『新種の老人 とーやまの思考と暮らし』
鈴木:遠山さんは今年の1月25日に還暦を迎えて、そしてその日に新著『新種の老人 とーやまの思考と暮らし』を上梓されました。これは、遠山さんが35歳(1996年)のときから25年間毎月、『味の手帖』で連載しているエッセイ「さらり日記」を1冊の本としてまとめたもの。300本近い中から、200本を厳選してまとめたんですよね。
遠山:今回のために書き下ろしと、少々加筆と修正もして、撮り下ろしの写真なんかも入れましたが、大きな変更は入れてないですね。あとは読んでる人が飽きたりしないように、アクセント的な感じで、エッセイごとにというわけではないけど、文字のフォントを変えてみたり、縦書きのページがあったり横書きのページがあったりと、一般的なエッセイ本とは違った形にしているのもおもしろいところだと思います。
鈴木:35歳ということは、三菱商事時代のサラリーマンのときから書いてるということですが、どういった経緯で書くことに?
遠山:ちょっと変わったサラリーマンがいるっていうので、当時の編集者で、現在『味の手帖』の社主であり編集長、そして文化通信社の社長でもある山口健さんが声をかけてくれたんだと思います。三菱商事で働きながら、アーティストとして個展を開催したりと、いわゆる普通のサラリーマンではなかったですから。
鈴木:正直、『味の手帖』って、食通や美食家の財界人・文化人による対談やエッセイ等が掲載された雑誌ですよね。「食」がコンセプトだし。でも遠山さんは日々のことであったり、スマイルズ立ち上げの経緯だったり、食だけじゃない、ある意味異色のエッセイですよね。
遠山:一応「食」に関するようなことから連載ははじめたんですが、はじめからものすごくゆるーくはじまって、いまだにゆるいです(笑)。
鈴木:でも遠山さんが日々どんなことを感じ、考え、そしてスープをつくるきっかけや、スマイルズを立ち上げるきっかけはなんだったのかとか、遠山さんを知ることができる一冊です。
グラデーションを持つこと
遠山:芳雄さんは60歳になったとき、何か特別なこと思いました?
鈴木:まったくなかったんですよね。誕生日も淡々と時が流れたというか(笑)。
遠山:特別感はなかったんだ。
鈴木:なかったですね。
遠山:芳雄さんがフリーになったのはいつですか?
鈴木:2010年にマガジンハウスを早期退職しました。今60歳を過ぎて思うのは、早期退職してよかったなということ。普通に会社で働いていたら、僕はもう定年退職している年齢です。でも早期退職したことで、フリーランスとしてずっと仕事がしていられる。会社は会社で安定しているとかあるかもしれないけど、例えば定年でに急に会社員人生が終了してしまって、翌日から途端に何もすることがなくなり、途方に暮れてしまう人ってたくさんいると思うんです。
遠山:我々にはそういう区切りがないですもんね。生涯現役に自分でしていられるというか。もちろん定年を迎えてもバリバリ働いている方もいますが、それは一握り。
鈴木:早期退職することで人生にグラデーションができたというか、プツリと途切れることなく、ずっと色を描き続けられているなと思っています。だから皆さんには早期退職、必ずしも定年を待たないことをおススメしますね。それに副業できる会社も多くなってきているから、副業をするのもいい。それで定年退職しても自分の活動とかアイデンティティを途切れさせないこともおススメします。
『長寿と画家』
鈴木:例えば年齢を重ねるおもしろさ、年齢を重ねてからの凄まじいパワーを教えてくれる本をちょっと紹介したいと思います。それが『長寿と画家』。これは、長生きした画家15人―ゴヤ、ターナー、ドガ、モネ、ルノワール、ムンク、マティス、ルオー、ピカソ、シャガール、伊藤若冲、葛飾北斎、横山大観、熊谷守一、岡本太郎―の「名画」と「生き方」を最晩年から読み解くというもの。年齢を重ねるということに対する、それぞれの画家の言葉やエピソードが書かれています。
鈴木:画家って不思議と早く亡くなった人と長生きの人が尊敬されるというか、大事にされるというかそういう傾向がある世界なんですよね。
遠山:例えば早逝の画家というのは誰がいるんですか?
