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時代を象徴する名車「トヨタ2000GT」で<br>スポーツの聖地、神宮外苑を走る
Car×Landscape

時代を象徴する名車「トヨタ2000GT」で
スポーツの聖地、神宮外苑を走る

時代を象徴する名車「トヨタ2000GT」でスポーツの聖地、神宮外苑へ。半世紀を超えて息づく“日本の力と美しさ” を体感

お気に入りのクルマを操り、東京近郊ドライブへ。そんなとき、あえてクルマがより“映える”スポットを選でみてはどうだろう。「街に似合うクルマ」「風景の一部となるクルマ」を、自動車ジャーナリスト・河西啓介が紹介する「Car×Landscape」。3回目は、日本自動車史に輝くスーパーカー「トヨタ2000GT」をオリンピックの聖地・神宮外苑で走らせ、昭和から令和への時を超え、思いを馳せる。

Text by Keisuke Kawanishi
Photographs by Daijiro Kori

自動車が表す“お国柄”とは?

自動車は“究極の”工業製品だ。何万点ものパーツによって組み上げられる高額な商品であり、その開発や生産にはデザインからITにいたるまで、あらゆる分野の最先端技術が盛り込まれている。それゆえ、自動車にはそれを生み出す国の“力”が表れ、 生産国のお国柄というべきキャラクターが映し出される。

たとえば、イタリア車はひたすら美しくエモーショナル、ドイツ車は質実剛健かつ信頼性の高いクルマというイメージを持つ。フランス車は合理的でありながら、ウィットに富んだ洒落たデザインを纏っており、イギリス車は決して華美ではないが、伝統を重んじるデザインの端々からはかつての大英帝国の名残とプライドが感じられる。

では、日本車はどんなキャラクターを持っているのか? 欧米の“模倣”から始まった日本のクルマづくりだが、日本人の真面目で勤勉な国民性が奏功し1970年代の高度成長期から急速に力をつけていった。そして、いつしか「壊れない」「高性能」「コストパフォーマンスが高い」というイメージとともに、日本車は世界から信頼とリスペクトを得るようになったのだ。

自国にメジャーな自動車メーカーを持つのはアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデン、そして日本といったいわゆる“先進国”だ。近年はそこに中国、韓国、インドなどが加わっている。その事実こそ、先述した「自動車というプロダクトは国の“力”を表す」ということの裏付けといえるだろう。

1967年、国産初のスーパーカー「トヨタ2000GT」誕生

1970年代から80年代にかけて、日本車が世界の自動車市場を席巻していく“前夜”に生まれた、一台のクルマがある。1967年に登場した「トヨタ2000GT」だ。ロングノーズ、ショートデッキの美しいプロポーション、150馬力というハイパワーを発する2リッター6気筒DOHCエンジン、4輪ディスクブレーキを備え、最高速度は220km/hに達する国産車初のスーパースポーツカーだった。

日本の自動車産業が本格的に勃興したのは戦後しばらくを経た1950年代からであり、60年代における日本車は、まだ世界と肩を並べるというレベルにはなかった。そんな中で登場したトヨタ2000GTは、まさに日本車の歴史を変えるエポックメイキングなモデルだった。

60年代なかば、ホンダS800や日産フェアレディといった国産スポーツカーの登場を横目に見ていたトヨタは、それらを凌駕する性能を持つ日本車初の“スーパースポーツカー”といえるクルマを開発しようと考えた。

ちょうど同時期、4輪のスポーツカー開発を検討していた2輪メーカーのヤマハ発動機との協業により、それは実現したのだった。1967年に登場したトヨタ2000GTの価格は238万円。それは当時のトヨタ最高級車、クラウンが2台買えるほどの金額で、現代におきかえるならおよそ1500〜2000万円ほどに相当する高級スポーツカーだった。

1967年から70年までの約3年間で337台が生産された2000GTだが、今回試乗した車両は1969年に製造された後期型。現在のオーナーの父親が新車で購入して以来50年、2代にわたり乗り継がれてきた事実上のワンオーナーカーだ。

対面した瞬間、クルマが放つオーラに思わず息を呑んだ。日本車初のリトラクタブル(開閉式)ライトを採用し、空力特性を追求した流麗なデザインのボディ。“速さ”をストイックに追求したその姿は美しく、いま見てもまったく色褪せていなかった。

トヨタ2000GTを神宮外苑で走らせたかった理由

2000GTを走らせる場所として選んだのは明治神宮外苑だ。1926年、明治天皇の遺徳を後世に伝えるべく民間有志によって造成された神宮外苑は、その敷地に絵画館と運動競技場などを構え、現在まで長きにわたり日本の文化とスポーツ発展の象徴として存在してきた。1964年に開催された東京オリンピック時は、点在する競技場や体育館で繰り広げられる競技と観客の熱狂と興奮に包まれただろう。その盛り上がりを、神宮外苑のシンボルともいえる絵画館が静かに見守っていたのではないかと想像する。

現在の東京において、56年前に行われたオリンピックの面影を色濃く残している場所のひとつ、神宮外苑。ここで52年前に生まれたこの2000GTを走らせてみたかった。半世紀前、日本が、時代が、力を合わせてかたちにした“2つの夢”を、この場で重ね合わせてみたかったのだ。

青山通りから真っ直ぐに延びる銀杏並木。荘厳な石造りの絵画館を横目に走り抜ける環状道路。やがて目の前には、竣工したばかりの国立競技場が現れる。建築家、隈研吾により、「杜のスタジアム」をコンセプトに設計されたあらたなランドマーク。それが約100年の歴史を刻む外苑の建築物との調和を強く意識しているということは、じっさいにその場所に立ってみるとよくわかる。神宮の杜に現れた巨大な建造物は、大いなる存在感を発揮しつつ、決して“異様”には映っていない。

2020年夏、東京で再びオリンピックが開催される。その世界的スポーツイベントもまた、各国の“力”を表す催しである。だからこそ戦後、日本は復興の象徴として自国開催を待望した。そして1964年に実現した東京オリンピックから3年後、日本が世界に誇るスポーツカー、トヨタ2000GTは誕生した。半世紀の時を超えた今も、普遍的な美しさで世のクルマ好きを魅了する稀代のスポーツカーは、当時の日本人の抱いた夢や憧れを映し出している。

そのウインドスクリーン越しに杜のスタジアムを眺めながら、果たして50年後の東京は、そしてこの神宮外苑エリアはどうなっているだろう、と思いを馳せる。1960年代に生まれたトヨタ2000GTの存在が、今もこうして私たちの胸を打つように、このスタジアムも50年後の東京の風景に、美しく調和しているだろうか。

specification

トヨタ2000GT
1969年式
全長✕全幅✕全高:4175✕1600✕1160mm
車両重量:1120kg
エンジン:1988cc直列6気筒DOHC
最高出力:150ps/6600rpm
最大トルク:18.0kgm/5000rpm

profile

河西啓介

1967年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務を経て自動車雑誌『NAVI』編集記者。2001年オートバイ雑誌『MOTO NAVI』創刊。2003年より自転車雑誌『BICYCLE NAVI』編集長兼務。2010年独立し、出版社ボイス・パブリケーション設立。2012年自動車雑誌『NAVI CARS』創刊。2019年よりフリーランスとなり、自動車ジャーナリスト、エディター、パーソナリティー、コメンテーターなど幅広く活動中。

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