豊かな自然と利便性を併せ持つ理想郷
うだるような蒸し暑さが続く、梅雨時の都内を抜け出したのは7月半ばのこと。約1時間40分のフライトの後に到着した旭川空港を出ると、頭上には燦燦(さんさん)と日差しが照りつける清々しい夏空が広がっていた。
ここ旭川・東川町エリアは上川の内陸盆地に位置しており、四季の移り変わりがはっきりしているという。冬の雪景色と打って変わり、夏は雄大な大雪山を背景に、青々と連なる森の景色がどこまでも続く。
この日の最高気温は35℃。例年にない暑さだという。それでも森からは爽やかな風が吹き込み、実に心地がいい。
我々がまず目指したのは、世界に類を見ない貴重な椅子と日用品のコレクションを所蔵する椅子研究家 織田憲嗣さんの邸宅。
旭川空港を出発し、大自然の恩恵を五感で感じながらクルマで走ることわずか10分ほど。木立の間を抜ける細い山道の先に見えてきた、別荘然としたモダンな建物。それが織田邸だった。
クルマを降りると、やわらかな緑の香り、軽やかな鳥のさえずりが我々をやさしく出迎えてくれた。
綺麗に手入れされた敷地には、木々の上に鳥の巣箱や餌台が、足元にはリスの餌場が設えられ、可愛らしい動物たちの気配が間近に感じられる。
この豊かな自然に囲まれた邸宅には、一体どのような空間が待ち受けているのか———。期待に胸を膨らませていると、穏やかな面持ちの織田さんが現れ、笑顔で邸内へと招き入れてくれた。
審美眼が息づく、ホームミュージアムを彷彿させる邸宅
足を踏み入れた先には、北欧を中心とするデザイン家具や世界各国の調度品がセンスよくちりばめられた圧巻の空間が広がっていた。
地上1F(半地下)で延床面積398㎡のゆったりとした室内には、所狭しとものが置かれているのだが、そのすべてがあるべき場所に美しく配置されており、圧迫感のない居心地の良い空間に仕上げられている。世界各国のアイテムがミックスされていながらも統一感があるのは、そのすべてが織田さんお一人の審美眼によって選び抜かれているからだろう。
ここは、ある種の実験的な住宅として創り上げられたという。
織田さんは、「研究用に集めた収蔵品を自分の生活の中で実際に使いたかった」と話す。手に入れたものは、それがどんなに貴重であっても躊躇せずに使うというのが信条。使うと決めた収蔵品は、一つひとつ綿密に計測して100分の1の平面図に起こし、ものありきで自邸を設計したという。自身で図面を引いたというから驚きだ。
「家具の配置にあたっては、軸線というのをものすごく意識しました。中心軸を揃えることで、ものが多くても混雑がなくなるんですね」
軸線に沿って並べられた照明器具、シンメトリックに配置された家具や調度品。それらはすべて面合わせがなされ、整然とした雰囲気を醸し出す。
「美しいものは、より美しく見せるステージに立たせてあげることが大切です」とも話す織田さん。キャビネットなどに置かれたものの周りには、空間の余白がしっかりと確保され、造形の美しさがより引き立てられている。
ホームミュージアムさながらの織田邸には、研究者としてのあくなき探究心と、決してぶれることのない研ぎ澄まされた審美眼が息づいていた。
丁寧な暮らしは、美しい暮らしに繋がる
織田さんの邸宅を拝見して驚いたのは、多くのものがあるにもかかわらず、あらゆるものが綺麗に磨き上げられ、塵ひとつないこと。その様からは、織田さんの丁寧な暮らしぶりがうかがえる。
「使わないものはスタンバイの状態でそっと置き、使ったら必ず元の位置に戻します。美しいものでも、表に出しておくと見苦しいものは、すべてシリーズごとにそろえて引き出しの中に。薬や台所用具なども外には出さずに隠して収納しています」
「丁寧な暮らしは、美しい暮らしに繋がる」というのが、織田さんの暮らしの根底にある考え方だ。
「部屋の中が乱れていると、精神状態まで乱れてくるような気がします。僕は、あるべきところにものがあることが一番落ち着くんです」
掃除、整理整頓、使ったら元の位置に戻す。織田さんが習慣として当たり前に行っている振る舞いが、美しい暮らしを創り上げていた。
では、美しい暮らしは、どのような豊かさをもたらしてくれるのだろうか。
その問いに、織田さんは「良いものは人に振る舞いを要求します」という解で返してくれた。
「昔はあらゆる分野に修理・修復の文化があり、ものを大切にすることが当たり前でした。しかし、今は簡単にものを捨ててしまう傾向がありますよね。それは資源の浪費にほかなりません。人とものとの関係が、どんどん希薄になっているように感じます。だからこそ、ものを買うときには少々無理をしたほうがいいんです。無理をするということは、買う際により慎重になります。そして良いものであれば、修理をしながら愛着を持って長く大切に使いますよね。安物ではそれなりの振る舞いになってしまいます。ものを買ったら、その寿命が尽きるまで使い続ける責任が伴います。一生ものとよく言いますが、家具であれば子や孫の代までの二生もの、三生ものとして使えるものなのかということを、よく考える必要があるのです」
良いものは、ものとの濃密な関係を築かせてくれる。そして、何世代にもわたって使い続けていくことは、結果、環境を守ることにも繋がってくるのだ。
運命に導かれた椅子研究家への道
長年にわたり、椅子や日用品の研究を続けてきた織田さん。「織田コレクション」とも呼ばれる収蔵品は、椅子1400脚超、テーブルや照明、カトラリー類が8000点と、他に類を見ないボリュームを誇り、研究内容は近代デザイン史の変遷を俯瞰できる稀有な資料として、世界的にも高く評価されている。
そもそも、彼を椅子研究家へと駆り立てたのは、一体なんだったのだろうか?
