国を超えて伝えたいもの
息子夫婦がこの家に来て、間もなく2カ月になる。
大学を卒業した後、スウェーデンの家具メーカーに就職して以来すっかり向こうに住み着いて、年に一度顔を見せればいい程度だったのが、急に「日本に帰ることになった。奥さんも連れて行くから、よろしく」と連絡をよこしてきたのは夏のバケーション前のこと。
「住むところが見つかるまでしばらく世話になるよ」と、ここに転がり込んできたのだ。
ちょうど春から夫が海外に単身赴任になったタイミングだったので、まあ部屋は空いているけれど、若い夫婦と3人で住むのに十分な広さがあるのかどうか。
しかも、彼らはインテリアの仕事をしているのだから、家具や食器も相当あるはず。
「大丈夫、とりあえず必要最低限のものだけしか持って帰らないから」
私好みの和の要素を取り入れつつ、息子の影響を受けた夫が北欧のデザインを意識してリノベーションしたこの家は、私たちの静かな隠居生活のために買ったもの。
木や紙を使った温かみのある素材と、石やマーブルの硬質な感じがちょうどよい具合に混ざり合って、私にとっては居心地がいい。
「外国人のお嫁さんに気に入ってもらえるかしら。それに食事なんかもちょっと不安だわ。言葉も通じないし」
「彼女は和食にも慣れてるし、少しだけど日本語もできるから心配いらないよ」
こんな具合に、ちょっぴりユニークな共同生活は始まったのだった。
いつもの、そしていつもと違う朝ごはん
「おはよう。天気いいね」
「あら、おはよう。コーヒー入ってるわよ」
「ありがたい! いただきます。ごはん、これから作るの?」
「そう。今日は私もちょっと朝寝坊」
「なんだか今朝は、母さんのあの味噌汁が食べたいな」
「あ、ごま入りの?」
「そう、あれ好きなんだ。で、よかったら彼女に作り方教えてあげてくれないかな」
「もちろんいいわよ、お安い御用」
息子の嫁に料理を教える。そんな日が来るなんて、なんだか不思議な気分だ。でも、親として悪い気はしない。
外国人の彼女に和食を教えるのは少しばかり緊張するけれど、それもまた、よし。
「オハヨウゴザイマース!」
「おはよう。よく眠れた? さて、今日は一緒に朝ごはんを作りましょう」
「はい! お母さんのミソシル教えてくれるって。嬉しい。ヨロシクオネガイシマス!」
「まずは出汁を取ります。かつおと昆布でね。かつお節、知ってる?」
「はい、オカカ? おにぎり食べたことある」
「そうねえ、それもかつお節だけど、出汁に使うのはそれとはちょっと違うの。見ててね」
最初は、外国人の嫁とどうやって会話したらいいかわからずドキドキしていたけれど、話してみれば意外と簡単。言葉はさほど通じなくても、お互いの言いたいことはなんとなくわかる。
「お味噌汁に、私はちょっとだけ練りごまを入れるの。セサミペーストね。これがあの子のお気に入り。味見する?」
「おいしい!」
ごはんと味噌汁、そして干物に卵焼き、お漬物。
決して豪華ではないけれど、温かい汁物と炊きたてのごはんはやっぱり落ち着く。
「お母さん、おいしい!」
「これだよ、この味。最高!」
「ワタシも覚えた、次は作ってみる」
「そうね、じゃあ来週のお休みの日にはお願いしようかしら」
母から嫁へ、文化のバトンタッチ
「母さん、僕たちちょっと出かけてくるね。彼女が浅草に行きたいって言うから」
「はい、気をつけて」
異国、というと少しノスタルジックが過ぎるけれど、知らない国に来ていきなり姑と暮らすなんてなかなか勇気がいることに違いない。それでも彼女はいつも笑顔で、こちらの生活に馴染もうと努めている。言葉も少しずつ上達しているし、玄関で靴を脱ぐ習慣や、コンパクトな日本のお風呂に最初は驚いていたけれど、今ではすっかり慣れてきた。
「お母さん、オショウガツにキモノ、着てみたいです」
先週、突然そんなことを言いだした嫁のために、しまってあった着物を箪笥から出して干しておいた。
「気に入ってくれるかな。着丈がちょっと短いかもしれないけれど、なんとかなるわね」
夫と入れ違いのように戻ってきた息子夫婦のおかげで、私の生活は少し活気づいてきた。
一人の生活は気が楽だけれど、淡々としすぎていてときどき退屈する。
けれど、あの子たちがいると空気がいつも新鮮で、私までリフレッシュできるのだ。
「これで虫干しは完了。次の週末に着せてみようかしら。この色はあの子の髪色にきっと似合うはず」
伝統を自由に遊ぶ
「さて、お茶にしませんか? お抹茶を買っておいたの」
「あ、僕はちょっと仕事があるから、どうぞ女子二人でくつろいで」
「あら、女子だなんて! じゃあ二人で楽しみましょう」
「オマッチャ! ありがとうございます!」
お茶は若い頃に嗜(たしな)んだけれど、今ではすっかり自分流。お作法にとらわれず自由にお茶をいただくのもなかなか楽しいものだ。これも年の功、ということなのだろう。
