森の中に佇む、家具と住宅を手がけるつくり手を訪ねて
北海道の旅3日目に訪れたのは、東川町の中心から車で10分ほどの森の中に佇む「北の住まい設計社」と「北の住まい建築研究社」。北海道産の広葉樹だけを使った手仕事による家具に始まり、今では自然素材の家までも手がけている。
緑豊かな森と化した広大な敷地内には、木造の家具工房や資材保管庫、事務所、ショールーム、ライフスタイルショップ、カフェなどが樹々の間に点在する。
運命に導かれるように始めた家具づくり
「北の住まい設計社」がこの地にやって来たのは1985年のこと。廃校となっていた東川第五小学校を譲り受け、雪に埋もれ寂れていた校舎や体育館、教員住宅を工房や作業場などに生まれ変わらせた。
同社の代表取締役である渡邊恭延さんは、この地で新たに工房を設立し、家具づくりに携わるようになった経緯について「偶然の出会いですが、今にして思えば不思議なことでした」と振り返る。
デザイン事務所を立ち上げてデザイナーとしてキャリアを積んでいた渡邊さんは、工房を設立し家具づくりをスタートさせた。拠点をこの地に決めたのは、渡邊さんがフィンランドの片田舎にホームステイした際に経験した、丁寧で穏やかな暮らしが大きく影響しているという。
「フィンランドの人々は自然と共生し、季節の移ろいを身近に感じながら、丁寧に日々の暮らしを楽しんでいました。環境の中で人間が生かされていると気づかされた瞬間でしたね。そのとき、北海道の田舎で暮らそうと心に決めました」
「北の住まい設計社」という社名には、北海道の自然と共生するという渡邊さんの決意がストレートに表現されている。
「当初は本格的に家具づくりをするとは思っていませんでした。東川町の山奥でしたから、最初は庭に置くベンチや小鳥の巣箱など、自然の中で使える、いわゆるアウトドア用品を手がけていました。でも、頭の片隅にはずっと北欧で見た手づくりの古い家具があり、いずれは自分の手でもつくってみたいと思っていたんですね。それから、幸運にも優れた技能者に恵まれ、家具づくりに深く関わるようになっていったのです。今になって思えば、そこにはいつも必然性があったように思います」
ものづくりの根底にあるのは、木への敬意
北欧で見た古い家具に魅了された渡邊さんが手がけるのは、素材を生かした、人の手の温もりを感じさせる木製の家具。世代を超えて長く使い続けてもらえるよう無垢の木を使い、ひとつひとつ手づくりされている。
「少なくとも、木が土に根を下ろしていた年月を、家具として生き続けられるように」というのが渡邊さんの願いでありポリシーだ。
「木は人智を超えた尊い存在ですよね。環境をつくり出している根源的な生きものなのではないでしょうか。人間は木がつくった環境に住まわせてもらっているわけです。もし森林がなくなってしまったらと考えると、ゾッとしますよね。だから絶対に粗末にはできません」
渡邊さんのものづくりの根底にあるのは、自然や木への敬意にほかならない。
その姿勢がよく表れているのが、北の住まい設計社の敷地だ。当初はアスファルトの駐車場だったという校舎の前は、譲り受けた年に舗装をはがして植栽を施し、36年たった今ではミズナラなどの木々が生い茂り、“昔からあった森”のようになっている。
「できるだけ自然に任せるようにしています。最初に植えた木々が種を落とし、またその種が木々に育って種を落とす……という自然のサスティナブルな循環がこの敷地には息づいています。我々は、最終的にここを森に返したいと思っています」
手間は惜しまない。自然素材を生かした家具づくり
北の住まい設計社の家具は、木材の調達から乾燥、デザイン、加工、塗装に至るまで、すべてのプロセスを渡邊さん自身が統括し、一貫した考えのもとでつくられている。
例えば、木材は渡邊さんが厚い信頼を寄せる北海道厚沢部町にある「鈴木木材」から仕入れている。「長い時間軸の上に成り立つ林業ですから、木材には木を育てる人たちの姿勢や考え方が色濃く反映されます」と語る渡邊さん。
伐採の現場に自ら赴き、あらゆるサイズや形の丸太をありのままに受け入れるという鈴木木材の姿勢が、渡邊さんの信念と一致したのだという。
仕入れた木材は倉庫で1年半から3年、長いものであれば10年もの時間をかけて倉庫で自然乾燥させる。製品の割れなどの狂いを少なくするため、時間をかけて丁寧に乾燥させるのが渡邊流だ。