そのルーツを辿ると、今から49年前の1970年に立ち戻ることとなる。大学を卒業後、大阪の髙島屋宣伝部にイラストレーター、グラフィックデザイナーとして入社した織田さん。そこで出会ったル・コルビュジエの「LC4」に魅了され、1脚目の名作椅子を手に入れる。価格は当時で30万円ほど。月給は4万円台だったというから、随分思い切った買い物だったことは想像に容易い。
「単にミーハー心でした。仕事場に置いてあったインテリア雑誌で、何度となく目にしていた憧れの椅子だったんですね」
以降、名作椅子の魅力にとりつかれ、「有名な椅子が欲しい」と、ひとつ、またひとつと買い集め、1980年頃には100脚ほどのコレクションを有するまでになっていたという。「ここまでは単なるコレクターのようなものでしたね。そろそろ終わりにしなければと思っていました」と織田さんは当時を振り返る。
そんな折、転機が訪れる。偶然、アメリカを代表する家具メーカーKnoll(ノール)社でのセールを知ったのだ。
「名作家具のリストを目にした瞬間に不思議と迷いが吹っ切れ、研究者の道を選ぼうと決心しました。そして研究者の道を選ぶからには、自分が好きという理由や単に有名という観点で購入するのではなく、後世に残しておくべきものをすべて網羅しようと思ったのです」
そうしてセールリストにあった椅子、約450万円分を注文し、9カ月ほどかけてすべてを手にした織田さんは、1980年代初頭、仲間と共に「CHAIRS」(チェアーズ CHAIRS=椅子とは。をロゴ化したもの)を立ち上げることとなる。
当時、手描きのイラストレーションで人気を博していた織田さんは、収入のすべてを椅子に費やしていった。しかし、椅子の購入費とは別に、輸送費、撮影料、保管料、そして研究資料となる書籍代など……、研究には莫大な費用を要し、多額の借金も背負ったという。
それでも、研究を諦めることなく今日まで続けてこられたのは、なぜなのだろうか。モチベーションの根源を織田さんに聞くと、次のように語ってくれた。
「椅子には、身体を受け止め支える支持具としての物理的な意味とは別に、権威や地位を表す精神的な意味があります。つまり、ヒエラルキーの象徴なんですよね。いい椅子が欲しいという上昇志向が、結果、僕を椅子へと走らせたのだと思います」
そして、次のように言葉を足した。
「椅子は、よく “小さな建築だ” と言われますが、名作というのはやはり綺麗ですよね。彫刻作品にも劣らない美しさがあります。また、身近な道具であるということもひとつの魅力ではないでしょうか。造形的な美しさを備えた日用品ですよね。椅子の魅力というのは、本当に計り知れないものがあります」
家具産業に必要な要件が揃う唯一無二のエリア
高知県出身であり、大学時代からは大阪で暮らしてきた織田さんが、縁もゆかりもない東神楽町に移り住んだのには、旭川に拠点を置く家具メーカー「カンディハウス」の創業者である長原實さんが深く関係しているという。
あるとき、「椅子の美術館を旭川で創らないか」と長原さんから声をかけられたのだ。美術館の話は打ち切りになってしまったものの、織田さんはミュージアムの候補地として挙がっていたこの東神楽町に自宅を建設した。
今年で旭川に来てから26年。そして今の地に家を建てて19年。その間「旭川家具」の躍進を身近に見てきた織田さん。このエリアが持つ強みと課題について、どう捉えているのだろうか。
「小さなエリアにこれだけたくさんの家具メーカーが集中しているというのは、世界でも旭川だけです。しかも、メーカー同士の横の繋がりが非常に強いんですよね。どこかのメーカーが困っていたら、みんながすぐに助けに行く。そんな互助の精神が息づいています。また、大学をはじめとする人材の育成機関がたくさんあることも特徴です。さらに、『国際家具コンペティション』を開催するなど、世界の感性を集める仕組みができていることも大きいですよね。そして何より、道産材があるということ。寒冷地で台風もほとんど来ない恵まれた気候により、ミズナラやタモをはじめとする木々がよく育つのです」
「メーカーの集中」「人材育成」「世界の感性の集約」「家具材の集積地」に、世界のミュージアムに匹敵する「織田コレクション」を加えた5つの要件が揃ったエリアは、世界広しといえども旭川エリアだけだという。
「これだけの要件が揃った背景には、明治時代からの陸軍の家具製作を請け負ってきたという歴史的背景があるのと同時に、起業家、実業家、デザイナー、思想家、教育者とさまざまな顔を持っていたカリスマ的なリーダー、カンディハウスの長原さんの存在が非常に大きいですね。かつては収納棚など箱ものばかり作っていた旭川家具を、より付加価値の高い脚もの主体に移行させていった立役者でもあります。ほかにも、全国家具工業連合会(現、日本家具産業振興会)会長として、国産家具の修理を他のメーカーのものでも広く受け付ける制度を立ち上げるなど、家具業界の振興にも寄与しています」
