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オリジナルの優美な姿とダイナミックな空間を次世代へと継承 ――東京カテドラル聖マリア大聖堂
未来に残したい、TOKYOの建築

オリジナルの優美な姿とダイナミックな空間を次世代へと継承 ――東京カテドラル聖マリア大聖堂

教会建築としての輝きと荘厳さを保ち続ける100年建築 ――東京カテドラル聖マリア大聖堂

変わり続ける東京の街にあって、一部の建築物は世代を超えて継承され、街の風景と印象を支え続けている。街を行き交う人々や街に暮らす人の心を惹きつけてやまない東京の名建築を紹介する本連載6回目で取り上げるのは、1964年の東京オリンピック開催年に竣工した「東京カテドラル聖マリア大聖堂」。一度見たら忘れられない優美な姿は、築43年を超えた2007年の大規模な改修を経ても変わることなく、次の100年に向けて輝きを増している。

Text by Jun Kato
Photographs by Satoshi Nagare

独特の形状と独創的なアイデアに満ちた教会建築

東京メトロの江戸川橋駅から進み、関口台公園脇の鳥尾坂を登った文京区関口の高台。ホテル椿山荘東京と目白通りを挟んだ向かいに、東京カテドラル聖マリア大聖堂はある。周囲には大学や高校などの教育施設が多くあり、落ち着いた雰囲気の文教地区。優美な形状で柔らかな輝きを放ちながら、通りから少し引いた位置に建つ東京カテドラル聖マリア大聖堂は、品格を漂わせるランドマークとなっている。

曲面の壁は太陽の光を受けて柔らかな輝きを放つ。

東京カテドラル聖マリア大聖堂の歴史は古く、1899年(明治32年)に木造ゴシック様式の聖堂が建てられていた。しかし第二次世界大戦の東京大空襲で焼失し、しばらくは物資不足のために米軍によって持ち込まれた半円筒形の「カマボコ兵舎」を利用して集っていたという。その後、ドイツ・ケルン大司教区の支援を受けて聖堂は再建され、1964年12月8日に献堂式が行われた。

教会入り口付近に設置された、ケルン大司教区の支援を記念するレリーフ

計画は、1961年に指名競技設計が実施されたことに始まる。競技に名を連ねたのは、前川國男、谷口吉郎、丹下健三という錚々たる建築家3名。その中で選ばれたのが、「岩場の水面に舞い降りて来た銀色の白鳥が羽を震わせているかのよう」と称される丹下案であった。教会が竣工した同年の9月には、代々木競技場も竣工している。近代的な形態と構造、機能を融合させる設計は、この時期の丹下の大きな特徴といえる。

建物は、HPシェルと呼ばれる双曲放物面をもつ鉄筋コンクリート造の版によって構成され、版の外側には全面にステンレス板が張られた。8枚(4種類)のHPシェルは上部に向かうほど垂直に立ち上がっていき、2枚ずつが隙間を設けて立てかけられている。この隙間は頂部で交差しながら連続し、上空から見ると十字架のかたちが現れるという、建物全体を駆使した鮮やかな仕掛けが施された。

上空から建築を見ると、HPシェルの間に十字架のシルエットが現れる。写真提供:東京カテドラル聖マリア大聖堂

教会の入り口へと至るアプローチもまた、独特のもの。ヨーロッパの教会建築は開けた広場とセットであることが一般的であるが、東京カテドラル聖マリア大聖堂は限られた敷地面積のなかで工夫が凝らされている。目白通り側から見えるのは教会の側面で、アプローチの小さな広場から左手にある「鐘塔」に向かって建物に沿って進んでいくと、「ルルド」という祈りの場が見えてくる。そこから右に向きを変えると、教会の入り口がようやく現れる。

高さ61.68mの鐘塔。ドイツから輸入された4つの鐘は、日曜日の10時と正午にミサ開始の合図として鳴り響く。
フランス南西部の町・ルルド近郊の洞窟で聖母マリアが現れた洞窟を忠実に再現した「ルルド」。
「ルルド」のある敷地西側から右に向きを変えてカテドラルを見る。右手がメインの出入り口。