鈴木:日本だったら関根正二(1899年 – 1919年)。大原美術館の重要文化財《信仰の悲しみ》が代表作ですが、彼は20歳の若さで亡くなっていますし、前に連載で紹介した重要文化財《海の幸》を描いた青木繁(1882年 – 1911年)も28歳で亡くなりました。この本でも紹介されている熊谷守一(1880年 – 1977年)と東京美術学校で同級生だったことを考えると、ものすごく両極端ですよね。
遠山:でも案外、画家が何歳で死んだとかって知らない人も多いですよね。意外と短命だったり長命だったり。
鈴木:そう、そういうことをあんまり気にせず作品を見ていたりしますからね。でも描いた年齢を知ると、見え方が変わってきたりするじゃないですか。
遠山:この年でこんなの描けるの? って思うことありますもんね。
鈴木:そうなんですよ。100歳を超えて若々しい絵だったり、20歳の頃に描いた絵が年を取ってから描いたような絵だったり。画家はもしかしたら職業の中でも終わりがない職業かもしれないですね。
遠山:確かにそうかもしれない。描こうと思えば、どこまでも描けるところまで描き続けられますもんね。
鈴木:でも画家も千差万別。暗い境遇の中で晩年絵を描いていた人もいれば、苦悩したまま描いていた人もいるし、まだまだ学びたいと思いながら描いた人もいるし、我が道をただひたすら突き進みながら描いた人もいるし、ガツガツ精力的に向上心を持って描いていた人もいるし、穏やかに日々を過ごしながら描いていた人もいる。それぞれがそれぞれのやり方でもって自分の老いと向き合いながら、制作していたわけです。
遠山:私はよく、声がかかる人か、自ら仕掛けるか、どちらでもないか、と話すんです。どちらでもないはダメなんだけど、自ら仕掛けていかないと、長い「人生100年の時代」にお声がかかり続けるなんてことはない。そういう意味でいうと、アーティストってまさに自ら仕掛ける最先端の代表格の人たちだなと、改めてこの本を見ながら思いましたね。
鈴木:その話から思ったんだけど、この本に出てくる人たちって、生前から人気があって、声がかかるし、さらには自ら仕掛ける人たちだった。誰しもが描くことに飢えていたというか、描かずにはいられない人たちばかりなんですよね。その気持ちが続いているからこそ、名声も得たし、素晴らしい作品と名言を残したんだと思います。
遠山:学ぶところが多いですね。そしてやっぱり人は生涯現役なんだと思わされました。
「新種の老人」
遠山:この1月に還暦になりまして、せっかくなので、世に言うライフイベントっていうのかな、そういうことを何かのきっかけのレバレッジというか、何かの機会にしたいと思っていたんです。それでまずは還暦を迎えた自分を「新種の老人」と呼んでみたわけです。ただそこに明確な何か定義や理念があるわけではなくて。もちろん理念は大事だけど、それがあるがためにできないことも多かったり、ミッションが課されるというのかな、いろんな制約を生み出してしまいます。そこでノーミッションという考え方はありだなと、あるとき気づいたんです。それが私が立ち上げた「新種のimmigrations」にもつながりました。楽しいこと、豊かなことを個人やみんなで探りながら活動していこうと。そしてそこからさらに新しい何かが生まれればいい。きっかけや機会を生み出す場所になればいいと。だから「新種の老人」も定義はないんです。まずは私が第一期生になり、ポジションをつくるとおもしろいんじゃないかなと。それで誰しもが「新種の老人」って名乗ってくれればいいし、自分なりの定義やポジションをつくるといいと思っています。
鈴木:でも遠山さんもあまり自分のことを「老人」とは思ってないですよね(笑)
遠山:社会的な定義では私たち老人なんですよね(笑)。でも今の時代、そしてこの先、70歳になっても元気に働ける人は多くて、老人っていう定義が曖昧になりそうとも思っています。「老人」ってなんだろうなって。そう考えたときに、自分のことを「老人」って呼んで楽しむのってもしかしたら今しかないのかな、と思って、あえて「老人」と言ってみようと思ったんです。
鈴木:でもただの老人じゃなくて、「新種の老人」。
遠山:そうです、そうです(笑)。私は100歳まで現役で働くって常々言ってるんだけど、22歳から社会人になって100歳までと考えると、60歳ってまだ半分にもいってないんですよ。61歳がやっと折り返し。だからまだまだ、これからじゃんって。60歳からいろんなことをスタートさせて、今までやってきたことにもっと注力しようと思っているんです。例えば、これまでもやってきたアーティスト活動とか。
鈴木:確かにかなり積極的にアーティスト活動されていますよね。今年は新作の写真シリーズ「社会的私欲 Social self interest〜生彫刻〜」を発表。そのほか実は新作も制作中とか。それにYouTuberとしてもデビュー。現在3本アップされていますが、これは遠山さんの北軽井沢での生活をメインにアップしていく、と。
