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かつては富裕層の別荘地――“国分寺崖線”から富士山を望む「世田谷・等々力」を歩く
街歩きの風景

かつては富裕層の別荘地――“国分寺崖線”から富士山を望む「世田谷・等々力」を歩く

かつては富士山を望む別荘地。国分寺崖線に息づく生命の息吹と美しい風景を求めて――都内屈指の邸宅街「世田谷・等々力」を歩く

その街に住んでいるように、街を歩く。すると、その街ごとに醸成されていった、独自の文化に気づく。「街歩きの風景」シリーズでは、魅力あるエリアを歩き、見つけた“街の風景”を紹介する。9回目は世田谷の「等々力から二子玉川」。ここには「みどりの生命線」といわれる段丘の国分寺崖線(がいせん)がある。この崖線は、多摩川が10万年以上の歳月をかけ、武蔵野台地を削ってできたものだ。その高台は明治期から富裕層の別荘地として発展。当時の雰囲気は「五島美術館」「静嘉堂文庫美術館」などで知ることができる。豊かな自然も知られ、現在も雑木林や湧水、畑などもある。富裕層を魅了し、時代とともに進化を続けるエリアを歩いた。

Text by Aki Maekawa
Photographs by Noriyuki Fukayama

日本のゴルフ文化発祥地は世田谷区だった

国分寺崖線の南端は等々力(とどろき)渓谷一帯だ。23区唯一の渓谷として知られ、長さは1㎞、台地と谷との標高差は約10mある。鬱蒼とした木々の中に、ゴルフ橋というアーチ型の鉄橋がある。

等々力渓谷には谷沢川が流れる。30カ所以上の湧水があり、シダやコケなど湿性植物が植生。豊かな自然で東京都の名勝に指定されている。

ゴルフ橋の向こうは邸宅街で、ゴルフ場は見当たらない。由来を調べると、1931~1939(昭和6~14)年に、9ホールのゴルフ場「等々力ゴルフコース」が存在したことがわかった。当時の政財界の大物であった鳩山氏、五島氏たちが中心となって開拓したという。このゴルフと世田谷区の歴史は深い。1914(大正3)年に駒沢オリンピック公園には、日本人による最初のゴルフ場「東京ゴルフ倶楽部」が完成した。戦後1955(昭和30)年には砧公園に都営の「東京砧ゴルフ場」がオープンしたが、いずれも現存していない。

緑のアーチが清々しい、ゴルフ橋から邸宅街を望む。

富裕層が好むイメージが強いゴルフは、人柄や考え方が出るスポーツだという。形を習得し、自己研鑽しつつ、人柄も表れる。「トップに立つ」という人のライフスタイルにピタリと合うのではないだろうか。

この周辺のエリアには、歴史ある屋外のゴルフ練習場が多数存在する。世田谷に住み、自宅付近の練習場で腕を磨く。そこには同じような目標を持つ人がおり、社交が生まれる…… そんな人の環(わ)が生まれていることが想像できる。

ゴルフ橋を渡った先には何があるのかと歩みを進めると、邸宅街があった。緑と調和している建物が多く、全体的に統一感がある。近代的な住宅の間に、瓦屋根の和洋折衷スタイルといった昭和の文化住宅も残り、歴史がある街だと感じる。

この低層住宅街は建築協定のエリアだ。建築協定は、地域の土地所有者等の全員が合意し、最低面積、建築物の用途や耐火性や階数、そして、建物の色彩や意匠(デザイン)などを細かく決め、特定行政府の認可を受ける。これにより美しく統一された街並みが残るのだ。土地所有者への、土地への愛が伝わるエリアともいえる。

