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遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.39 卯城竜太 歌舞伎町オールナイトアートイベント「BENTEN 2024」に潜入
今日もアートの話をしよう

遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.39 卯城竜太 歌舞伎町オールナイトアートイベント「BENTEN 2024」に潜入

夜の街で繰り広げられる、ラディカルなアートムーブメント

実業家の遠山正道と、美術ジャーナリストの鈴木芳雄が、アートや旅、本や生活をテーマに対談する連載。第39回は、東京・歌舞伎町で行なわれた「BENTEN 2024」(2024年11月2~4日)の最終日を訪れた。イベントの芸術監督であるChim↑Pom from Smappa!Groupの卯城竜太氏によるナビゲートで見る歌舞伎町発、東京のアートの今とは。

Text by Yoshio Suzuki
Photographs by Takao Ohota

歌舞伎町という街が宿しているアートへのポテンシャル

鈴木:今日は「BENTEN 2024」という歌舞伎町を舞台にしたオールナイトアートイベントにやって来ました。会場が歌舞伎町界隈一帯に広がって点在し、参加アーティストも65組と大掛かりなイベントです。これまでも小規模とはいえ、歌舞伎町でのアートイベントは何年か前からやっていますよね。今回とこれまでの違う点などがあれば、教えてください。

卯城:2023年の「ナラッキー」、2018年の「にんげんレストラン」をはじめ、この街のローカリティや歴史と接続するようなアートイベントを10年にわたり定期的に行なってきました。今回は弁財天が祀られている歌舞伎町公園の隣に建つ「王城ビル」、木造2階建てのアーティストランスペース「WHITEHOUSE」、「新宿歌舞伎町能舞台」をはじめとする徒歩圏内の各所でいろいろなパフォーマンスや展示を行なっていますが、全てがつながってひとつのオールナイトイベントになっています。

遠山:やっぱり今回の核はこの王城ビル?

「BENTEN 2024」のキュレーターであるChim↑Pom from Smappa!Groupの卯城竜太さん。

卯城:核は各所ですが、ここがメイン会場ではあります。これまで名曲喫茶、キャバレー、カラオケ、居酒屋と、時代ごとに業態を変化させてきた王城ビルですが、コロナで当時のカラオケ居酒屋がクローズしてしまったんです。一棟まるまる空いたタイミングで、文化施設にできないかとオーナーの方々と話してきました。ちなみに、今回の会場のひとつになっている「WHITEHOUSE」というのは、磯崎 新設計で1957年に完成した、画家の吉村益信のアトリエ兼住宅だった建物です。1960年からは吉村、篠原有司男、赤瀬川原平らが結成した「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の拠点になっていて、展覧会も開かれていました。5年くらい前から僕らChim↑Pom from Smappa!Group(以下、Chim↑Pom)のアトリエになり、2021年からは、涌井智仁くんと中村奈央さんと僕との協働によるキュレトリアルスペースになっています。物件の契約者である手塚マキさんはじめSmappa!Groupによるサポートで成り立っています。

鈴木:昭和からの前衛アーティストたちのそういう文脈があるんだ。

卯城:歌舞伎町界隈のアートスペースの勃興で興味深いのは、コロナ禍に現在の状況が出来始めたというところなんです。当時、美術館やギャラリーを閉鎖しなきゃいけなかった時期に、この界隈ではスペースがいくつかオープンし始めた。若いアーティストたちが「WHITEHOUSE」を使っていろいろなアート活動をしたり、2020年にアートスペースの「デカメロン」ができたり、2022年に新宿歌舞伎町能舞台もできたり。そういう動きの延長に王城ビルも今の状態になりました。当時は歌舞伎町は「夜の街」というように揶揄されたりもして、感染源のように連日報道されていましたよね。コロナのニュースの映像が歌舞伎町の街であったり。でも僕の印象では、逆説的にアート活動がこの地では続き、新たなポテンシャルを持った、という感じはありますね。