保管場所に限りがあるのはもちろん、作業にかかる人件費もかさんでくる。しかし、「手間をかけることが製品の魅力にも繋がる」と決して妥協しない。
家具づくりのプロセスにおいても、効率を重視した分業ではなく、あえて1人の職人が工程の始めから最後の仕上げまでを受け持つ作業スタイルを採用。
工房内の一室には、家具の材料を保管するための場所が設けられ、職人は材料を持って作業場へと移動する。
作業場に大型の機械は一切なく、職人の手加工の延長で使われる、昔ながらの機械や工具で木取りや削り出しがなされていく。
特に興味深かったのは、天然塗料を使った昔ながらの手法が息づく塗装の工程だ。職人の手によってひとつひとつ丁寧に仕上げられていく。
「EGG TEMPERA(エッグテンペラ)」という天然塗料は、卵をつなぎにして、水と油を混ぜ合わせたものだ。有機溶剤を含まない環境にも優しい塗料で、500年以上前から西洋の絵画などで使われてきた手法だという。手間と時間はかかるが、マットな質感の深い色合いに仕上がる。
こうして人の手によって丁寧につくり込まれたシンプルな佇まいの家具は、それぞれの趣があり、ひとつとして同じものはない。なめらかな手触りにやわらかな木の香り……五感で木の魅力を感じられる家具に、渡邊さんの信念を感じることができた。
暮らしを楽しむための、快適な住まいをつくる
「北の住まい設計社」は、2001年から「北の住まい建築研究社」という住宅部門を立ち上げ、新たに家づくり事業もスタートさせた。そこには、一体どのような想いがあったのだろうか?
「北海道の自然と共生し、季節の美しさを楽しみながら生きるということを考えたときに、高断熱・高気密というのは切っても切り離せない要素でした。それで自分の家を建てるのをきっかけに、家づくりも始めることにしました」
北海道のなかでも特にこのエリアは寒暖の差が激しく、マイナス20℃からプラス20℃まで、40℃もの気温差がある。渡邊さん自身も、かつては隙間風が入る家に住み、冬はただ寒さを耐え忍んで過ごしていたという。北海道の自然を享受する暮らしを提案するには、快適な家がベースになくてはならない。自らの経験に根ざした、確信があってのことだった。
渡邊さんが目指すのは、何世代にもわたり継承されていく家。そのためには美観も大切で、経年変化によってさらに自然に溶け込む美しさを得る「板張り」にこだわった。家具と同様に、北海道の無垢材をはじめとした自然素材を用いながら、寒暖差の激しい北海道で快適に過ごすための“夏涼しく、冬暖かい”住環境を目指す。しかしそれは決して容易ではなく、専門家の力も借りながら現場での検証を繰り返し、ようやく建築基準法を満たす「板張りの家」が実現できたという。
「僕は簡単な家はつくっていません。だから、値段が高いと言われることも多いんです。しかし、時代を超えて長く使い続けてもらえる家をつくるということを、何よりも大事にしています」
家づくりを始めてから20年。最近では、初代の住人から次の住人へと継承される光景を目にすることも増え、自分たちのやってきたことがようやく結果として見えてきている実感があるという。
「僕たちは住宅を建てるときも、できるだけ周りの木を切らないようにしています。住宅そのものだけではなく、周囲の環境にも配慮したいからです。時とともに、住宅と周りの自然が一緒に成長していく。その価値を持ち主がしっかりと理解したうえで、次の人へと手渡されているのを見ると、とても嬉しく感じます」
渡邊さんはさらに、次のような言葉を足した。
「今は地球という環境が心地よくない方向に向かっているように感じます。一人ひとりが欲望に振り回されることなく、賢く未来を見据えなければならない。人が節度を持って生きることこそが、これからの最大のテーマだと思います」
自然と真摯に向き合い、今も昔も変わらず学び考え続けているという渡邊さん。その木、森、自然への敬意は、家具や家を通じて次の世代へと継承されていくことだろう。
「北の住まい」でのくらしを訪ねて
次に我々が向かったのは、東川町の一画にあるYさんご家族の住まい。「北の住まい建築研究社」で家を建て、この春、首都圏から移住してきたばかりだという。
北の住まい建築研究社の手がける住宅の特徴とも言える板張りの一軒家には、ご主人と奥さま、そして小学生の次男の3人が暮らす。