長原さんという稀有な存在のもと、自治体との協業や産学官連携によって発展を遂げてきた旭川の家具産業。織田さんが唯一懸念するのは「デザイン力」だという。
「せっかく感性を集めているにもかかわらず、優れたデザインの家具がなかなか製品化されないという現状があります。オーナーも良いデザインをきちんと見極められるように、自身の感性をもっと磨く必要があるのかもしれません」
「織田コレクション」を見て、名作椅子がなぜ長く愛されてきたのか、その価値を自分自身で感じる機会に恵まれれば、結果、良いデザインの製品を生み出すことにも繋がるだろう。
文化醸成の一端を担う「織田コレクション」、これからの役割
日本にデザインミュージアムを創る———これが、織田さんがかねてから抱いている夢だ。
「貴重なコレクションを地域の活性化と世界の人々の暮らしの改善に役立てて欲しい」との想いから、2017年に収蔵品の大半を東川町に寄贈した織田さん。現在、椅子や日用品を有する「織田コレクション」は、東川町によって保管・管理されている。
「特にコロナ禍となってしまった今は、本物を見ることができる機会があまりにも少ないですよね。バーチャルではなく本物にじかに触れるということは、感性を養ううえで非常に大事です。オリジナルに触れ、そのルーツを知ることのできるデザインミュージアムは、後世の若い人たちの教育のうえで大きな意味を持ってくると思います」
東川町の地域交流の拠点となっている「東川町複合交流施設せんとぴゅあⅠ」のギャラリーでは、デザイン性に優れ、歴史的・芸術的価値が高い北欧家具を中心とした「織田コレクション」を常設展示し、誰もが本物に触れられる場として公開している。
東川町役場の学芸員として「織田コレクション」の展示企画と膨大なコレクションのデータ整理を担う岡本周さんは、「織田コレクション」がパブリックなものとして一般に公開される意義について次のように話す。
「日本五大家具産地のひとつとして知られる旭川は、『旭川家具』というブランドでその名を知られていますが、そこに『織田コレクション』が加わることで、さらに家具の町としての印象が強まることになります。世界中の名作椅子がここにあるということは、地域の、さらに広くいえば日本の誇りにして財産となります。30社ほどある東川の家具で働く職人にとっても、家具製作へのヒントやインスピレーションの源にもなるはずです」
今年、東川町は未来の社会の在り方を考えるきっかけづくりを目指し、4月14日を「良い椅子の日」に制定。毎月14日は1脚の椅子についての講演を行なっている。さらに家具や椅子に感謝する習慣と文化を創造するとともに、地域の家具産業の振興を図るべく、「暮らしを丁寧に」をテーマにさまざまな分野のゲストを講師に迎えたデザインスクールなども定期的に開催しているという。
「織田コレクションというのは主に椅子を含む日用品等で、すべてが日常と結びついています。本物を見て審美眼を養い、ものの良し悪しの判断が自分でできる人が増えていったらいいなと思っています。自分なりの基準を持って生活をしていくことが、結果、生活の豊かさの向上に繋がるのではないでしょうか」
織田さんのコレクションとその理念は、我々からその先の未来へ繋ぐべき「メッセージ」
コロナ禍によって、「人と人」「人ともの」との距離がより広がりつつある今、織田コレクションの存在は、その距離を縮め、自分たちの暮らし方について今一度よく考え、向き合うきっかけづくりとなるだろう。時代感を纏いながら丁寧に生み出されてきた不朽の名作には、我々が忘れつつある本質的な豊かさが息づいているはずだ。
今、織田さんの夢であるデザインミュージアムの設立が、東川町と建築家 隈研吾さんとの連携プロジェクトをきっかけに、前に動き始めているという。
織田さんのコレクションが一堂に会するデザインミュージアムは、きっと私たちに新たな気づきと豊かな暮らしのヒントを与えてくれるはずだ。その実現に、期待をせずにはいられない。
「Quiddity of Life-北海道旭川・東川で体験する、“本質的な 豊かな暮らし”」。次回は「旭川家具」のメーカーを訪ね、家具づくりの現場から見るこのエリアの経済・産業・デザインについて考察してゆく。
取材協力
東川町複合交流施設せんとぴゅあⅠ
▶︎https://higashikawa-town.jp/CENTPURE