしながら、家族との大切な時間を過ごすための使い勝手の良い構成だ。エントランスの鉄製回転扉をくぐると、すぐ右手に40㎡ほどのリビングルームが広がる。南向きの大きなガラス窓からは山の緑とナンシーの街を見渡すことができ、反対の壁は一面が書架と収納として使えるようになっている。書架に沿うように左手に進むと、細い廊下の先にトイレと浴室、主寝室、子供部屋が続く。そして一番奥には、石壁が印象的な書斎も設けられている。

家のなかをくまなく観察すると、プルーヴェの名作の断片がそこかしこに見受けられるのもこの家の醍醐味だろう。眺めの良い大きなガラス窓があるリビングの天井を貫く梁には1949〜51年にかけてアフリカに建設した「メゾン・トロピカル」の床下を支えていた土台を再利用。ほかにも小さな丸窓付きの玄関ドア、主寝室と子供部屋に設置した上げ下げ窓も過去の物件で用いたものを流用している。

小さな個室が続く西側に比べ、リビングを備えた東側は敷地いっぱいに大きく迫り出している。
エントランス方面から西側に伸びる外壁。丸窓付きの扉と上げ下げ窓を併用しているのがわかる。
葡萄畑だった傾斜地を巧みに開拓し、横長の建屋を建設した。

前線で活動する兵士のために組み立て式営舎や戦災で家を失った人のための仮設住宅にはじまり、少人数でも短期間で建設、解体が可能なプレハブ建築を数多く開発。「ビス一本をも無駄にしない」と断言し、生涯を通じて合理的かつ経済的なものづくりを目指していたプルーヴェにとって、この自邸は、自身の信念を貫いた賜物とも言える作品なのだ。

工場の端材を用いながら、ほとんどを人力で、しかもたった3カ月で完成させたというプルーヴェの自邸は完成から今年でちょうど70年。長い歳月を経た現在でもなお、完成当時と同じ姿のままで、丘の上から静かに街を見守り続けている。

profile

ジャン・プルーヴェ

1901年フランス生まれ。工芸家の父に伴い、アール・ヌーヴォーの拠点、ナンシーに育つ。1916年金属工芸家、エミール・ロベールに弟子入り。1923年に独立。第二次世界大戦中はレジスタンス運動に加わり、1944年にはナンシー市長に選出。生涯にわたり、量産可能な家具づくりと効率的な建築システムの開発に尽力し、20世紀デザインの工業化に大きな影響を及ぼした。 代表作にムードンの工業化住宅、ナンシーの自邸、トタル社のガソリンスタンドなど。スタンダードチェアをはじめとする数々の家具や照明がヴィトラ社から現在も販売されている。
©SCE Jean Prouvé

Maison Jean Prouvé

4-6 rue Augustin Hacquard, Nancy FRANCE
毎週土曜日14時〜17時30分に無料公開

▶︎https://musee-des-beaux-arts.nancy.fr/le-musee/maison-jean-prouve

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