創造の指針、リーン・エンジニアリング
ダイソンといえば、日本で最も広く認識されている海外の家電ブランドだろう。その製品はオリジナリティあふれるデザインが大きな特徴だが、ダイソンのデザインをエンジニアリングと切り離すことはできない。同社プロダクトテクニカルシステム部門のトップであるジェームズ・エヴォン・ドスーザ氏に、彼らが考える理想のデザインについて尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「誰もが見過ごしている問題の解決を目指し、従来の製品に比べて根本的に優れた性能をもつ製品を設計しようという理念のもとに創業したのがダイソンです。そして、この目標を最小限の材料を使用して実現していく。これを私たちはリーン・エンジニアリングと呼んでいます。この理念は今なお新製品を開発する際のアプローチの指針になっています」
最小限の材料で、最大限の性能を追求すること。それは必然的に、理にかなった無駄のないフォルムへと結実していく。ダイソンのデザインが、異なるモデルであっても統一感をそなえているのはそのためだ。
「ダイソンの製品がこのような形をしているのは、美しさを追求したからではなく、純粋に性能を発揮するようにエンジニアリングした結果です。つまりリーン・エンジニアリングに基づいた形なのです。私たちは、製品を成り立たせるすべての機能がそれぞれの目的を果たすことを重視していて、それは性能に意味ある違いをもたらすか、ユーザーが直面する問題を解決するものでなければなりません」
ダイソンの製品はきわめて高度にデザインされているが、この企業にはいわゆる“デザイナー”という立場の社員はいない。デザインの感覚をもつエンジニアリングのエキスパート、つまりデザインエンジニアが、すべての製品をつくり出していく。
「私たちはエンジニアとして、挑戦を恐れず、最も困難な課題に対して巧妙な解決策を導き出すことにやりがいを感じています。また一方で、失敗から得られる充実感もあります。というのもしばしばイノベーションは間違った考え方から生まれるからです。それまでありえなかった方法で何かを始めるとミスや失敗がつきものですが、従来とは異なる新しい発見につながることがあるのです。好奇心がリードしたプロセスから人々の暮らしを改善できたときの達成感は、私を含めすべてのエンジニアが共感するものだと思います」
日常のフラストレーションが生み出すアイデア
ある時期までは、サイクロン式掃除機がダイソンの代名詞だった。しかし近年は、空気清浄機やヘアドライヤーなど幅広いジャンルにおいて、その製品の存在感が高まっている。こうしてラインアップを広げてきたことには、どんな思いがあるのだろうか。
「すぐに吸引力を失ってしまう掃除機は、多くの人が不満を感じながらも見過ごされていた課題でした。それを解決したのがサイクロン式掃除機です。私たちはやがて、他の家電にも同じようなチャンスがあることに気づきます。過剰な熱で髪を傷めるヘアドライヤーやスタイラー、手を乾かしにくいハンドドライヤー、部屋全体にきれいな空気を循環させられない空気清浄機などです。また私たちは、ひとつの製品開発を通して多くの新しいことを学びます。時にはそれが、別の問題を解決する手段になるのです」
“必要は発明の母”というが、ダイソンにとってはフラストレーションがインスピレーションの源になるのだとジェームズ・エヴォン・ドスーザ氏は説明する。「日常的な体験の中にあるフラストレーションが新しいアイデアのきっかけになり、物事をよりよくする方法が見つかるのです」
「エンジニアたちはまた、基礎科学の研究を通して新しい発見をし、新製品を思いつくこともあります。たとえば何年にもわたって空気力学の研究を続けた結果、コアンダ効果を利用して滑らかな表面で2つの空気流を衝突させることで、強力で凝縮された空気の流れが生まれることがわかりました。この仕組みは現在、『Dyson Purifier Big+Quiet 空気清浄機』に採用され、きれいな空気を広い部屋全体に均一に循環させるため役立っています」
一方、仕事に直接関係のない生活の中で、新しい技術のヒントに巡り合うときもあるそうだ。ダイソンでは、既成概念にとらわれずに発想することを推奨しているという。
「掃除機の一部のモデルに搭載しているダストイルミネーションは、レーザーの光で床を照らすことで、表面にある微細な粒子を光らせて、それを取り除く過程が確認できる機能です。これはあるエンジニアが、自宅で空中の粒子が太陽光線によって輝くように見えたことから、ホコリを照らす仕組みを考え始めたのが起点でした。さらにDJを趣味とするエンジニアが、ラボにレーザーライトを持ち込んで試作を始め、実現していったのです」
また、ダイソンでは各国のオフィスに歴史的な偉業といえるプロダクトを展示している。問題解決に取り組むためのインスピレーションになるよう、その国で生まれた発明品が選ばれる。
「日本のオフィスの受付スペースには、ホンダのスーパーカブと、ソニーのウォークマンが置かれています。人々の移動の方法を劇的に変えたスーパーカブ。音楽は室内で聞くものという概念を覆し、持ち歩きを可能にしたウォークマン。この2つはジェームズ・ダイソンが特別に思い入れをもつプロダクトです」
常識に縛られず、まったく新しい発想と技術によって生活を快適にするという、創業時からのダイソンの思想に共鳴する日本のプロダクトであり、これらはジェームズ・ダイソンのものづくりの姿勢へ大きな影響を与えたという。
ダイソンのプロダクトに感じる、暮らしの未来像
ある時代までの家電とは、人が行う家事をサポートし、その役割を部分的に補うものだった。しかしライフスタイルの発展やテクノロジーの進歩とともに、家電への期待は時代とともに高まっている。そんな存在意義の変化について、ダイソンはきわめて自覚的だ。
「かつては家電は機械であり、ボタンを押すと作動して機能を果たすものでした。しかし現在はAIやソフトウェアの発展に伴い、より洗練された方法で人々の毎日の課題を解決する必要が生じています。たとえば『Dyson 360 Vis Nav(ロボット掃除機)』は360度を捉える視覚システムをもち、どこを掃除したか、どこを掃除すべきかを把握し、最も効率的なルートを判断して、家の中で検知されたホコリに対しても効果的に反応します」とジェームズ・エヴォン・ドスーザ氏は述べる。
暮らしをつくっているさまざまなものが、時代とともに更新されていくことを誰もが当然だと思っている。しかし実際は、誰かが時代を先んじて行う未知の可能性の追求こそが暮らしを進歩させてきた。ダイソンは、そんな姿勢を貫く代表的な企業といえる。その製品を手にすることは、未来の暮らしを手に入れることにとても近い。