番地表示の右に青い「建築協定区域」の札がある。調和のとれた邸宅街の証しでもある。

三菱の岩崎家、東急の五島家を魅了した国分寺崖線の邸宅街へ

等々力渓谷から高台に向かって歩みを進める。すると上野毛駅の現代的な建物が見えてきた。建築家・安藤忠雄が手掛けており、周囲の邸宅街に調和している。

「五島美術館」の最寄り駅で、2011年にリニューアルした。

急坂を上るように、「五島美術館」へ。ここは、1960(昭和35)年に開館した私立美術館で、所蔵品は日本・東洋の古美術が中心。「源氏物語絵巻」をはじめとする国宝5件、重要文化財50件を含んだ、約5000件の収蔵品を有する。

構想は、東急グループの実質上の創業者で知られる五島慶太(1882〈明治15〉~1959〈昭和34〉年)による。氏は鉄道事業を行いながら美術品を収集。美術館開館は悲願であったが、開館前年にこの世を去った。

美術館は、五島邸の敷地の一部を使用。寝殿造りと現代が融合した建物は吉田五十八(いそや)の設計。色彩も美しく、1961(昭和36)年に、建築業協会賞を受賞。広大な庭園も有名。

この美術館も、五島慶太が所有するまでは、台湾総督を務めた明治期の政治家の田(でん)健治郎(1855〈安政2〉~1930〈昭和5〉)年の自宅・萬象閣だったという。近辺にはこのほかにも、政治家や実業家の別荘や邸宅とおぼしき建物が多い。

線路を渡り、高台の方向へ歩きながら、なぜこの地が多くの人を魅了するのかを考えた。そもそも東京の別荘地の歴史をひもとくと、江戸期から明治初期にかけては、風光明媚な隅田川沿いだったのだ。しかし、急激な人口増と近代化による環境汚染で隅田川沿いのエリアの魅力が薄れてしまった。それ以降、国分寺崖線の等々力や上野毛方面が好まれるようになったのだという。

こうして歩いてみると、豊かな緑に心が癒やされる。さらに高台に赴けば富士山や多摩川の眺望がある。日本人の心に深く刺さる霊峰富士と豊かな河川、そばに人々の生活の営みがある。そのような場所は、国分寺崖線をおいてほかにないのではと思った。

崖の上は邸宅街、低地を列車が走るという風景が広がる。
瀬田の高台の下の瀬田隧道(せたすいどう)。地元の古老に聞くと、長く立ち入り禁止になっているという。

瀬田エリアの邸宅は、先に記したように、多摩川方面に抜ける眺望が楽しめることもあり人気が衰えないという。なかでも「瀬田ファースト」はその代表格。地下2階、地上3階建て、総戸数15戸の邸宅マンションで、1992(平成4)年に完成した。

斜面地の高低差を生かしており、ルーフバルコニーやラウンド型のリビングからは絶景が楽しめるという。建物も美しく、外壁、バルコニー、外階段など白で統一されており設計コンセプトは「白想居」。この設計は、建築家・大江匡が代表を務めるプランテック総合計画事務所だ。

壁面は純白で、内装は天然石や木材をふんだんに使用。高級マンションのなかでもトップクラスの人気を維持し続けている。
二子玉川方面から見た「瀬田ファースト」(写真右上)。高台に立っており、遮る建物がないことがわかる。

自然豊かな環境と見晴らしが良い住宅が、いつの時代もステイタスが高く人気があるのは、住み心地の良さに加えて、パフォーマンスを高めるためのコンディションが整うことも理由のひとつだろう。

1990年代に米国イリノイ大学のFrances Kuo氏はある調査を行った。殺風景な建物や駐車場といった風景しか見えない住居に住むグループと、木々や花壇のある芝生が見える住居に住むグループを分けて、基本的な注意力、人生の大きな問題への対処力などを検証した。その結果、緑の草木が見える住居で生活すると、あらゆる項目で大幅に評価が向上することがわかったのだ。

