今回は千葉県野田市にある建築ということで番外編になるが、野田市は古くから東京との縁が強い地域である。東に利根川、西に江戸川、南に利根運河が流れる土地のため、河川を通して江戸とつながり、水運の恩恵を受けて繁栄した。そして、大豆や小麦、塩などを関東周辺から運び入れ、江戸の食文化を支える醤油の街として発展してきた歴史がある。
野田市駅から、現在でも醤油の製造所が建ち並ぶエリアを進んでいき、住宅街に入ったところにあるのが〈M氏邸〉として設計され、インテリアスタイリストの川合将人さんによって「BUNDLE GALLERY」として再生されたギャラリー兼スタジオだ。頭上で有機的な曲線を描く白い塀が、塀と一体のものとしてデザインされた建築物の特別な個性を予期させる。
隠れた名作が新たな挑戦を促す
この建物を設計したのは、進来 廉(すずき・れん、1926-2009年)。1950年に前川國男建築設計事務所に勤務した後1955年にフランスへ渡り、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエに師事し、コルビュジエのアトリエに学んだ最後の日本人建築家として知られる。また、コルビュジエとその従弟ピエール・ジャンヌレの共同制作者として活躍したシャルロット・ペリアンや、ジャン・プルーヴェのもとでも働き、20世紀のパリで活躍したきらめく建築家との接点を持ち続けた建築家であった。〈M氏邸〉は、進来が1963年に帰国し「キャビネ・レン・スズキ」を主宰して活躍していた40歳代後半の時期に手がけ、1974年に竣工した個人住宅である。
〈M氏邸〉は、母屋のある敷地の一部に、オーナーである茂木氏が新婚生活を送る家として建てられた。母屋は築100年以上が経つ2階建ての日本家屋で、道路側に建つ子世帯の住宅は平屋建てとされている。海外生活の経験もありコンテンポラリーアートへの造詣が深かった茂木夫妻はモダンな住宅をつくることを希望し、知人の紹介で進来に設計を依頼したという。
茂木夫妻はこの住宅でしばらく暮らしたが、2年後には家族で東京に移転。その後は50年近くほぼ何にも使われていなかったというが、本サイトや多くの雑誌で活躍するインテリアスタイリストの川合さんがこの家に出会い、急展開を迎える。
「進来さんが設計した建物ということも知らずに来てみたところ、空間の豊かさに驚きました。自分は普段、住まいにまつわるアートや家具などのコーディネート提案をしていますが、コロナ禍もあって自分自身で企画運営できるスペースを探していました。ちょうどよいタイミングで、この家に巡り合ったのです。その後は、建物ありきでいろいろなことが動いていきました」と川合さんは振り返る。
とはいえ、修繕と再生は一筋縄で話が進んだわけではない。建物と庭を一体で借り受けた川合さんは、建物のまわりで足の踏み場もないほど雑草木が生い茂っていた庭から手を付けた。草木を刈り、敷地の境界には間伐材を活用したウッドフェンスを設け、景観を整えていった。建物のほうは、川合さんが入る以前に飲食店にしようとした計画があったものの頓挫し、中途半端に手が加えられていたという。「その改修の具合が、元の設計に対して心ないものだったのですね。僕は、当時の建築雑誌に掲載されていた写真や図面をもとにし、またオーナーの茂木さんの話を参考にしながら、オリジナルの状態にできるだけ戻そうと心がけました」と川合さんは語る。復元改修は川合さんがディレクションしながら、実際の納まりは川合さんと同年代の建築家が担当した。
光と景色を多様に取り入れる建築
平屋には切妻屋根が架けられていて、両端では南側の屋根が切り欠かれたようになっている。道路側では塀と建物をつなぐように北半分の屋根が伸び、その下はガレージとされた。アプローチから続く玄関を入り、木製の大きな扉を開けると、奥行きのあるリビング空間が広がる。建物はRCの壁構造で、屋根の形状に沿った勾配天井の頂部には外にまで貫くH形鋼の梁が架けられ、リビングでは柱のない大空間が実現されている。
リビングの南面と西面には大きな掃き出し窓が設けられ、南西のコーナー部の壁面はガラスの突付けとすることで、視線は庭へと抜けていく。床に張られたタイル状の黒い玄昌石は、リビングとほとんど同じ高さのまま設けられたテラスにも張られることで、建物の内と外が一体となって広く開放的に見せる効果を生んでいる。「オーナーは『できるだけ外の景色を内部に取り入れた、建物の外と内が融合するような雰囲気』を要望されたといいます。リビングからはまわりの樹形が自然と目に入り、葉がゆらぐ様子を近くに感じることができます」と川合さん。