日本の伝統的な建築や庭園では、玄関に至るまでのアプローチを迂回させて長くとることがある。同時に、視点を集中させるポイントを複数設けることで、歩を進めるにしたがって見える景色が移り変わっていく。そうして体験は幾層にも重なり、訪れる人の気持ちは外界から離れて整えられる。同じような効果が、ここでは得られている。

建築そのもので教会の精神性を表す

建物の内部に入り左手に進むと、上部に吹き抜けた大空間が現れる。空間に柱は一切なく、天井高は最頂部で約40m。HPシェルでできた量感たっぷりの迫力ある壁は、上に向かってグッとせり上がり、トップライトへと連続する。先に見た十字架の隙間がトップライトとなっており、日中は外光が壁面を伝って落ちてくる。RC打ち放しの壁面はストイックな表情で、そのぶん光の移り変わりによる変化が大きく感じられる。高強度コンクリートは1回につき4mの高さで打設され、内壁は打ち放し仕上げのために入念に施工されたという。

カテドラル内部。トップライトと祭壇正面両側のガラス壁から光が入る。
十字架形のトップライトを見上げたところ。

聖堂正面奥には、イエス・キリストによる最後の晩餐の食卓をかたどった祭壇が設置されている。その祭壇の背面では高さ17mの十字架が、その奥の黄金色に鈍く輝く壁面から浮かび上がる。この壁面は、アラバストル大理石を薄く切り出して格子状にはめ込んだもの。絵画などのモチーフとしてたびたび引用される、「ヤコブの夢」に登場する「天使の梯子」を連想させるものとなっている。

東京大司教区カテドラル聖マリア大聖堂 カテドラル事務所の平野 功さんは「この面は東を向いているので朝日を受けて光り輝き、放射状に入る石の柄が浮かび上がります。“光あれ”という聖書の言葉も、ここで具現化されているように思います」と語る。

祭壇の背面にある大理石の壁面は外光を通し、十字架を浮かび上がらせる。

聖堂内部は、ダイナミックな空間の中で垂直性と上昇性が強調されている。ヨーロッパの伝統的な教会建築とは一見すると異なるが、十字形をしたプランから上部に大きく立ち上がる構成と荘厳な雰囲気は共通する。見た目の造形や装飾によらず、伝統的なカテドラル建築に見られる空間構成を取り入れながら、建築そのものでカトリック教会の精神性を体現するという偉業を達成した。

オリジナルのデザインを踏襲した大改修

聖堂後方の上部には、教会の集会祭儀に用いるパイプオルガンが設置されている。パイプに風を通して音を出すオルガンは、2004年に献堂40周年を記念して竣工時のものから取り替えられた。平野さんは「合計3,122本のパイプで構成されるオルガンはイタリアから搬入され、来日したオルガンビルダーが約3カ月をかけて組み立てたものです」と説明する。

聖堂後方に設置されたパイプオルガン。

なお、このカテドラルは空間の容積が約14,000㎥と大きく壁面も硬いため、音の残響が空席時で約7秒と長い。平野さんは「音楽ホールなどでは3秒ほどでかなり長いとされますから、いかに音が響くかが分かっていただけると思います。祭壇から話す神父様の声が聞き取りづらいこともあり、音響システムを変更して明瞭度を改善しました」と話す。「丹下氏はカテドラル全体を楽器として捉え、いかに響かせるかを考えていたのではないでしょうか。聖堂の脇に位置するマリア祭壇やピエタ像のあるスペース、洗礼室の壁には地下空間につながるスリットが設けられています。これらは、バイオリンのfホールのような役割を果たしているようです」とも平野さんは説明を加える。

洗礼室。壁の端部などには地下空間につながるスリットが設けられている。

パイプオルガンの取り替えは、経年劣化と部品調達が困難になったことから行われたものであったが、その他の建築面でも不具合が生じてきたことから献堂40周年を機に2004年12月、ケルン大司教区から派遣された建築専門家とともに大改修に向けた検討がスタート。2006年1月には「建築委員会」が組織され、教会側からは2人の司祭と4人の信者の建築士が、それに技術監修として丹下都市建築設計と設計施工として大成建設が加わり、改修におけるさまざまな問題点を挙げていった。