都会生活は窮屈だ。ここ10年ほど、人と環境を総合的に考察する「環境心理学」が知られるようになった。都市生活者の多くは、自然にほとんど触れずに生活をしている。学生も社会人も四季を感じにくい密閉された空間で一日を過ごす。加えて、スマホやPC画面に張り付いた作業をしている人も多い。だからこそ、自然を求めてしまう。現在、空前のキャンプブームが起こっているが、これは三密回避が可能なレジャーだからという理由だけではないだろう。人間は自然を求めてしまうのだ。

もしかすると、戦前の富裕層たちは100年後の東京を見越していたのかもしれない。この地に居を構えれば、大切な子孫たちが、健康に豊かに暮らせる、と。そんなことを考えながら、青空に映える新緑と高台の住宅街を眺めた。

世田谷区指定有形文化財・小坂家住宅。崖線の高低差と武蔵野の自然が生きている

戦前、国分寺崖線沿いには多く別邸建築が存在した。その姿をとどめるのが、「瀬田四丁目旧小坂緑地」内の「旧小坂家住宅」だ。1937(昭和12)年に建てられたこの家は、長野県出身の実業家・政治家、小坂順造の別邸。戦時中には日本画家の横山大観が住んでいたことでも知られる。この一帯は「岡本の邸宅地」といわれ、庭も建物も広い住宅が多い。

1999(平成11)年に「旧小坂家住宅」として世田谷区指定有形文化財になった。敷地は国分寺崖線上にあり、半分が斜面になっている。ここは表門部分。

旧小坂家住宅は、実業家であり政治家の小坂順造(1881〈明治14〉~1960〈昭和35〉年)の別邸として建てられた。氏は信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社取締役社長、衆議院議員、貴族院議員を務めた人物だ。

敷地は北側が狭く、南が広い特徴的な形をしており、中央を国分寺崖線が通っている。敷地内に急こう配があるのだ。建物を建てられるのは、細長い台地上の部分のみ。庭が大部分を占めている。南門から、北の正門まで向かって歩くと、国分寺崖線の高低差を感じる。

小坂家住宅付近には、畑がいまだに残るエリアがある。即売所で親子連れが穫れたての野菜を買っていた。
小坂家住宅近辺には、いわゆる「岡本の邸宅」が広がり、古き良き文化住宅の面影を残す建物が多い。

明治期の別荘地の雰囲気を伝える、岩崎家四代目による静嘉堂文庫

この地を語るうえで重要なのは、「静嘉堂文庫美術館」だろう。三菱財閥の第2代総帥・岩崎彌之助と、第4代総帥・小彌太親子による美術コレクションと庭園を公開している私設美術館だ。国宝7件、重要文化財84件、そして約20万冊の古典籍と約6500件の東洋古美術品を所蔵している。

1910(明治43)年、岩崎家四代目の小彌太がこの地に別荘を建てた。それと同時に、鹿鳴館の設計で知られるJ.コンドルによる霊廟も建てられている。岩崎家とコンドルの結びつきは強く、コンドルは御殿山の「開東閣」や丸の内の「三菱一号館美術館」など、岩崎家とゆかりが深い建物を手掛けている。

関東大震災の翌年、1924(大正13)年に、現在の静嘉堂文庫の建物を造り、彌之助は所蔵していた書籍、美術品をこの地に収蔵し、研究者に公開した。

静嘉堂文庫の建物は1924(大正13)年築。 J.コンドルの弟子の桜井小太郎(1870〈明治3〉~1953〈昭和28〉年)が設計。鉄筋コンクリート造りで、スクラッチ・タイル貼り。英国を思わせるデザインが特徴。東京都選定歴史的建造物。
静嘉堂文庫を守るように木々が生える。ここは岡本静嘉堂緑地と呼ばれ、岩﨑家の庭園だった。戦後、ほぼ手つかずの状態であり、国分寺崖線の貴重な自然を残す。

