記憶の輪郭をたどりながら
旅の記憶とは、いつも人の記憶に重なっている。
いつか旅したその土地を歩いて思い出すのは、誰かの声や、交わした言葉、歩き方や、ふとした仕草だったりする。それは結局、いつも人との記憶だと思う。
パリに来て数日が経った朝、ふと思い立ち、オベルカンフへ向かった。20年ぶりだった。宿はモンマルトルの北、ラマルク通り沿いの古いアパルトマン。部屋の窓からは、わずかな空と隣家の屋根しか見えなかったけれど、朝の冷たい空気がゆっくりと差し込んでくるのが心地よかった。
最寄りのラマルク・コーランクール駅から、地下鉄12号線でサン=ラザール駅へ。そこから3号線に乗り換えてパルマンティエ駅で降りる。駅を出ると、濡れた石畳の向こうに、懐かしい通りの傾斜が見えた。オベルカンフ通りだ。かつて、よく歩いた道だった。けれどもなぜか、それ以来一度も訪れていなかった。
パリを旅し、そのたびに地図を眺めても、この通りだけは、まるで白紙のまま放っておかれているようだった。この場所の記憶は自分にとって特別なもので、触れたいような、避けたいような複雑な気持ちがあった。そしてまた、今その記憶が、自分の中から消えそうな感覚でもあった。
あの人の声、歩く足音、名前の呼び方、笑い方、どれもぼんやりと、記憶の輪郭が薄くなっていた。記憶のなかで確かだったはずのものが色を失いはじめていた。だから、今日はオベルカンフを歩こうと思った。あの日の記憶をたどるためではなく、忘れてしまってもいいと、自分を納得させるために。
通りに出ると、空は低く曇っていた。オベルカンフの朝は、20年前と何ひとつ変わらないような気がした。パン屋から立ちのぼるバターの匂い、歴史を感じる石畳に足音を響かせる人々、冷たい風の中にかすかに漂うカフェのコーヒーの湯気。どれもが、あの頃の空気を含んでいた。
カフェ・クレームの温度
あの人とここを歩いたのは、春を待ち遠しく思うちょうどこの季節だった。朝のパリを、どこへ行くでもなく、ふたりでぶらぶらと歩くのが好きだった。あの人はいつも、カーキ色の釣り用のショルダーバッグを右肩にかけていた。丈夫な帆布で、少し大きめ。ぼくがサン・ルイ島の釣具屋で見つけてプレゼントしたものだった。
「このバッグ、なんでも入る」
あの人はそう言って、紙袋をぐしゃっと押し込みながら笑っていた。中には、バゲット、果物、折りたたんだスカーフ、ノート、古いカメラ、リップクリーム。いつも無造作だった。でも、それがあの人らしかった。思い出そうとして、いちばん鮮やかによみがえるのは、そのバッグの色とかたちだった。バッグから覗く紙袋の端や、肩紐を時折直す手の動き。その一瞬一瞬が、ぼくの中であの日の記憶をかたちづくっていた。
20年という歳月は、建物のいくつかを新しくしたようだったが、通りの傾斜や石畳の感触は変わっていなかった。あの頃、ふたりで見つけたクスクス屋はもうなかった。雑貨屋だった店は、今はパン屋になっていた。でも、通りの角にあった小さなカフェはまだあった。朝の準備をしているマダムと目が合い、軽く笑顔を交わす。
ふと立ち寄って、カフェ・クレームを頼んだ。紙カップに入れてもらい、手に持って歩いた。その温もりが指先から静かに伝わってくる。どこか懐かしい感触だった。それから、あの人とよく座った小さな広場のベンチへ向かう。そこには変わらず、黒い鉄製のベンチがあった。誰もいない朝の空間に、少しほっとする。
ポケットから、小さなパンを取り出す。さきほど通りかかったパン屋で買った、いちじくとチーズのパン。ちぎって口に含むと、ほんのりとした甘さと塩気が広がる。おいしい。寒い朝に、ひとりで食べるパンが、これほどやさしい味になるとは思わなかった。カフェ・クレームを一口飲んだ。少しぬるくなっていたけれど、その温度が今の心にちょうどよかった。
ふたりで座ったベンチで
ベンチに座って、しばらくぼんやりと何もせずにいた。パンもコーヒーも、まだ手の中にあるというのに、食べることも飲むこともせず、ただ目の前の空気を見つめていた。枝だけの街路樹が並ぶ広場には、寒さのせいか誰もいなかった。ベンチに座る自分の影が、静かに石畳に落ちている。あの頃、ふたりでここに座ったとき、ぼくはあの人の横顔を見ていた。あの人はいつも遠くを見ていた。何かを考えているようで、何も考えていないような目だった。
今、あのときと同じ場所に座り、同じ空気を吸いながら、自分がどこまであの人に近づいていたのか、あるいはずっと遠いままだったのかを、考えていた。
旅先でひとりベンチに座るというのは、時間を自分の手に取り戻す方法のひとつのように思う。地図も時計も必要なく、ただ風の音や、その季節の空気に任せて、自分をそこに置く。ベンチに座るってなかなかいいものだ。
ふと、あの人とこのベンチで話した言葉を思い出した。「ベンチに座るっていいね」。そんな何気ない一言が、今になってやけに重たく響く。今こうして再び座っている自分がいるのが不思議な気分になった。
パンをちぎって食べ、コーヒーを飲んで、ぼくは少しずつ時間の中に自分を戻していった。あの人がいないベンチに座っている今の自分をやっと受け止めることができた。「思い出す」というより「受け入れる」。それが今日この場所で必要だったことだったのかもしれない。
パンを食べ終え、ベンチを立つ。冷たい風が頬に当たる。久しぶりのオベルカンフは、何も語らなかった。でも、ぼくの中で静かにひとつの旅が終わった気がした。
今日、知ることができた。
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エッセイスト。クリエィティブディレクター。「暮しの手帖」編集長を経て、「正直、親切、笑顔」を信条とし、暮らしや仕事における、楽しさや豊かさ、学びについての執筆や活動を続ける。著書に『今日もていねいに。』(PHP研究所)、『しごとのきほん くらしのきほん100』(マガジンハウス)、『正直、親切、笑顔』(光文社)など多数。