無垢の木を使った床や表情豊かな珪藻土の壁など自然素材でつくられた家は、目にも足の裏にもやわらかで実に気持ちがいい。異例の猛暑日となったこの日も、家の中は扇風機だけで十分に涼しいということに驚かされた。
ご主人のお勤め先は都内のIT企業。ここ東川町にある実家の敷地内に、定年後にでも移住しようと考えていたが、働いているうちに家だけ先に建てておこうと思い立ったのがきっかけだという。
家が完成してから、地元の小学校の評判が良く全国のモデル校にもなっていると知った奥さまは、次男が小学生のうちに移住して通わせたいという気持ちが強くなった。図らずも、ちょうどその頃コロナ禍によるご主人のリモート勤務も始まった。どうせ家で仕事をするのなら、環境の良い北海道が良いと移住を決意したという。
移住からはや数カ月。だいぶ周りの環境にも慣れたとお二人は話す。
「すごく住みやすいですね。町の人たちも親切で、気さくに声をかけてくれたり、いろいろなことを教えてくれたり。息子も野球チームに入り、毎日楽しそうに過ごしています」と奥さま。縁あって、東川小学校で学習支援員として働いているという。
「小さい頃は大雪山を見ても特に何も感じていませんでしたが、都会暮らしを経験して自然のありがたみがわかりました。今では毎朝起きて、窓の外に大雪山を眺めるのが楽しみのひとつになっています。仕事中も、外の自然を見るといい気分転換になりますね」とご主人も話す。
大雪山が綺麗に見えるように角度にこだわったという家のリビングからは、絵はがきのような美しい景色が広がる。
母が家庭菜園で育てたジャガイモやアスパラガス、ピーマン、トマトといった季節の作物が見事に育ち、採れたての野菜の美味しさを日々実感しているという。
「寒暖差が激しいので、野菜の甘みが増すんですよね。本当に美味しいです。食べたいときに収穫できるのってすごく贅沢ですよね。自然のありがたみを感じています」と奥さまは微笑む。
東川町だからこそ叶えられた、丁寧で豊かな暮らし
ご主人の生家とはいえ、首都圏から東川町への移住。これまでの暮らしと環境や文化の違いに戸惑うことはなかったのだろうか?
「東川にはオーガニック食材を扱うお店やセレクトショップなど、センスの良い素敵なお店がたくさんあるんです。美味しいコーヒー屋さんも充実していて、こちらに来てから自分で豆を挽いて飲むようになりました」と丁寧な暮らしを楽しんでいる様子の奥さま。都会から離れた東川町での暮らしは、実は非常に文化度が高いと感じているという。
「北の住まい建築研究社」で建てた自宅の住み心地の良さも、生活を楽しめている大きな要因だと話すご主人。こだわりのヒノキ風呂に、大雪山が望めるリビングや寝室……。「四季を肌で感じられるようになりました」と嬉しそうに微笑む。
「北の住まいの家づくりには、すごく共感しています。実際に住んでみて、価格では表現できない価値の高さを感じています」
自然に恵まれた環境、心地良い住まい、豊かで文化的な暮らしを叶えられたのは、東川町だから実現できたこと。そう語るお二人からは、心からここでの暮らしを満喫している様子が伝わってきた。今後、この住まいは周辺の自然と共にどう育ち、ご一家によってどんな暮らしが紡がれていくのだろうか。数年後、数十年後に訪ねてみたい、そう思った。
自然に対しての謙虚な姿勢が、これからの豊かな未来を紡いでいく
本質的な豊かさを求めて、さまざまな人や企業を取材した今回の北海道旭川・東川町の旅。
出会った人々から共通して感じられたのは、大いなる恵みをもたらしてくれる豊かな自然への尊崇の眼差しと、謙虚な姿勢だった。限りある環境資源の保全と循環を前提に、より深い共生のあり方を探る彼らの姿はとても清々しく、自然体に映った。
「豊かさ」という言葉はさまざまな場面で用いられるが、ここで我々が感じた「本質的な豊かな暮らし」を、どのように表現すべきだろうか。
自然と共にある生き方、産業としても自然に寄り添おうとする姿勢と価値観。それらを皆が共感しあい、暮らしに取り入れている姿に、きっとその先にある未来も明るいものであるに違いない、と感じられた。
豊かさとは、心豊かに生きられること。それが大地から暮らし、地域でともに生きる隣人たちから未来まで、一続きに感じられる安心感なのかもしれない。
取材協力
北の住まい設計社
▶︎http://www.kitanosumaisekkeisha.com/
北の住まい建築研究社
▶︎http://kitanosumai-house.com/