「サドウ、難しい?」
「そうね、作法はあるけれど、ここでは気にしないで自由にいただきましょう。今日はチョコレートきんつばを作ってみたの。お茶とチョコレートって合うのよ!」
「アンコ、好きです。チョコレートも。イタダキマス!」
日本の伝統や文化は、美しく素晴らしい。歴史があってストーリーがあって、それが脈々と受け継がれている。
でもそれをどうやって次の世代に伝えるべきなのか、その正解は私にはわからない。できるのはただひとつ、難しがらずに楽しむことだ。
外国人の嫁に出会って、そのことを改めて教えてもらった気がする。ガチガチに守るのではなく、今の暮らしの中で楽しむ。それもまた、伝統をつなぐひとつの方法なのだ。
「お母さん、ワタシもやってみていいですか? シャカシャカ」
「もちろんよ! Let’s Try!」
暮らしを紡ぐという幸せ
家は、人がつくって人が住むもの。
けれど、家によってまた、人も育てられているのだ。
人と家とが寄り添い合って、日々の物語を紡ぐ場所。その一日一日の暮らしがやがて人生を織り成してゆく。
老いゆく夫婦のためにつくった家に、若い世代が新しい風を呼ぶ。
暮らしが重なって、またひとつ新しいストーリーが生まれる。
こんな貴重な経験をさせてくれる息子夫婦に、今は感謝するのみだ。
「お母さん、今日の夕飯はワタシがスウェーデン料理を作ります!」
「まあ、嬉しいわ、どんなお料理かしら。楽しみ!」
この生活はいつまでも続くものではないけれど、だからこそ、今が楽しいのだ。
母、息子、そして「むすめ」。
さて、今晩は遠慮なく、異国の味をご馳走になるとしよう。
Today’s Recipe 1 かぶと油揚げのごま味噌汁
[材料](作りやすい分量)
水 1リットル
昆布(水1リットルに浸けて1晩おく) 10cm角程度
かつお節 2つかみ
かぶ 大玉2個
油揚げ(短冊切り) 1枚
麦味噌 50g程度
練りごま(白) 大さじ1〜2
[作り方]
1. かぶは皮をむいて6等分のくし形に切る。茎は小口切り、葉はざく切りにする。
2. 濃いめの出汁を取る。鍋に昆布を浸け汁ごと入れて火にかけ、15分ほど煮る。水50cc(分量外)程度を入れていったん温度を下げ、かつお節を加えて弱火で10分煮出し、ざるで濾(こ)す。
3. 2の出汁を火にかけ、かぶを入れて火が通るまで煮る。
4. 3に麦味噌を溶き、油揚げとかぶの茎を入れる。食べる直前に練りごまとかぶの葉を入れてさっと煮る。
Today’s Recipe 2 出汁巻き卵
[材料](作りやすい分量)
卵(L) 4個
出汁 大さじ3
きび砂糖 小さじ1と1/2
塩 3つまみ
しょうゆ 少々
太白ごま油(なければサラダ油) 適量
[作り方]
1. ボウルに卵を溶きほぐし、出汁、きび砂糖、塩、しょうゆを加えて混ぜ、ざるで漉す。
2. 卵焼き器(またはフライパン)をよく熱し、太白ごま油をキッチンペーパーにしみこませてフライパンに塗る。
3. 1の生地を4分の1量を流し入れ、手早く気泡を潰して奥に寄せる。
4. 1と同様に再び油を塗り、さらに4分の1量の生地を流し入れる。奥に寄せておいた卵を菜箸で持ち上げ、隙間に生地を流して手前に1度返す。これを繰り返して大きめに焼き上げる。
※火加減は常に強めの中火から強火を加減しながら手早く焼くのがポイント。
Today’s Recipe 3 あんことチョコレートのきんつば
[材料](14×14cmの型1台分)
市販のこしあん 200g
ビターチョコレート(製菓用のクーベルチュールチョコレート) 50g
粉寒天 4g
A
白玉粉 10g
牛乳 20g
水 50g
薄力粉(ふるう)50g
砂糖 15g
粉山椒 少々
太白ごま油 適量
[作り方]
1. ボウルにチョコレートを入れる。フライパンか鍋に湯を沸かし、ボウルの底をあててチョコレートを湯煎にかけて溶かす。
2. 1が溶けたらこしあんを加えて少し温め、湯煎からはずしてホイッパーなどでよく混ぜる。
3. 小鍋に水200cc(分量外)と粉寒天を入れて中火にかけ、溶けたら2分ほど加熱してよく混ぜる。
2のボウルに加え、なめらかになるまで混ぜたら、水でぬらした流し缶(なければバット)に流し入れて固め、冷蔵庫で冷やしておく。
4. ボウルに白玉粉を入れ、細かくなるように指先などで潰す。牛乳、水、薄力粉、砂糖、粉山椒を加えてさらに混ぜ、ざるで漉す。
5. 3を食べやすい大きさの正方形に切る。フッ素樹脂加工のフライパンに薄く太白ごま油を塗り、中火にかける。4の生地を一面ずつ付けてその都度焼き、6面すべて焼く。はみ出した生地ははさみで切る。
6. 粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やす。