求道学舎のある本郷6丁目は、東大の下宿街だったそうで、仏門を志していた近角常観が東大の学生だったころ、仏教書を多数もつ老人宅に書物を読みに出入りしていたところ、あまりの熱心さに、所有する自宅を購入してほしいと依頼されたことがこの地の取得の経緯だったそうです。
そして、西洋の宗教事情を視察するために洋行し、後に日本のモダニズム建築創成期に活躍する建築家となる武田五一と知り合い、帰国後に求道会館の設計を依頼、西洋の教会に負けない仏教の教会堂として大正4年に求道会館、仏教を学ぶ若者の下宿として大正15年に求道学舎が建てられました。
求道学舎は、当時日本に導入されはじめたばかりの鉄筋コンクリート造で建てられ、アーチ状の窓をもつ西洋風の外観はまるでホテルと見まがうかのような白亜の建物だったそうです。
しかしながら、昭和、平成と時を経て、ツタがからまり、度重なる漏水で建物は廃墟化し、求道会館、求道学舎とも閉鎖を余儀なくされました。
平成14年に求道会館が東京都の指定文化財として復元されましたが、あまりに多額の維持費用がかかるため、年間数百万円の赤字が発生、その赤字を埋めるため、求道学舎をリノベーション住宅として分譲し、資金をねん出する計画が立てられました。
通常の建物のオーナーであれば、ここまで老朽化した建物は壊して新築住宅を建てるという判断になると思われますが、ここで奇跡的ともいえるのが、末裔である近角真一氏が建築家であり、『武田五一作』という歴史的建築物として、また東京都内で現存する最古の鉄筋コンクリート造の建物を再生させるという“建築の質の高さ”を購入してもらいたい、という判断がなされたことです。
専門家の立場から、200年建築を可能とするスケルトン・インフィル方式の採用を提案、3mを超える天井高さという現代のマンション建築には見られない高水準の内部空間を活かす計画が立てられました。
一般的に、鉄筋コンクリート造の建物は“中性化”が鉄筋まで至ると寿命とされ、求道学舎も中性化は完全に進行しましたが、再生にあたり、建物検査を実施したところ、コンクリートの強度、耐震性能とも現在の耐震診断基準で要求される性能を有していることがわかりました。
そこで、既存躯体の悪い部分を取り除き、必要箇所の鉄筋の取り換えや、コンクリートのアルカリ化、コンクリートの打ち増し等を経て現在の新築の建物とそん色ない躯体性能を得る計画がたてられました。
しかしながら、求道学舎の購入者募集はツタのからまる老朽化した建物の状態の時でした。
いくら元が白亜の建物で、新築とそん色ない性能の建物となる計画だったとしても、募集当時は廃墟同然の建物なので、11軒というマンションとしては小さな規模にも関わらず募集は困難を極めたそうです。
そんな中、流れが変わったのは、新聞に『大正時代の建物を集合住宅に再生』といった記事が掲載されてからだったそうで、歴史ある古い建物に住みたいと思いながらもそんな建物は日本ではなかなか分譲されていないとあきらめていた人の元に情報が届き、急に問い合わせが増え、完売に至ったそうです。
なお、求道学舎は内装は自由設計でつくれる家をして募集され、高い天井高さを活かし子供のころからの夢だった天井までの本棚のある家を実現した方、元の建物の美しさを活かすため断熱材をあえて排して設計をした方、無駄な内装をしないでよいと床や天井も貼らずシンプルに仕上げた方、思い思いの価値観の中家づくりをされたそうです。
(個人邸につき、写真の点数が少ないですが、興味を持たれた方は、『casaBURUTUS vol.83』や『住む。NO.27』などのバックナンバーでご覧になれます。)
求道学舎は大規模なリノベーション工事を経て、平成18年に分譲の集合住宅として生まれかわりました。アーチ型の窓やドイツ製の輸入タイル、3メートルを超える天井高など、建設当時の設計の優れた部分は活かし、時を重ねることで豊かな住環境がつくられていて、日本におけるまさに『洋館』の佇まいを感じる建物となりました。
そして、何より魅力なのは建物だけではなく、若い木を植えるしかない新築ではありえない大木が敷地内にあること。
イベントの最後に、特別に建物見学会を実施していただけたのですが、室内の魅力もさることながら、豊かな緑によって環境が構成されていることにも感動しました。築20年30年といった普段リビタが扱っている建物でも十分大きく木が育っているのですが、大正建築ともなると更にスケールが大きく、豊かに育っています。
近角さんに、この建物が何年持つと考えていらっしゃるか質問したところ、築200年以上は十分もつのでは、とのことでした。それにはもちろん適正な改修を加えていくことが必要なのですが、現在の居住者は50年後、60年後には亡くなっているかもしれないけれども、次以降の世代でまた建物を大切に再生していけば、世代を超えて受け継いでいくことができるそうです。
また、最近の分譲マンションがどの建物も似ている理由を尋ねると、限られたコスト内で建物をつくっていくデベロッパーの要求が年々厳しくなっており、建築家の提案するデザインやゆとりが取り入れづらくなっているためだそうです。ちなみに、近角さんが個人的に優れていると思われるマンションは?とお尋ねしたところ、建築家を目指すきっかけとなった、内井昭蔵建築設計事務所が設計した『桜台ビレジ(1969年築)』という建物を挙げて下さいました。
ヴィンテージマンションといわれる、古いものでは昭和40年代、50年代などの優れた建物のファンも増えてきていますが、最近の建物にはない佇まいが評価されていると言えるでしょう。100年、200年といったレベルで建物が維持される時代になると、将来さらに評価が上がるのかもしれません。
イベント終了後に、建物の屋上で写真を撮らせていただいたのですが、都心とは思えない風景が広がっていました。住人の方は屋上でバーベキューを楽しんだりされるそうです。
『古いからこそいい』そんな建物をこれからもご紹介していきたい、そんな思いを新たにしたイベントとなりました。