改修の大きなポイントは、防水性能を高めて漏水を防ぐことにあった。というのも、外装材のステンレスは見た目としてはそれほど劣化していなかったが、下地の鉄骨やシーリング材の腐食が進み、表面のステンレス板が剝落する危険性が高まっていたためである。また、トップライトのガラスの破損による漏水も生じ、応急措置としてアクリルカバーが取り付けられていたが、抜本的な対策を講じる必要があったという(※)。

そこでステンレス材をすべて葺き替え、トップライトを全面的に改修することとなったが、その際に「オリジナルのデザインを踏襲しながら、どのように防水性能を高めるか」がテーマとなった。外装材のステンレスは、竣工時はSUS304という種類が使われていたが、より耐食性に優れ熱膨張率が少ないSUS445を検討。ただ、SUS445は304に比べると光沢感が鈍く、色調はグレーがかっていた。原設計のイメージと変わることが懸念されたが、当時の設計監理を担当していた所員から丹下が「もう少し鈍い光沢感を志向されていた」という証言を聞き、SUS445を全面的に採用することとなったという(※)。既存ステンレスと下地を撤去したうえで新たに塗布防水を施し、下地を溶融亜鉛メッキを施した鉄骨に更新し、下地に木毛セメント板とゴムアスファルトルーフィングを張り、ステンレス板を瓦棒葺きで納めていった。

エンボス加工されたステンレス材は、谷部の端部を立ち上げ山部の化粧カバーをはめ込む瓦棒葺きの納まりに変更された。
外装のステンレス材の端部には見付けを薄くした笠木が取り付けられた。

トップライトは、既存のトップライトに取り付けられていたアクリルカバーを外し、新たに鉄骨下地を組んでトップライトを設置。その結果、十字形のトップライトからの光量は多くなり、明るさが戻った。また雨が溜まりやすい断面形状から、外壁に雨を流す形状へと変更し、漏水を防ぐ納まりとしたという(※)。

こうして、2006年12月に始まった大聖堂の改修は2007年8月に完了。大聖堂のほかにも各施設の改修などが行われ、鐘の塔はコンクリートの保護と補修が2010年12月に完了した。2020年には予定にもとづき、空調設備の大規模な更新が行われている。

※ 「新建築」2011年2月号、新建築社

次の100年に向けて光り輝くカテドラル

丹下健三は生前、自らが設計したカテドラルに眠ることを決めて洗礼を受けていたという。2005年3月に91歳で逝去した丹下の葬儀はこのカテドラルで執り行われ、遺骨は地下の納骨堂に納められている。

今回カテドラルの案内をいただいた平野さんは、もともとクリスチャンであり、大成建設に在籍していたときに建物診断で訪れたことをきっかけに、しばらくしてカテドラルに通うようになり、転会した。

「実際に建築の中に身を置いていると、温度や湿度の変化、光の動きを感じ、生き物の中にいるような不思議な感覚があります。特に光の採り入れ方はダイナミックでありながら繊細で、いつも感銘を受けています」と平野さんは語る。

地下聖堂にて、カテドラル事務所の平野 功さん。

この印象的な建築空間に惹かれて見学に訪れ、結婚式を挙げたいと希望するカップルは後を絶たない。「バージンロードは30m近くありますから、新婦は大変でしょうね」と平野さんは微笑むが、一生の思い出になることは間違いない。コロナ禍を経て、挙式の数は増加の傾向にあるという。そして、一時は集まりを中止していたものの、少しずつ信者を入れながらミサが開催されるようになった。人々の想いと活動を受け続けるカテドラルは、その姿を自ら次世代に継承しているように見える。

主体構造の鉄筋コンクリートは、検査では中性化や爆裂もほとんどなく良好な状態だという。大改修を終えたカテドラルは、次の100年間も光り輝き続けて人々を魅了するだろう。そして、内部では人々の敬虔な気持ちを培い続けることだろう。

聖歌隊が今も使用している椅子は大聖堂が建てられる前から使われていたもの。

取材協力

東京カテドラル 聖マリア大聖堂
ST. MARY'S CATHEDRAL
〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15 
Tel.03-3941-3029 Fax.03-3941-1902(カテドラル事務所)
▶︎https://cathedral-sekiguchi.jp/

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