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元麻布の邸宅街から商店街、<br>そして時代を感じる西麻布の交差点へ。
街歩きの風景

元麻布の邸宅街から商店街、
そして時代を感じる西麻布の交差点へ。

閑静な元麻布の邸宅街から商店街、そして時代を感じる西麻布の交差点へ。坂の高低差とともに街のグラデーションを愉しむ

その街に住んでいる人のように街を歩く。すると、東京の街の豊かな表情と深い歴史、醸成されている文化の輪郭を感じるはずだ。魅力あるエリアを歩いて見つけた“街の風景”を紹介する連載シリーズ「街歩きの風景」。2回目は「元麻布・西麻布」。ともに閑静な住宅街でありながら、近未来的最新都市・六本木と、下町人情あふれる麻布十番がほど近い。日本屈指の邸宅街を中心に、周辺エリアの「グラデーション」を感じながら、それぞれの街の鮮やかな魅力を紹介していく。

Text by Aki Maekawa
Photographs by Noriyuki Fukayama

日本屈指の邸宅街・元麻布から麻布十番を訪ね、西麻布を目指して西へと向かう

元麻布……この街は、かつて名門旗本の屋敷や、日向高鍋藩や下総小見川藩などの大名屋敷があった。明治政府の発足とともに、それらの用地は宮家や諸外国の居留地になっていった。現在は長玄寺などといった、由緒正しい寺院が江戸の面影を伝えている。

元麻布までの街歩きは、六本木ヒルズからスタートすることに。近未来的な六本木ヒルズと、落ち着いた邸宅街の風景の対比を体感するためだ。

人工的なものと自然の素材が融合する「さくら坂公園」。地形の高低差をうまく利用して造られている。

六本木ヒルズを出発、元麻布エリアに向かって南下していく途中、ユニークな公園を発見した。六本木ヒルズの南端にある「さくら坂公園 (通称・ロボロボ公園)」は、韓国で最も注目されているアーティストの一人、チェ・ジョンファ氏がデザインした公園だ。昭和時代の子供が遊んでいたような、レトロなブリキのおもちゃを模したロボット、色とりどりのすべり台に世代を問わず感性を刺激される。カラフルな公園で遊ぶ子供たちを見ながら、歩みを進めていく。

さくら坂公園からたった数分歩くだけで、景色は閑静な邸宅街へと変化する。

気品ある邸宅街を抜けて、七不思議の街・麻布へ

壮麗な建物の南アフリカ大使公邸や、美しいマンション街を抜け、坂を下っていく。この界隈で有名な坂は「狸坂」だ。別名に「まみ坂」「旭坂」「切通坂」がある。『港区史』によると、この辺りは昭和30年代ごろまで、狸の姿が見られたそうだ。

余談だが、『江戸東京伝説散歩』(岡崎柾男著・青蛙房)によると、麻布にはかつて「狐坂」も存在したという。こういった坂名を訪ね歩くのも、麻布散歩の愉しみともいえる。

さて、狸と狐と言えば、昔話によく登場する動物だ。だからこそ、麻布には伝説が多い。代表的なものは、江戸時代から伝わる「麻布七不思議」。柳の井戸、狸穴の古洞、広尾の送り囃子(ばやし)、善福寺の逆さ銀杏、がま池、長坂の脚気石(かっけいし)、一本松という昔話に、土地の歴史と文化が伝わってくる。七不思議というとおどろおどろしいイメージがあるが、麻布の七不思議は、子宝を授かったり、火災から家を守ってくれたりと、明るい話が多い。

元麻布から東京タワーを望む。
元麻布には坂が多い。伝説に登場する狸坂だ。
都内に暗闇坂は7カ所あるが、ここの暗闇坂が最も有名な坂ではないだろうか。
振り返ると、六本木ヒルズの威風堂々たる姿が見える。

余談だが、1969年に結成された「はっぴいえんど」というロックバンドを知っているだろうか。細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂という超一流のミュージシャンが集結した奇跡的なバンドだ。そのセカンドアルバム『風街ろまん』に、この暗闇坂をテーマにした、「暗闇坂むささび変化」という曲が収録されている。作詞をした松本隆は青山で生まれ育った。麻布で多感な時期を過ごしたことから、名曲が生まれたのかもしれない。

テレビ番組『ブラタモリ』(NHK)で紹介され、一躍有名になった、がま池。七不思議の「がま池」は、江戸時代の旗本・山崎主税助治正邸内に住む大きな蟇(がま)が、贖罪のために度重なる火災から屋敷を守ったという話だ。
テレビ番組『ブラタモリ』(NHK)で紹介され、一躍有名になった、がま池。七不思議の「がま池」は、江戸時代の旗本・山崎主税助治正邸内に住む大きな蟇(がま)が、贖罪のために度重なる火災から屋敷を守ったという話だ。