メイン会場となった王城ビルに「BENTEN 2024」の幕がかかる。ロゴを横にすると「BENTEN」と読めるようになっている。

遠山:アートと街がつながっているという感じだね。

卯城:そうそう。美術館やギャラリーで展示できなくなったタイミングでしたが、むしろこの街ではすごく活性化したんです。

遠山:リアリティーがあるというか。

鈴木:たくましいね。

卯城:もちろんその時期に活性化したということへの賛否はあると思います。各スペースはそれぞれ、都や国から出されたレギュレーションの範囲内で活動をしていたので法的・社会的な問題はないはずですが、「夜の街」というネガティヴキャンペーン自体は感情的な問題も孕んでいました。美術館などはその感情にも配慮しての自粛だった面も大きいと思います。もちろんオンラインのプロジェクトなどはその代替としてポテンシャルを発揮しましたが、フィジカルなアート活動も完全に止まって良いはずもありませんでした。実際、現在活躍している目立つ若手たちの多くは、コロナ禍に発表を開始した、もしくは続けたアーティストやキュレーターですから。その受け皿としてオルタナティブスペースが立て続けに出来て、街でいえば歌舞伎町界隈がマッチングした。今回の会場の他にも、大久保に出来た「UGO」や代々木の「TOH」なども同時期的な動きでした。

鈴木:そのしぶとさというか、アートの制度的な美術館とかそういうところじゃなくなっても、アートは死なない。どうしても噴出してくるものだよね。

卯城:それにすごく近い話で、新宿のアートや芸術の歴史を考えると、制度外の伝説的なアクションなどばかりが浮かびますよね。「ゼロ次元*」の路上パフォーマンスや、1994年に八谷和彦や会田誠、中村政人、村上隆など80数組のアーティストがいろんな場所をジャックした「新宿少年アート」など。短期間ゲリラ的なイベントがあって、2004年にも増山士郎が王城ビル横で実験的な作品を発表し、路上美学を探求しました。さらに遡って言うと、唐十郎さんの紅テントなんかも、やっぱり全部路地と不可分で、制度外で起こってきましたよね。そういう物質的な作品がホワイトキューブに展示されるではない、身体性を伴う表現が連続してきた歴史がここにはある。考えてみたらそりゃそうで、歌舞伎町自体、物を売ってきた街ではないんですね。これまでずっと、サービスや身体を売ってきた。そのことと街の美術史は強い関係があると思うんです。王城ビル4階では、増山士郎、八谷和彦、会田誠、岸本清子の作品を今回展示しました。

*ゼロ次元…1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた前衛パフォーマンスアート集団

会田誠「1994年の再現《St.Church》」(王城ビル4階)
会田誠「1994年の再現《St.Church》」(王城ビル4階)
増山士郎「新宿歌舞伎町プロジェクト」。2004年に王城ビル横で行き交う人々に自らの姿を覗かせる実験的な作品を設置。(王城ビル4階)。
増山士郎「新宿歌舞伎町プロジェクト」。2004年に王城ビル横で行き交う人々に自らの姿を覗かせる実験的な作品を設置。(王城ビル4階)。

遠山:コロナ禍で美術展示機関が機能しなくなったときの受け皿になりやすかったんだ。

卯城:場所的にリミットがかからないので。路上ではだいたい人が寝ているし、この王城ビルの前にも昔から老舗のソープランドがある(笑)。爆音を出しても過激なことをやっても、近所迷惑にならない。というか、お互い無関心であることでそっとしておいてくれるんです。というか、そもそも皆んな警察に通報するようなイメージの方々でもないですよね。

鈴木:何があっても驚かない(笑)。

卯城:そう、しかもアートには無関心の人も多い。

鈴木:無関心ってうれしいのかっていうね(笑)。

卯城:この新宿歌舞伎町一帯は危ない街っていうイメージがまだありますけど、新宿二丁目が近くにあってLGBTQの人たちとか、外国人も昔から多いんです。隣の大久保はコリアンタウンだし、アジア系の人たちがたくさんいますよね。基本的に戦後からずっと多様性があった街です。共生するときに、無理やり同化しないっていうのはひとつの在り方だと思うんです。お互いにある程度無関心だったり、そんな感じで同居してきたのかなと。

「チェン・ティエンジュオ ソロ・エキシビション」展示風景。中国・北京出身のチェン・ティエンジュオ。インドネシア出身のダンサーシコ・スティヤントを迎え、インドネシア・ラマレラ村の伝統捕鯨から着想を得た映像作品。(王城ビル2階)
「チェン・ティエンジュオ ソロ・エキシビション」展示風景。中国・北京出身のチェン・ティエンジュオ。インドネシア出身のダンサーシコ・スティヤントを迎え、インドネシア・ラマレラ村の伝統捕鯨から着想を得た映像作品。(王城ビル2階)

遠山:ところで卯城君は、スケルトンになる前の王城ビルって来てたの?

卯城:来てましたね。Chim↑Pom結成のときから。激安居酒屋にみんなで遊びに来ていて。

遠山:じゃあ、思い入れというか、そういうのもある?