遠山:数年前に私は北軽井沢にある、1974年に詩人の谷川俊太郎さんが建築家の篠原一男さんに依頼した名建築を譲り受けたんです。週末はほとんどそこで過ごしているんですが、少しずつ東京と北軽井沢と二拠点の生活を身体に馴染ませているところです。その暮らしぶりを、自分なりに記録していこうと思ってはじめました。
鈴木:遠山さんが撮影も編集も音楽も担当していて、iPhoneだけでやってるとは思えないぐらい。
遠山:高度なことはまだできません(笑)。試行錯誤ですが、楽しんで動画をつくっていきたいなと思っています。
遠山:私はいろんなことをやりたいんですよね。それは昔から。そしてちょっと天邪鬼なところがあって、同年代と足並みを揃えたいと思わなくて、年を取ると体験することを若いうちからやっておきかった。それで年を取ってから、“もう私はそれとっくに経験してますけど”って(笑)。自分なりの年表を先につくっておくというのかな、60歳からやってますから、プロの老人ですからって。ちょっと意味わからないけど(笑)、「新種の老人」という新しい装置のようなものの中で、発想して、新しい何かを仕掛けていきたいし、いろんなことを試して実行していきたいと思っているんです。
鈴木:「老人はじめました」って感じですね。
遠山:そうそう(笑)。将来のコンテクストのための時限爆弾じゃないけど、スイッチみたいなのを埋め込む作業をずっとしているなと思っているんです。それで70歳とか80歳になったときに、“あ、あのスイッチ使えるじゃん”って。だからいろんな仕掛けをつくりたいと思っています。きっかけを見逃さないというか、やりたいことをやる、わからないことがあったらわかるようにする、そこから生まれることってとても多いはずです。それは老人に限らず、誰でもどの年でもはじめられるものだと思うんですよね。
鈴木:きっかけっていろんなところに転がってると思うんですよね。どういったことが、どう先につながるかわからない。
遠山:そう、いつの間にか自分の物語をつくっているんですよ、誰しも。振り返ってみると、“あ、あれが転機だったな”とか、気づきがあるんですよね。そして自分の書いた年表と照らし合わせてみるとさらにおもしろくなりそうだなと。
鈴木:遠山さん自身がまさに、今回のエッセイをまとめる過程で改めて振り返って、転機と思っていなかったところが転機だなって気づいたりとかしたんじゃないですか。
遠山:しましたね。やっぱり25年って長くて、忘れていることが多々あったんです。でも思いがけないところで出会っていた人や、あまり気に留めていなかったことが今思えば大きな転機だったりして、そういうことの積み重ねで今の私は出来上がっているんだなと思いました。
鈴木:あとは先ほども話に出ましたが、自分で動くことも大事ですよね。待ってるだけでは物語は進まないところもあります。
遠山:リクルート創業者の江副浩正さんがつくった社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」がまさしくそれだと思います。偶然ももちろんあるけど、気づきみたいなことを形にしていけるようになったらいいな、と私も思っています。みんな何かしら機会や気づきをずっと仕込んできているはずなんです。これから何かが生まれるんだろうけど、それがまだ何かはわからない。それを楽しみにしたいし、例えば私みたいな「新種の老人」になりたい、羨ましい! って思ってもらえればと嬉しいですね。
profile
1962年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年三菱商事株式会社初の社内ベンチャーとして株式会社スマイルズを設立。08年2月MBOにて同社の100%株式を取得。現在、Soup Stock Tokyoのほか、ネクタイブランドgiraffe、セレクトリサイクルショップPASS THE BATON等を展開。NYや東京・青山などで絵の個展を開催するなど、アーティストとしても活動するほか、スマイルズも作家として芸術祭に参加、瀬戸内国際芸術祭2016では「檸檬ホテル」を出品した。18年クリエイティブ集団「PARTY」とともにアートの新事業The Chain Museumを設立。19年には新たなコミュニティ「新種のimmigrations」を立ち上げ、ヒルサイドテラスに「代官山のスタジオ」を設けた。
▶︎http://www.smiles.co.jp/
▶︎http://toyama.smiles.co.jp
profile
1958年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。82年、マガジンハウス入社。ポパイ、アンアン、リラックス編集部などを経て、ブルータス副編集長を約10年間務めた。担当した特集に「奈良美智、村上隆は世界言語だ!」「杉本博司を知っていますか?」「若冲を見たか?」「国宝って何?」「緊急特集 井上雄彦」など。現在は雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がけている。美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。