また、木が張られた勾配天井と壁の間には垂れ壁ではなくガラスがはめられ、天井面でも視線は外へと抜けていく。一方で、上部のガラス欄間を通して自然光が勾配天井を伝って入ってくる。そしてリビングの中央付近には、屋根の上に飛び出すように高窓が設けられており、リビングの大きな白い壁面に自然光が届けられる。川合さんは「夕方には西日が高い位置で横から差し込みますし、高窓から入る光は壁に反射して広がります。時間帯によって光の入り方が変わって、飽きることがありません。建物自体の設計のよさを実感しています」と語る。
ストーリーを大切にしながら新たな物語を紡ぐ
延床面積133㎡ほどの室内で、ダイニングとリビングはワンルームのようになっている内部構成が特徴的だ。ダイニングとリビングの間には段差が付けられており、中央には八角形でつくられた炉台をもつ暖炉が設けられることで、両者は緩やかに分けられている。この暖炉は煙突が十分に機能せずにあまり使われなかったそうだが、川合さんはバイオエタノールの暖炉に替えて炎を楽しめるようにした。また、炉台に当初から使われていた緑のガラスタイルは一部が剝がれていたものの、現物と酷似するタイルを探し当て、補修した。
「室内の色は白、茶、黒、そしてアクセント的に緑でコーディネートしています。これらの色は、茂木夫人が決められたと聞いています。バスルームやキッチンではオリジナルのものがすでに取り除かれていたので新たにつくったのですが、このカラースキームを意識しました」と川合さん。そのほか、進来がパリ時代にコルビュジエの弟子であるジョルジュ・キャンディリスの事務所に在籍したことから、ジョルジュがデザインした照明器具を取り寄せ、サンルームとエントランスの壁面に設置している。「進来さんとこの家にまつわるストーリーにつながるものを選んでいこうと考えました」と川合さんは楽しそうに語る。
名作住宅を次世代の文化の情報発信拠点に
川合さんは〈M氏邸〉をリニューアル後、BUNDLESTUDIO Inc.が代理店を務める「Editions Serge Mouille(セルジュ・ムーユ)」の照明や、イタリアの家具ブランド「Tacchini(タッキーニ)」など、これまで日本ではあまり見ることのできなかった家具や照明器具、インテリア・エクステリア製品を展示販売するショールームとしている。今回の取材時は、井上有一の書、ジョゼ・ザニーネ・カルダスの家具、辻村史朗の陶芸を組み合わせながら展示する企画を開催していた。また、建築と空間を生かした撮影スタジオとしても貸し出している。
「できるだけいろいろな人に、この建築を見て感じてもらいたいですね。自分自身、この場所を運営することで新しい出会いがあり、世界が広がりました。日本に入ってきていないけれど優れたデザインの家具を紹介していく場所になればと思いますし、これから活躍のフィールドを広げたい若いデザイナーやアーティスト、建築家などの発表の場にしたいと考えています」と川合さん。20世紀、パリのコルビュジエのアトリエがモダニズムの揺籃(ようらん)となったように、モダニズムから生まれた名作住宅が、次世代の文化の情報発信拠点となっていくだろう。
取材協力
BUNDLE GALLERY
▶︎https://bundlestudio.jp/studio/
千葉県野田市野田57番地
profile
1926年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業後、1950年前川國男建築設計事務所入所、1955年渡仏。ル・コルビュジエ、ジョルジュ・キャンディリス、ジャン・プルーヴェ、シャルロット・ペリアンらに師事。1963年帰国、1964年レン設計事務所設立。万博パビリオンや公共施設、ホテル、商業施設、住宅まで幅広く手がける。東京電気大学建築学科教授を務めた。2009年逝去。
profile
インテリアスタイリスト。1978年東京生まれ。都内のインテリアショップ勤務を経て独立し、雑誌や広告のスタイリングに加え、商業店舗やオフィス、モデルハウスの内装コーディネートのほか、家具や照明ブランドの展示イベントでは会場構成やディレクションを行う。2020年に株式会社BUNDLESTUDIOでの活動を開始し、2022年に「BUNDLE GALLERY」をオープン。
▶︎https://bundlestudio.jp