卯城:いろいろありますね。ここでは言えないようなこととかも(笑)。

遠山:歌舞伎町全体は詳しくないのだけど、王城ビルって歌舞伎町の中でも有名というか、中心っぽい感じなの?

卯城:老舗のビルとしてそうですね。ここが建った当時はこのあたりでは高めのビルで、当時の国鉄新宿駅のホームから王城ビルが見えたそうですよ。

鈴木:いつごろの話ですか?

卯城:1964年の竣工ですね。やっぱり象徴ではありますよね。最初は名曲喫茶だったらしいんです。寺山修司や中上健次などの文化人がそこに集っていたそうで、「喫茶王城」を知っている人も多いです。

現在はイベントなどに使われる機会が多い王城ビル。頽廃美を感じる内階段は歩くだけでも気分が高揚してくる。

遠山:その象徴的な場所を中心にどういうふうに展開していったの?

卯城:ここではよく「芸術」と「芸能」の境界線を考えるんですけど、歌舞伎町ってその昔、歌舞伎座を誘致しようとして叶わず、名前だけ残っちゃったという経緯があるんです。去年、僕らが主催した「ナラッキー」という展覧会は、歌舞伎の劇場で言う「奈落=地獄」っていう歌舞伎用語からヒントを得たネーミングでした。

鈴木:昨年はどんな内容だったの?

卯城:身体的表現はたくさんありました。音楽、映画、芝居、ショーパブ的な要素とかですね。

歌舞伎町のエネルギーが、コロナ禍や再開発により噴出⁉

遠山:実際に「新宿歌舞伎町能舞台堂」があるのはいいよね。

卯城:能という「芸術」は日本の伝統的な芸能に繋がりますが、そもそも神事なんですよね。突き詰めて文脈を話すと、アメノウズメ(芸能を司る神といわれる)によるストリップが芸能のはじまりとされているのがこの国の芸術じゃないですか。性と芸能、そして芸術は、日本固有のナラティブの上では、歌舞伎町の勃興や現在性とあまりに強くリンクしている気がするんです。そういうサブカルチャー的な要素と、西洋美術との折り合いの悪さを何度となくリミックスし続けてきたのが日本の現代美術のひとつの特徴だとすれば、歌舞伎町の美術史が身体表現やイベントに集約されて語られることは、実は街の話を超えた、もっと特筆すべき大きなことであるようにも考えています。

「BENTEN」っていう名前も隣の弁財天が由来です。このあたりは昔、沼地だったのを埋め立ててできたんです。だから水の神様の弁財天が祀られていて、ずっと残っている。弁財天は音楽の神であり、芸能の神でもある。歌舞伎座誘致だけでなく、ライブハウスや映画館の歴史など、文化との接点は実はこの街にとってはアイデンティティに近い。一方で、美術館的なハイ・アートはこのあたりでは成立してこなかった。そんな美術史の中でも特殊な系譜を紡いできた特徴が、他の芸術地区と比べて類がない。面白いところです。そんなキュレーションをしようと最初から思っていました。

現在はSmappa!Groupが所有している「新宿歌舞伎町能舞台」。渡辺志桜里、安田登、加藤眞悟、ドミニク・チェンによる新作能「射留魔川」が、安原杏子 a.k.a 青椒肉絲の映像インスタレーションとして登場。歴代天皇の肖像がガラスの面を展示。
現在はSmappa!Groupが所有している「新宿歌舞伎町能舞台」。渡辺志桜里、安田登、加藤眞悟、ドミニク・チェンによる新作能「射留魔川」が、安原杏子 a.k.a 青椒肉絲の映像インスタレーションとして登場。歴代天皇の肖像がガラスの面を展示。

鈴木:歌舞伎町は一方でどんどん高層ビルが建ったり、再開発もあってコントラストがついてきた感じがする。そういう芸能的なものとか、古いものもたくさん残っていて、余計に陰影が際立っている感じです。だからさっき言ったたくましさがありますよね。

卯城:都市論を研究している友だちと話していて納得したのが、たとえば渋谷などは、再開発によってえらく変わったじゃないですか。いわゆるジェントリフィケーションが進んでいます。六本木もそうですね。もともとあったものや育ったものが、そこにはいられなくなってきた。ここも同様に歌舞伎町タワーができたり、この数年再開発は盛んです。けれど、なぜかこの町は再開発に伴ういわゆる「浄化」が起きない。それどころか、むしろエクストリームなもの全てが急増しています。コンカフェもホストクラブもインバウンドも、トー横の人々も、アートも、ホームレスも、クラブも。社会問題としては、売春や自殺者も増えています。陰陽全てが開放された、カオス状態になっています。友人いわく、再開発とともに「再野生化」している唯一のケースなのではと。理由はよくわからないけど、僕にとってはすごく興味深い現象です。

遠山:ちょっと祭りっぽい感じになっているのかな。

卯城:実はネズミも増えたらしいんですよ。再開発したあと爆発的に。そういう意味で歌舞伎町だけが、再開発されても逆に猥雑化して活性化しちゃった。

鈴木:エネルギーが沈静化せず高まってしまったんだね。

遠山:今回、東急歌舞伎町タワーなんかは「BENTEN」の会場に入ってるの?