東へ少し足を延ばし、元麻布の「台所」的役割を果たす麻布十番へ

麻布十番商店街の様子。新旧の店がひしめく。
商店街にはところどころにアートが見られ、感性が刺激される。

多くの外国人が住み、インターナショナルな街として知られる麻布十番。元麻布の「台所」的役割を果たすこの街には、高級スーパーが多い。

また、麻布十番は江戸時代から伝わる人情を感じる街だ。寛政元年(1789年)創業で、江戸名所図会にも登場する「永坂更科蕎麦」があり、「豆源」「たぬき煎餅」「紀文堂」などが櫛比(しっぴ)している。

さらに言うと、麻布十番は交通の便がいい。坂をひっきりなしに車が行き交い、六本木と広尾、白金が徒歩圏内だ。平成12年(2000年)に南北線と大江戸線の麻布十番駅が開業するまでは、陸の孤島などと言われていたが、駅が開設されなかったのはむしろ「道路の便」が良かったからではないか。そんなことを感じながら歩くと、童謡『赤い靴』(野口雨情作詞・本居長世作曲)のモデル・岩崎きみちゃんの銅像が立つ、四つ辻に囲まれた公園「パティオ十番」に行きあたる。

パティオ十番の一角に立つ「きみちゃん像」。意外と小さめ。

明治時代に、十番稲荷にあった孤女院で9歳で病死した少女・きみちゃんは、大正時代に童謡になり、昭和時代から令和にかけて歌い継がれている。

麻布十番から有栖川宮記念公園に抜けると、青空が広がっていく

街歩きの途中で撮影した、元麻布の風景。広い空も邸宅街ならではだ。

麻布十番から広尾方面に向かうには、再び元麻布を通る。前出の「暗闇坂」「狸坂」および「大黒坂」の三方向から上り詰めた坂上に、「長伝寺」という寺がある。ここには、麻布七不思議のひとつ「一本松」がある。咳に悩む者は、甘酒を竹筒に入れてこの松に吊るすと治るという信仰が、明治時代まで行われていた。

西町インターナショナルスクール。アメリカ人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年)の建築事務所の設計により、大正10年(1921年)に完成した。大正時代の洋館の雰囲気を今に伝える。

さらに坂を進むと、左手に旧松方正熊(明治時代の総理大臣・松方正義の息子)邸であり都歴史的建造物の「西町インターナショナルスクール」がある。そのまま進むと視界が開けて青空が広がる。「麻布運動場テニスコート」や「東京ローンテニスクラブ」があり、開放感がたまらない。この“抜け感”も麻布の街の魅力だ。

元麻布は高台に位置し、都心とは思えないほどの開放感がある。特に「麻布運動場テニスコート」付近の広い空は白眉(はくび)だ。

時代を超え、人気を博すグルメタウンでもある西麻布

西麻布交差点は六本木通りと外苑西通りの交差点。バブル期には夜になるとタクシーで若者が多く集まっていた。
西麻布交差点は多くの車が行き交う。

広尾を経由し、西麻布まで外苑西通りを歩く。天現寺橋交差点から西麻布交差点までの区間は、1980年代から90年代初頭にかけて、「地中海通り」と呼ばれていた。由来は、イタリアンの名店が多かったからだという。

今は多様なレストランが軒を連ねており、表通りだけでなく、隠れ家的な名店も多く、数多の食通を魅了している。地中海通りと呼ばれていたころから、お店の顔ぶれは変われど、名シェフ、食通を惹きつけていることに変わりはない。

1985年開店、アメリカ発のアイスクリームショップ「ホブソンズ」は現在も人気。
西麻布交差点付近の笄(こうがい)公園は、自然を感じるエリア。紅葉が美しい。

元麻布から西麻布を歩いて気づいた、街の魅力と新たな風景

元麻布の閑静な邸宅街と、麻布十番商店街の庶民的な雰囲気の対比。その地名や交差点の風景に、時代や文化を感じさせる西麻布。土地に高低差があるエリアゆえの坂の多さと、そこに紐づく歴史と文化の深さと面白さ。そして、開けた瞬間に目前に広がる、高く青い空。さまざまな風景を味わいながら歩いてみるのも、多層的で多面的な東京の魅力を知るよすがになるはずだ。

参考資料・文献

『港区史』
『江戸東京伝説散歩』(岡崎柾男著・青蛙房)
『東京の道辞典』(吉田之彦・樋口州男・武井弘一・渡辺晋編集・東京堂出版)

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