小坂家住宅から、静嘉堂文庫周辺を歩いていると、都会とは異なる若芽や土の香りに包まれ、心が穏やかになっていく。

取材後、どのような人物がこの崖線沿いの別荘地帯に居を構えたのかを調べてみた。岩崎本家以外には、明治期の元勲・松方正義、明治期に活躍した実業家・山下亀三郎(山下汽船/現・商船三井の創業者)、大正期に活躍した清水揚之助(清水建設創業者)、総理大臣・高橋是清(日銀総裁も歴任)や昭和の実業家・川崎八右衛門(川崎財閥2代目)など、枚挙にいとまがない。

また、この界隈には、大正期に入ると現在も続く大企業の社員倶楽部ができた。その第1号は国立第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」(1916〈大正5〉年築)だろう。創立者は、大河ドラマ『青天を衝け』で注目される明治期の実業家・渋沢栄一だ。この場所には、彼の喜寿を祝いドイツ風のコテージ「誠之堂」が建てられた。その後、「清和園」は1971(昭和46)年に「セントメリーズ インターナショナル」に売却されたが、誠之堂はその後深谷市に移築され、国の重要文化財になっている。

国分寺崖線の急こう配がわかる岡本の富士見坂。晴れた日には富士山や丹沢山脈が見える。「関東富士見百景」や「せたがや百景」にも選定されている。

二子玉川の開発と発展。人気住宅地としての現在

現在、「住みたい街」として人気の二子玉川の歴史は、1907(明治40)年に玉川電気鉄道が開通したことから始まったともいえる。

もともと、江戸中期以降、落語の「大山詣」でも知られる大山道が多摩川を渡る「二子の渡し」があった。その周辺には茶屋、宿屋などが集まりにぎわっている行楽地だったのだ。

現在も大山道の表示が残る。この標識の隣が江戸末期の1831(天保2)年創業の「玉川やなぎや」。徳川将軍ゆかりの老舗だ。ここ一帯は、鮎漁がさかんに行われ、現在も歴史がある飲食店が営業を続けている。

徐々に行楽地として発展した二子玉川。賑わうきっかけは、1927(昭和2)年に三業地に指定されたことだろう。太平洋戦争前まで華やかな街だったが、戦局の悪化とともに廃れていったという。

現在の多摩川の堤防沿いの様子。マンションが立ち並ぶ。

行楽地としての歴史が始まったのは、1909(明治42)年に「玉川遊園地」が開園したことだろう。ここは庭園や遊具、演芸場なども備えた行楽施設であった。

1922(大正11)年には「玉川第二遊園地」が開園。これは、1939(昭和14)年に「読売遊園」と改称。しかし、戦時中の1944(昭和19)年に休園となってしまった。戦後、1954(昭和29)年、「二子玉川園」を開園したが、1985(昭和60)年に閉園。その後、敷地の一部が「ナムコ・ワンダーエッグ」「いぬたま・ねこたま」などのテーマパークになったが、現在は「二子玉川ライズ」として日々、家族連れでにぎわっている。

かつて遊園地があった場所は商業施設になっている。

国分寺崖線から上は、明治期から変わらない邸宅街。そして、崖線から下は、時代とともに庶民のニーズに応え続ける商業の街。その見事なコントラストもまた、この街の魅力なのかもしれない。

参考

世田谷区ホームぺージ
▶︎ https://www.city.setagaya.lg.jp/

公益財団法人 五島美術館
▶︎ https://www.gotoh-museum.or.jp/

静嘉堂文庫美術館
▶︎ http://www.seikado.or.jp/

「自然な景観」が人に与える影響
▶︎ https://wired.jp/2010/08/25/「自然な景観」が人に与える影響

玉川やなぎや
▶︎ https://www.tamagawa-yanagiya.com/

『ゴルフを知らない日本人―遊びと公共性の文化史 』市村操一著(PHP新書)

『地形と地理で解ける!東京の秘密33 多摩・武蔵野編』内田宗治著(じっぴコンパクト新書)

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