卯城:1日目と2日目には、タワーの前の広場で「歌舞伎超祭」というのが行われました。それとは連携しています。初日はあいにく土砂降りだったんですけど、Chim↑Pomが「神曲」という青空カラオケを開催しました。そこで歌っている人の顔を東急のビジョンで映し出したりして。土砂降りの中、熱唱する人たちが続出っていう(笑)。2日目はダンスパフォーマンスがありました。

遠山:再開発やコロナをひとつのタイミングとして、人間のエネルギーが噴出したっていうことか。

卯城:そうかもしれないです。人間だけでなく、ネズミや古いビルなど様々なアクターが全部沸き立っている。歌舞伎町をひとつの芸術地区として俯瞰して見ると、世界に類を見ないかなり面白い地域だなと思います。最近は東京の国際的なアートイベントの吸引力がすごく落ちてきていることを感じていて。東アジアで言うと、東京よりも香港とか上海とかソウルとか、そういうところがハブとして成功していますよね。アート・バーゼル香港とか、韓国のフリーズ・アートフェアでは、基本的に西洋美術なんかを輸入しているわけですが。でも僕は東京でそれをやってもあまり意味がないと思っています。

日本では、自然とアートというイメージで直島が定着していますよね。つまりマーケット的なギャラリーや都市型美術館の戦略はもう通じない気がしていて、簡単に言うとエクストリームな独自性にしか、もう可能性はないと個人的には思うんです。その意味でここは、歓楽街という地域性とアートの結び付きがいよいよ強まってきていて、ある種アンダーグラウンドな価値が生まれている。 「BENTEN 」が夜にこだわっているのはその為で、「真性の夜の街」による「真性のアートナイト」が誕生したように感じています。

遠山:「BENTEN」のインスタをフォローしてるんですけど、すごく発信が多い感じがする。

卯城:情報が多い(笑)

遠山:多いよね。普通、芸術祭とかだと、静かな美術鑑賞の延長であまり自分から多く語らない感じがあるけど、めちゃめちゃみんな語っている(笑)。

卯城:キュレーションをするときに、アーティスト単体だけじゃなくて、プラットフォームをキュレーションするということも試みたんです。たとえば王城ビル1階では、1日目、2日目の22:00〜5:00でアーティスト横丁「アー横」をずっと行なっていました。「京島駅」というスペースや「札幌国際芸術祭」のカウンターとして活動する「すすきの夜のトリエンナーレ」など、アーティストとかアーティストコミュニティとかアートコレクティブの人たちを誘って、出店してもらうという横丁です。

1日目の同じ時間帯、地下1階はGlobal Hearts​​のプロデュースでクラブになっていました。3日目には、宇川直宏さんの「DOMMUNE」が歌舞伎町スタジオとして現れ、トークイベントやライブが行われました。ドクメンタ15などと同様の、コレクティビズムに基づくキュレーションの手法ですが、そうするとそのプラットフォームたちがブッキングしたアーティストたちがいて、情報も増えるし、人もどんどん増えました。豪華ゲストによるトークイベント、小山田圭吾さん × 砂原良徳さん × 中原昌也さんによるライブがあり、 ​​宇川さんは自分の貯めていた人脈のマイレージを使い果たしたと言っていました(笑)。

地下で行なわれていたのは「DOMMUNE」主催のライブやトーク。映画『新宿泥棒日記』などを見ながら語るピエール滝さん×大根仁さん×麻生子八咫さん×町山智浩さん(オンライン参加)

遠山:この3日間はどんな感じだった? 

卯城:正直なところ、もう眠いし疲れました……。早く終わってくれないかな(笑)。今朝も5時までやっていて……。

遠山:オールナイトイベントだもんね。

卯城:若手アーティストが「WHITEHOUSE」で盛り上がっていたらしいですが、王城でも松戸のコレクティブ「ノーウェア」が戦隊モノのショーをやっていたりとカオスそのものでした。「アー横」に参加していた会田誠さんも結局ずっと歌舞伎町にいたような……。疲れた(笑)。

WHITEHOUSEでは、篠田千明「情の広場」というインスタレーション&パフォーマンスが行なわれた(撮影:上原俊@LuckyHappySHUN)
WHITEHOUSEでは、篠田千明「情の広場」というインスタレーション&パフォーマンスが行なわれた(撮影:上原俊@LuckyHappySHUN)
WHITEHOUSEでは、篠田千明「情の広場」というインスタレーション&パフォーマンスが行なわれた(撮影:上原俊@LuckyHappySHUN)

遠山:イベントは来年もやるのかな?

卯城:はい、毎年のイベントにしたいと考えています。今でもすごく面白いんですけど、まだ実験的なところがあって。3回くらいやれば、なんとなくみんなが知っているような芸術祭みたいになるかなと思っています。とは言え、大地の芸術祭やビエンナーレとかのタイプではないですね。もっと、フジロックみたいに育っていけばいいですね。

遠山:我々のバンド「新種のImmigrationsB+野宮真貴」はこのあと王城ビルの屋上でライブをやらせていただきます。

卯城:ありがとうございます。屋上を使うのは遠山さんたちだけですから。

遠山:私はそろそろ夜のライブの準備に。卯城さん、お忙しいところ、ありがとうございました。

アーティスト・遠山正道が「BENTEN 2024」に自ら参戦

じつは今回、連載ホストの遠山は、「BENTEN 2024」にアーティストとして参加していた。

かねて卯城竜太さんからイベントのことを聞き、現代アートをめぐる日本の状況を一緒に考えた遠山は、縁あって野宮真貴さんを自ら率いるバンドのスペシャルプログラムに引き入れた。それが今回の「新種のImmigrationsB+野宮真貴 音楽ライブ」だ。

新種のimmigrationsB +野宮真貴
LIVE at BENTEN 2024 Art Night Kabukicho
(2024.11.4)

新種のimmigrationsB
Poem Masa Toyama
Guitar Tomoko Sawada
Drums Andre Utao Sawadp
Theremin Machiko Machikado
Connector Junichi Moriwaki

Film Crew
Cinematographer Daisuke Takeuchi
Lightning designer Keisuke Kamiyama
Film Directer Iggy Coen

全9曲を披露し、最後の曲が終わったのが22時10分前
観客動員は予想を遥かに超え、バンドメンバーの背後にまで回って聴く人たちも出る盛況ぶり。そして何より、終わったあと帰っていく人たちの表情がみんな穏やかで、ニコニコしていて幸せそうだったのが印象的だった。遠山のポエトリーのポテンシャルなのだろう。

王城ビル屋上で行なわれた「新種のImmigrationsB+野宮真貴 音楽ライブ」。(撮影:鈴木芳雄)

こうして「BENTEN 2024」最終日の夜は更けていった。公的な機関による検閲や審査が介入するトップダウン型のイベントではなく、あくまでもアーティストの自主性や歌舞伎町という街のエネルギーにイニシアティブを託したボトムアップ型のイベント。キュレーターである卯城さん、Chim↑Pomの狙いの向こうに、民主性やフェアネスへの信頼と実践、そして人間賛歌が見え隠れするようだったというのは言い過ぎだろうか。アート界におけるひとつのうねりとなって、来年もぜひ盛り上がりを見せてほしい。

profile

芸術監督:Chim↑Pom from Smappa!Group

Chim↑Pom from Smappa!Groupは、2005年に東京で結成されたアーティスト・コレクティブ。メンバーは卯城竜太、林靖高、エリイ、岡田将孝、稲岡求、水野俊紀。
現代社会に介入したプロジェクトを通じて世界中の展覧会に参加し、その他にもさまざまな自主企画を展開している。森美術館、ダラスコンテンポラリー、MoMA PS1、サーチギャラリーなどで個展を開催し、アジアンアートビエンナーレ、マンチェスター国際フェスティバル、アルカンタラフェスティバル、シドニービエンナーレ、釜山ビエンナーレ、サンパウロビエンナーレ、上海ビエンナーレ、リヨンビエンナーレなどの芸術祭にも参加。ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(米国)、ハマーMuseum(米国)、M+(香港)、東京都現代美術館(日本)などに作品が収蔵されている。
▶︎http://chimpom.jp/

BENTEN 2024
@benten2024_kabukicho

profile

遠山正道

1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。

▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎https://t-c-m.art/

profile

鈴木芳雄

1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

▶︎https://twitter.com/fukuhen

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